第20話 初めての朝~レイラの決意

まぶしい光に包まれている。


 あれ、昨日の夜はカーテン閉め

 忘れたかな?


白いシーツに包まれていることに気づく。

私のベッドじゃない……

身体を右に向けると、白いシーツをまとった

美しい彫刻みたいな顔がある。


 健斗……


彼の左腕はかれんの首の下あった。

少し冷たくなったその肩に顔を寄せる。


彫刻の目がうっすらと開いた。

かれんをとらえる。


「……俺が先に目覚めて、君の顔を見つめたかったのに……」


彼は半身を起こし、かれんに向き合った。


するりと滑るシーツから、男らしい彼の右腕がかれんの方に延びてくる。


耳の後ろに指を差し込んでかれんを見つめる。


「ずっとこんな朝を願っていたんだ」


長い指で髪を何度もかきあげる。


「かれん」


そう言って首に手をまわすと、グッと引き寄せて抱き締めた。


頭を何度も撫でる。


大きな手で顔を包みその親指でかれんのあごを上げた。


「キスしていい?」


昨夜も聞いたその言葉。


彼の少し冷たい唇が触れる。


何度も重ねるうちに唇は熱を帯び、胸の鼓動と合間って息苦しささえ感じる。


「かれん……」


再び顔を眺め、見つめ合う。


「おはよう、やっと言えた」


かれんがそう言って微笑むと、また抱き締められた。


「かれん……」


「ここにいるわ」


「今日は1日中、ここでこうして過ごそう」


「ダメよ、今日は打ち合わせがあるでしょ? あなたも、私もよ」


「残念だな、家から出たくないよ」


「なに子供みたいなこと言ってるの!」

二人で笑いだす。


「コーヒー淹れて来るよ。腹も減ったろ?」


「人を食いしん坊みたいに言わないで!」


「こっち見るなよ」

「見てないわよ!」


かれんの髪をくちゃくちゃっと撫でてから健斗は部屋を出ていった。


シーツから顔だけ出して、部屋を見回した。


白いカーテンから明るい日差しを感じる。

外は清々しい晴天に違いない。



リビングにはコーヒーの香ばしい匂いが立ち込めていた。


「ねぇかれん、やっぱり今日の打ち合わせ、二人で欠席しない?」


「ダメに決まってるでしょ!」


「残念だな……あ、そうだ。もう俺をフルネームで呼ぶなよ! 俺のこと、なんて呼ぶ約束?」


「健斗」


「だったらいつもそう呼べよ」


「あ、でもやっぱり無理!」


「なんで?」


「今日は打ち合わせでも一緒なのよ、そんな急に……無理無理! あなただってみんなの前で急に「かれん」なんて呼べるわけないでしょ?」


「まあ、確かに……」


「絶対に普通に、今まで通りを装ってよ! 隠したい訳じゃないけど、若者みたいに分かりやすいのはイヤなの」


「そうだな、俺もだ。ゆっくりすすめて行こう。じゃあ……」


「なに?」


「進展するのは二人きりの時だけなんだろ?じゃあ……今からもう一度寝室に行って俺たち進展するのはどう?」


「もう! なに言ってんの! 階段から突き落とすよ!」


「おお、怖っ!」

二人で大笑いする。


「せっかく早起きしたし、モーニング食べに行こう!」


「いいね!」



身支度を整えて、玄関までの緩やかなスローブを下る。

「ホントだ! 3階の玄関からここまで少し上がってたのね」


「基本、理工系だったからね、建築も興味はあったんだ」


「面白い」


「だろ? また解説してやる」


「ううん、あなたよ。あなたって面白いわね。あなたを知ること、楽しみになってきた」


「俺もだよ、かれん。もっと知りたい」


健斗が後ろから、ぎゅっと抱き締めた。



朝の清々しい日差し。

ただ二人並んで歩くことが、こんなにも幸せな気持ちを呼ぶなんて、知らなかった。


健斗がかれんの手を繋ぐ。


「ダメよ地元で! 誰かに目撃者されるわ」


「じゃあ次の角まで」 


二人の指先が絡み合った。




「ここね、ワッフルが美味しくて気に入ってるの」


「俺は1階のカウンターでコーヒー飲んだことしかないな。2階があったのか」


