【美形くん】誕生日、兄の顔になった弟の話。

 僕が十四歳になった時、兄がこんなことを言った。


 人は結局のところ顔だ。


 それは顔が整っているとか整っていないという意味じゃない。

 日々過ごす環境や日常、考え方、そういったものが顔に出る。良い顔で喋る人間の雰囲気はそれだけで人を集める。


 仲の悪い兄弟ではなかった。

 ただ歳が六つ離れていて、顔も性格にも天と地の差があった。


 兄は常に人を集める人気者で、スポーツや勉強もできて女子にモテた。

 クラスメイトの女の子いわく、美形とのことだった。


 それに比べて僕は兄よりも太っていて動きがのろく、スポーツは当然として、勉強もまったくできなかった。

 友達も少なく、女子にモテるどころか、学校で一日誰とも喋らないなんて日常茶飯事だった。


 そんな兄が突然「人は結局のところ顔だ」と言う。

 更に「日々過ごす環境や日常、考え方、そういったものが顔に出る」とまで言う。


 兄と同じ屋根の下で育ち、人の集まらない顔と性格になった僕は、彼の論理で言うところの悪い顔の持ち主だった。


 実際、僕は兄に親切にされる度に嫌な気持ちになった。

 ポイント稼ぎに僕を使いやがって、と。その度に僕の中に溜まるのは劣等感と妬みだった。


 僕の顔は他人から受ける優しさや親切によって、どんどん醜くなっていく。

 よわい十四歳にして、僕は僕という人間の醜さを理解していた。兄に感謝したい気持ちさえあった。


 そんな僕が変わるきっかけは七月十三日、僕の十五歳の誕生日だった。

 一人暮らしをしていた兄は美人の彼女を連れて、家に戻ってきた。


「欲しいものはあるか?」

 と彼は僕に尋ねた。


 ――兄の顔が欲しい。


 それは僕の心の底からの本音だった。


 兄は神様だったのかも知れない。

 欲しいものを言った翌日から、僕は兄の顔になった。


 その変化に驚くのは僕だけだった。

 鏡の前で絶叫した僕に対し、両親は「どーしたの?」と面倒臭そうに言うだけで、学校に登校しても誰も不思議がることはなかった。


 なんだこれ? 

 と思って兄に連絡を取ろうとして、この世界に兄の存在が消えていると知った。

 僕は兄の顔を奪っただけではなく、その存在さえも奪ってしまったらしい。


 優しく人気者な兄。人は結局のところ顔だ、と言う兄。

 その顔を奪われて消えてしまった。


 その事実は、僕をひどく不安にさせた。

 けれど、兄の存在を覚えているのは、この世界で僕だけだった。

 彼の存在を証明する方法はどんなに考えてもなかった。


 兄の写真が載っているはずの卒業アルバムを手に入れて、彼の姿を探したが、やはりなかった。

 最悪だった。

 が、更に最悪なこともあった。


 僕が兄の顔になる前、つまり七月十三日以前の、僕の写真は太って動きがのろく劣等感の塊のような過去の顔のままだった。

 兄が消えるまでの僕の存在はしっかりと写真に残っていた。


 せっかくなら、その辺も不思議パワーで修正してくれればいいのに、と僕は思った。


 僅か数日で僕は兄の存在が消えることよりも、僕が兄の顔であり続ける方を重要視していた。

 とくに問題なのは、中学の卒業アルバムの個人写真を撮ったのは兄が消える前であることだった。


 僕の卒業アルバムの写真は兄の顔ではなく、以前の顔で載ってしまうのだ。

 それは兄の顔になった僕にとって切実な問題だった。


 というのも、僕は兄の顔になってからモテた。

 女の子からも男の子からも、年上からも年下からも。全方位から好意を寄せられた。


 濁流とも言える好意の波に対し、僕はちゃんとした返答ができた訳ではなかった。

 けれど、そんな僕の反応に彼らは寡黙や、照れ屋といった都合の良いレッテルを貼っていった。

 顔が良ければ彼らは何でもいいのだ。


 僕が少し困ったように眉を寄せたり、考え込むように俯いたり、誤魔化すようにへらへら笑うだけで、彼らは僕から何かを受けとったように満足した。

 彼らにとって僕が何を言うかが問題なのではなく、良い顔がどんな反応をするのかが重要だった。


 世界は良い顔の為に作られているようだった。そして、それは考えてみれば当たり前のことだった。

 テレビを点けてみれば、分かることだ。

 そこに映し出されるのは良い顔の人たちだ。


 人と喋るのも、ご飯を食べるのも、友情を育むのも、恋愛をするのも……、すべて良い顔の人たちなのだ。

 そして、そんな良い顔の人たちをテレビを通して何百万人という人間が見ているのだ。


 兄の言う通りだ。

 結局のところ人は顔だ。


 兄の顔になって二週間で、僕のLINEの友だちは八十人を超えた。

 夏休みは一日の隙もなく遊びの予定が入った。隣のクラスの女の子と付き合うことにもなった。

 学年で一番人気可愛いくて胸の大きな女の子だった。


 僕はそんな子と手も繋いで、キスもした。

 セックスは出来なかったけど、部屋には遊びに行った。


「あたしね、君の目を瞑った時の顔が好きなの。先輩から聞いたんだけど、本当のイケメンって寝顔がカッコイイんだって。どんなにぱっと見がイケメンでも、寝顔がカッコ悪かったらダメなの」


