第四話 ウェディングプラン

 渚は顔のあたりを手でパタパタと扇ぎ始めた。日差しが強くなっており、頬にはうっすらと汗が滲んでいた。

「ところで、成君。私は急に喉が渇いてしまったから、冷たくて美味しいコーヒーが飲みたくなってしまったわ」

「急に変な喋り方するな」

「散歩はもう終わり。場所を変えよう」

 そう言って渚は立ち上がった。成もやれやれというふうにそれに倣った。


 二人は新宿駅東口方面まで歩き、渚の行きつけらしい喫茶店を訪れた。隠れ家風のこぢんまりとした店だ。

 扉を開けてクーラーの効いた店内に入ると、生き返るような気分になった。まだ死んでいないのだけれど。

 奥の方の、他人に会話が聞かれない席に案内してもらい、木製の小洒落た椅子に座る。渚はブラックのコーヒー、成はアイスココアを注文した。意外と可愛いものを飲むんだね、と渚がからかうので、うるせえと悪態をつく。渚は満足そうに微笑んだ。

 しばらく雑談を交わしていたが、渚が注文したブラックコーヒーを一口飲むと本題を切り出した。

「成君、自殺には沢山の方法がある」

「いきなりだな」

 少し意表を突かれた。

「まあ、それを決めるために来たわけだし」

 渚はまたブラックコーヒーを一口飲んで続けた。

「まずオードソックスなのが首吊りだね。窒息死ではなく縊死というんだけど、ロープやベルトのような長ーい物があれば割とどこでもできる。致死率は高く、苦痛は少ない。初心者にオススメ」

 自殺に初心者もへったくれもない、と成は思ったが面倒なので黙っておいた。仮に未遂を続ける上級者がいたら、その人はそもそも死ぬ気がない。

「成君はどうやって死のうと思ってた?」

「特に決めてなかったけど、苦痛は少ない方がいいな」

「それなら、まさにうってつけってわけだ。だが、今回はこの方法は採用したくない」

「なんで?」

「だって臭いんだもん」

 臭い? 成は顔をしかめた。

「これは有名な話なんだけど、膀胱やお尻の筋肉が緩んで排泄物がだだ漏れになるんだって。男の人の場合は精子も出てくるらしい」

「……なんか聞いたことあるな」

「成君が感動的にこの世を去った後、土石流のように排泄する姿は見たくないよ」

「俺は便秘してないぞ」

「どうしてもと言うなら止めないけど、自宅でするならオムツを履くか、下半身すっぽんぽんにして足元に花柄のレジャーシートでも敷いておいた方が良い。それでも自殺者が出た物件は不動産価値が下がって大迷惑だけどね」

「外の木の枝で吊ることにするよ」

「もう一つ重要なこと」

 渚の目付きが真剣になった。

「失敗した時のことだけど、もし首吊りで失敗したら脳細胞が死滅して後遺症が残ったり、植物人間になってしまうこともある。だから、と思っておいた方が良い」

 成は押し黙って想像してみた。

 世界が終わった後のような真夜中に、自分が見晴らしの良い丘に生えている一本の木で首を吊っている。やがて朝日が昇り、首を吊っている自分が影絵のように象徴的な形となって、絵画のような光景に変わる。それを見た渚は、臭い臭いと言いながら現場から逃げて行く……。

「うーん」

 成は唸ってしまった。

「あ、ちなみに自殺未遂は保険利かないから」

 渚がブラックコーヒーを飲みながら、そっけなく言う。

「候補には残しておくが、他の方法も検討する余地があるな」

 成は苦い顔で言った。

「他にはどんな方法があるんだ?」

「そうだねぇ、有名どころだと練炭自殺、刺殺、入水、焼身とか。ちょっとマニアックなやつだと凍死とか感電とかがある」

「練炭以外は苦しそうなのばっかりだな」

「それに面白くないしね。清水の舞台から飛び降りるところは見てみたいけど、江戸時代の死亡率は十五パーセント程度らしいよ。まあ、当時は下が柔らかい土で、木もいっぱい生えてたらしいけど」

