第三十七話 山頂を占拠していたもの(ラビエス、パラ、リッサの冒険記)

   

 俺――ラビエス・ラ・ブド――たちが辿り着いた頂上は、ちょっとした森になっていた。ここまで登る間、ずっと岩肌がむき出しだったのが嘘のような植生だ。

「これはこれで……。なんだか面白いですね。自然公園といった感じの趣を感じます」

 パラの言葉は、少し大げさにも聞こえるが……。

 元の世界では、わざわざ山の上に『山頂公園』のたぐいを設置する場合もある。それらは大抵、自然の景観を利用した公園だ。彼女は、そんな感じの施設を思い出しているのかもしれない。

「それより、大黒魔竜とやらは、どこにいるのかしら?」

「山頂で巣作りしているという話だったが……。それも見当たらないな」

 マールとリッサは、パラよりも現実的な感想を述べている。

 そうだ。俺たちは魔竜退治に来たのだった。その大黒魔竜が『風の魔王』の一形態であるという可能性は、もちろんまだ残っているが、もう俺は期待していなかった。おそらく、他の三人も同じだろう。魔竜に関しては、出産とか子育てとかの話もあったが、そんなことを魔王がするとは思えないからだ。

「もしかしたら、この森全体が『魔竜の巣』になっているんじゃないか?」

「なるほど、その可能性もあるわね」

 俺の意見に、マールが同意を示す。

 周囲を見回してみると、ここは『森』ではあっても、それほど木が密集していない部分もある。ちょうど今俺たちがいる場所も、テントを設営するくらいのスペースはあった。

 ならば、魔竜が現れる前に、テントで一休みして回復を……。

 そんなことを俺が思った時。

「来るわ!」

 悲鳴にも聞こえる声で、マールが叫んだ。

 同時に、辺り一帯が異様な気配に包まれる。ダンジョンのボス・モンスターのような、恐るべき強敵が近づいてくるのだ。

 そして、バサッ、バサッという羽ばたきの音と共に……。

 上空から、巨大な黒い竜が現れた。


――――――――――――


「来るわ!」

 マールさんの声のトーンは、私――パラ・ミクソ――が、今まで聞いたことのないものでした。それだけ、今度の相手は強敵だということでしょうか。熟練した冒険者さえも本能的に恐れさせるほどの、大変なモンスターなのでしょうか。

 周囲に立ち込める気配は、ラゴスバット城の近くの洞窟で『炎の精霊』フランマ・スピリトゥと対峙した時を思い出させる感じです。私では「似ている雰囲気」というだけで、あれ以上なのか以下なのか、判別できませんが……。

 大きな翼を羽ばたかせながら、私たちの前に、大黒魔竜が降りてきました。

「バ……!」

 ラビエスさんが、何か言いかけて、その言葉を飲み込んでいます。

 きっとリッサやマールさんには、ラビエスさんが「馬鹿な!」と言おうとしたように聞こえたことでしょう。でも、私は違いました。今のニュアンスは、おそらく……。

「まるで伝説のドラゴンですね」

 私は、ラビエスさんに聞こえるように、そう表現しました。その『伝説のドラゴン』の固有名詞を、彼は口に出しそうになったのだと、私は理解したからです。

 ただし厳密には、こちらの世界で読んだ書物に出てきた『伝説のドラゴン』ではありません。私やラビエスさんが生まれ育った、あちらの世界の『伝説のドラゴン』です。

 だからラビエスさんは、その名前を言うことが出来なかったのでした。あちらの世界の言葉を口にするのは、自分が転生者だと認めることになりますからね。

 問題の『伝説のドラゴン』は、本来どこかの国の神話か何かに出てくる存在で、その起源では、確か巨大な魚の形をしていたはずです。魚がいつのまにか龍となり、さらに『龍』から『竜』に変わったそうです。

 少なくとも、日本の漫画やゲームでは、すっかり翼竜の姿で定着していました。どのゲームや漫画の世界観でも、ほとんどの場合は、その物語の中で最高レベルのモンスターの一匹として扱われていました。もしかしたら、私がこちらの世界に転生してきた後で、日本のゲーム事情も変わっているかもしれませんが。

 ともかく。

 もしもアレと同じような存在だとしたら……。

 それこそ、魔王に匹敵するクラスの強敵です。いや、この大黒魔竜こそが、本当に『風の魔王』だという可能性もあります。その巨大の翼を羽ばたかせることで、巻き起こす風……。それがシンボルとなって『風の魔王』と呼ばれている、と考えるのは無理があるでしょうか。

 私やラビエスさんだけではありません。マールさんも、顔に恐怖の色を浮かべています。おそらく、リッサも……。

 ここでリッサに目を向けた私は、びっくりしてしまいました。

 なんとリッサは、大黒魔竜を恐れるどころか、喜色満面の笑顔になっていたのです!


