第13話 天海 ルミエール・ラ・コート 

すっかり桜が散って、青々とした葉が目立ち始めた。

川沿いを、夕暮れの風を浴びながら歩いてる。

このところ立て続けにイベントの企画がまとまって、ずっと忙しくしていた。

今日は久しぶりに、夕日が残っている間に帰れる。


川沿いの道を登っていると、携帯のバイブレーションが鳴った。

天海からメッセージが入った。

立ち止まって返事を打つ。


「久しぶり。今、何してる?」


「こんばんは。これから帰宅するところです」


「じゃあ今からは、空いてるのかな?」


「空いてますけど」


「夕食はまだだよね?」


「はい」


「それじゃあディナーに、付き合ってもらえないかな?」


「ぜひ。嬉しいです」


「どこにいる?」


「もう家の近くまで来ています」


「じゃあ、前に君を下ろした辺りで待ってて」


「はい。ありがとうございます」


かれんは自宅の前まで来ると、急いで部屋に上がり、キレイにアイロンを当てたハンカチを持って降りてきた。

初めて会ったあの事故の日に、天海がかれんに貸してくれた、あのハンカチを。


北の大通りに出る。コンビニには渡らない。

その先の道を少し見上げた。

あのスタイリッシュな部屋が脳裏に浮かぶ。

東向きに曲がってスタバの前で右を向いて待つ。


ほどなくメタリックブルーの車が止まる。


「元気だった?」


ハンドルから少し視線を向けて微笑む。


「ええ。天海先生は忙しくされてるんでしょうね」


「まあね。なかなかディナーにも行けないくらい」


かれんがほほ笑む。


「今日はね、僕の友達が新しく店を出したから、そこに行こうと思ってるんだ。フレンチレストランなんだけど、家庭的なフランス料理でなかなか美味いんだ。どう? 構わない?」


「はい! 嬉しいです!」


「よし、じゃあ行こう。わりと近くなんだ」



思ったよりもすぐに到着した。

石造りの門扉を車でくぐると、異人館のような雰囲気のある洋館が現れた。

真っ白な漆喰のエントランスにはいくつかの彫刻。それらに挟まれた壁に『ルミエール・ラ・コート』と彫ってあった。


「わあ、素敵!」


ドアマンに車を預けて店内に入る。


「いらっしゃいませ、天海様。すぐにオーナーを呼びます」


お祝いの花が並んでいる。まだオープンして間もないようだった。


「家庭的なフランス料理のお店だって聞いたから、もっとこじんまりした感じかと思ったら。こんなに素敵なお店!」


「いらっしゃいませ。オーナーの乾です。天海、さっそく来てくれてありがとう」


「いつオープンしたんですか?」


「2ヶ月ほど前です。バレンタインデーに」


「そうですか、知らなかったなぁ。ここならブライダルもできそうですね」


「乾、彼女はイベントプランナーなんだ。『ファビュラスJAPAN』、知らないか?」


「もちろん知ってるさ!」


「彼女、そこの総合プロデューサーなんだ」


「三崎かれんと申します」


「そうなんですか! それなら是非とも今後、お世話になりたいですね。後で名刺をお渡ししにうかがいますので、ゆっくりしていってくださいね」


ガーデンに面した席に通された。


クロスの色も淡いグリーンで、街の中にあるとは思えないほど、緑が溢れている。


「ふふ」

かれんが笑う。


「なに? どうしたの?」


「天海先生って、大人で都会的な雰囲気だから、洒落たジャズバーで茶色いお酒の入ったグラスを傾けて……ってイメージなのに、小花に囲まれてパステルのクロスに腕をおいてるなんて……可愛すぎる!」


