Appassionato——Ottavo Capitolo

「杏奈ぁー、ビール飲むぅ?」


 康介が声を上げた。

 ライブイベントも終盤で、残るは晋太郎達のバンドだけになった。

 セッティングを含めた休憩時間で、康介はドリンクを取りに行った。


「やっぱ、なんかムカつく……」


 隆明がボソリと呟く。


「たっくんがそんながそんなにイライラするなんて珍しいよね」


 杏奈は笑いながら言った。


「なんか分かんないけど、絶対に仲良くなれないのだけは分かる」

「ハハハ、無理だろうね。たっくんとは全然違う人種だもん」

「はぁ、俺も飲み物とって来る」

「あ、私のもー」

「何がいい?」

「フフフ、任せるよ」

「何?その笑い?」


 隆明は怪訝そうな顔のまま、ドリンクを取りにその場を離れた。


「あれ?たっくんは?」


 入れ違いでビールを手にした康介が戻って来る。


「たっくんって呼んでいいのは私だけなんで、辞めてください、気持ち悪い」

「そうイライラしないでくれよー」

「だいたい、なんで父さんたちのライブが見たいとか言い出したんですか」

「う~ん」


 康介は少し考える素振りを見せる。


「杏奈と話したかったから?」

「はぁ?」

「怒るなってー。話したかったのはホントだよ。それに、杏奈のお父さんがどんなライブやるのか見たかった」

「今更?」

「うん。ほら、この間杏奈に言われた事。『ロックは好き?』ってヤツ。俺、自分でもよく分からないんだよな。だから、本当にロックが好きな人たちのライブを見たら、何か分かるんじゃないかって」

「……、案外真面目な理由だったんですね」

「自分の生き方もよく分かってないからさ、音楽が好きなのか、そこからハッキリさせようと思って」

「ただチャラいだけって訳じゃなかったんスね」


 ドリンクを取ってきた隆明が言った。


「お、たっくん、おか~」

「その呼び方は辞めてください、気色悪いです。はい、杏奈ちゃん」


 隆明は持ってきたオレンジジュースを杏奈に渡した。


「炭酸苦手だったでしょ?」

「私の事、子供扱いしてるでしょー。炭酸だって飲めますー」


 杏奈はそう言って、隆明が自分用に取ってきたコーラを一口飲んだ。


「ほら、飲める!」


 そうは言っているが、滅茶苦茶顔をしかめている。

 それをみた隆明が笑った。


「飲めてないじゃん!」

「飲めるもん!」


 そうしている内に、会場が暗くなる。

 ステージに人が上がる気配がするが、暗くてよく見えない。

 心なしか、会場の熱が上がり始めている気がする。


「始まるね」


 3人はステージに目を向けた。

 一本のピンスポットが、ステージ上の智也一人を照らし出した。

 語りかけるような優しいピアノソロと、それに重ねる智也の繊細な高音の歌声。

 会場はどよめいた。

 何故なら、晋太郎達のバンドは50年代から80年代の洋楽を中心にカバリングをするバンドとして有名だからだ。

 しかし、この曲は違う。

 去年の紅白にも出演した、話題のミクスチャーバンドの曲だった。

 ジャズなどのブラックミュージックを基礎としてはいるが、それを日本人が馴染みやすいJ-Popに昇華している。

 紅白に出演した際に演奏した曲であり、元々がドラマの主題歌として採用されていたため、会場のオーディエンスも聞き覚えがあり、サビ入る頃には大いに盛り上がっていった。


「こんな曲もやるんだ」


 曲に合わせて身体を揺らす康介。


「珍しいよ、最近の曲やるなんて……」


 杏奈がボソッと呟くが、康介は勿論、隆明の耳にも届いていない。

 杏奈は声が出せなかったのだ。

 妙に歌詞が自分に突き刺さる。

 『取り返しのつかない過ち』。

 ふと、康介と隆明の顔を見る。

 ノリで康介と付き合った。

 今でも後悔している。

 申し訳ない気持ちが未だに残っているのだ。

 隆明にも、康介にも。

 康介と別れた後、今まで以上に音楽に没頭した。

 『真っ新に生まれ変わって』しまいたいと思った事も何度かある。

 中途半端な自分が嫌いだ。

 今だって、音楽をこのまま続けるかどうか、悩んでいる。

 私は何になりたいんだろう。

 父親たちの姿は、一つの答えだとは思う。

 だが、そこに行きつくまでは、杏奈の想像以上の苦悩があった筈だ。

 今まで見ないようにしていた自身の中の疑問が、智也の歌声で洗い出されている気がした。

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