第五話 転生者同士の邂逅(パラ、ラビエスの冒険記)

   

「こちらに腕のいい白魔法士がいると聞いて、スカウトに参りました! 私と一緒にパーティーを組んでください!」

 口に出した瞬間、私――パラ・ミクソ――は少し後悔しました。

 目の前の『若先生』が、わずかに顔を曇らせたからです。

 もしかしたら「スカウトに参りました」という言い方が、失礼だったのでしょうか。こちらが上の立場であるかのように、聞こえてしまったのかもしれません。

 あまり下手したてに出るのは十二病らしくないかと思って、敢えて、ああ言ったのですが……。素直に「あなたのパーティーに入れてください」と頼み込むべきでした。

 慌てて言い直そうとした途端、

「ごめんな。俺にはマールっていう相棒がいるから。相棒と二人で冒険者やってるから。他をあたってくれ」


――――――――――――


 俺――ラビエス・ラ・ブド――は、目の前の少女に向かって、はっきりと拒絶の意志を示した。名前もわからないので、とりあえず心の中では『ロリ巨乳』と呼ぶことにしよう。

 だいたい、この『ロリ巨乳』は「腕のいい白魔法士がいる」なんて話をどこで聞きつけてきたのだろう?

 確かに、治療師としては「腕がいい」と言われることもある。だがそれは、元の世界のウイルスの知識があるからに過ぎない。この世界の病原体をプラス型とマイナス型の二つに判定できるようになったのも大きいが、それだって、元の世界での細菌培養の経験を活かした上でのものだった。

 しかしこれらは、あくまでも治療師の時にしか活かせない。『治療師』としては、他人より上手く病原体を解毒できる自信もあるが、『冒険者』としてモンスターから毒を受けた際に解毒するのは、人並み程度。いや、元々この世界のモンスターの知識が乏しい分――『思い出した』記憶でしか知らない分――、上手くイメージできなくて、ひょっとすると他人より下手かもしれない。

 回復魔法にしたって、似たようなものだ。モンスターから受けたダメージを、上手くイメージすることにより、少ない魔力で一気に大幅に回復できる白魔法士もいるそうだが……。そんな能力、俺には全くない。

 だから「腕のいい白魔法士」として俺をスカウトに来ること自体、大きく間違っている。完全に過大評価だった。


 そもそも。

 俺は、過大評価されるのが大嫌いだ。

 以前に元の世界での職場の話をした際、二度目の職場に関しては『頓挫した』としか言わなかったが……。

 その職場は、俺が雇われる少し前まで、知り合いの女性が研究員として働いていた研究室だった。彼女は疫学者としてウイルス関連の研究分野に入ってきたのに、そこでは分子生物学的なウイルスそのものの研究を任されており、かなり専門外の仕事をしている状況だった。むしろ俺の専門に近いため、俺は彼女に基本的なアドバイスをすることが何度もあり、助言が良い結果に繋がることも多く、その時は俺も一緒に喜んでいた。

 そうした経緯で、研究室のボスは俺のことを聞き知っていたため――直接の面識はなく彼女から話を聞いていただけだが――、ボスは俺にかなり期待していたらしい。

 だから期待が大きかった分、期待通りの研究成果を上げられなかった俺に、いたく失望したようだった。


 過大評価されて、期待されて、失望される……。

 全部『受け身』で表現すると、まるで相手に責任転嫁しているように見えるかもしれないが、もちろん根本的な責任は俺自身にあると理解している。

 過度に期待されたならば、それを実現するよう、頑張ればいいだけだ。そうやって人は実力以上を発揮することもあるだろうし、実際、俺自身も過去に似たような経験はあった気がする。

 ただ、この時は頑張れなかった。ただ、それだけだ。

 この『過大評価されて、期待されて、失望される』という経験は、仕事の上では初めてだったわけだが……。

 この時、俺は「これって恋愛にも当てはまるのではないか?」と気づいた。なぜ自分が今まで女性に振られてきたのか、その理由を悟ったような気がしたのだ。

 中学高校は男子校だったので女っ気もなかったが、大学入学後しばらくして、普通に女性と会話できるようになってからは、人並みに恋愛をすることも出来た。出来た、のだが……。

 せっかく付き合うところまでこぎつけても、すぐに振られてしまう。「思っていた感じと違う」とか「もっと優しい人だと思ったのに」などと俺は言われてしまい、女性は去っていくのだ。