「素敵なイメージ持ってくれるのはありがたいけど、笑いすぎだよ!」


「あはは、ごめんなさい。ところで先生、今日お仕事は?」


「今日は昨夜から当直だったんだ。ようやく解放された気分」


「じゃあ寝てないんじゃ?」


「大丈夫、仮眠はとれたし、昨夜は重症患者は運ばれてこなかったからね」


「本当に大変なお仕事ですね」


「まあね、でももう慣れっこだから」


「今から食事してもまた病院に帰るんじゃ?」


「さすがにそれじゃあ僕も死んじゃうからね。明日の昼に出勤だ」


「よかった」


カラフルな野菜に彩られた前菜のプレートが運ばれてくる。


「2階にはチャペルを模したようなスペースがあるんだ、後で見せてもらうかい?」


「はい、是非とも!」

「天海先生、ひょっとして本当はここのオーナーと私を引き合わせて下さるために誘って下さったんじゃ?」


「バレたか!」


「バレバレですよ!でも嬉しいです。近くにこんな素敵なお店が出来たら、私もアイデアがどんどん沸いてきちゃいます」


「実は、君とランチに行った時から考えてたんだ。良かった。オーナーが高校時代の同期で、ここ以外にもレストランやアパレル業も手掛けてるよ」


「やり手でいらっしやるんですね」


「確か理工系の学部に進学したんだけどな、昔からなんでもできるヤツだったから」


「天海先生も関東ですか?」


「うちの高校は半分以上が関東に行くからね」


「そのうち半分以上が東大?」


「そうだな、僕もそっち組だしね」


「ワオ!」


「でさ、今さらなんだけど……天海先生って呼ばれると、いささか距離感を感じてしまうんだけど……」


「じゃあ、宗一郎さんって呼ばせてもらいますね!」


「ありがとう。あ……僕は君を……かれんちゃんって呼んじゃダメかな…子供っぽすぎる?」


「いえ。私最近、部下も増えましたし、イベント業界では若いモデルさんも多くて、時々軽くビンテージ扱いを受けることもあって……」


「そうなの?」


「ええ、だから、ちゃん付けで呼ばれるなんて嬉しいかも!」


「そう。良かった!」


乾がやって来た。

「お食事いかがですか?」


「とっても美味しいです。前菜の盛り付けも綺麗でしたし、ソルベも本当に美味しくて!」


名刺を交換する。


「実は6月にブライダルフェアを考えているんです。時間がなくて申し訳ないのですが、お力をお貸しいただけませんか?」


「わかりました、早速いくつかプランを考えて、お持ちするようにしますね。日程はまたご相談させてください」


「三崎さん、ありがとうございます。よかったら館内をご覧になりますか?」


「是非見せて下さい!」


「そのお茶がお済みになったらご案内します」


「あ、乾、案内なら僕がするよ」


「そうか?」


「そうですね、あま……宗一郎さんがお店の中をご存知みたいなので、ゆっくり見させて頂きます」


「わかりました、よろしくお願いいたします。終わったら声かけてください」


「はい」


「あ! そうそう、今夜はスタッフみんなで採用ケーキの試食をするんですが、もしお腹に余裕があったら是非食べていってください。天海もこう見えて実は甘党ですしね! では失礼します」


「お気遣いありがとうございます」


二人して乾を見送る。


「甘党なんですね!」


「まあね……変かな?」


「いえ、私もチョコつまみながらお酒飲んだりもしますし」


「そう、かれんちゃんは飲める方?」


「お酒、好きですよ。ああ、そういえば、『RUDE bar』をご存じだって、初めて会った日に、宗一郎さん言ってましたよね」


「そうか! 僕もたまに行くけど、遅い時間だから。一度も会ったことないよね。じゃ今度は『RUDE bar』で一緒に飲もうか!」


「そうですね」


「じゃあ早速2階に上がってみよう」



「階段も素敵ですね。ここで新郎新婦の写真が撮れそう」


「なるほどね」


「飾り付けも映えそうですし、イメージ湧きやすいわ」



2階は広々とした一室になっていて 色々なレイアウトが出来そうだった。

確かめるように色々見て回るかれんの後を、宗一郎はにこやかについていく。


「一本電話を入れていいですか?」


「どうぞ」


「もしもし葉月、さっきメールした件だけど。うん、キャパ的には1階120人、2階80人くらいかな……立食でオープンガーデンも使ったらもっと入るか……ただ、シェフがどんな人かまだお会いしてなくて……」


後ろで宗一郎が小声で話す。

「ロイヤルホテルで修業したシェフらしいよ」


「そうなんですか? だったらいけるわね!」


「かれん、誰と喋ってるの?」


「あ……えっと、ここを紹介してもらった人がいて、今一緒に来てて……」


「そう。デート中にね、仕事熱心なこと!」


「そういうのはいいから……とりあえず、山上ホテルのプランを少しアレンジして、なるべく早く待って行きたいの。軽くまとめてフォルダ作っといて。よろしくね」


「仕事仲間とも仲良さそうだね」


「大学から一緒なんです」


「どおりで」


「演出ってね、クリエイティブな仕事だから尚更、表面的な美しさだけじゃなくて、人情的な温もりとか、そういうのが大事だと思うんです。私はそれを大切にしたくて。だから仲間にいつ助けられています」


