第22話~奇跡と訪問客

 (……ん、ここはどこだ?)


 眩い光に眉を細めながら瞼を開くと、視界いっぱいに広がる真っ白な背景に、煌々とした白光を輝かせた蛍光灯がじりじりと音を立てていた。

 首だけを動かして周囲を確認しても、カーテンのような仕切りで全方位囲まれているので詳しい状況把握をすることもできず、まるで病室に閉じ込められているような風景に戸惑うしかなかった。


 (……ん、待てよ。病室に閉じ込められている……?)


 試しに起き上がろうとしたが、全身に上手く力が入らないのを感じて確信した。自分がいる場所は病室のような場所ではなくて、確実に病室のベッドの上だ。

 何で自分はこんな所にいるんだ、と疑問の暗雲が立ち込めている中、仰向けに寝ている体を動かそうとしたが力が入らない。


 (あ……そうか)


 思い出した。確かあの時女の子を助けようとして車に撥ねられたんだ。そこで記憶が途絶えているので、単純に考えるとなると救急車か何かで運ばれて今に至るのだろう。

 言う事を聞かない身体で脳だけを動かして頭の中を一から整理していると、冬馬を閉じ込めている薄橙色のカーテンがゆっくりと開いた。


 「に、兄ちゃん……? お母さん! 兄ちゃんが目を覚ましたよ!」

 「冬馬……!」


 ドラマで見たことのあるような光景に言葉すら出せないでいると、カーテンを抜けて飛び出していった美陽が母さんと美月の手を引いて戻ってきた。

 

 「うぅ、兄ちゃん、死んだかと思ったぁ……」

 「良かった……」


 美陽と美月は安堵したのか、その場にへたり込んでベッドに顔を伏せるとしゃくり上げの声を漏らして泣き始めた。

 自分がとった不注意な行動で二人を泣かせてしまうくらい心配をかけていたと思うと、自分の不甲斐なさに遺憾いかんの感情が込み上げてくる。もしあの時左足で踏ん張って自分も歩道に戻る事が出来れば、妹たちをこんなに悲しませずに済んだかもしれない。


 「冬馬……三日も目を覚まさなかったのよ? 本当に死んじゃったかと思った」


 実の母親が息子に対して「死んじゃったかと思った」と言うのはいかがなものかと思ったが、そんな事よりも三日も飲まず食わず寝たきりの状態で生活できていたことに冬馬は驚きを感じた。

 それに意識こそなかったが、三人の言動からして一歩間違えれば本当に死んでたかもしれないと思うと血の気が引ける。交通事故で亡くなってしまったというニュースは良く目にするので、こうやって生きて意識を取り戻したことは奇跡に他ならないが、もし車に撥ねられたのが自分ではなくあの女の子だったら、もっと重症になっていたかもしれない。

 そう思うと一人の命を救う事が出来た自分が誇らしく感じてくる。  


 「冬馬、もう夜ご飯の準備しないといけないから美陽と美月連れて帰るけど、病院に迷惑かけないようにね。それじゃあまたくるからね」

 「え……あ、うん」


 母さんは美陽と美月の手を引いて、さっさと病室から出て行ってしまった。バタンとドアが閉められ、病室はよりいっそう静まり返ってしまった。


 (……え、何すればいいんだろう。ていうかいつ退院できるんだ?)


 無事に目を覚ます事が出来たのは良かったが、母さんたちが帰ってしまっては誰と話すことも何をすることもできない。しかも自分の怪我の症状も分からなければ退院日だって知らされていない。

 少しだけ動かせる左手の力を振り絞って仕切られていたカーテンを全開すると、病室のベッドに澄み切った橙色の夕陽が差し込んだ。

 

 (まあ……なんとかなるか)


 次に母さんたちが来た時に色々聞いてみよう。ついでに勉強道具か何か持ってきてもらうか。

 冬馬は考える事を放棄して掛け布団に潜り込み、ふかふかの生地に肌を埋めているうちにいつのまにか眠りに落ちてしまった。 



 (……ここだよね)


 彼と仲がいい松田君に、彼が入院している病院と病室を教えてもらって部屋の前まで来たのは良いが、どういう表情ををして会えばいいのだろう。


 (でも、生きてて本当に良かった)


 事故の現場を目の前で見てしまった時、水城が死んでしまったかもしれないと思って頭が真っ白になった。それから涙腺が落ち着かない日々が続き、少しして松田君から「冬馬命に別状はないって」という言葉を聞いた途端に本当に良かったと心底安心した。


