Code:XXI 無限蛇の掟
「まだ始まらないのか?」
そこら一帯を作業台や資材で埋め尽くされた技術科訓練施設、普段は旧型機器の保存場所になっているそこで、篝火は普段は使うことも無くなっていた道具を手慣れた様子で扱いながら、調整中のアリスのサポーターの整備を行っていた。
UA-275、もとい決壊水の人体注入機構が先の戦闘による過負荷で損傷し、更には皮膚接触する面の摩耗が激しく、彼女が暫く決壊水の投与が出来ず戦線に出られない今修復とアップグレードをする運びになった。モノクルをかけながら
「すいません、ジナが書類をぶちまけました」
「あぅあぅう……ご、ごめんなさぁい……」
「……無能過ぎて何も言えないなぁ、艾は人事を適当にやっているのか?」
「そ、そこまで言わなくても……」
「キルジ、さっさと新人への概要説明とやらを進めてくれ。オレはあのクソガキのサポーター調整と整備で忙しい。ついでにここまで人間が多い空間に連れてこられて機嫌が悪いんだ」
「わかりました、ですがあなたからの言葉も必要ですのでそれだけは重々」
「お願いしますぅ……」
「酷い言い草だなぁ、それくらい頭に入れているに決まっているだろう、馬鹿にしている?」
「いいえ、では始めます。新人職員の方は静粛に」
キルジと呼ばれた紫がかった短髪の青年が、凛とした声色で集まった新人達に声をかける。それを合図に新人達の私語は無くなり、視線が自然とキルジへと注がれる。幾人かは、今もなおおろおろと書類の束を覚束ない様子で捲るライトブラウンのロングヘアを持つ女性、ジナへと向いているが。
「時間厳守での集合、及び静粛に感謝いたします。これよりウロボロス技術管理局の新人実技実践演習の概要説明を始めさせていただきます。進行は私、技術管理局資源材管理役のキルジと、技術管理局主任補佐のジナが行います。ジナ、挨拶を」
「あっ、その、はい! 私は……えっと、ジナと申します。この局の主任の補佐と職員とのパイプを務めさせていただいて、います。何か困った事があったら、私に言って頂けたら、幸いです……い、以上です」
「ありがとう。そしてここにはもう一人、あちらで一心不乱に手を動かしている方がこの技術管理局主任、実質的な兵科の顧問役も担っている篝火さんです。篝火さん」
「………………」
「篝火さん」
「ん、あぁ挨拶か。技術管理局主任の篝火、君達に限らず人間は大嫌いだから教える事は無いよ」
「技術科の活動に沿うものであればジナ、もしくは篝火さん本人へ申し出るようにしてください。勝手な判断での行動はせず、任務の全うを第一とする様に」
「話聞いていた? オレは何もしない」
「艾さんとハイデッガー氏へ報告いたしますが」
「…………面倒臭いなぁ、だから人間てやつは嫌いなんだ」
「承認して頂けた様で何よりです」
「承認……なのかなぁ?」
矢継ぎ早になされる自己紹介、新人職員達はただ沈黙のままその様子を見ていた。が、その中で前列に座る一人の男が足を組み姿勢を崩していた。表情は眉を顰め訝し気な、或いは小馬鹿にしたようにも見えるもので、視線は真っ直ぐと篝火を捉えていた。
「ウロボロスでも選ばれたものが属する裏だと聞いていたんですが、とんだ思い違いだったようですね。やる気のないトップに落ち着かない補佐と手綱を握れない職員。老害化する前に俺達新人に席を譲った方が良いのでは?」
「口を慎む様に、説明は終わっていません」
「無駄な口論を目の前でされる俺は苦痛なのですが? 第一そんな男が上に立つなんて御免です、然るべき上官配置をして頂けないのであれば俺は上に打診も辞しませんが? 仕事を全うする事を第一とするならその男こそ不適切なのでは?」
新人の男が言う。その内容に周囲に居る他の新人職員達も、そうなのではないか、その言葉はまっとうな意見なのでは、とぽつり、ぽつりと口に出されていく。態度こそ上官に対するものとして適切かはともかく、男の言葉に大きな間違いはなかった。上官として指導も挨拶もこなそうとしない人間を上の者として見る事は、素性を何も知らない新人達には到底無理な話であり、生まれた波紋は次第に大きくなっていく。
「あわわ……どうしましょうキルジさん……」
「篝火さんが居る時点で予想できた事だ、言われている内容は自体可笑しい事ではない」
