第21話

窓の外が騒がしくなったので、誰かが来たのだと判る。

タロウ達の声に含まれる喜びの大きさから、訪ねて来た人が誰なのかは数人に絞られる。

玄関を開けると、梅雨の中休みなのか、眩い光が飛び込んできた。

青空と、光と、タロウ達と戯れる規理乃ちゃん。

「今日はあなたなの」

もう暫く眺めていたかったけれど、規理乃ちゃんはすぐに僕に気付き、そして、すぐに僕だと判別する。

『アイツは、会話も無く、一目見て俺とお前を見分ける』

連絡帳に書かれていた良二の言葉を思い出す。

信じていなかったわけじゃないけれど、僕はタロウ達と同じように喜びで満たされた。

でも、笑顔を向けると規理乃ちゃんは顔を逸らす。

「図書館に付き合ってもらおうと思って来たの」

タロウ達の相手をしながら、何かのついでみたいに素っ気ない口調。

「べつに嫌ならいいのだけど」

ゴローの鼻をつつきながら、どっちでもいいような口振り。

「えっと、僕も行っていいなら」

「そう。じゃあ行きましょう」

今日は土曜日で、時刻は昼前。

図書館は勝部町にあって、駅前から徒歩10分ほど。

根古畑から勝部駅前行きのバスは昼過ぎに出るから、僕らは菊崎商店前にあるバス停へと歩き出す。

あまり会話はしなかったけれど、規理乃ちゃんの足取りは軽くて、緩い登り坂を、どこかリズムを刻むように歩いていた。


図書館は海岸に近く、松林の続く公園のそばにある。

僕は他の図書館は知らないけれど、町の規模に相応な大きさで、何度か来たことがある。

規理乃ちゃんもそれは同じようで、迷いもなく郷土関連の書籍コーナー前に立つ。

「何か調べたいことがあるの?」

郷土関連のコーナーなんて、蔵書数はたかが知れている。

とはいえ、勝部町に関する本だけで、これだけあるのだと思わせる数。

見慣れた出版社の本は観光に関するものくらいで、他は恐らく地元の郷土史家などによる自費出版が多そうだ。

「彼に、根古畑に神社が無いのは何故? って訊いたの」

「神社?」

あれ? 無かったっけ?

「彼は、表面上は無いことに、よく気付いたなって言ったの」

ひどく曖昧な記憶。

でも僕は、どこかで神社らしきものを見たような気がする。

「それって、表面上では無い所には、あるってことでしょう?」

「そういうことに、なるかな?」

「その様子だと、やっぱりあなたは知らないのね?」

表情からは読み取れないけれど、何だかがっかりさせてしまったことは判る。

本の匂い、根古畑よりも圧倒的な存在感で窓の外に広がる海。

僕はたぶん、知らないことが多すぎるんだ。

「勘違いしないで。寧ろ闘志を掻き立てられたわ」

規理乃ちゃんは容易く僕の表情を読み取ったみたいで恥ずかしくなるけれど、違和感のある言葉の方が気になってしまう。

「闘志?」

「ええ。彼に頼らずに、絶対に見つけてみせるわ」

「えっと、この会話も、彼は認識してると思うけど?」

「構わないわよ。あなたはあなたで、彼は彼だもの」

的外れなような、それでいて、とても的を射たような言葉。

僕は僕で、良二は良二。

きっと、彼は今、苦笑いしてるだろう。


参考になりそうな本、といっても、勝部町の歴史や観光、自然に関する本はそれなりにあっても、根古畑だけを取り上げたような本は皆無に近い。

勝部町の本の中で僅かばかりのページを割いて、かつての鉱山や繁栄の歴史、農産物や人口の推移が述べられている程度のものがほとんどだ。

しかもそういった本の索引を見ても、根古畑として掲載されているとは限らず、「産業」だとか、極めて大雑把に「歴史」という項目で触れられていることもあって、相当な手間がかかりそうだった。

規理乃ちゃんは面倒そうな顔をすることなく、一冊一冊を丹念に見ていく。

僕はといえば、ついつい脱線して、勝部町の自然についての記述なんかを目で追ってしまう。

その中に、「勝部神社の社叢林」という項目があって、天然記念物に指定されているとある。

社叢林とは、いわゆる鎮守の森のことだ。

勝部町には何度も来ているが、勝部神社には立ち寄ったことは無いし、詳しい場所も知らない。

僕は次に、勝部神社についてのページを探す。

社殿の写真と、カヤの大木の写真が載っている。

神社の年表のようなものもあって、思わず飛ばし掛けたが、そこに「明治43年、禰呼幡神社合祀」という文字があって、慌ててページを繰りかけた指を止める。

「規理乃ちゃん、これ」

「禰……呼幡……ねこはた?」

「やっぱり、そう読むんだよね?」

「集落名と神社名で、同じ読みでも字を変えることはよくあるわ。同じ字を使うのは畏れ多いと考えたり」

規理乃ちゃんは食い入るように文字を見ている。

というか、近い。

そういえば連絡帳に、『アイツのパーソナルスペースは、教室の隣の席くらい。同性の場合は知らん』と書かれていたことがあったけれど、今は30センチくらいしかない。

肌の白さも、その肌理の細かさも、黒髪の艶も、そして、どこかで嗅いだことのあるような、柔らかくて仄かに甘い匂いも、驚嘆と陶然を同時に連れて来る。

規理乃ちゃんは、決して彫りの深い顔立ちじゃない。

鼻はつんと尖って小生意気に見せ、長い睫毛が目元を涼し気にくっきりと強調し、薄い唇は怜悧な雰囲気を醸し出し、吊り気味の眉は綺麗なラインを描いているけれど、造形のどこにも派手さは無く、ややもすれば人混みの中では隠れてしまいそうで、でも一度目に留まれば、周囲は消え去って釘付けになる。

