第三十二相 林間学校編:プロローグ 銀色/胡桃色

 季節は七月も初旬の頃、不知火学園の二年生は三泊四日の日程を設け理事長所有の土地を利用して林間学校をすることが通例となっている。主な目的は生徒の自主性の育成と生徒間の交流時間の増加、そして近年減少している自然とのふれあいと言ったものがあり、またその目的故に大部分の運営はその時々の生徒会役員、人数が足りなかったり居ない場合は都度クラスから一人ないし二人選出され、三泊四日の日程をこなす事になっている。勿論要所要所では教員が立ち会うが、専ら指導者たちの立場は監督。それ故に、不知火学園第134期生徒会も今回の林間学校に向け、前々より準備を進め、漸く当日を迎えるに至った。

 とは言え、今期の生徒会は今までの生徒会とは違う点が存在する。それは、長い歴史の中全く存在することなくいた男子役員の存在。それも体力も体格も申し分ない、俺こと我妻銀士郎が所属した事により、役員内々で行う力仕事が飛躍的に早く終わる様になった。それは作業の効率化だけでなく、体力の消耗による遅延も起こらない事に繋がり、今年の林間学校はかなり段取り良く進むことが予想できた。

 現に今、正門前にて一日の予定や簡単な注意事項の連絡などを終えバスに乗り込んだ二年生一行は、大きな問題も無く移動を開始していた。

「…………」

「ぎんじろー、そんな顔しないで」

「普段通りだ」

「バスの座席が生徒会で固まる様になってたのを雪乃が黙ってたのは悪いことだと思うけど、折角隣になったから、お話ししよう?」

「今日は忙しい、朝も早かっただろうし今は寝ておいた方が得策だと思うが」

「私はぎんじろーとおしゃべりしたい」

「……俺は面白い話ができない、通路を挟んだ月乃にでも話していろ」

「ぎんじろ君、流石にその塩対応はどうかと思うな」

「塩対応……?」

「そっけない対応ってこと! そんなんじゃ女子に愛想尽かされるよー?」

「別に構わない」

「……うそ、だってぎんじろーはそんなこと言って無視は絶対にしないから」

「…………」

 思わず額に手を添える。なるべく静かに平穏に、目的地へと着いて同じログハウスに泊まる班となった涼や響也と合流、面倒事は極力避けようと思っていたのにこの始末。思わず顔をしかめる。別に彼女達を嫌っている訳ではない。が、先日の瑠璃との一件以来不必要に接触を増やす事を控えていた俺にとって、何故かクラス単位ではなく生徒会役員は個別に席を設けられていたのは頭痛の種でしかなかった。何故、どうして、そう考えても仕方が無いと窓際の席で静かにして居ようと思えば、前後左右の席と隣には取り囲む様に役員が座っている。まさに袋の鼠だ。

「ぎんじろーは誰とログハウスが同じなの?」

「涼と響也、お前も名前だけは知っているだろう」

「……あぁ、あのイケメン君と紫髪のオッドアイ君」

「なんて覚え方をしているんだ」

「だってあまり興味ないし」

「接点が無いのは分かるが……まぁいいか」

「月白君と紫谷君だっけ。紫谷君はななみんと同じクラスだったね。あとはゆきのん?」

「そうだよ、紫谷君は灰月さんと一緒に居る人だね。休み時間に音楽室でピアノを弾いてる時があるからちょっとした有名人だよ」

「大抵屋上で寝惚けているがな」

 俺の席の正面の背もたれから雪乃が顔を出す。シートベルトを限界まで伸ばして会話に参加する彼女に座るよう促すと、呑気な返事と共に顔を引っ込めた。あまり頭痛の種が増えて欲しくない俺にとって、会話の相手が増えるのはあまりいい顔が出来ない。勿論走行中の危険性を考えた指摘ではあるが、割と多分に私情が混ざっているのも否定はしない。とにかく何もなくこの移動が済めばいいだけ。

 だが、どうやら居るかもわからない神様とやらはそう容易く平穏を与えるつもりはないらしく、月乃の隣に座る月夜がわかる者にしか判別できない程度の悪い微笑みでこちらを見つめていた。

「……なんだ月夜」

「いいえ、世界広しと言えどこの状況で心底面倒臭そうに会話を避けようとする男子は貴方だけじゃないかしらと思っていただけよ?」

「不用意に会話に混ざるとロクな事が無い」

「失礼だよぎんじろ君! まるで私達がいつも面倒事を起こしてるみたいな言い草だよ!」

「毎度毎度会う度にお前たち二人の判別をさせられる俺の気持ちがわかるか? 最早気分はひよこ鑑定士だ」

「ひよこみたいに可愛らしいと言う事かしら? 誉め言葉として受け取っておくわね」

「えっ、見た目を褒めてくれたの?」

「曲解にポジティブシンキングが混ざるとそう言う結論を出すのか……」

 暖簾に腕押しとはこういう事を言うのだろうか。白百合姉妹は常に自分らのペースを崩さず、そして相手を己らのペースに呑みこむ事がままある。俺自身、彼女らと会話をしているとどうにも上手くいかないやり辛さを感じることは否めない。勿論、拒否感を抱く事には繋がらないが。