 今にして思えば、これも『過大評価されて、期待されて、失望される』だったのではないだろうか。

 好きな女の子の前では、無意識で『いい人』を演じてしまい、結果、相手から過大評価される。それが付き合い始めると、無意識で演じていた部分が消えて、自然に素の自分を――等身大の自分を――さらけ出してしまう。

 そりゃあ女性にしてみれば「こんなはずじゃなかった」と思うわけだ。うん。


 俺だって、良く思われるのは嬉しい。高く評価されるのは嬉しい。

 しかし一歩その度合いを間違えれば、その後に大きな『失望』が待っているのだ。

 これは元の世界でも、この世界でも、同じことだろう……。


 一瞬の間に、そうやって色々考えてしまったので、おそらく今、俺はかなり苦い顔をしているに違いない。

 しかし俺の内心なんて『ロリ巨乳』にはわかるまい。すがるような目つきで、彼女は食い下がってきた。

「でしたら、私をあなたのパーティーに加えてください! 相棒と二人で……ということは、つまり二人だけのパーティーですよね?」

「ああ。でも二人で十分さ。マールは昔からの相棒……幼馴染だからな」

 俺は無理して、少し笑ってみせた。『ロリ巨乳』だって、笑顔で「幼馴染と二人きり」なんて言われたら、自分が割り込む隙はないと悟るはず……。

 そういう狙いだったのだが、

「……攻撃力を増やすためにも、もう一人、欲しくないですか?」


――――――――――――


「ああ。でも二人で十分さ。マールは昔からの相棒……幼馴染だからな」

 私――パラ・ミクソ――に対して、最初は暗い顔だった『若先生』も、ようやく少し表情が明るくなりました。

 やはり「スカウトに参りました」という上から目線ではなく、真摯に「あなたのパーティーに加えてください」と頼み込んだのが、いくらか功を奏したようです。

 ならば、このタイミングを逃さずに、もう少し押してみましょう。

「……攻撃力を増やすためにも、もう一人、欲しくないですか?」

 頑張って私は、自分を売り込むことにしました。

 しかし、

「いや、たった今『二人で十分』って言ったろ」

 その表情とは裏腹に、『若先生』の返事は、冷たい言葉でした。よく見れば、彼の『笑顔』も、笑顔にしては若干、表情が硬いような気がします。

 少し考えてみましょう。

 以前に私は、魔法学院を卒業して冒険者になることを「大学卒業後にサラリーマンになるようなもの」と例えましたが、ならば既存の冒険者パーティーに入れてもらおうとするのは、それこそ就職面接みたいなものではないでしょうか。

 私は大学に入ってすぐの段階でこちらの世界に来たため、あちらの世界で、就職面接は経験していません。ですが、就職面接ならば自分のセールスポイントをアピールするのが大切……ということくらいは知っています。

「こう見えても私、攻撃魔法の威力には自信あるのです。学院では『呪文詠唱が美しい分、魔法の威力も凄まじい』と評判でした」

 嘘ではありません。まあ「凄まじい」という表現まで使うと、さすがに少し言い過ぎな感じもありますが……。就職面接で長所を強調していると考えれば、この程度の誇張は許されるはずです。

「そう言われてもなあ……」

 顔をしかめながら、『若先生』は首を横に振りました。

 このままでは『若先生』と一緒に冒険できません。まあ本当の目的は冒険そのものではなく、一緒の時間を過ごすことを通じて、転生者同士で仲良くなりたい――似たような境遇同士で語り合いたい――ということなのですが……。

 それこそ難しそうです。どう見ても『若先生』は、こちらの世界の人間のふりをしています。先ほどから口にしている『幼馴染の相棒』の件にしたって、まるで「俺はこの世界で生まれ育ったんだぞ。共に生まれ育った人がいるくらいだぞ」と主張しているみたいです。まさか、その幼馴染も同じ転生者だなんて――幼馴染と一緒に転生してきたなんて――偶然はないでしょうし。

 せめて、今『若先生』と二人きりならば……。私が誤解していたように、ここが『若先生』だけの治療院だったならば、この場で「実は私は……」と転生話を切り出すことも出来たかもしれません。しかし、この場には、もう一人いるのです。

