第35話~心情と宣戦布告

 加速している心拍数が水城にばれないように、距離を取ろうと足早に自分の教室へと足を進める。

 だが焦っている反面、心の中では安堵の気持ちが溢れかえっていた。

 

 (やっと話しかけれた……)


 実は今日の今まで、香織は水城と話す機会を幾度となく探っていた。だが中々都合のいい機会に会う事が出来なかったのと、自分の心の弱さのせいで近づいても話しかける事が出来ずにいた。

 だがそんな香織の気持ちの変化を読んだのか、一か月くらい前に綾乃に心配事は無いかと尋ねられ、それからしばしば水城の事について相談に乗って貰っていた。

 結論としては「とりあえず話しかけて謝った方が良いんじゃない?」とのアドバイスを受け、三か月もの月日が経過した今ようやく話しかける事が出来たところだ。

 

 (でも……)


 数分前の光景を頭の中で思い浮かべる。

 香織は模擬店のシフトが重なっていた為に自分の教室に足を向かわせていると、少し離れた場所から揉めているような声が耳に飛び込んできた。


 人を避けながら廊下を歩いていると、ガラの悪い二人組と丁度陰に隠れて見えないもう一人の生徒が騒いでいるのが目に入った。

 こういうのには関わると絶対に面倒くさくなると分かっているので無視して通り過ぎようとする。だがその時、香織の視界に予想だにしない横顔が映り込んだ。


 (水城……!?)


 慌てて廊下の角に身を隠す。注意してみてみると水城の前には、三か月前に水城に冷水を浴びせた伊達と知らない高校の女子生徒が一緒になって彼に痛罵を浴びせていた。

 どうしよう、とすべき行動を詮索する。

 今もし水城の前に出て行って庇ってしまったら、どういう風に思うだろうか。偽りの心無しで言うのならば今すぐにでも助けに行きたい。だが、現状自分は彼にとって会いたくない人物だろう。悲しい事実だがそれは承知の上だ。

 だが香織にとっても伊達は嫌いな男子の枠に入っているうちの一人だ。それは肝試しの時に酷い目に遭わされたのと、自分の好きな人に冷水をぶっかけたので、もしかしたらこの世で一番嫌いな人かもしれない。

 揉めている三人の話に耳を傾けながらありとあらゆる思考を繰り返していると、伊達と一緒になって笑っている女子がとある言葉を言った。


 「水城、私のこと好きでさー」


 一瞬、「え?」と口に出してしまいそうになったが、それに立て続けて彼女の口から「無理だから振った」と「虐められてた」というワードを聞いてさらに頭の中がパニックになりそうになった。

 知らなかった。水城が好意を持っていた女子がいたことも、虐められていたことも。しかも告白しただけで虐められるなんてあまりにも酷すぎる。

 ……もしあの時自分が伊達の言葉を強く否定していれば、水城はこんなに辛い経験をせずに済んだかもしれないのに。そう自覚すると同時に、自己の保身を選んだ過去の自分をとても後悔し、恥じた。

 それから今度は伊達が水城を強く罵倒した。


 「女にこうやって言われるなんてダッセーな!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、香織はとうとう我慢が出来なくなって水城の前に身を乗り出してしまった。


 「……一番だせぇのはテメェだよ」


 理性の制御が外れて苛々の塊を吐き出す。もう過去の情けない自分に後戻りしたくなかった。今自分がとっている行動を水城にどう思われてもいい、これが答えなんだと。決して口には出さないけれどもう一度自分の事を見て欲しいという思いを込めて。