「そうか、いい環境だね」


「ええ」


彼女の微笑みが花のように見えた。


「だからか……」


「え? なんですか?」


「こんなこと……女性に聞いてもいいのかな? とも思うんだけど……」


「はい、何でしょう?」


「かれんちゃんは毎日が充実してるから、彼氏とかいらないって……思ったりするのかな……とか?」


「あはは、それは関係ないですよ。たまたまご縁がなかっただけで」


「そうなんだ?」


「そうですよ!」


乾が上がってきた。


「三崎さん、いかがですか?」


「もうイメージが湧きに湧いて! あとはお店のご意向をお伺いするのと、シェフにお会いして打ち合わせができれば、なんとか6月に間に合います」


「ありがとうございます。よろしくお願いいたします! あの、良かったらケーキはいかがですか?」


宗一郎と目を合わせる。


「頂きます!」


「試食用のケーキ、いかがでしたか?」


「どれもとても美味しかったのですが、味も見た目も、タルトが絶品で」


「さすがですね! 次のブライダルフェアでも採用しようと思ってたんですよ」


「やっぱり! 賛成です!」




「天海!」


乾がエントランスで声をかける。


「彼女、パウダールーム?」


「ああ」


「ありがとうな、三崎さんを紹介してくれて。ファビュラスの女社長があんなに可愛い人だとはな……天海、お前……そういうことか?」


「ああ、でもまだまだこれからだ」


「だな? 見てりゃわかる。頑張れよ!」


宗一郎がドアを開けてくれて、車に乗り込んだ。


「ごちそうさまでした。本当に素敵なディナーでした。ご紹介も頂いて。ありがとうございました」


「いや、久しぶりに楽しい夜だったよ、乾もずいぶん喜んでたしね。こちらこそ、ありがとう。君といるとなんだか誇らしくて、気分が良かったよ」


「そうな風に言って頂いて、光栄です!」


「ちょっと遅くなっちゃったね」


「私は大丈夫ですよ、明日休みだし。それより宗一郎さんこそ、もう眠たいんじゃないですか?」


「大丈夫。明日も寝坊できるしね」


「良かった」


「私は家に帰ったらさっそくプランを練ります」


「今から? 仕事熱心だな」


「会社ではworkaholicって言われてますけど、好きでやってるので!」


「仕事の虫かぁ……そんな風に言われてるの? かれんちゃんが?」


天海が笑う。

「頼もしいね」


「ふふふ」


「何?」


「初めて会った日…私の捻挫を処置してくれたときの事を思い出してたんです」


かれんはまたクスクス笑いだした。


「私の折れちゃったヒールをテーピングで修理してくれたでしょう? あのときの先生がかわいかったって、藤田健斗に話してて……」


「かわいかったって、僕の事?」


「あはは、ごめんなさい。ああ! そうだ! お返ししようと思って、持ってきたんです。これ」

   

「なに? あ、ハンカチか、あの時の。キレイにプレスしてくれたんだね。ありがとう」


「あの時は本当にありがとうございました。改めて思い出しても、宗一郎さんって、本当に親切ですよね」


「そういえば、キーチェーンを落としたから、とか言ってたっけ?」


かれんのカバンに目をやる。


「はい、今日も持っています」


「いいこと、あった?」


「ええ。例えば今日みたいな?」


「嬉しいこと言ってくれるね。ところで……藤田君とよく会ってるの?」


「いえ、その時は偶然『RUDE bar』で鉢合わせて」


「一緒に飲んでたの?」


「さっき電話してた会社の子達と」


「そうか、良かった」


「え?」


「いや何でもないよ。藤田君の事、前は得体の知れない人って言ってたけど、今もそう?」


「そうですね、何でもポンポン言うし、すぐ喧嘩腰になっちゃいそうで、始めはヤダなって思ってたんですけど、私もハッキリしてる方なので、ずけずけ言われるのにも馴れちゃって。以外と周りを良く見てる人なんだなって思うようになりました」


「そりゃヤバイなぁ」


「え? なんですか?