――――――――――――


 俺――ラビエス・ラ・ブド――は、また失言するところだった。

「まるで伝説のドラゴンですね」

 パラの発言から考えて、おそらく彼女も、俺と同じように、元の世界のフィクションの怪物を思い浮かべているのだろう。

 俺たちの前に降り立った大黒魔竜は、まさに漆黒の翼竜だった。特徴的な翼は、竜巻すら起こせそうなくらいに巨大で、大地を踏みしめる後ろ足には、凶悪な鉤爪も生えている。口には鋭い牙があり、耳と思われる部分は、まるでツノのように鋭く尖っていた。長い尻尾も、それを一振りしただけで人間など撲殺できそうな迫力がある。

 元の世界のゲームや漫画で、お馴染みの怪物だった。その姿形だけでなく、体から発する『魔』の気配だけでも、十分に脅威だと判断できる。だからマールも、俺が今まで見たことないような反応を示していた。彼女は、俺やパラとは違って、大黒魔竜の姿形から連想する怪物などないはずなのに。

 そして。

 突然、パラの顔に浮かんでいた恐怖が、驚愕へと変わった。

 彼女の視線の先に、俺も目を向ける。すると……。

 思いもよらぬリッサの行動を目撃することになった。

 リッサは、大黒魔竜に向かって走り出していたのだ!

「おい、リッサ!」

 止めても無駄だろうと思いながらも、俺は叫んでしまった。

 途中の山道に出現するモンスター相手では、俺やパラの魔法攻撃がメインだったので、武闘家のリッサとしては「戦い足りない」という気分なのかもしれないが……。

 だからといって、いきなり一人で大黒魔竜に突っ込んでいくのは、いくら何でも無謀すぎる!

「パラ! マール! 援護するぞ!」

「はい!」

「当然だわ!」

 俺とパラが呪文を詠唱しようとして、マールが炎魔剣フレイム・デモン・ソードから斬撃と炎を飛ばそうとした、ちょうどその時。

「モコラ! モコラじゃないか! 会いたかったぞ!」

 嬉しそうに大声を上げながら、リッサが大黒魔竜に抱きつく。

「……え?」

 俺たち三人が、唖然として動きを止める中。

 リッサに『モコラ』と呼ばれた竜だけが、彼女の言葉に応じるかのように、「キヒィー!」と鳴いていた。


――――――――――――


 私――リッサ・ラゴスバット――が両腕を広げて駆け寄ると、モコラも翼を広げて応えてくれた。

 その大きな翼で私を包み込んで抱擁するだけでなく、モコラは頭を下げて舌を伸ばし、私の顔をペロペロと舐め回す。

「ははは……。くすぐったいぞ、モコラ!」

 私が知っていた頃のモコラは、ここまで大きな竜ではなかった。それこそ最初の頃なんて、私の手の上に乗るくらいのサイズで、私の指を舐めるくらいしか出来なかったのだ。

「あのモコラが……。こんなに立派に育って……」

 私が初めてモコラに出会ったのは、我が城の裏山だった。モコラだけではなく、私もまだ小さかった頃の話だ。

 最初は、ちょっと変わったコウモリだと思っていた。だから部屋に持ち帰り、ペットにしていた。モコラは私に懐いてくれたので、鳥籠に閉じ込める必要はなかった。勝手に逃げ出す心配もなかったのだ。

 しかしモコラは、私の予想以上のスピードで成長してしまった。大人たちからは手放すように命じられ、最初のうちは抵抗していた私も、モコラが馬を超えるサイズになる頃には「これ以上は手元に置いておけない」と思うようになっていた。その頃には私も、モコラがコウモリではなくドラゴンの赤ちゃんだったことを理解していた。

 別れの日には、ただ寂しいだけでなく、「人間と暮らしていたモコラがドラゴンの仲間のところに戻れるのだろうか」と心配だったのだが……。

「モコラにも、帰れる場所があったのだなあ。こんなに嬉しいことはないぞ」

 私の言葉が通じたのだろう。モコラは、再び「キヒィー!」と声を上げた。


――――――――――――


「そういえば、言っていましたね。子供の頃にモコラというドラゴンを飼っていた、って……」

 パラの言葉を聞いて、俺――ラビエス・ラ・ブド――も思い出した。

 先ほどからリッサが連呼している『モコラ』という名前。どこかで聞いた覚えがあると思ったら、リッサのペットの話で出てきたドラゴンの名前だった。

 ということは、俺たちの目の前にいる大黒魔竜を、かつてリッサはペットとして飼い慣らしていたことになる。いやはや、伯爵家の姫様のやることは、なんともスケールがでかい。

 姿形の恐ろしさに加えて、異様な魔気を撒き散らしている大黒魔竜なのに、リッサの顔を舐め回す様子は、まるで飼い主にじゃれつく大型犬のペットのようだ。いや、その危険度を加味するならば、狼を犬扱いでペットにしていたようなものだろうか。

「ラビエス、ありがとう。おかげで、私はモコラと再会できた」

 突然リッサが、竜のヨダレだらけの顔をこちらに向けて、俺に礼を述べてきた。

 一瞬、意味がわからなかったが、先ほどの「リッサがドラゴンを飼っていた話」を思い出して、理解できた。厳密には、その逸話そのものではなく、それをリッサが俺たちに語った時の出来事だ。あの時「どこかでモコラというドラゴンに会ったことないか」と尋ねてきたリッサに対して、俺は「自分で冒険の旅に出て探せ」と返したのだった。