急な木の階段をギーギーと音を立てて上る。

ノスタルジックな空間が広がっていた。

行楽日和のせいか、他に客は居なかった。


「また貸しきったんじゃないでしょうね?」


「バカなこと言うな!」


「ふふ」


一番奥のソファー席に通される。

ミニテラスを眺めるペアシートにならんで座った。


「さすがにこの席には座ったことないわ」


「カップル専用席、そんな感じだな」


照れ臭そうに座る。

さっそくワッフルセットを注文。


「やっぱり美味しい」


「そんなに腹減ってたのか、そりゃそうだよな、昨日の夜はあんなに……」


「それ以上言ったら殺す!」


「怖っ! で、よく来んのか? ここ。1人で?」


「この前はママと来たわ」


「へぇ、お母さんってどんな人?」


「そうね、しいて言うなら自由な人。完璧に子供から自立してるって感じ」


「あのマンションに一緒に住んでるんだろ? でもいつも居ないって言ってないか?」


「そう、いつも居ないわ。ギャラリーとブティックやってるんだけど、買い付けっていう名目で海外に行ってばかり。まあ、お陰で会ったときは新鮮に母子とも楽しめるけどね」


「そんなもんか?」


「うん。健斗のお母さんは」


「いない。俺が10才の時に病気で亡くなったんだ」


「そうだったの。小さいのに……辛かったね」


「そうだな、でも家族ぐるみで仲良くしてた家があってさ、そこのおばさんがお母さんみたいに接してくれたんだ」


「そっか」


「いつかかれんのお母さんに会えたらな」


「そうね。でもね、ホントにいつも居ないのよ。そうだ! 前にここに来たときも食べた後は、私をおいてさっさと友達との約束があるって、どこかに行っちゃったのよ! で、その後、偶然宗一郎さ……」


「待った。なんだ、そういちろうさんって?」


「えっと、あま……」


「天海先生のことだろ! そうだ! 思い出した! 天海先生の車から降りるかれんを目撃したんだった!」


「え? いつの? 昼?」


「夜だ! 夜! 『RUDE bar』から出るところで、ドア開けたらちょうどかれんが天海先生の車から降りたのが見えて……」


健斗は呼吸を整える。

「かれん……いったい何回天海先生とデートしたんだ?!」


「そんなこと……その時の健斗には関係ないじゃない」


「今は関係あるだろ! 今後もな!」


「わかってる。天海先生は紳士的よ。私に好意は持ってくれているのはわかるけど、踏み込んできたりしない人よ」


「それは…何となくわかる」


「そうでしょ? だから、ちゃんと友達になるから! 少し時間をくれる?」


「また二人で合うのか?」


「必要とあらばね。仕事の仲介をしてもらったの。お友達の経営するレストランを紹介してくれて。そこには健斗もレイラちゃんと一緒に出演予定よ」

 

「ああ、ブライダルの?」


「そう、だからその仕事が終わったらちゃん話すから」


「いいよ、俺たちは大人だから。でも……」


健斗はかれんの腰をグイッと引き寄せた。


「少しでもほかのオトコに気を許したら、ただじゃおかない……」


そういうと、もう一方の手をかれんの頬に這わせ、強引なキスをした。

そのままソファーに押し倒す。

長いキスをして、そっと唇を離した。


「そんなおびえた顔をするな。俺は野獣じゃないぞ!」


かれんの身を起こしてやり、髪を整える。


「ほら、おいで」

肩を抱いて髪を撫でる。


かれんも健斗の肩にあたまをのせた。


「いいな、嫉妬も。こんな気持ちになれるって」


かれんの頬が近づいてこくっと頷いた。


今度はそっと頬に手を伸ばし、静かで優しいキスをした。




東雲コーポレーション自社ビルの12階に設けられた会議室にて、次期イベントの打ち合わせが終了した。


クライアントに引き続き、各部門のスタッフ、モデル達も退出する。


書類等の後片付けをしたファビュラスのメンバーも、7階の自社室に引き上げた。


エレベーターホールは、いつものように見事な夕焼けで紅く染められていた。

 