「ああ、何でもない何でもない。そうか、ご近所さんなら遭遇することも多いよね」


「そうなんですよ。いつ意地悪な突っ込みが来るかと、気が気じゃないですよ!」


「僕も気が気じゃないなぁ」


「なぜ?」


「僕も負けないくらい神出鬼没になんなきゃね」


「宗一郎さんが?」


「そう、君が藤田君にさらわれないように」


「あはは! さらわれるだなんて、私が? そんな雰囲気じゃありませんよ、ただの友達なので」


「ただの友達? ただのご近所さんから昇格したんだ?」


「まあ、会社のスタッフとも打ち解けてきてるので、まあ、仕事仲間というよりは、友達ですかね?」


「そうか……」



『RUDE bar」のほぼ前で車を停める。


「いいの? 家の前まで行かなくて?」


「はい、コンビニに寄って帰ります」


「かれんちゃんの本命の『カレシ』ね」


「もう、やめてくださいよ!今日は本当にありがとうございました。楽しかったです」


ペコリと頭を下げてコンビニの方に向く彼女を引き留める。


「かれんちゃん!」


「はい?」


「今夜……電話してもいいかな?」


「ええ、私は構いませんけど、睡眠とらなくて大丈夫ですか?」


「ずいぶん気にしてくれてるんだね、大丈夫。ありがとう。じゃまた後で」


「はい!」


笑顔でお辞儀をしてから、歩いていくかれんの後ろ姿をミラー越しにしばらく見ていた。


 とうとう本気になったか……


彼女の姿がコンビニの中に消えてから、ウィンカーを出し、車を走らせた。




「じゃあ波瑠、後はよろしくな!」


「健斗さん、今日は早いですね」


ドアに向かって階段を上っていく。


「ああ、論文のしめきりが近くてな。じゃあ…」


ドアの小さいベルが音をたてる。


直後、バタン!とドアが勢いよく閉まる音。


「健斗さん?」


ドアから出るはずが、外に出ずに手前で立ち止まっている。


「いや、知り合いが……」


「会っちゃマズイ人ですか?」


「いやぁ、そういう訳じゃないけど……」 


「健斗さん、分かりやすいな」


「なんだよ波瑠?」


「かれんさんが居たんでしょ? それも天海先生と。違いますか?」


「お前、何で……」


「店開けるときに見たんです。かれんさんが天海先生の車に乗り込むところを」


「そんな早くから?ってか、波瑠は天海先生と面識あるのか?」


「ここのお客さんです」


「あ、そうか。そういえば来たことあるって言ってたような……」


「落ち着いてくださいよ健斗さん」


「ああ、わりぃ」


「カウンターに座りますか?」 


「あ、いや。やっぱ帰るわ。じゃあな」


「お疲れ様でした」 


 まったく、ホント分かりやすい人なんだ

 から。ボクも他人事じゃないな……

 いつまでもくすぶってるわけにはいかない

 んだけど……


メタリックブルーの車はもうそこになかった。


 くそっ! なんで俺がコソコソしなきゃなら

 ないんだ!


コンビニを曲がろうとしたら、出てきたかれんと鉢合わせしてしまった。


 ああ、もう! なんでまたこんなタイミング

 で……

 

「あら、藤田健斗さん! こんな時間からお出かけ?」


「逆だよ、帰るんだ!」


「そう。あ……この間はお家に上げていただいてありがとうございました」


「なんだよその他人行儀な言い方は! あの後は?由夏さんたち起きてたのか?」


「葉月は寝ちゃってたけど、由夏とはちゃんと話したよ」


「元カレの話?」


「そう。話したらスッキリしたわ」


「良かったな」


「うん、ありがとう」


「いや、俺は別になにも……」


かれんの涙を不意に思い出す。

 

正味、酔いも吹っ飛ぶほど焦ったけどなぁ。


「ホント助かったわ、気持ちも整理できたしね」


「そうか」


「そうだ! 実はね今日、天海先生と会ったんだけど……」


「あ、それ言うんだな!?」


拍子抜けしてしまう。


「え? なに?」


「いや、なんでも。で、天海先生がどうした?」


「連れていってもらったレストランで早速仕事が決まってね!」


「あのさ、どういうことか全然見えないんだけど……」


「天海先生が食事がてらレストランのオーナーと引き合わせてくれてね、そのお店のイベントが6月に決まりそうなの。詳しいことはまた由夏があなたに連絡すると思うわ」


「え? 俺も? これって出演依頼?」 


「まあそんなとこ!」


「あのな!俺の本業は先生だぞ。モデルじゃないっつーの!」


「それは未だに信じられない」


「そうか?!こう見えても俺の授業はハイレベルだぞ、ゼミも人気だし。将来日本を背負って立つ数学者を排出するべきポジションなんだ!」


「やっぱり全く想像出来ない。絶対女子学生を、たらしてそう!」


「お前な!」


「あ、信号! じゃあ帰るわね! おやすみなさい!」


「あ? ああ……おやすみ……」


 行っちまったし。

 今日は飲んでないみたいだな。飯に行って

 飲まないなんてあるか?あ、先生が車だった

 から、気を遣ってってか?!

 ああ…なにホッとしてんだ?俺は!


信号の向こうのかれんの姿を見送った。

一度も振り返らずマンションに入っていった。


 くそっ、余計なこと考えてる場合じゃない

 ぞ、帰ってさっさと論文仕上げないとな。


第13話 天海 ルミエール・ラ・コート 



→第14話 かれんのピンチ

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