アルケニー(アラクネ)

「アハハハハ! それは災難だったわねぇ」

 豪快に笑い飛ばしながら、細長い足で器用に口元を押さえる女。先日ハルピュイア達が訪れた際に起きた神々の戦(夫婦喧嘩)を俺が治めた(仲裁した)一件を聞いて、この反応だ。彼女はあの時の騒動、その発端に立ち会っていたのでその後が気になっていたらしい……どんな結果になったのかなんて、容易に想像できたとしても。

「だいたいさぁ、オリュンポスの神々(アイツら)はみみっちいのよ。くっだらない理由で人間(私ら)巻き込みすぎ」

 笑顔を僅かに歪め、毒づく。

「まあそうだが、それを口にするのもほどほどにな……まぁた神々の逆鱗に触れて騒動に成りかねん」

 そうなったら、又俺が荒ぶる神々を鎮めに行かなければならない……それが俺の仕事(役目)だとしても、しばらくはゴメンだ。そもそも彼女の口がら出る罵詈雑言(猛毒)は、時として自身を蝕む結果を招きかねないから質が悪い……同じく口から出る毒蜘蛛の猛毒(ソレ)よりも扱いが困難だ。

「神経使うぜ……」

 すり減った神経(精神)は休息を必要としている。俺はこのまま倒れて寝てしまいたい衝動に駆られていた。

「ああ、寝る前に寸法計らせてよ」

 どうにか重い足をベッドに向けようとした時、訪問者は来室の目的が苦労話を聞く(人の不幸を愉しむ)ことでは無い事を思い出したようだ。

「……半年前くらいに計らなかったっけ?」

「その半年の間に、主に横方面への変化が全くなかったという確固たる自信があるなら計らなくても良いけど?」

 俺は確固たる自信を持って……服を脱ぎ彼女に背を向けた。

「まったく……衣替えの時期になる度にサイズを測り直さなきゃいけないコッチの身にもなって欲しいわね」

「俺だって太ってばかりじゃ無いぞ」

「ええそうね。痩せたり太ったり、あなたは本当に忙しい身体をしているわ」

「いやあ、俺の身体は俺に似てトコトン働き者でな……体重のキープ(休暇を取るの)が難し……痛っ! 刺すな! その爪で刺すな!」

 自分の毒には寛容な彼女も、人の毒(へりくつ)には我慢ならないらしい。肩幅を測っていた彼女の前脚が、直接俺の身体に意見を申し立てている。見えない肩が血だらけになってやしないか、心配になりながらも叫んだ。

「余計な一言が多いのよあなたは……」そう言いながら採寸を再開した彼女は自分で言ったそばから毒を吐く(余計な一言を語る)。

「バストが1m以上あるってどうなのよ。カップもAどころかBカップはあるんじゃないの?」

 などと人の胸を物理的にも精神的にも突きながら言い放つこの毒(セクハラ)に対し、俺は「それはお前に胸というものがな……ごめんなさい」と言いかけた言葉を謝罪で締めた。鋭く尖った前足を高々と持ち上げられては、毒(嫌味)の一つも言えたものではない。

「ホントにもう……はい、終わったわ。じゃ、帰るわ」

 言う成り、織姫(アルケニー)はそそくさと部屋を出て行った。俺が労いの言葉(余計な一言)をかける間もなく。

 溜息一つ付き、俺がベッドに手を付こうとすると……布団の感触とは違った布の感触が。視線を落とすと、ソコには綺麗に畳まれたパジャマが置かれていた。服を脱いでいた俺は直ぐさま袖を通してみたが、サイズはピッタリだ。いつものことだが、前脚による計測の正確性もさることながら、目測による正確性も見事な物だと感心させられる。


【解説】

 一般的には「アラクネ」「アラクネー」とも訳される。

 元々は機織り娘。機織りに関してはかなりの腕を持っていたが、慢心した彼女は「機織りならば、戦いの女神アテナ様でさえも私には勝てないでしょう」と、アテナに対する暴言を吐いてしまう(アテナは戦いだけでなく、機織りも司っている)。これに怒ったアテナは、娘との機織り勝負を挑む。

 この勝負で、アテナは「神々の威光とそれに挑む人間の愚かさ」を織物(タペストリー)で表現したのに対し、機織り娘は「神々の愚行(不倫あるいは災い)を表した」侮辱を込めた作品であった。これに激怒したアテナは織物を破り娘の頬を叩いた(頭を打ち据えた、という話もある)。娘は自信の愚行を恥じて自殺した(あるいは打ち所が悪くて死んでしまったという話も)。

 死んでしまった機織り娘に対し、アテナは彼女を哀れんでまた機織りが出来るようにと蜘蛛の姿に転生させた……という話と、死んでも怒りが収まらなかったため、娘の死体にトリカブトの汁を撒いて蜘蛛に転生させた、という話がある。

 この話はローマの詩人オウィディウスがギリシャやローマに伝わる神話を元に叙事詩として一つにまとめた「変身物語」に収められた話の一つ。上記でいくつか話の結果が違っているのは、訳された本によって微妙に内容が異なっている事や(流石に筆者は原書を読めないので確認できませんでした)、元となっているギリシャの話をオウィディウスが大衆向けにアレンジしたためでもあるらしい(筆者知識不足により詳細は未確認)。

 またアラクネはダンテの「神曲」に、「傲慢」の大罪を戒める一例として登場している。そこでは上半身が女性、下半身が蜘蛛という、現在の日本で馴染みのある姿になっている。だが「仰向けの女性の背中と下半身から蜘蛛の脚が六本(腕も合わせれば八本)生えている」姿で描かれた例もある。ちなみに神曲では「アラーニェ」という名前になっている。

 元々アラクネという名は「蜘蛛」「蜘蛛の糸」という意味がある。また「アルケニー」という名はゲーム「(FC版)女神転生」に登場した悪魔。後のシリーズ作にて、ゲーム内で解説されている内容からアラクネと同一の存在だと確認できるが、アラクネの綴り(Aráchnē,古代ギリシャ語ではἈράχνη)からはアルケニーと読み取ることは出来ないため、女神転生シリーズ独自のネーミングだと思われる。しかし筆者を含め、アラクネをアルケニーと呼ぶファンは少なくない。

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