ネガティブ女と高スペック男

八柳 梨子

耐える日々①

「ねえ。どうして言われた通りにできないの? 私、ちゃんと説明したと思うんだけど。指示された通りに作るって、そんなに難しいこと?」


 勤務歴十八年、齢は四十を迎えたいわゆるお局・如月裕子が、人差し指の爪でこんこんと机を叩きながら嫌味な口調で尋ねた。すると入社二年目、もうすぐ二十四歳を迎える木下桃香は、びくりと身をすくませる。


「すすす、すみません。ちゃんとやったつもりだったんですけど……」


 絞りだすような弱々しい声で、そう答えた。


「つもり、じゃ困るのよ。もう新入社員じゃないんだから、これくらい分かっていてもいいと思うんだけどね。やり直してくれる?」


「あ、はい。わかりました……」


「じゃあ、私は帰るから。その書類ができあがったら、まとめて机の上に置いといて」


「え? あ、はい……」


 相変わらずびくびくしている桃香の手に、如月は乱暴に書類を手渡して椅子から立ち上がった。が、書類を見つめたまま動かない桃香に苛立ったようで、強い口調で問いかける。


「ねえ、本当に大丈夫? 理解してる? もしかして、私も残ったほうがいいのかしら?」


「あ、いえ……大丈夫……です」


「明日の朝に使う書類なんだから。今度は失敗しないでよ!」


「は、はい。すみません」


 蚊の鳴くような声で部下が答えると、お局は睨み付けながらチッと舌打ちをして、背を向けた。周囲の者はそんな二人を見て見ぬふりで、それぞれの仕事に没頭している風を装っている。


 味方などいないフロアをそっと見まわしながら、桃香は心の中で自分に言い聞かせる。


(我慢、我慢。しばらくはあの就活の苦しみを味わいたくないもんね……)


 今度こそ……と願いながら、何枚も書いた履歴書。

 いくら面接を受けても、なかなか就職口が決まらない不安。

 やっと採用されたのは、ファッションメーカーの通販事業部だった。それなりに安定していて、給料も平均的。決まったときは長かった苦しみから解放され、天にも上る心地がしたものだ。


 あんなに苦しかった就活は、二度としたくない。上司がちょっと(というより、かなり)イヤな奴だからといって簡単に辞めていては、どこに行っても一緒だと父親に言われたのもあり、日々耐える生活を続けていた。


 しかし上司には目の敵にされ、連日責められてばかり。周囲は子会社からの出向社員が多く、本社社員で一番長く勤務しているお局の如月に意見できる者もいない。だからやりたい放題の彼女の標的となった桃香を、フォローしようとしてくれる者もいなかった。

 学生時代は明るかった性格もだんだん卑屈になってきて、つねにうつむいてばかりいるようになっている。


(……さて、やるか)


 やり直せと言われた年末商戦に向けた企画の書類に目を落とし、桃香はもう一度ため息をつく。


(なんで間違えちゃったんだろう。……私ってやっぱり使えない奴)


 ――自分のミスだから、残業の申請はせずにおいたほうがいいだろう。如月にまた文句を言われるに違いないから。


 時計にちらりと視線を向けたあと、桃香はPCのキーボードに指を乗せた。

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