第8話

「それで、話ってなんだよ」


赤イヴを外に出し、湯船にぐったりともたれ掛かりながら、壁越しに話し掛ける。


「私は、イヴとして生活している間、全く何も出来ない、というわけではないんです。少なくとも、考え事くらいは出来ます」


「それで?」


「……今日一日、イヴの生活を見ていました。イヴの記憶は、私に共有できるんです」


「なんだよそれ、一方的だな。あれか。お前がメインメモリで、イヴが入力装置みたいな関係か?」


「ちょっと何言ってるか分かりません」


たしかに、記憶のない赤イヴには難しい例えだったか。


「あー、そうだな……言ってしまえば、イヴとして情報を取り入れて、赤イヴがその情報を整理、そんでそこから何らかの答えを導き出す、みたいなことだよ」


「……その考え方、意外といけますね」


「それで、今日一日で何が分かった?」


「何が、と言いましても、ほとんど何も分かっていません。まず、私とイヴは二重人格で、イヴが主人格、私が副人格であること。私は不定期にイヴと入れ替わり、短い時間だけ主人格として行動出来ること。このくらいでしょうか」


「あとイヴが圧倒的なゲームの才能があることもな。アカリさんに勝つとは思わなかった」


赤イヴからの返答が途切れる。


「どうした?」


「……いえ。そこに、何か引っかかりがあるんです。何故、イヴがあんなにも強いのか。そのことと、記憶が失くなる前のことについて、なにか関係でもあるんじゃないか……と」


「流石にそれは考え過ぎだろ。なんだ、イヴは記憶を失う前は天才ゲーマーだったってか?」


「……可能性はあるかと思いますが。試しに、近いうちに色々にジャンルをさせてみてください。何か、情報があるかもしれません」


「そうは言われてもな……」


「? どうかしました?」


そう。色々なジャンル、という点において、俺には大きな問題がある。


「……俺、バトルゲーしか持ってないんだよ」


しばし沈黙が場を満たす。


「……まあ、ゲームならどこでもあるんでしょうし、方法はありますよ」


「……ほんと、ごめんな」


「……すみません。そろそろ、戻ります」


「あ、ああ、時間か。部屋に行っててくれ」


「分かりました」


脱衣所の扉の開閉音がして、人の気配がなくなった。


「イヴの正体、か……何がどうなったら、こんなことになるんだろうかね……」


体を洗うために、俺は湯船から一度出た。



「……」


「……」


「……」


三人分の沈黙。現在、俺とイヴ、そして俺が風呂から出る頃にちょうど帰ってきた母さんが、リビングのテーブルで向かい合っていた。


「……あなたが、朱里の言ってたイヴって子ね」


「は、はいっ。イヴ・カーリン・クリステリアですっ!」


イヴの自己紹介の後、しばらくの間、再びの沈黙が続いた。


そして数秒、母さんはイヴを見定めでもするかのように睨みつけ、口元を緩めた。


「これからよろしくね。居候ってことになってるけど、ここはあなたの家で、私たちは家族だと思ってくれていいから。入学手続きも、やっておくから、来週には正式に学生として通えるようになるわ」


「あ、ありがとうございますっ!」


「そんなにかしこまらないで。言ったでしょ、家族だって」


イヴが大きく首を縦に振った。俺は心の中で安堵の溜息を盛大に吐いた。


「蒼。イヴちゃんにはあなたの部屋で寝てもらうけど、ベッドはイヴちゃんに使わせてあげなさい。あなたは押入れの中の客用布団でも使って」


ここで口答えをするとめんどくさいことになるのは、この十五年間の人生で嫌という程知っている。


「へーい……」


素直に返事をしておいた。内心? ふざけんな、俺のベッドの所有権勝手に決めつけんじゃねーよ。


「イヴ、風呂入ってこい。俺は部屋に戻っておく」


「分かりました」


イヴはさっきまで俺がいた風呂場へと向かい、俺は自分の部屋へと戻る。母さんはキッチンに行って、俺の作ったシチューの残りと冷蔵庫の中の豆腐を取り出して、夕飯の準備を始めた。