 そう思いながら、そのもう一人――初老の先生――に、ちらっと視線を向けました。

 それで一瞬、目が合ったせいでしょうか。今まで黙っていた彼が、横から会話に入ってきました。

「悪いが、帰ってくれんかのう。ここは治療院じゃからな。怪我もしていないのに、怪我人の格好をされても困る」

 続けて、少し悪戯イタズラっぽく、

「言っておくが、十二病は回復魔法でも治せんぞ」

 なんということでしょう。

 これはチャンスです。

 十二病に言及してもらえました。これなら、自然な形で、異世界転生の話が出来そうです。

 右目の眼帯を指し示しながら、

「いや、先ほども言ったじゃないですか。これは、あくまでもファッションなんですよ」

 私は作り笑顔で言いました。

 しかし、続いて異世界転生設定の話を……と思ったタイミングで、

「健康なのにずっと片目だと、目を悪くするぞい」

「いやこれ、ちゃんと小さな穴がたくさん空いてるんで、普通に見えます」

 眼帯を外して、初老の先生に手渡しました。彼は手にとって吟味しているようですが、どうぞ勝手にやってください。そもそも元々の『パラ』が用意したものなので、詳しく私に聞かれても困ります。

 これ以上そちらの方向に話が広がらないように、急いで路線を戻しましょう。

「……まあファッションとは言っても、表面だけ真似るのも良くないでしょうから、一応、設定は作り込んでいます」

「設定?」

 都合よく『若先生』が反応してくれました。今度は上手くいきそうです。

「はい、設定です。他の十二病の方々が信じているような、前世の記憶を思い出した……みたいなやつです。私の前世は、異世界人ということにしてあります」

 ここで私は、少しだけですが、思わず頬が緩みました。ようやく、あちらの世界から来たことを話題に出せるからです。

「設定では、私は、キョートという異界の地から転生してきた……ということになっています」

 あちらの世界の具体的な固有名詞――京都キョートという地名――を、話に持ち出しました。

 さあ、これに対する『若先生』の態度は……。


――――――――――――


「……まあファッションとは言っても、表面だけ真似るのも良くないでしょうから、一応、設定は作り込んでいます」

「設定?」

 俺――ラビエス・ラ・ブド――は、条件反射的に思わず聞き返してしまった。

 それほど興味があるわけでもなかったのに。

「はい、設定です。他の十二病の方々が信じているような、前世の記憶を思い出した……みたいなやつです。私の前世は、異世界人ということにしてあります」

 にやりと笑う『ロリ巨乳』。

 ほら見ろ、と俺は思った。

 十二病的な設定を作り込み、その妄想を語る上で、笑みがこぼれる……。それが演出の『にやり』であるにしろ、「こういう話をするのは楽しい」という気持ちの表れにしろ、どちらにしても十二病そのものじゃないか。

 この『ロリ巨乳』は、自分では「ただ十二病の格好をしているだけ」と思っているかもしれないが、既に立派な十二病だ。

 俺がそんなことを考えているとも知らずに、彼女は『妄想』の話を続けていた。

「設定では、私は、キョートという異界の地から転生してきた……ということになっています」

 彼女の言葉を耳にした途端。

 俺は、ぽかんと口を開いてしまった。「あいた口が塞がらない」という表現は、こういう心境の時に使う言葉なのだろう。

 キョートから転生してきただと……?

 それ設定じゃなくて、真実じゃないか!

 まさか偶然で、京都キョートという地名――俺の元の世界に実在する地名――が出てくるとは思えない。

 この『ロリ巨乳』……。妄想を語る典型的な十二病娘などではない、というのはわかったが、俺の彼女に対する評価は、むしろ大きく下がった。

 迂闊に元の世界について話す少女なんて、駄目すぎる。


 冒険者組合で、掲示板の文通相手募集コーナーを見て、俺のような転生者が他にもいることは既に知っていた。

 しかし実際に出会ったのは、これが初めてだった。

 思えば。

 元の世界で海外勤務中に日本人と知り合った時は、ウマが合う合わないに関わらず、無条件で嬉しかったものだが……。

 似ているようでも、それとこれとは、まったく状況が違う。

 そもそも。

 この世界で『ラビエス』として生きていく上で、俺が一番やってはいけないことは「マールを失望させること」だと考えている。

 何度も俺は、自分自身に問いかけることがあった。もしも彼女が真実――実は俺は『ラビエス』ではないという事実――を知ったらどうなるのだろう、と。

 その度に俺は、自分自身に答えてきた。おそらく、彼女は強く失望するだろう、と。海よりも深く山よりも大きく落胆するだろう、と。

 そんなマールの姿は、けっして見たくない。「正体がバレたら俺自身が困りそう」という打算的な考えよりも何よりも、俺はマールが悲しむ姿を見たくない……。そう思ってしまうのだった。