 そう言った彼女のiphoneの待ち受け画面は僕の寝顔だった。

 確か、夏休みの初日にクラスメイトが数人集まって、朝までテレビゲームをした。

 僕は途中で疲れて眠ってしまったのだが、その時に寝顔を彼女が隠し撮りしていたらしい。


 付き合うことになった日に、彼女は隠し撮りの写真を僕に見せて

「あたし、こんなに君のこと、好きだったんだよ」

 と言った。


 こんなにと言われても、僕はよく分からなかった。

 自分の顔、というより兄の寝顔がそこにあるだけだったから。


 ただ、そのおかげで、こんなにも可愛い彼女が出来たのだから文句は何もなかった。

 どころか僕は兄か神様に感謝したい気持ちだった。


 世界は僕の為に作られているようだったから。

 当たり前だけれど、世界はそんなに都合良くできてはいなかった。

 それは丁度、彼女と一緒に街中を歩いている時だった。


 ふと、すれ違った女性に見覚えがあった。


 誰だろう?

 と考えて、すぐに思い至った。


 七月十三日、僕の十五歳の誕生日の日、兄が家に連れてきた美人の彼女だった。

 僕はその場で彼女に適当な理由をつけて別れて、兄の彼女の後を追った。


 彼女は一人のようだった。

 五分くらい後を追って、声をかけようと思った。兄の彼女なのだ。


 兄の顔である僕が声をかければ、快く応えてくれるだろうし、僕のことを好きになるだろう。


 何故なら僕の顔は今、兄の顔なのだから。

 そうと決まれば、と声をかようとしたが、声が上手く出なかった。


 改めて考えれば僕は兄の顔になってから、自分から誰かに声をかけたことがなかった。

 全て、向こうから声をかけてきていた。


 兄の顔になって、僕は変わっていたと思っていた。

 昔みたいに、学校へ行って一日も人と喋らないなんてなくなった。

 それは兄のおかげだった。

 けれど、最初は兄の顔のおかげでも、僕自身も変わっていると思っていた。


 とくに理由もなく、僕は街中で女性に声をかけれるくらいは出来る、そう確信していた。

 だって、僕の顔は兄なのだから。


 世界は僕の為に作り変えられたのだから。

 なのに、僕は兄の彼女に声をかけられず、グズグズと彼女の後ろを追っていた。

 時間が経つにつれ、怒りの矛先は自分ではなく女性へと向かった。


 僕は兄の彼女の後ろ姿を見ながら、思いつく限りの罵倒を頭の中で続けた。

 しかし、それが相手に伝わる訳もなく、兄の彼女はマンションへと入ろうとした。


 部屋に入られてしまっては声をかけるチャンスがなくなってしまう。

 僕は崖から飛び降りるような気持ちで、声を絞りだした。


「あ、……あのぉ! す、み……ま、せん」


 僕の声はどもっていて、まともな言葉にならなかった。

 けれど、兄の彼女は振り返って僕を見た。

 丁度、マンションに入ってエレベーターのある廊下だった。


 何にしても声はかけた。

 昔、惚れた男の顔が声をかけたのだ。後は向こうが勝手に好きになってくれるだろう、と僕は思った。


「なんですか?」


 と、兄の彼女は言った。

 その響きには強い警戒心と否定の色が含まれていた。


「え? いや、あの……、」


「何もないなら私、行きます」


 え、ちょ……、好きなんじゃないの? 僕の顔!


「ま、ってくだ、さいっ……、あの、その……、えっと、ぼく、のかお、……どう思います、か?」


 兄の彼女は眉を寄せて「詰まらない顔」と言って、僕に背を向けてエレベーターのボタンを押した。


 途端に僕はマシンガンで全身を撃たれたような凄まじい羞恥心に襲われた。

 体中が粟立つように熱くなって、そこから逃げ出した。

 汗が頭皮まで沸いて、気持悪かった。

 目からはずっと涙が流れ、口元は笑っているように動きつづけた。


 世界は僕の為に作られてなんてなかった。当たり前のことだった。


 夏休みが明けてから、僕の顔は徐々に以前のものへと戻り始めた。

 醜く、劣等感の塊のような悪い顔。

 僕の周囲に集まっていた人間は蜘蛛の子が散っていくように離れていった。


 中学校を卒業して卒業アルバムが届いた時、過去の自分の顔と今の顔を比べてみた。

 どちらも酷い顔だったが、今の方が少しだけマシなような気がした。

 

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