「……にしても、母さんイヴに甘くないか。俺に対してあんな優しいこと、言ってくれた試しがねえぞ」


階段を上りながら、ぼそりと呟く。


そして、部屋に入る前に朱里の部屋の前を確認する。そして、食器が出されていた。


「食い終わってたか……そういや、イヴのやつ、寝巻き持って行ってなかったよな。ついでに持っていくか……」


一旦部屋に入り、朱里から借りた衣類セットの中から、下着と寝巻きを取り出す。ん? 下着がなんだって? 俺は妹の下着に劣情を抱くような異常者じゃないから。


その時、僅かにギイィ……という音が聞こえてきた。


「……なんだ?」


衣類を片手に部屋を出て、朱里の部屋の前に置かれている食べ終わりの食器を、空いている右手で盆を持って持ち上げる。


すると、ハラリと一枚の紙が落ちた。衣類を脇に挟みながら拾って、中身を確認する。


『死ね、変態』


と、硬筆教室に通っていれば特待生間違いなしの文字で、シャーペンによって書かれていた。


「あら辛辣」


多分、下着を見たことに対してだろう。さっきの音は、朱里がこれを置いて扉を閉める時に鳴った音だろう。というか、透視能力でもあるんだろうか、うちの妹は。


紙をとりあえずポケットにしまい、下へと降りた。


食器をキッチンに置き、とりあえず洗うのは後にして、イヴの寝巻きを脱衣所へと持っていく。母さんはまだ食事中でございました。


脱衣所の入り口のドアをノックする。


「イヴ、寝巻き持ってきたぞ」


『の、覗き魔!』


「覗いてねえし覗かねえよ」


ここでまだと付け加えたならば、まだってことはこれから覗くんでしょう⁉︎ とかになり、結局あらぬ疑いをかけられるだけだ。ついでにラッキースケベもさっき俺が入ってる時に起きたし、ロクなことにならないと分かったので、こんな感じで来たことを告げたのだ。


「椅子の上置いておくぞ」


脱衣所に入り、洗濯機の横に置かれている丸椅子の上に置く。


「んじゃ、のんびり湯に浸かってくれ」


脱衣所を後にして、食器を洗ってから自分の部屋に戻る。ポケットから朱里の渡してきた手紙を取り出し、考え込む。


「……あいつがこんな風に意思を伝えてくるなんて、珍しいこともあるもんだな……まあ、内容はあれだが」


なにが原因でこんなことをしたのかは分からないが、こうしていい方向への変化があったのは喜ばしいことだ。


「さて、今日もゲーム……いや、やめておくか。あのアバター、なんかあまり気乗りする見た目じゃないしな……」


昨日同様、「デスゲーム」をやろうと思ったのだが、新しく作ったアバター(無論女キャラだ)があまり好みではなかったので、あまりやる気が出ないのである。


「……なんか思い出しそうなんだけどな」


「デスゲーム」のことを考えた瞬間、何かが記憶の奥を刺激した。しかし、それを上手く捉えることが出来ず、結局分からずじまいだ。


どうせこのまま考えても悶々とするだけなので、今は諦めることにした。


そう言えば、イヴを見た時に既視感があった。それと今のが、関係しているのだろうか。


「……まあ、思い出せないしいいか」


思い出せないってことは、その程度の思い入れだったってことなのだろう。いや、今日の色々あったせいで忘れてるってこともあり得るが。


「上がりました」


ガチャっという音と共に、イヴが部屋に入ってくる。


「……早いな」


俺が服を置きに行ったのがイヴがリビングを出て五分程度経ってからだ。それから食器を洗ってこの部屋に戻ってきた。


髪は乾かしていないようだから、その分短いのだろうが、朱里が昔風呂に普通に入っていた頃に比べたら、三分の一程度じゃなかろうか。


「髪とか洗ったのか?」


「ん、ちゃちゃっと」


「……っそ」


まあ、本人がいいと言うならいいのだろう。男の俺が気にすることではあるまい。


「蒼、一つ、頼みたいことがあります」


「え、やだ」


「……話くらい聞け、変態」


「俺は変態と呼ばれる行動はとってないぞ」


さっき実の妹にも同じことを言われたが。文面上で。


「まあいいです……取り敢えず、話くらい聞いてください」


「分かったよ、話だけな」


「私に、文字を教えてください」


「うん、なるほどね……」


「で、どうです?」


「ん? 嫌だけど」


「……あなたは人がこうしてお願いしてるのに、拒否するんですか?」


「俺は話だけ聞くって言ったからな。聞いたら受けるとは言ってない。そこんとこ、ちゃんと話を聞いた方がいいぞ」


「……」


すんごい形相で睨んでますね。イヴって最初に描写した通り、ポリゴン体で俺好みに組み上げたみたいに顔が整ってるから、すごく威圧感あるんだよ。ほら、ラブコメでもよく言うじゃないか。顔の整ってる奴の睨みは怖いって。それだよそれ。


「……じゃあ、教えてくれたらなんでもします」


「いまなんでもって言った?」


「なんでもと言っても、私の出来る範囲内ですよ」


「分かってる。じゃあさ、ゲームの上手くなる方法、教えてくれよ」


「……そうは言われましても、私は感覚でやってるので」


「そっかぁ……それじゃあ仕方ない。保留で」


「分かりました……何をしてもいいですけど、犯罪になるようなことはしないでくださいよ」


「大丈夫、命に関わることは言わないから。両者同意なら、命に関わらなければ捕まらないから」


グッドサインを右手で作り、イヴに任せろと言う意思を伝える。伝わったかは微妙だが。


「何を言われることやら……」


「それで、文字を教えて欲しいんだっけ」


「そうです」


「……話せるのに?」


「はい」


「……読み書きできないと?」


「はい。全く読めませんでした、今日の授業で」


つまり、記憶を失った時に言語に関しての記憶はあったけど、文字に関することは全て消えてしまった、ということだろうか。


「……まあ、話せるなら覚えるのも早いか。よし、今晩中に小二までに習う漢字覚えるぞ。まずは五十音からだ」


こうして、俺はイヴに夜が明けるまで教え続けた。

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