 そう心の中で呟きながら伊達たちを追い払い、軽く水城と言葉を交わして教室に戻ろうとした時、背後から「花園」と、呼び止められた。


 「ありがとう」


 その言葉が聞けただけで、香織がとった行動が正解だったと感じる事が出来てとても嬉しかった。それに、些細なことかもしれないが少しだけ前に進めた気がした。

 今日はもうこれで満足だ、と思いながら廊下を歩く。と、香織の教室が見えてきたとき、廊下突き当りの角から再び自分の名前を呼ぶ声がした。


 「花園先輩、お久しぶりです。一年の館山恋です」

 「お久しぶりって……あ、あの球技大会の日の……」


 よくこの女子の顔を見てみると、すぐに水城が事故に遭った時に庇った女の子だと分かった。あの時の記憶は良くも悪くも、未だに鮮明に覚えている。


 「……さっき花園先輩が冬馬先輩を助けるとこ見てました」

 「冬馬先輩って……」

 

 館山の口から出た水城の名前に反応して、心臓がドクンと大きな波を打つ。


 (下の名前……)


 いつから名前で呼ぶほど親しい仲になっていたんだ。それになんでそんな真っ直ぐな瞳で自分を見つめているんだ、と余計な思考回路が働く。だがしどろもどろになっている香織に対して館山が続けた。


 「あれは凄く格好良かったです」


 なんだ、ただ数分前に起こした自分の行動を褒めてくれただけか、と安堵したのも束の間、「ただ……」と館山が数秒の間を空け、空白を埋めるように呟いた。


 「なにか冬馬先輩に伝えようとしてましたよね?」

 「えっ……」


 突然の意見に言葉が喉を引っかかる。水城は気づいていないと思うが、館山の言う通り色々な意味を込めてあの行動を起こしたのは確かだ。

 だが自分の心情は誰にも言っていないはずなのに何故この女の子がその中身を知っているのだろう。


 「花園先輩の目を見ればわかります。ただ、それを承知で今日は一つ言いたいことがあってきました」

 「言いたい事……?」


 先ほどから館山の雰囲気に違和感を感じていた。可愛らしい見た目とは裏腹な勝ち気な口調に、肝が据わってますと言わんばかりの真っ直ぐな瞳。これだけで自分に何かを伝えに来たことは明らかに分かる。

 館山の口から次に発せられる言葉が何なのか、香織は館山に気づかれないように固唾を飲み込んだ。


 「……あまり先輩がうじうじしてると、私が冬馬先輩を取っちゃいますよ?」

 「なっ……!」


 予想だにしなかった後輩からの宣戦布告に胸が締め付けられる。館山の言葉からして、この子も水城の事を好きなのだ。これは彼女の真剣な表情からして揶揄っているとかではなく、本気で彼に恋心を抱いているのだろう。 

 

 「……何でそれを私に?」


 自分の好きな人を知っているのは親友の綾乃だけだ。だが一番信頼のできる綾乃からして、香織の知らない間に館山に耳打ちしたことは考えられない。

 それにどうして香織に火種を振りかけるような言葉をわざわざ呼び止めてまで言ってきたのだろう。


 「まあ、それは自分で考えてみてください。とりあえず言いたいことは言ったので、私もう行きますね」

 「あ……ちょっと……」


 香織の話に耳を傾ける様子も見せない館山は「それじゃあまた何処かで!」と元気よく挨拶をした後、一年生のフロアの方に階段を降りて行ってしまった。

 呆気に取られて動けずじまいになっている香織は、次第に減っていく人波に向かって小さい声で呟いた。


 「……私だって、好きなのに」


 いや、好きだからこそ振り向いてもらえるのが難しい相手に小さなことから努力しようと頑張っているんだ。

 館山のように真正面から物事を言えるような女の子はとても羨ましい。それに比べて自分は水城に対して嫌な事をしてしまったり素直になれなかったりすることが沢山ある。だけど好きっていう気持ちならあの子よりも勝っているという自信がある。


 (……多分だけど宣戦布告して来たって言う事は、あの子にとって私が脅威ってことだからだよね)


 そうでもなければ関わりが深くもない相手に面と向かって言ってくるようなことは無いだろう。でも館山には悪いがこっちだってさらさら負けるつもりはない。

 香織は心の中で静かに意気込むと、無意識に窓の外に視線を凝らした。透明なガラスから見える白い太陽は若干の橙色を纏って、校庭を薄橙色に照らしていた。

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