第15話 幸せな場所

山の方では楓が紅く色付き、すっかり秋の装いです。


先月漬けた菊酒を覚えていらっしゃいますか?


ほんのりピンクに色がかった、何とも華やかなお酒が完成しました。


そして先日、橘さんから待望の新米を頂きましたよ。


炭を乗せて炊いた、ふっくら艶やかな新米をご用意してお待ちしております。



「わぁあ!良い香りっ」


土鍋の蓋を開けると、炊き上がった新米のほんのり甘い香りが、ほかほかの湯気と共に食堂に広がります。


葉子さんは堪らず、頬が緩んでいます。


「きんぴらのお野菜、切れました?」


炊いたご飯を軽く混ぜて、再び蓋をしてそう訊ねると「はい!」と、切った人参とゴボウをお皿に移して手渡して下さいました。


旬の栄養たっぷりの人参は、うちの畑で収穫したものです。


私はそれを、ごま油を熱したフライパンで、甘辛のきんぴらにしました。


お砂糖とお醤油でシンプルに味付けし、軽く炒ったいり胡麻をかけます。


胡麻の風味と、ぽりぽりとゴボウの食感を残したきんぴらごぼうの完成です。


隣のコンロではお味噌汁も完成し、後はお客様を待つのみです。


葉子さんが珈琲を入れて下さるとのことで、私は表に出てぽんすけと遊んでいることにしました。


ぽんすけは、私が彼女の正面にしゃがみこむと嬉しそうにぺろぺろと顔を舐めて来ました。


「ふふっ。はいはい、よしよし」


勢いよく舐めてくるぽんすけに対抗するように、私も体を沢山撫でてやります。


ぽんすけは次第に舐めるのを止めて、気持ち良さそうにじっとしました。


最終的にはゴロンとお腹を見せて横になって、もうされるがままです。


目を細めて、笑っているような表情で撫でられていました。


その時、向こうの方から一人の女性がやってきました。



「あら、見かけない人ね」


女性は真っ直ぐこちらに近付いてきて、そして私とぽんすけの前で足を止めました。


「・・・」


じっと、私とぽんすけを見つめています。


女性は30代くらいでしょうか。


黒い髪をアップにして、ピシッとした綺麗なシルエットのブラウスとパンツを履いています。


都会から来たのは見ただけでわかるような出で立ちです。


「こはる・・・!」


「え?」


ぽかんとしている私をよそに、女性はぽんすけを見てそう言いました。


「ハルさーん。珈琲入りましたよーって、お客様?」


「こはるの飼い主です!返してください!」


「飼い主さん!?」


葉子さんは声が裏返っていました。


ぽんすけは、しゃがんだままの私の足元で、飼い主だと言う女性をじっと見上げていました。


私は、思考が停止したような感覚を覚えました。


この人を探すためにチラシを作った筈なのに、いざその時が来ると、どうして良いのかわからなくなっている自分がいます。


そんな時でした。


「あの・・・」


飼い主だと言う女性の後ろに、いつの間にかもう1人、長い髪を風にふわふわとなびかせている女性が立っていました。


「あら、貴女は」


「北原美香です。あの、菊酒・・・」


女性は、私と飼い主さんをチラチラと交互に見ながら言いました。


「あ、あぁ!菊酒ならもう出来てますよ。葉子さん、お願いして良いですか?北原さん、お食事もされますか?」


私が尋ねると、北原さんはコクリと頷きました。


「はっ、はい!」


葉子さんは慌てて、菊酒とお料理を用意するために店に戻りました。


「北原さん、どうぞ中でお待ちください」


「どうかしたんですか?」


飼い主をチラッと見てから静かに言いました。


「こちらの方は、ぽんすけの飼い主さんで・・・」


「ふぅん」


北原さんは、飼い主さんの横を通り、ぽんすけの前にしゃがみこみました。


「・・・この子は、帰りたいのかな」


じっとぽんすけを見つめて言い、ぽんすけもそんな北原さんを見ています。


「なっ!迎えに来たんですから、返してくださいよ!」


すると、北原さんはスッと立ち上がり、飼い主さんの方を振り返りました。