 (こんな状態なのに自分なんかがお見舞いに来てしまって迷惑かな……)


 それ以前に何で私はただのクラスメートであるはずの人間の為にお見舞いに来ているんだろうか。今までの人生でお見舞いに来るのは初めてなもので、何を持ってきていいのかわからず、ドラマの病院のシーンでよく見かけるリンゴをここに来る途中で買ってきた。

 だがよく考えると、包丁か何かでリンゴの皮を剥かないと食べれないのではないか? 考えれば考えるほど頭が混乱していくのを感じるが、とりあえず平然とした感じで水城に話しかけよう。

 香織が気持ちを落ち着かせようと深呼吸をして、病室のドアに手をかけたその時だった。


 「……花園? なんでドアに向かって深呼吸なんかしてるの?」

 「あ……」

 「てか何でこんなとこ……ってうわ!」


 二週間くらい自分の前に姿を見せなかった分、気持ちが凄く高まってしまった香織は思わず水城の胸元に飛び込んでしまった。


 「心配したんだよ……?」

 「あ……うん、ごめん」


 こっちの気も知らないで何てマイペースなんだ、と思いながら気持ちを落ち着かる。そして我に返った香織は冬馬から離れると、そして出来るだけ早口にならないように注意しながら、リンゴが入った袋を差し出して言った。


 「これ……お見舞いに来たよ」

 「ありがとう。時間あるなら少しゆっくりしてく?」

 

 「うん」と言うと、水城は慣れた手つきで松葉杖を上手に使いながら、すぐにベッドの上に腰を下ろした。香織はベッドの傍に立て掛けてあった来客用の椅子に腰を掛けた。

 少し周りを見回すと、すぐ傍にある丸形のテーブルの上に、「星と少女」という小説と綺麗に纏めてある資料のようなものが目に映った。


 「この資料なに?」

 「ああこれね。俺が書いてる小説の原稿なんだけどストーリーが詰まってるんだよな」


 まず水城が小説を書いているという事実が初耳でその趣旨を聞いてみると、どうやら水城が所属している小説サークルという部活動のきまりで、今年中に一冊の小説を手掛けなければならないらしい。


 「それでどういう小説書いてんの?」

 「……ラブストーリー」

 「……ぷっ、はっはっは!」


 水城が口をとがらせて「ラブストーリー」なんて言うものだから不覚にも爆笑してしまった。真面目そうな顔して勉強もできると聞いていたから、てっきり時代物や何かインテリジェンスを感じさせる作品を書いているのかと予想したが、全くを持って予想に反してのラブストーリーときた。

 こんなに笑うのは失礼かもしれないが、面白すぎて笑いのツボが収まりそうになかった。


 「くじで引いちゃったんだもん。何とかして完成させないとないんだよ」

 「そっかー、大変なんだね」


 哀愁あいしゅうにじませた物言いをしたが、内心は笑いが収まっていなかった。


 「いつ退院できるの?」

 「明後日。なんか奇跡的に身体中打撲だけで済んで、右足骨折しただけだから案外早いらしい」


 よく車に撥ねられて打撲と骨一本折っただけで助かったものだ、と感心する。目の前で女の子を庇って自ら車道に身を投げ出したのは驚いたが、駆け付けて返事がない水城を見た時は心臓が止まるかと思った。

 勉強合宿の時もそうだが、良くもまぁ全然話したことがない人に親切以上の事を出来るのかなと不思議に思う。だが、そういうところが水城らしくて良い人だなぁと思う。


 「じゃあ長居しちゃ悪いし私そろそろ帰るね」

 「うん、わざわざありがとうね。あ、この本読む? 勉強合宿の時にちらっと言ったよね」


 水城は小説の原稿に埋もれていた「星と少女」という本を手に取って自分の前に差し出した。


 「読み終わったんなら借りようかな」

 「この本何回も読んでるから。今度読み終わったら返してよ」


 水城から小説を受け取って、持ってきたトートバックの空きスペースに突っ込む。

 自分は本をそこまで読むほうではないが、水城が「何回も読んでる」ということなのできっと面白いのだろう。


 「それじゃ、お大事に」

 「ありがとうね。気を付けて帰って」


 水城に手を振り病室をあとにする。エスカレーターを下っている最中で、「さっそく帰りの電車の中で読もうかな」と心の中で呟き、その感情の中には本に対する期待が膨らんでいた。

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