 そして姉妹の姉である月夜は、特に俺と言う存在に対しての天敵とも言える性質を持っている。その類の存在には雪乃もいるが、彼女のやりにくさは理解され尽くし掌の上で上手く弄ばれている様なもの。対して月夜は、闇夜に引きずり込んで自分の輪郭が曖昧になるほど染められるようなものであり、まぁ結果としてはどちらも気味の悪いやり辛さを感じるのだが。

 閑話休題。

 こうして囲まれてる以上は会話を完全に避けることはできないのを覚悟してはいた。が、ここまで彼女らが自分に関わってこようとするのは想定外だった。精々会話の合間に声をかけられ、一言二言返せば済む程度だと踏んでいた俺にとって、こうして話の中心になって進んでいくのは若干の想定外だった。かと言って暇つぶしや会話を振る回数を抑制する本などを持っている訳でもない。準備を怠った自分を恨みつつ、隣から腕を突いてくる七望を軽くあしらいつながら、俺は車窓の外にある強すぎる日差しに照らされた青々しい緑を眺めることにした。





 どくん、どくん、と。心音がこれでもかと打ち鳴らされているのが体中に響いている。陸上の大会でも、激しく運動した後にもこんなに心拍が激しくなった事は無いのに、今私の心臓は激しく鼓動を刻んでいる。

「……どうかしましたか? 瑠璃」

 隣に座るいろはが、苦笑いをしながら私にそう言ったのが聞こえた。まるで他人事のように感じる程落ち着きのない心の私を、今ようやく自覚できたのは遅いと言われるのかもしれない。

「ううん、大丈夫だよ」

 でも、それでいい気がした。私は機械じゃない。私はやっと、つい最近、激しい感情から沸き起こった欲を自覚したのだから。だから、こうして不慣れにどきどきするのもおかしくない。前の座席で私の気持ちをわかる訳もない銀色のツンツンした髪を時折揺らす彼は、初めてであった頃から比べれば若干感情の見え隠れする声色で七望ちゃんや月夜達と会話をしている。それも暫くすれば静かになるのを見て、こっそりと座席と窓の隙間から彼の姿を覗き見る。

「…………」

 長い睫毛がバスの揺れに合わせて靡く。日光で何時もより明るい瞳の色は緑を映していて幻想的な色味になっていた。

(……きれい)

 彼の顔が周囲の男子よりも抜きんでて整っているのはなんとなくわかっている。生徒会の皆が時折そう評する言葉を聞いたから、仲良くしているクラスメイトがそう言っていたのを聞いていたから。理由は様々だが、私自身もそう思ったので否定はしない。彼はとても格好良い。

 でも、それとは別に、私は彼を綺麗だと感じることが少なくない回数あった。女性的、と評した方が良いのか。普段の姿は体格も良く険しい表情なので男の人らしい雰囲気を纏っている。

 だけど、ふと、何かを考えている時、気を抜いている時。そんな時に、まるでヨーロッパの絵画を感じさせる様な美しさを垣間見せる時がある。実際にそう言った絵画を見たことが多くあるわけではないが、少ない経験からでもそれを思い出させるには十分なほど、彼は綺麗だった。

 それがこうして意識するきっかけになった訳じゃない。でも、今まで感じた事の無かった心臓の高鳴りを感じさせるのには十分だった。

「……っぁ」

 一度深呼吸して、声をかけようと口を開く。でも、喉はきゅっと閉まったまま、つまった様な息を漏れ出させるだけで終わってしまった。彼はそれに気が付くはずも無く、微睡む様に瞼を落とした。

(まだ、だめ)

 慌てて、急いで、失敗してはいけない。雪乃から言われた言葉を心の中で唱える。そうだ、焦ってはいけないんだった。焦ったら後悔するって、あの日雪乃に言われたんだった。

 雪乃の事はずっと、転校してきたあの頃に友達になった時から凄いって思っていた。何時も笑顔で、大人にも負けない冷静さを持っていて、色んな人から信頼されてる。転校する前の事は知らないけれど、きっと昔からああやって人を導いていたんだろうって、こうして自分が身を以て体験したからこそ思える。だから、雪乃の言葉を信じて、彼――――銀士郎さんの視線をもう一度こちらに向けてもらえるようにしよう。

「瑠璃」

「っ……ん? どうしたのいろは」

 とん、と二の腕を突かれる。は、と現実に戻った意識を何とか平静に保ちながら返事をすると、いろはが何かを手の上に乗せこちらに差し出していた。

「飴です。珍しく難しい顔をしていたので、糖分補給にどうかと思いまして」

「あはは……そんな顔してた?」

「えぇ、いい傾向だと思います。以前よりも瑠璃は良い表情をする様になったと思います」

「ありがと、貰うね」

「えぇ」

 差し出されていた飴の包装を取り、口の中に放り込む。林檎の風味が口の中に広がり、ぐるぐると考えを巡らせていた脳に染みるような感覚がした。ほう、と一つ息を吐けば、いろはが前の席に居る銀士郎さんや七望にも飴を渡していた。