「社長! 仕事熱心な社長!」


部屋に戻るなり、葉月が満面の笑みでかれんに詰めかける。


「もう葉月、その呼び方やめてよ!」


「今日もムコ殿、決まってたわね! ねぇ彼と一緒に来たの?! ねぇねぇ」


「ああ……もう! “ムコ殿” もやめて!」 


葉月の笑みは止まらない。

「じゃあ、何て呼んでるのよ?」


「……健斗、だけど……」


「けんとだってー!!」


葉月に由夏も加わって、異様に盛り上がる。


「もう、うるさい! 藤田健斗から健斗になっただけじゃない!」


「いやぁ、より親近感が増したって言うか? こう……熱くなっちゃう感じ?」


「うんうん、なんか興奮してきちゃった!」


「そうそう! もう……早く帰って彼氏のところに行っちゃいなさい!」


「……全く……なに言ってんのよ」


「そもそも、あの藤田先生とかれんがそうなっちゃうなんてね、最初は犬猿の仲かと思ってたけど。不思議なこともあるなってね」


「へぇ、葉月はそう思った? 私は二人はアリだと思ってたよ。雰囲気も合うって。お互い素直じゃないっていう共通点もあったしね」


「なによそれ!」


「とにかく、惹かれるべくして惹かれたって、そう思ってる。現に二人は上手く行ってるでしょ?」


由夏が葉月の肩を揉む。


「葉月おばあちゃんは孫の結婚が決まってご満悦なんじゃないの?」


「いつ私が孫になったのよ?!」


健斗とかれんの交際を、親友二人は自分の事のように喜んでくれた。

それこそ自分の娘や孫の嫁ぎ先が決まったかのような、ある種異様な盛り上がり…

一体私は彼女らにとってどういうポジションだったのかと、不審に思うくらいだ。


とはいえ、恋も仕事も順調、お陰で休日も返上で、女3人こうして仕事にかまけている。

なんとも幸せな 忙しさ……かも?