知ってしまえば、他はもう目に入らない、そんな美しさがある。

それも、見れば見るほど引き込まれるような。

「これは、合祀されて今は無いと考えるべき? それとも──」

規理乃ちゃんが、僕との近さに気付いて距離を空ける。

「ごめんなさい。近付きすぎてたわ」

「あ、いや、謝るようなことじゃ」

「ごめんなさい。急に離れるのも失礼よね?」

「気にしなくていいから。規理乃ちゃんの距離感でいてくれれば」

「じゃあ、今くらいの距離で」

それは、教室の隣の席より近かった。

そしてそれは、僕の胸を高鳴らせるのに充分な近さだった。


禰呼幡神社は、かつてはあったけれど今は無いのか、それとも、合祀されてからも密かにそれは残されているのか。

図書館だから声を潜めているけれど、規理乃ちゃんは雄弁になってそんなことを語る。

そもそも、合祀とは何なのかを僕は知らなかった。

単純に言えば、神社の統合、あるいは吸収合併みたいなもので、自主的に行われてきたものも多いようだけど、規理乃ちゃんの話によれば、明治時代に神社合祀令というものが出されたらしい。

文字通り、合わせて祀るということで、数多い神社を、ある程度まとめて維持管理をし易くし、地方公共団体がその費用を賄えるまで数を減らして、地方自治の中心に神社を据えるという考えの下に行われたのだという。

この辺りの地方は、特にその影響が強かったようで、他の県と比べると、神社の数は極端に少ないのだそうだ。

その理由は、この地方の神社には楠が多かったから、とも言われている。

楠から採れる樟脳は、金になったのだ。

僕が知らない僕の地元のことを、規理乃ちゃんはよく知っている。

「もっとも、俄仕込みの知識だけど」

自嘲気味の笑みですら、その魅力を引き立てる要素になる。

「だから、根古畑に神社が無いのは不思議なことじゃないみたいだけど、それでも何か腑に落ちないのよ」

「それは、学校にまで存在する祠のせい?」

規理乃ちゃんは小首を傾げて、少しだけ目を見開く。

瞳は、色だけじゃなく、深さもあるのだと思わせる。

「どうして、そう思ったの?」

「学校の設立は明治36年、当時は公立で、高校という位置づけでも無かったみたいだけど、学校の祠が設立時からあったっていうのは聞いているし、禰呼幡神社が合祀される前だよね?」

「そういうことになるわね」

「合祀された後なら、無くなってしまった神社の代わりに、という考え方も出来るけど、それ以前ということは、よほど信仰心が篤かったのか、あるいは神社とは関係なく学校向けの神様を祀ったのか……」

「天目一箇神」

「え?」

「アメノマヒトツノカミ、製鉄神よ。学校の祠に祀られているのは、勉学の神様ではなく鉱山の神様ね」

規理乃ちゃんは、ノートの端っこに『天目一箇神』と綺麗な字で書いてみせる。

「目が一つなのよ」

「目が一つ?」

「場合によっては、一本足のこともあるみたいね」

「それって、神様なの?」

僕の頭に浮かぶのは、どうしても一つ目小僧や唐傘お化けみたいな妖怪の姿だ。

「製鉄神って、世界各地でも一つ目であることが多いみたい。ギリシャ神話に出てくる鍛冶神キュクロープスも一つ目らしいわ」

何故か、右目に痛みを覚える。

「たたら製鉄については知ってる?」

「小学校のとき、根古畑の歴史みたいな授業で少し習ったけど」

「鉄を溶かすとき、炉を片目で覗き込んで温度を見ていたから、利き目を悪くする人が多かったらしいの。火力を強めるときは、ふいごと呼ばれる足踏み式の送風機みたいなものを使ったみたいで、それで脚を痛める人も多かったとか」

「つまり、製鉄神の姿は、製鉄に携わる人の姿を投影したもの?」

「昇華と言ってもいいかも知れない。逆に、製鉄神が凋落した姿が、一つ目の妖怪だったりするみたいよ」

人間でもあり、神様でもあり、妖怪でもある。

怖いような、逆に、親しみを覚えるような、ちょっと不思議な感覚。

興味深い話ではあるし、根古畑で生まれ育った僕としては、もっと調べてみたい気持ちにもなる。

それに、何か引っ掛かるというか、神社に関わる思い出みたいなものが、あるような気がして──

「っ!」

また右目が痛む。

昔は頻繁にあったけれど、最近は忘れかけていた痛みだ。

「どうしたの?」

規理乃ちゃんが心配そうに僕の顔を覗く。

「大丈夫、ちょっと目が疲れただけだから」

「そう。じゃあ調べ物はこれくらいにして、そろそろ行きましょうか」

「次はどこに? 勝部神社の神主さんに話でも聞く?」

……。

思案顔の規理乃ちゃんは可愛らしい。

冷たい印象を与える綺麗な顔が、あどけないものになる。

「海に、寄りたいのだけど……」

根古畑行の次のバス、というか、最終バスだけど、発車まで、まだ二時間以上もある。

「今まで何度も勝部町に来てるけれど、一人だと、何だか海辺に立ち寄るのが気恥ずかしくて」

あどけなさに、照れ臭さが加わった。

透き通るような白い肌に朱が差して、何だか眩暈がしそうなくらいに規理乃ちゃんは可愛らしかった。


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