 だから。

 そうした状況を生む危険性――秘密が露見する可能性――がある以上、なるべく転生者は遠ざけておきたい。

 特に、自分から異世界転生を口にするようなバカタレとは近づきたくないのだ。

 まあ「本気で信じているのではなく、ファッションに合わせて作った設定」として微妙に誤魔化しているあたり、この『ロリ巨乳』は、文通相手募集で転生を公言する連中より少しはマシかもしれないが……。それでも十分危険な存在だろう。


 まさかとは思うが……。

 この『ロリ巨乳』は、俺も同じ転生者だと知った上で、俺に近づいてきたのだろうか?

 そして、カマをかける意味で――確認する意味で――「京都キョート」と言ったのだろうか?

 だとしたら、今の俺の反応で、完全にバレてしまったかもしれない……。

 いや、そもそも「俺も同じ転生者だと知った上で」という前提がおかしい。今まで俺は正体がバレるような言動はしていないし、万一ミスしていたとしても、この村に来たばかりの『ロリ巨乳』がそれを知る機会はなかったはず……。


 どちらにしても。

 彼女と親しくなるわけにはいかない、という結論に変わりはない。

 突き放すように、俺は軽い口調で、適当に返してみせた。

「そうかい、頑張って設定してるんだな。まあ、そういうの俺は興味ないけど」


――――――――――――


 彼は、口では「興味ない」と言っていますが……。

 私――パラ・ミクソ――は見ました。明らかに衝撃を受けたような姿を。

 京都キョートという単語を聞いて、唖然としたようです。そんな態度を見れば、もう間違いありません。

 やはり、彼は転生者――それも私と同じ世界から来た人間――です。

 もともと広場で果物屋さんから話を聞いた時点で確信していましたが、100%の確信が200%に変わりました。

 ただし「興味ない」と言い切られた以上、今これ以上この場で、あちらの世界について話すのは無理そうです。

 望んでいたほど『若先生』と語り合うことも仲良くなることも出来ませんでしたが、今日のところは、彼が私と同じような境遇だと確認できただけで良しとしましょう。

 そうやって自分を納得させれば、落胆半分、満足半分といった感じです。ですが「興味ない」と言われて喜ぶのも変なので、

「そうですか。では、今日はこれで帰りますが……」

 わざと私は、大きく肩を落としてみせました。ちょうど、初老の先生も私に眼帯を返してきたので、もう帰るタイミングでしょう。

「パーティーに入れてもらうのは、諦めませんよ。また来ます」

 そう続けて、彼に背を向けました。

 まあ、がっかりした素振りは、大げさなだけで嘘ではないですからね。語り合う時間を作るためにも、冒険者パーティーに加えて欲しいのは、私の本音ですから。


――――――――――――


 ようやく帰ってくれる『ロリ巨乳』。だが、最後に「また来ます」と言い放った彼女の姿は、酷く残念そうだった。少し可哀想に思って、つい俺――ラビエス・ラ・ブド――は、声をかけてしまった。

「冒険に行く時は、広場でマールと待ち合わせてるから。見かけたら声をかけてくれ。マールさえ気にしないなら、一緒に連れて行ってやるよ」

 自分で言っておきながら、俺は後悔した。この『ロリ巨乳』、なるべく俺やマールから遠ざけておきたいはずなのだから。

 にもかかわらず、こんな発言をしてしまったのは……。

 おそらく、俺の悪い癖なのだろう。別れ際に悲しそうな背中を見せられると、つい引き止めてしまうのは。

 昨日『白亜の離宮』の前でマールとの別れ際、残念そうな後ろ姿に思わず声をかけてしまい、立ち話を長引かせたのと同じなのだろう。

 まあ、しかし。

 今回の場合、咄嗟の失言ではあっても、ちゃんと「マールさえ気にしないなら」と付け加えたのは、無意識のうちに頭が回っていたようだ。

 おそらく、マールは『気にする』だろうから。

 これまでずっと俺たちは二人きりで冒険してきたわけだし、そもそもマールは、前世の記憶云々を口にする十二病を、良くは思っていない感じだった。ちょうど昨日、冒険者組合の掲示板の前で、貼ってあるメッセージを見て少しそんな話題になったが、あの時も好印象とは逆方向な態度――悪印象というほどではないにしても――に見えた。