 いつのまにスマホを出していた渚が、画面をスクロール操作しながら言った。何のサイトを見ているのかは成には分からない。

「思いついたんだけど、こんなのはどう?あたり一面は黄色いハナビシソウの花畑、頭上にはどこまでも広がる澄んだ青空、そこに真っ白なテーブルと椅子があって成君が座っている」

「ん?」

 成はまたもや顔をしかめる。

「そして、白いワンピースを身に纏った私が、『長い間、お疲れさまでした』って言ってカルミア・ラティフォリアの花束を渡すの」

「カルミア、なんだって?」

「カルミア・ラティフォリア。ツツジ科のピンクと白の花でとても綺麗なんだけど、グラヤノトキシンⅠとアルブチンという毒物が含まれている。それを成君が一輪一輪もぐもぐ食べていくの、倒れるまでね。成君の鼓動は徐々に速くなり、やがてテーブルの上に突っ伏して死ぬ。君が死んでも、空はいつまでも私達の頭上にあり、花は新たな種を次の世界へ残していく……どう、素敵でしょ?」

 成は閉口してしまったが、渚は楽しそうに続けた。

「あと、カルミアの花言葉には『大きな希望』『優美な女性』『神秘的な思い出』とかがあるんだって」

「この状況に一つも当てはまらないな」

「なんでー、全部当てはまるじゃん!」

 渚が頬を膨らませる。

「ちなみに、そのテーブルやら椅子やらは誰が持って来るんだ?」

「成君です。あ、キャンプで使うような折り畳み式のダサいやつは駄目だから。庭園にあるような綺麗な椅子でお願いします」

「テーブルと椅子は無しにできないのか?」

「立ったままじゃ格好悪いでしょ。立ち食い蕎麦じゃないんだから駄目です」

「じゃあこの話はなかったということで」

 成はピシャッと言い放った。

「なんでだよぅ」

「真昼間に誰にも見つからずにテーブルと椅子を花畑に運んで死ぬのは骨が折れる」

「夢のない男だなぁ」

 渚は大げさに肩を落としてみせる。

「じゃあもう一コだけ!」

「まだあるのか」

「次で最後だから。……やっぱりね、自殺といえば青木ヶ原の樹海だと思うの。私と成君が樹海をテクテク歩いていると、打ち捨てられた廃車を見つけ、成君が運転席に、私が助手席に乗り込みます」

「その廃車は本当にあるんだろうな」

 成が指摘するが、渚は無視して続ける。

「そこで成君はこれまでの自分の人生を振り返り、私はうんうんと聞いてあげます。そして成君が一通り語り終えると、私は車から出て、成君はいそいそと練炭自殺の準備を始めます」

「さっき、練炭とかは面白くないって言ってたじゃねーか」

「そして、外にいる私に見守られながら、成君はゆっくり静かに息を引き取るのです……。どうかな、これなら悪くないでしょ?」

「わけの分からん花を食べるよりは良いけど、やっぱりその廃車がネックだな。練炭自殺ができるほど状態の良い廃車がそう都合よく樹海にあるとは思えない」

「テントを張るって手もあるけど、それも格好悪いしなぁ」

 どうやら渚は演出にもの凄くこだわりがあるらしい。小説を書いていることと何か関係があるのだろうか。

「どの方法も、今一つ決め手に欠けるな」

 成はアイスココアを飲みながら考え込み、渚は黙々とスマホをいじる。時間だけがいたずらに過ぎていった。

「もう何も思い付かないねぇ」

「そうだな」

「これは夏休みの宿題にしようか」

「俺の誕生日、夏休みの途中なんだけど」

「夏休みの自由研究、『人はどうやって死ぬのが一番いいのか?』」

 渚は成の指摘を無視して目を閉じていたが、やがて立ち上がった。

「そろそろ行こっか。良い方法が思い付いたら連絡するよ」

 そう言って渚は自分の分の勘定を消費税の分まできっちりお釣りが出ないように成に渡した。成は支払いを済ませ、渚と一緒に喫茶店を出た。店員の目付きが少し不審そうに見えたような気がした。

 喫茶店を出たあとも、渚と肩を並べて歩きながら考えた。人はどうやって死ぬのが一番いいのか。軽く考えたことはあったけど、本気で考えたことは今までに一度もなかった。

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