真顔でじっと見つめる彼女に、飼い主さんも一瞬たじろいだように見えました。


「わんちゃんは、物じゃないですよ」


「そ、そんな事言って無いじゃないですかっ」


「この子、何でここに来たんですか?逃げたんじゃないんですか」


「なっ・・・!」


「そうだと思った」


北原さんはまたぽんすけの前にしゃがみこみ、優しく背中を撫でました。


「人間より短い命なんですよ。この子にとって幸せな場所を見つけたなら、そこで生きさせてあげるのが優しさじゃないですか・・・?」


「・・・」


北原さんの背中を見つめながら、飼い主さんは言葉が出ない様でした。


暫く沈黙が続きました。


少しずつ高くなる太陽の日差しが、私たちに降り注いでいます。


「こはるは・・・ちょっと目を離した隙に居なくなってたんです」


飼い主さんが、少し奮えたような声で話始めました。


「独り暮らしをし始めた頃に、こはるを飼ったんです。でも仕事が忙しくて・・・」


そう言うと、女性は俯いてしまいました。


「帰る度に嬉しそうにしてくれるんですけど、私も疲れてるし、全然遊んでやれなくて。会社の飲み会とか、彼氏も出来たりして、いつの間にかどんどんこはるとの関わりが薄くなってきてたんです・・・」


「そう。わんちゃん、寂しかったのね」


北原さんは優しい目をして、ぽんすけの首の辺りをよしよしと撫でました。


「連れて帰って、また同じ生活に戻るんじゃないの?」


北原さんは、女性を見上げて言いました。


「はい。そうかもしれません・・・」


女性はそう言って、私の方をじっと見つめてから、頭を深々と下げました。


「こはるを、ここで飼ってあげてください」


「えっ・・・」


私は、状況に付いていけず、すぐには言葉が出ませんでした。


「あの・・・この子を幸せにしてあげてください」


女性は頭を下げたまま、そう言いました。


「・・・はい。では、責任をもって私たちがお世話させていただきます」


「良かった・・・ありがとうございます」


私の言葉に、女性は頭を上げて笑顔でそう言いました。


「その代わりなんですけれど・・・」


私は、女性に1つだけお願いするために立ち上がりました。


「時々でも良いので、こはるちゃんに会いに来てあげてください。うちに来れた時は、沢山遊んであげてください」


そう言うと、女性は「はい!」と嬉しそうに仰いました。


その目には、少し涙が溜まっているようにも見えました。


「あのぅ・・・お食事、出来てるんですけど・・・」


葉子さんが、様子を伺うようにそっと小声で出てきました。


「あぁ!ごめんなさいね。さぁ、北原さんどうぞ。葉子さんお願いします」


そうして北原さんは葉子さんとお店に入りました。


「それと・・・まだお名前を伺っていなくて」


「あ!すみませんっ!小田 圭織です」


「では小田さんも、良かったら召し上がって行って下さい。菊酒もご用意出来ますし。お時間があれば是非」


「え・・・」


小田さんは、少し戸惑った様子でした。


「美味しい新米のおにぎりがあるんですよ。お仕事お疲れでしょうし、少し息抜きでもしていってくださいな」


こうして、小田さんは北原さんと同じテーブルでお食事をしていかれました。


北原さんとも楽しくお話しされておりました。


お食事を終えると、ぽんすけと散歩に行き、店の前でボールを投げて一緒に遊んでおられました。


久し振りに会った飼い主さんと、一緒に住んでいるときには出来なかった事を沢山してもらえて、本当に嬉しそうにはしゃいでいました。


小田さんは帰り際、「また来るね、元気でね。ぽんすけ」と頭を撫でてやり、私たちに頭を下げて、帰っていかれました。


ぽんすけが自ら選んでここに留まってくれたことが、どれだけ私にとって嬉しかったか。


彼女にとって幸せな場所を作り、楽しい想い出をこの店で沢山作っていきたい。


この小さな可愛いぽんすけも、私にとっては大切な家族なのですから。

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