かれんの机上の携帯のバイブレーションが鳴った。

バタバタという音と共に、由夏と葉月が覗き込む。


「ハイ来ました! ムコ殿!」


「もう!!」

二人は笑い転げている。


「ムコ殿は何だって? 帝央大学?」


「明日から5日間、数学のシンポジウムとかで別の大学の研究室に行くの。これから新幹線に乗るって」


「藤田先生も本当多忙ね。『JFM』のCEO就任パーティーも近づいてるから大変なんじゃない?」


「うん、詳しくは聞いてないけど、大学の方も色々整理するべきことがあるみたい。今月末にはアメリカにも行くらしくて」


「まさか向こうに行くとかないよね?!」


「うん、手続きだけ。でも彼も悩んでるみたい」


「数学の道と会社のための道か……これらを並行してやるとなると、なかなか大変よね?」


「多忙な彼氏を支える彼女も、また多忙と来たら……ホントこりゃ大変だわ! ま、社長! 無理しないで頑張って。そのために私達もいるんだからさ」


「由香……」

葉月も横で頷いている。


「ありがとう! でも私、自分の仕事で手を抜く気なんて更々ないわ」


「そうだった! それがworkaholicかれんだったわ!」


「もう! その言い方もやめてよ!」


「ムコ殿にも教えちゃおう!」


「やめてってば!」



その時、トントンとノックの音が聞こえた。

入ってきたのは、レイラだった。


「あら、レイラちゃん? まだ帰ってなかったの?」

葉月が驚いて聞いた。


「ええ、あの……かれんさんにちょっとお話があって……かれんさん、いいですか?」


「ええ、もちろん……じゃあちょっと出てくるわね」


由夏と葉月が心配そうに顔を見合せた。



夕方のカフェは空いていて、ほとんど貸しきり状態だった。


「あの……レイラちゃん……」


かれんの言葉を遮るようにレイラが話し出した。


「かれんさんは健ちゃんのこと、どんな風に思っていますか?」


「え? あ……そうね、最初は謎が多くて、調子がよくて、嫌みなヤツって思ったこともあったけど……」


「今は違いますよね? 真面目で思いやりもある人だって、気付いてくれていますよね」


「ええ……」


「だって健ちゃんと、付き合ってますもんね?」


「……レイラちゃん……」


「健ちゃんから聞いたんじゃありません。わかってしまうから。かれんさんはなにも言わなくていいです。ただ、健ちゃんのこと……話してもいいですか?」


「ええ、でも……」


レイラは伏し目がちに話し出した。

「私じゃ彼を救えないから……だから……聞いて下さい。かれんさんが思ってるよりもずっと、これから健ちゃんはすごく大変になります。誰かが側に居てあげないと彼は彼自身じゃなくなる……そう思うんです。それが私じゃないのは辛いんですけど」


「レイラちゃん……」


「健ちゃん、本当はとってもかわいそうなんです。小さい時に母親を亡くしてるんです。健ちゃんの母親っていうのは私のママの姉なんです。私はママから聞いたんですけど、治らない病気で、10才の時に。それでお父さんと二人で頑張って、幸せに過ごしていたんです。

ただ……健ちゃんが中学生の時に、すごく大事な親友を失って……」


「失った?」


「そう、その子は死んでしまったそうです。それをずっと自分のせいだと思って、自分を責めていたそうです」


「そんなことが……」


「私も詳しく知らないんですけど、転落事故だって言ってました」


彼が時折見せる不安気な表情は、そこから来ているのではないかと、かれんは思った。


「健ちゃんはもともと勉強よりもスポーツが得意で、背も高かったし、中学の選手選抜に選ばれるくらいバスケットボールが得意だったんです。アメリカに遊びに来た時にはNBAを一緒に見に行ったって父から聞いたことがあります。そんな彼が、バスケをやめて数学者になったのは、死んだ親友の夢を叶えたかったからだって……」


「え? 数学者は亡くなったお友達の夢だったの?!」


「そうです。数学者も大学の最年少准教授も簡単になれるわけない……ものすごい努力をしたんです。自分を殺して」


「自分を殺して……」


「健ちゃんは中学以来、人の為に生きてばかりなんです。親友の夢を叶えた後は、今度は会社っていう父親の夢を叶えるために、また得たものを捨てようとしてる。今まで、健ちゃんは誰にも支えられず、たった一人でそれらすべてをやってきたんです。本当は私が支えてあげかった。だからずっと側に居たのに……でも健ちゃんにとって私はただの妹みたいな存在で、パートナーにはなれなかった……すごく悔しいです。正直、泣き叫びたいくらい、辛いけど……だけど……その気持ちよりも今は、健ちゃんに幸せになってほしいという気持ちの方がずっと大きいんです。だからかれんさん、健ちゃんを支えてくれますか?」


レイラがかれんの顔を見上げると、彼女の頬に幾つもの涙の跡があった。


ポタポタと机を打つ音を聞きながら、レイラは目を伏せて言った。


「かれんさん、健ちゃんの気持ちは、間違いなくかれんさんの元にありますから、健ちゃんを信じて、そばにいてあげて下さい。お願いします」


言葉にならなくて、二人はテーブルの上で手を握りあった。


流す涙の意味は違っても、彼を思う気持ちは一緒だった。


「約束するわ。彼を幸せにするね」


第20話 初めての朝~レイラの決意 ー終ー


→第21話 記憶のスパイラル

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