(いいな、いろはは銀士郎さんともああして普通に話せて)

 羨ましい。そう思って仕方が無いのは筋違いなのかもしれない。でも、上手く会話ができないまま暫く経ってしまった私にとって、それだけでも心を曇らせてしまうには十分だ。

 いろはは特に、ここ最近になって銀士郎さんと割と急に距離が近くなった人だ。二人の間に何があったのかはわからないけれど、他の皆と比べて初めの頃は銀士郎さんを特に意識するでもなく、業務的な関わり方しかしてなかった。いろはが変わったと私が感じ始めたのは中間試験の頃。今まで取って付けた様ないろはの笑顔、それがあの時期位から銀士郎さんへ向けるそれが変わっている事を気付くのに、そう難しい事は無かった。学園の生徒から話しかけられる時の表情でもない、私達幼馴染と会話をする時の笑顔でもない、まるで親を見つけた子供みたいに安心した表情。それに何人が気が付いていて、本人が気が付いているかどうかを私は知らない。でも、幼馴染の見た事の無いその表情が、銀士郎さんに向けられている事に、私はもや、と心を曇らせた。その時は何故かわからなかったけれど、雪乃の言葉を聞いた今なら予想ができる。

 多分、それは嫉妬、だと思う。他よりも遅く、雪乃を除けば一番初めに銀士郎さんと仲良くなった私よりも後に仲良くなったいろはが。私よりも早くそんな、安心した笑顔を彼に向け、彼もそれと似た柔らかい笑顔を向けている。

 私を褒めてくれるあの笑顔が、いろはにも、多分雪乃や他の皆にも、向けられていた。

 そんな別段おかしくないはずの事実に、私の心が黒く濁る。駄目だと判っているのに、独占したくなる。

 でも、雪乃は言っていた。一人では絶対に彼を手に入れる事はできない。だから楔を打ち、囲いを作る、と。彼の昔の話と共に語られた雪乃の言葉を、いい出来とは言えない頭で咀嚼した結果行き着いた答え。それは、多分だが自分以外にも雪乃はみんなを引き入れるつもりである事。楔も囲いも、二人では機能しない。三人以上いなければ、囲い込むことはできない。それに、彼を手に入れたいから生徒会ここへ招いたとも言っていた。だから、多分、そう言う事なのだろう。

(まだ私のこの気持ちが好きって気持ちなのかわかり切っていない、でも……もしそうだとしたら)

 雪乃が虚言を言っているのかもしれない、と疑いもした。油断を誘い、その間に彼を手に入れようとしているのではないかと。手の内を明かしたように装って、実は――――なんてことではないのだろうかと。でも、雪乃のあの表情と声色、そして話してくれた内容はそう言った陥れようとする雰囲気は無かった。運動部として活動し、駆け引きもこなす自分の感覚がそう言っていると言う事は、少なくとも警戒し雪乃の提案を蹴るほどではない。

 しかし、世間一般で一人の男性を囲い込むと言う事は常識的な眼から見れば異常であることは自分でもわかる。それが間違った行為であることも。日本で一夫多妻は認められていない。

(だけど)

 だけど、だけれど。それに怯み、常識を守り、彼が自分ではない誰かに今私へ向けてくれている優しさをどこの誰とも知れない人に向けることを想像した時、私は言葉にできない恐ろしさを抱いた。幼馴染でようやく仕方が無いと折り合いが付けられるそれを、知らない誰かに向けられればたぶん自分は我慢が出来なくなる。あの時初めて、自分がかなり独占欲が強いことを自覚した。正確には雪乃が言語化して教えてくれたからだが。

 それを回避するためにはどうしたらいいか。一人では銀士郎さんは絶対に振り向いてくれない。かと言って他人に明け渡すのは嫌。幼馴染である生徒会の皆ならば、幾分か我慢もできる。だったら、後は自分の心を知るだけ。

「大丈夫……大丈夫……」

 そう呟いて、窓に頭を寄せて斜め前の景色を眺める。そうしていると、さっきと同じように窓に顔を寄せ外を見ていた銀士郎さんの横顔が座席の隙間から見えた。それをぼんやりと見ていると、紅い瞳が不意にこちらに向いて――――ふ、と。少し困った様な眉と目で微笑んでくれた。

 ぼ、と赤くなる頬を隠すように、慌てて自分の座席の背もたれに体を沈める。

(み、みられて……ない? 大丈夫かな……? 変に思われてないかな……?)

 忙しない頭の中を落ちつけようと、また深呼吸をする。何度か繰り返し、心臓の音が静かになったのを感じて安心した。大丈夫、この林間で、なんとか銀士郎さんとの関係を戻す。

 あわよくば――――少しだけ足を踏み出せたら。

 そんなことを考えながら、私は銀士郎さんの様に、窓の外に見える自然の景色を眺め直す事にした。周囲の音が聴こえない程無心になって見ていたのに気が付いたのは、それから少し経ってから。

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