 だからマールが『ロリ巨乳』の姿を――典型的な十二病の格好を――見れば、第一印象で「一緒には行かない」になりそうだ……。

 そんな俺の考えなど当然知らずに、帰りかけていた『ロリ巨乳』が、一瞬だけ足を止めて振り返る。

「……ありがとうございます!」

 よほど嬉しかったのだろうか。満面の笑みを俺に見せてから、彼女は帰って行った。

 それを見届けた俺は、ため息をひとつ。

「はあ……」

「よかったのかのう? 最後に、あんなことを言いおって」

 フィロ先生が声をかけてくれたが、

「まあ、あれくらいなら大丈夫でしょう。偶然会った時には、その時だけ一緒に冒険を……という意味ですから」

 たいした問題ではないといった調子で、俺は軽く笑ってみせた。


――――――――――――


「冒険に行く時は、広場でマールと待ち合わせてるから。見かけたら声をかけてくれ。マールさえ気にしないなら、一緒に連れて行ってやるよ」

 背中に投げかけられた言葉に、思わず私――パラ・ミクソ――は立ち止まりました。

 あんなにばっさりと断った『若先生』が、パーティー加入の件について、少し考え直してくれたようです。

 特に上手に私がアピールしたわけではありません。むしろ、私の猛アピール中は「駄目だ」という態度が続いていました。

 それでも、最後の最後で、こう言ってもらえたのですから……。

 おそらく『若先生』は優しい人なのでしょう。気が進まないことでも丁寧に頼まれたら引き受けてしまうような、そんな優しい人なのかもしれません。

 そうした彼の優しさを想像すると、自然に表情が緩みました。他人の優しさに触れると心が温かくなるものですが、それが「異世界で」「同じ世界から来た人の優しさに」ともなれば、なおさらです。

「……ありがとうございます!」

 感謝の気持ちを笑顔に乗せて、私は治療院を後にしました。

 もともと「一緒に冒険を」という話は、仲良くなって色々と語り合う時間を作るための、半ば口実みたいなものでした。

 しかし、今。

 純粋に、この人と一緒に冒険をしてみたい……。そう思うようになりました。

 そんな『若先生』に対して、

「……しまった!」

 私が自分の名前すら告げていないと気づいたのは、しばらく歩いた後のことでした。


 そして、一夜明けて……。

 イスト村で迎える、初めての朝がやって来ました。

 ベッドから飛び起きて、

「清々しい朝です!」

 自分に対して叫びながら、窓のカーテンを開けます。

 おやおや。

 残念ながら、天気は私の心境を反映してはくれませんでした。晴れ渡る青空ではなく、少し灰色がかった曇り空が広がっています。

「……」

 でも雨が降るほどではなさそうなので、気にしないことにしましょう。

 まず寮の食堂へ行き、簡単に朝食を済ませてから自室に戻り、荷物の中から讃美歌集を取り出しました。

 今日は日曜日なので、村の教会まで出かけて、朝の礼拝に参加しなければなりません。


 この世界には魔法が存在していますが、魔法とは神様への祈りだそうです。神様にお願いして、神様の力を借りるのです。例えば風魔法なら風の神様に、炎魔法なら火の神様に、それぞれお願いすることで、魔法――自然現象やら物理法則やらを覆すほどの力――が発動する……。そんな仕組みになっているそうです。

 そのため、こちらの世界の人々はあちらの世界の人々以上に信心深く、特に魔法士の信仰心は他の人々よりも強くなっています。魔法学院でも、学院内に専用の教会が設置されていたくらいで、日曜礼拝は全員参加でした。

 初めて参加した時には、「これって私がいた世界の、キリスト教の日曜礼拝みたいなものかな」と感じたものです。

 あちらの世界での私は、ごくごく一般的な日本人であり、別にキリスト教徒ではありませんでした。礼拝にも参加したことはありませんでしたが、趣味の合唱において宗教曲――賛美歌やミサやレクイエム――を歌う機会は何度もありましたから、普通の人よりはキリスト教を身近に感じていたかもしれません。