「擁護をする気はないのか?」
「あなたが全面的に悪いですよ、何か異論があれば彼へ」
そう言ってキルジが指す、篝火たちへ苦言を呈した男は篝火を見つめている。それを認めた篝火は、深い深い溜め息を溢しながら愛用のモノクルを専用のケースに戻すと、男の前まで歩みを進める。
「何ですか、新人にぐうの音も出ない正論を言われて負け惜しみでも言いますか? そんなものを言われても俺は自分の考えが間違っているとは思いませんが」
「別に君がどんな信念思想矜持を持っていてもオレには全く興味が無いし、此処に居る他の人間よりも一層嫌悪感を抱いただけだ。そもそも何の成果も無い新人、それも技術局へ配属された人間が自己の成果も何もない状態で一丁前に組織に口出しをするのが間違いだと何故気付かない?」
「俺は間違った事を間違っていると言っているだけだ、偉そうに其処に居るだけで上官面されたくない」
「わかっていないようだから教えてあげるよ。此処ではつまらない想いなんて何の役にも立たない。結果を出すしかないんだよ。死なず、生きて、貢献をする。それが此処の絶対的なルールだ。口を開いてただ喚き散らし、理想だけを吐いてそれで居場所を得る事はできない、ウロボロスの裏ならば尚更なんだよ。オレが何故上へと就いているか、主任と言う役に座れているのか、そしてお前が言う何もしていないと思える振る舞いをしても役職を剥奪されないのか」
篝火は両の腕の義手を腰に当てながら、冷たい眼差しで男を見下ろす。左目の義眼は忙しなく機構を動かし、男の表情の微小な変化も捉えながら、全てを余すことなく認めるように動かし、そして口を開いた。
「答えは簡単、オレがお前達の様な端した人間とは違う替えの効かない人間だからだ。この組織の技術発展の大部分を担い、お前達が今まで安息の日々を過ごした日常を支える物を作り上げたのはオレだ。それは此処に居る全ての人間にも当てはまるし、俺の下に就いている人間は聡くそれを理解している。愚かで嫌いな人間でも、まだ酌量の余地はある。だがお前はどうだ、何も理解しないまま安息の日々は自然にできたものと思い愚かにもオレへと楯突いた」
「そ……れが、何だと言うのです。職務を全うしないのは事実でしょう!」
「オレはお前達の相手をする以上にやるべき仕事がある、今ここに足を運んだのはどうしてもと言われたからだ。理解しろ、お前は今からこの組織にとって有益であることを示さなければならない、それができないならすぐにでも解雇だ」
「……っ」
「理不尽だと思うか? だがこの先の見えない世界では何も為せない人間を優しく飼う余裕はない。何か言いたいのなら結果を示せ。そうすればオレは何も言わない。そもそも関わってほしくないからな。今嫌々にもこうして長々と話しているのは今後余計な接触が増えないための布石だと重々理解するんだ。以上、後はキルジとジナがやって」
ゆっくりと首を横に振り、これで話はお終いだと示した篝火はキルジとジナへ視線を送る。それを見てゆっくりと、しかし動じた様子も無く頷いたのを確認し、篝火は作業台の前に座り、モノクルをかけ直すとサポーターの手入れに戻る。
新人職員達も、篝火と相対していた男も口を噤む。全ては結果、この世界に限っては理想も宣言も無駄なのだと、有無を言わせない声色と視線でざわめきを封殺され、時間が進むのをただじっと待つだけとなった。
キルジはそれを特に気の毒だと思う事は無い。それがウロボロスでの常識であり、郷に入りてはと言うものだと既に彼自身が理解している故に。どれだけ綺麗な言葉で着飾ろうとも、死と無慈悲な現実は平等に、誰にでも訪れるから。
ジナは眉尻を下げながら、新人達を哀れんでいた。何も知らない、ウロボロスの裏である自分達によって守られていた平穏の日常を自らの手で手放し、命が軽々しくは無くとも重々しく捉えられない世界に自ずと足を踏み入れ、そしてそれを正しく理解していない事に。
しかし、それをおくびにも出す事は無い。理性的に、常に冷静沈着に。どれほど表層が慌ただしく見えども、本質的には何も変わらないように振る舞うのが職員たるものだと理解しているから。
