第十話 東尋坊の伝説

 八月九日火曜日、旅行の二日目。成は八時に起床した。朝食の時間は九時なので身支度を先に済ませ、まだ寝ているケイトを起こしてから皆で朝食を食べた。

 朝食はご飯に味噌汁、焼き鮭、冷奴、卵焼き、キュウリの漬物、それに鮪のお刺身まで付いてきた。成はいつもバターロールを二個と決まっていたので、これほどまともな朝食を食べたのは久しぶりだった。

「あー、昨日は飲み過ぎたー」

 渚がキュウリの漬物をポリポリ食べながらうなだれていた。まだ浴衣を着ていて、髪の毛はボサボサだ。それに対してミチコは身支度が完璧に整っており、いつでも出発できる様だった。

「少しはミチコを見習えよ」キオが苦言を呈する。

「渚さん、朝起こすの大変だったんですよ」

 ミチコがクスクス笑うと、渚は申し訳なさそうに「うぅ」と呻いた。

「十時にチェックアウトしたら、バスで東尋坊に行こう。十五時くらいまでに引き返して京都に向かうぞ」

 キオが昨日皆で決めた予定をおさらいした。

 朝食を食べた後、皆はそれぞれの部屋へ戻っていった。渚の身支度が時間通りに終わるか心配で、ケイトが「準備手伝いましょうか?」とふざけて言ったが、渚は「そこまで女捨ててない……」と弱弱しく答えた。


「それでは出発進行ー!」

 チェックアウトを済ませて宿を出ると渚は元気を取り戻していて、電車の運転士のような掛け声とともにバス停へ歩いて行った。

 三国駅港前のバス停は小さな港の目の前にあった。港と言っても貨物を載せたり観光客を海へ誘ったりするような大きな船はなく、小型のクルーザーのような船がカルガモの親子のように並んで泊まっているだけである。

 バス停の目の前には、過去に殉職した船員達を偲ぶ石碑が建てられていた。石碑は航海の旅から戻って来ない船を港で待ち続けているようにも見えた。決して死を望んでいなかった船員達が死んでしまい、それを悲しむ人々がいたというのに、なぜ何もしていない自分が自ら命を絶たなければならないのかと成は考えないわけにはいかなかった。

 自分にはもう何もない。しかし、。考えても答えは出ず、仕方なく水平線の向こうへ目を凝らしながら船の帰りを待ってみたが、彼らが戻って来る前に東尋坊へ行くバスが到着した。


 物静かな海沿いの道を五分程走り、東尋坊近くの停留所でバスを降りた。そこから東尋坊までの道のりはいろいろな店や食事処が並ぶ、ちょっとした商店街のようになっている。その道を抜けると見晴しの良い崖地帯に出た。

「東尋坊に着いたよ!」

 先頭を歩いていた渚が振り返ってそう言うと、眼前に広がる絶景に成達は息を呑んだ。今日も天気は快晴で、都会では見られない大空がそこにはあった。火山岩が波に浸食されることによって造られた岩肌は巨大な古代恐竜の背中のように見えた。崖の方まで近づいてみると、海側へ向かってなだらかに傾斜しているような地形になっている。

「みんなー、足元が凸凹しているから気を付けてー!」

 渚が我先にと沖の方へと歩きながら叫んだ。ケイトとキオもそれに続いた。

「ミチコ、大丈夫か?」

「はい、ありがとうございます」

 成が声を掛けると、ミチコはヨタヨタ歩きながら微笑んだ。足場が悪い上に強い海風が吹いてくるので、転ばないように気を付けなければならない。

「そういえば、東尋坊って結局どんなお坊さんだったんだろうな」

 渚のあやふやな説明を思い出したので何となく訊いてみた。

「東尋坊は鎌倉時代後期に平泉寺というお寺にいたお坊さんです。とても力持ちで暴れん坊だったので、皆困っていたんですよ」

 成は意外そうな目でミチコを見た。まさか本当に東尋坊について知っているとは思わなかったのだ。それを察したのか、ミチコは得意気に解説を続けた。

「そんな東尋坊があや姫というお姫様に恋をしました。しかし、真柄覚念という恋のライバルがいて、二人は喧嘩をしてしまいます」

 ミチコの解説は朗読のように美しい語り口だった。成は黙って耳を傾けた。

「そこで、平泉寺の僧侶達はこの崖で酒盛りをして東尋坊を泥酔させます。そして、真柄覚念が隙を見て東尋坊を崖から海へ突き落としたのです」

「ひでー奴らだな」

「ふふっ、そうですね。東尋坊が突き落とされた後、四十九日間、東尋坊の怨念によって海が大荒れとなります。そして、その後も東尋坊が突き落された旧暦四月五日、毎年この一帯は大時化となりました」

 成は海を見てみた。大時化ではないが、崖に波が打ち寄せる様は中々迫力があった。

「しかし、数十年後、旅をしていた僧が東尋坊を哀れんで供養の歌を海に流し、時化は治まりました。そして、いつの間にこの場所が東尋坊と呼ばれるようになったのです。おしまい」

 ミチコは解説を終えると、ペコリと礼をした。

「すごい、よくそんなこと知ってるな」

「私、歴史とか伝承が好きで、この前の集まりで東尋坊に行くって決まった後に少し調べてみたんです」

 それを聞いて成は素直に感心した。最近の女子高生はSNSとかファッションとか恋の話にしか興味がないと思っていたが、大いなる誤解のようだった。いや、東尋坊の話も広義に解釈すると「恋バナ」になるのだろうか。