 だから、こちらの世界で日曜の礼拝に通う習慣も、抵抗なく受け入れることが出来ました。とはいえ、いまだに、心の底から神様を信じているわけではありませんが。


 賛美歌集――小さいけれどかなり分厚い冊子――を手にして自室から出たところで、ちょうど隣の部屋のドアが開きました。

 昨日少しだけ顔を合わせた、白赤の皮鎧の女性――私が『巫女さん』と呼んでいる人――が出てきます。

「おはようございます!」

 努めて明るく、私は挨拶しました。

「……おはよう」

 一応『巫女さん』は挨拶を返してくれましたが、ぶっきらぼうな口調です。

 でも、私は見落としませんでした。私と同じく『巫女さん』も、賛美歌集を左手に抱えています。彼女も今から教会へ向かうのでしょう。

「これから朝の礼拝ですか?」

「……ええ、そうよ」

「では、御一緒しても構いませんか? まだ私、この村の教会の場所を知らなくて……」

 教会の場所については「みんな行くだろうから、誰かしら賛美歌集を手にした人を見つけて、ついて行けばいい」くらいに考えていたのですが、ちょうど良い機会です。お隣さんに同行すれば、少しは彼女と親しくなれるかもしれません。

 断られるかとも思いましたが、彼女は少し顔をしかめながら、

「まあ、案内するくらいなら構わないけど……。途中で少し寄り道するわよ?」

「いいです。むしろ嬉しいです」

 私は笑顔で答えました。

「……それはそれで、教会以外の場所も案内してもらえることになりますから」

「……?」

 少し不思議そうな顔をされたので、説明します。

「まだ、イスト村に来たばかりなので。村のあちらこちらを、少しでも知りたいです」

「ああ、そうね。昨日引っ越して来たばかりだものね」

「はい。まだ右も左もわからない状態でして……」

 こうして話をしてみると、第一印象よりも気さくな感じの女性です。

 穏やかに言葉を交わしながら、私たちは女子寮を出ました。

 その足で『巫女さん』は広場へと歩くので、私もついていきます。広場の一角にある噴水の方へ向かっているようです。

「仲間と待ち合わせているの」

 初めて彼女は笑顔を見せました。その『仲間』というのは……もしかすると恋人さんでしょうか?

 そういえば、昨日『若先生』も「冒険に行く時は広場で幼馴染と待ち合わせ」と言っていました。この村では広場で待ち合わせるのが一般的なのかもしれません。

 確かに、ざっと見た感じ、待ち合わせらしき人々が何人もいるようです。ならば、どこかに『若先生』もいるかもしれない……。そう考えて、白いローブの人物を探して、少し見回すと、

「おーい!」

 噴水の縁石に腰掛けている人物が、こちらに向かって手を振ってきました。

 これが『巫女さん』の待ち合わせ相手なのでしょう。

 昨日の『若先生』のような白いローブではなく、薄茶色の皮鎧を着ています。

 そう、皮鎧姿なのですが。

 近づいて、よくよく顔を見ると、その人物は……。


――――――――――――


 曇天の日曜日。

 俺――ラビエス・ラ・ブド――は、いつものように広場の噴水前で、マールと待ち合わせをしていた。

 ただし、今日は冒険に行くわけではない。教会の日曜礼拝に行くのだ。白ローブは治療師仕事の時だけと決めているので、ダンジョン探索ではなくとも、皮鎧の方を着ている。

 ぼうっと待っていると、風に乗って、女性の話し声が聞こえてきた。

「おや? あれは……」

 存在感のある、それでいて澄んだ声。

 俺が聞き間違えるはずのない、マールの声だ。

 しかし、俺との待ち合わせに、彼女が誰かと喋りながら来るというのは珍しい。

「おーい!」

 声を上げて手を振りながら、少し「誰と一緒に来たのだろう?」と考えてしまう。

 そういえば、一昨日マールは「隣に新しく入居者が」と言っていたっけ。「たまたま会えば挨拶する程度」と言っていたが、実際には、親切にも世話を焼いているのか。あるいは、本当に偶然出くわして礼拝に同行する流れになったのか。

 ……などと思考を巡らせているうちに、二人が近づき、同行者の姿が具体的に見えてきた。

 つばの広い、黒いとんがり帽子。そして、黒いローブ。小柄な女性で、帽子の下の金髪を左右で短く束ねていて……。

「……まさか」

 格好だけで十分で、もう顔を見るまでもなかった。

 さらに近づいて来たところで、はっきりと顔も確認できたが、外れて欲しかった予想――服装からの判断――は外れてくれなかった。

 マールが連れてきた女性は……昨日の『ロリ巨乳』だったのだ。

   

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