「……では、停止していた進行を再開します。これからあなた達新人に課される演習は二つあります。一つは武具に対する知識や適応能力、これは一人ずつ決められたレーンに立ち、十あるテーブルの上にそれぞれ一つづつ置かれた銃火器を分解し再び組み立て、全てを正しくこなせた時間を計測するものです。我々は前提として民間軍事会社の技術局の人間です。あらゆる武器を即座に理解し、適切な応対で修理や不具合の無い改造を素早く施せる人間が必要となります。故に、既存の手が加えられていない武器をどれだけ理解しているのかをここで調べさせていただきます。勿論、結果は全て今後の職員配置や役職の有無などにも大きく関わるものですので、安易な手抜きはしない方が身のためです」
「そ、それで、二つ目なんですが、行うのは体力検査です」
ジナの言葉に、新人達がどよめく。何故、どうして後方職である技術局の職員に体力検査が必要なのか、と。そう言った声が小さくも前に立つ三人の耳に聞こえてくる。ジナはつい言葉に間を開けてしまった事に焦りながら、手に持つ紙を捲り字を追う。
「し、静かにお願いします……。何故体力検査をするのかと、疑問に思う方もいるかもしれませんが……わ、私達技術局は、その、兵士である方々に様々な武装を、えっと、沢山供給する必要があります。その中、で、従来の仕様とは違う物も開発し供給するの、ですが……忙しなく代わりも中々居ない戦力の要の方々に、試しの運用を、いきなり頼むことはで、できないのです。それ故に、私達は技術や知識の獲得と同時に、自分達が作り出した物を試運用できるだけの、体を作る事、も、同時に求められているのです」
「理由は理解しましたか、しましたね。では早速第一の演習を始めます。場所は皆さんの後方右側にある通路を真っ直ぐに進んだ先にある武器庫と併設された部屋です。既に武器は用意されていますが、くれぐれも触れる事の無いように。私とジナは準備のため一旦席を外しますが、何かあれば誘導の職員に声をかけるように」
「で、ではこれで……篝火さん」
「オレはここで作業を続けるよ。何かあっても呼んでくれるな」
「では有事の際はお声がけしますね、それまでは自由に」
「…………」
篝火の苦虫を噛み潰したような表情を確認したキルジは、くるりと体を反転させ事務所の方へと消えていった。ジナはそれを見て、抱えていた書類の束をファイルに戻すと、その背を追う様に同じ場所へと消えていった。
辺りでは新人職員達が誘導係の指示に従い、順々に後ろから続く通路へと歩いて行く。先程とは違い緊張の糸が緩んだ彼らの会話が僅かに反響する場所で黙々と手を動かす篝火の感覚に、何か刺さる様な物が触れた。何かと顔を上げると、先程威勢良くも篝火達三人相手に舌を動かしていた男が、恨めし気な鋭い視線で篝火を睨みつけていた。
(……どうでもいいか)
しかし、篝火にとってそれは然したるものではなかった。わざわざ気に留めて視線を合わせる必要も、かける言葉も無い。勝手に突かかってきて勝手に封殺された、それだけでしかない。何かを言いたいのならこれから為すべきことを為し成果を上げるしかない。それをされても、篝火は答えようなどとは微塵も思っていないが。
やがて男は、忌々し気な様子で視線を廊下へと向け、その姿を消した。
僅かに鳴る、工具の音。篝火にとって既に自分の意識は全て目の前の自身が作り上げた装備に向き、如何にあの生意気で口の減らない金髪の少女が、修理やアップデートの為に自身の下に来る回数が減るかだけを考える。極力人との関わりを減らしたい彼ではあるが、何の因果か彼女とは縁が切れない。延々と纏わりつくそれを切り離す算段はとうに尽き、諦めた彼が導いた答えは頻度の減少。篝火はその為に、何度も何度もこの彼女の生命線でもあるサポーターを直す。直して、性能を向上させる。
「はぁ……主の為とは言え、酷い地獄に身を置いたもんだよ。恨みは無いが、愚痴ぐらいは吐いてもいいよな」
小さく呟く言葉に応える者は居ない。篝火はそれを確認し、己の奥底、正確には仮初めである己に身を譲り浮かび上がる事の無くなってしまった、主と呼ぶ彼の主人へと語りかける。
微かな言葉は、ただ虚空に消えるだけ。
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