「でも、ここは自殺の名所になってしまったんですよね」

 ミチコは寂しそうな目で海を眺めた。

「一体この場所で何人が命を絶ったのでしょうか」

 ミチコは誰に問い掛けるわけでもなく呟いた。やっとこの旅で自殺の話が出たな、と成は思った。この崖から飛び降りる人の気持ちを想像しようとしたが、上手く想像できなかった。

「ミチコはここで死にたい?」

 我ながらストレートな質問だなと思った。

「いえ、私はまだ……。どうしても京都には行ってみたいので」

 何か見てみたい歴史的な建物でもあるのだろうか。まあ、人生というのは案外そんなものなのかもしれない。

「そっか。俺、思うんだけどさ……」

 成もミチコと同じように遠くの海を眺めながら言った。

。だから、京都に行くためにまだ生きるっていうの、何か好きだな」

 成は船員の石碑の前で考えていたことに対し、一つの解を見出していた。

 自分が死ぬ理由は、自分に目的地がないからだろうと思った。自分は大きくて頑丈な船に乗っている。方角も分かるし風も吹いている。しかし、肝心の目的地がなかった。目的地がなければ海の上をぷかぷかと浮かんでいるしかない、船が朽ち果てるまで。そして、緩慢に沈んでいくことを待ちきれず、船は死という渚に向かってゆっくりと進み始めたのだ。

 成の言葉を聞いたミチコは驚いた表情をしていた。

「ちょっと説教臭かったかな」

 成は頬を掻いた。

「いえ、驚きました。私、成さんって『ああ』とか『そうだな』とか、必要なことしか喋らないと思ってたから」

 さらっと失礼なことを言う子だな、と成は肩を落とした。

 しかし、俺はそんなイメージだったのか。残りの人生はもう少し愛想良くするか。

「けど、そうなると成さんは、何か目的があってこそ生きるべきだ、目的がなければ生きる必要もない、そう考えているわけですね」

「ああ」

「そして、今の成さんには目的がない」

「そうだな」

 結局、短くて必要最低限な受け答えになってしまった。だけど、それを聞いてミチコはふふっと微笑んだ。

 立ち止まって話をしていた成とミチコの横を観光客が通り過ぎて行く。観光名所ということもあり、平日でもそれなりの人々が訪れていた。崖っぷちを歩いていた中年男達のグループが「押すなよ!絶対押すなよ!」とか「早まるなー!」とか言いながらふざけ合っている。まあ、こんなに穏やかな雰囲気の中で飛び降りることもないか、と成はミチコの顔を見て安堵した。


 その後、東尋坊の崖をほっつき歩いていた他のメンバーも成達の元へ来た。昼飯時までもう少し時間があるので、皆で近くの土産屋に行き土産を物色することにした。土産屋には、名物である海の幸や何の結晶かよく分からない石、シュールな言葉がプリントしてあるTシャツなど、とにかくいろいろな物が所狭しと並べられていた。どうして、もう帰らないのに土産を買わなくちゃいけないんだと思いながら店内を見ていると、ケイトが話しかけてきた。

「成さん、成さん」

「何だ?」

「どうせ土産なんか興味ないんでしょ? ちょっと外で話でもしませんかい?」

 なぜだろう、この時成は何か嫌な予感がした。それもデジャヴというやつだ。そして、すぐに思い出した。渚が自殺サイトを見ようと言い出した時や、皆で旅に出ようと言い出した時に感じたのと同じような予感であった。


 成とケイトは土産屋を出て、再び崖の方へ向かって歩いた。

「なに、そんな大した話じゃないですよ」

 ケイトが見晴しの良い岩場に座ったので成も隣に座った。

「僕、一つ気付いたんですけど、成さんと渚さんって我々が集まる前から知り合いだったんじゃないですか?」

「え?」

 成は少し焦った。渚とはインターネットで知り合い、あの会合の日に初めて顔を合わせたことになっているからだ。

「どうしてそう思うんだ?」

「何ていうんですかね、雰囲気というか? 渚さんが成さんに対して妙に馴れ馴れしいし、成さんもそれに慣れているような気がするんですよね」

 実に的を射た推察だ。成は正直に言うか迷った。経緯を話すとなると、渚が風俗嬢であることも話すことになる。渚は意外と平気かもしれないが、成としては二人が風俗嬢とその客であったことは話したくなかった。

「別に知り合いだったわけじゃない。俺はネットで渚に呼びかけられたんだよ」

「ふぅん」

「それより、お前こそどうやって渚と知り合った? どうして自殺なんかしたいんだよ?」

 ケイトがまだ疑っていそうだったので、無理矢理話題を変えた。

「僕ですか? 僕はですねぇ……」

 ケイトはニヤッと笑った。

「秘密です」

 こいつも中々食えない奴だな、と成は思った。

「どうやら我々にはお互いに秘密があるようです」

 ケイトは何かを考えている様子だった。成と渚が知り合いだったという線は捨てていないようだ。

「どうでしょう、ここは一つ僕と賭けをしませんか?」

「賭け?」

「そうです、負けた方は勝った方の質問に一つ正直に答えるんです。簡単でしょ?」

 成はどうするか悩んだ。しかし、のだから、遊び感覚でやればいいかと思った。それに、ギャンブルは嫌いじゃない。

「いいよ。どうやって賭けるんだ?」

「うーん、そうですねぇ……。では、こうしましょう」

 ケイトは微笑んだ。幼気な笑顔が逆に不気味だった。

「この旅で、誰が最初に自殺するのかを当てましょう」

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