Appassionato——Seconda Capitolo

「ただいまー」


 長瀬ナガセ 晋太郎シンタロウは靴を脱ぎながら言った。

 彼は今年で55歳。

 大手ゼネコンの下請けをしている中小企業の万年部長だ。


「お帰りなさい、貴方。ご飯は?」


 妻の淑子ヨシコの声がリビングから聞こえた。


「食べてきた」


 晋太郎は寝室へ向かい、空になったギタースタンドにギグバッグから出したギブソンのSGを立てかけた。


「また佐伯さん達と?」


 淑子が晋太郎のいる寝室を覗き込む。


「おう。今度、知り合いがやるイベントに出てくれって頼まれた」

「あら、久々のライブじゃない?」


 淑子が嬉しそうに言った。


「淑子、来るだろ?」

「いつやるの?」

「一か月後の土曜の夜だ」

「楽しみにしてるわね」


 2人の出会いは大学のサークルだった。

 軽音サークルで知り合った晋太郎と淑子は、好きなアーティストが被った事を切っ掛けに仲良くなった。

 当時、淑子もガールズバンドを組んでおり、リードギターをしていた。

 2人がリビングへ戻ると、一人娘の杏奈アンナがソファに座ってテレビを見ていた。


「また飲んできたの?お父さん」


 呆れた様に言う杏奈。


「メンバーとな。杏奈も来るか?父さんのライブ」


 ニコニコと笑う晋太郎。


「どうせ往年のロックでしょ?埃被ってかび臭い音楽なんて要らないわ」


 わざとらしくニシシと笑いながら言う杏奈。


「かび臭いだとー?お前のヘビーローテーションの中に、ストーンズとかツェッペリンが入ってるのは知ってるぞー」

「なんで知ってんの!?」


 杏奈は思わずソファから飛び上がった。


「スマホは賢いよな、ジャッケ写まで映してくれるから。お前がソファで昼寝してる時に見た」

「勝手に覗くな!」

「お前が何聞いてるのか気になるだろ?」

「プライバシーの侵害だ!」

「何?杏奈、ツェッペリン聞いてるの?」


 キッチンで片付けをしている淑子もニコニコしている。


「私も好きよ、ツェッペリン!」

「もう……、この年代辺りの話は家では禁物だわ……」


 杏奈は笑いながら頭を抱えた。

 長瀬家はロック好きの一家だ。

 杏奈も大学では軽音サークルに所属し、ベースを担当している。

 特に60年代や70年代の話になると、この家族は最低でも3日は喋り続けるだろう。



練造レンゾウのやつ……」


 中津ナカツ 厳太ゲンタは文句を言いながら自宅の玄関で靴を脱いでいた。


「また口論?」


 奥から妻の佳恵ヨシエがやって来て、呆れた様に溜息を吐いた。


「もういい大人なんだから丸くなりなさいよ」

「あの生臭坊主が悪い!今度会ったら、頭の毛、全部刈り取ってやる!」

「はいはい。お風呂沸いてるわよ」


 ドラムスティックを入れたバッグを受け取った佳恵はそれを仕舞いながら言う。


「あ、そうだ佳恵」

「何?」

「一ヶ月の後の土曜、暇か?」

「今の所、予定はないわ。ライブ?」

「おう、久々にカバリングイベントだ」

「ふ~ん、見に来て欲しいの?」


 佳恵がニヤニヤしている。


「何で笑ってんだ?」

「貴方、音楽の事になると、ホント子供っぽいんだもの。今だって、褒めて欲しがってる子供みたいな顔してるわ」


 佳恵にそう言われて、思わず言葉に詰まる。


「なっ!?いいだろ、別に。で、来るのか?」

「仕方ない、見に行ってあげましょう」

「なんで上からなんだ」

「ふふ~ん、私に見て欲しいんでしょ?」

「うるせぇ……」


 厳太は佳恵に頭をポンポンと撫でられながら浴室へ向かった。

 カバリングイベントとは、お題に沿ったメジャーな曲を各バンドがカバーすると言うものだ。

 デビューを念頭に入れていないバンドの集まりが、年に数回行っている。

 厳太をはじめとする4人のオッサンバンドは、このイベントに毎回参加し、主に70年代を中心とした洋楽のロックを披露している。

 曲は基本的に晋太郎と厳太が決め、メンバー全員でアレンジを加える形だ。

 若い時と違い、オリジナル曲を作る事がめっきりなくなってしまったのも事実だ。

 この50代半ばのバンドは、初めからメジャーデビューを目指していなかった訳ではない。

 20代の時はインディーズでもデビュー秒読みとまで言われるくらい人気のバンドだった。

 4人がバンドを組んだのは80年代、ちょうど世に言う『第二次バンドブーム』の始めの方だった。

 『バンド四天王』と呼ばれる4組のバンドがデビューしたのもこの頃。

 邦楽ロック『J-Rock』というジャンルがしっかりと確立したのもこの頃ではないだろうか。

 バンドは最初、5人だった。

 バブル真っ只中で、とにかく勢いがあった。

 いくつかのレーベルからデビューの話があったのは確かだ。

 しかし、それが現実になる事はなかった。

 大きな理由は、5人目のメンバー・当時ボーカルをやっていた馬場ババ 勇雄イサオが交通事故に遭い、死んだのだ。

 ボーカルを失い、バンドは失速。

 またそれに重なる様に、練造の父も病で亡くなった。

 練造はすぐに実家の寺を継ぐ事になり、晋太郎達も仕事に追われるようになる。

 バンドは正式な活動休止宣言も出来ないまま、インディーズから姿を消した。

 再びこの4人が集まったのは5年前、同窓会の席だった。

 亡くなった勇雄の為に、一度限りという事で同級生を前に1曲やった。

 それが一度限りでは終われなくなったのだ。

 やはりバンドが好きな事を再確認した4人は、勇雄の墓の前でバンド再開を宣言したのだった。

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