 なるほど、結果的には、リッサは俺のアドバイスを守ってモコラと再会できた、と言えるのかもしれない。今回の旅の目的は、別に『モコラ探し』ではなかったのだが。

「それにしても、凄い偶然ですね! まさか大黒魔竜が、リッサの会いたがっていたドラゴンだったとは……。こういうのを、日頃の行いが招き寄せた幸運と言うのでしょうか」

 リッサの『日頃の行い』云々は別として、確かにパラの言う通り、この出会いは『偶然』だ。誰も、ここでリッサがペットと再会するなんて、思っていなかったはずだ。おそらく、当のリッサでさえも。

 そもそも、俺たちがガイキン山に登った目的は……。

「ねえ、リッサ。感動の再会はそれくらいにして、そろそろ、そのドラゴンに事情を説明してくれないかしら? 私たちは、ドラゴンとは意思疎通できないから……」

 まるで俺の頭の中を覗いたかのように、タイミング良く、マールがその話を持ち出してくれた。

「そうですね! リッサのお知り合いというなら、魔竜退治なんて出来ませんから。ちゃんと話して、山から退去してもらわないといけません」

「そうそう。リッサ、頼む」

 パラと俺にも言われて、リッサも、ようやく本来の目的を思い出したらしい。抱きしめていた大黒魔竜モコラから、いったん離れて、

「ああ、そうだった。なあ、モコラ。実は、麓の村の人々が……」


 リッサの説明を聞いて、モコラは首を動かしながら鳴き声で応えている。俺たち三人には、相変わらず「キヒィー!」としか聞こえないのだが、かつての飼い主であったリッサとは、十分会話が成り立つらしい。

 しばらくの『会話』の後。

「話がついたぞ」

 リッサが、今度は俺たちに向かって、モコラ側の事情を説明し始めた。

 モコラとしては、あくまでも産卵のために、この山に立ち寄っただけであり、それほど長居したいとは思っていなかった。しかし、モコラの種族のドラゴンは、産卵の後も、卵が孵化して雛竜が飛び立てるようになるまでは、その場に留まって見守るのが慣例なのだそうだ。だから、この山頂一帯を雛たちの住処として、彼らの独り立ちを待っていたのだという。

「ちょうど今朝、最後の一匹が巣立っていったそうだ。だから、そろそろ山を離れようと思っていたのだが、上空から私の姿を見かけて、慌てて戻ってきた、と言っている」

 リッサは、モコラの首を「よしよし」といった感じで撫でながら、俺たちに語った。

 その話が本当ならば、俺たちが来ようが来まいが、この大黒魔竜は今日で山を去るはずだったことになる。

「ここまでの登山は、なんだったんだ……」

「まあ、良かったじゃないの。一応、この山にいたのは魔王ではなかった、という確認が取れたわけだし」

 疲れた口調の俺に、マールが慰めの言葉をかけてくれた。さらにリッサが、

「おお、ラビエス。帰り道はラクできるぞ。モコラが、私たち四人を下まで運んでくれるそうだ」


「ここ……で良いのですか?」

「ああ、そうだ。その突起に掴まるように、とモコラは言っている」

 恐る恐るといった様子は、パラだけではない。

「大丈夫なのかしら。怒って私たちを振り落とすなんてこと、本当に、ないのよね?」

「安心してくれ。私が保証するぞ。モコラを信用してやってくれ」

 マールも、少しビクビクしている。

 そもそも俺は、リッサがモコラの意思を正しく通訳できているのか、そこが一番心配なのだが……。

 ともかく。

 俺たちは、リッサに促されて、魔竜の背中に乗った。

 正面から見た時は気づかなかったが、背中には、背骨に沿って小さな突起が並んでいた。一部のトカゲのように、爬虫類でも背びれを持つ種族がいるのだから、これもそうなのだろう。いや翼竜が爬虫類に分類されるのかどうか、俺も知らないが、なんとなくドラゴンといえばトカゲの仲間というイメージがある。

「では、出発するぞ!」

 リッサの掛け声で、魔竜は山頂から飛び立った。

「うわっ」

 パラが小さく悲鳴を上げている。

 仲間の様子に目を向ける余裕はなく、とにかく俺は力いっぱい、背びれっぽい突起にしがみつくしかなかった。モコラに俺たちを振り落とす意志はなくても、自然に落ちてしまいそうなのだから。何しろ今の俺たちは、飛行機の座席ではなく屋根の上に乗っているような、極めて不安定な状態で座っているのだ。

 そんな中、モコラの友人であるリッサだけは、この飛行フライトを楽しんでいた。

「ははは! 空を飛ぶって、気持ちの良いものだな! モコラ、これがお前の見ていた景色なのか……。ああ、今なら同じものが、私にも見えるぞ!」

   

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