第3話 担当編集「斎藤とどめき」
彼女から差し出された手を、俺は取らなかった。
物怪ちゃんはちょっとの間、俺に手を差し伸べていたが、ふっと興味を失った顔をするとどこからか取り出した光る板を――多分スマホというやつを、ぺぺっと操作して、耳元へと近づけた。
ぷるるるる、と間抜けな音が響くこと七回。一向に反応のないスマホを物怪ちゃんはにらみつけ、むすっと唇を尖らせた。
「うーむ、職務放棄かあ」
俺は立ち上がり、不服そうな彼女のつむじを見下ろす。彼女はスマホの側面にのボタンをかちっと押し、画面を暗転させた。
「仕方ないのでこちらから向かいましょっか、徒労さん!」
踊りだしそうなほど軽い足取りで物怪ちゃんは壁に向かい、ぺたりと手帳の一ページを貼り付けた。その途端、そこに現れたのは、木製の今にも壊れそうなほど古いドアだった。
「担当さんめ。あとで会ったらお説教です! けちょんけちょんになるまで貶してあげなきゃですね! ああ、嘘です。そんなひどいことしませんよ?」
どこに向かうのか。そんな疑問を挟ませず、彼女は事務所から出ていってしまった。慌ててその後ろを追いかけると彼女は振り返って、後ろ歩きをしながら尋ねてきた。
「そうそう、徒労さん。一つ気になっていることがあるんですが」
「何だ」
「モノって一体何なんです?」
物怪ちゃんは可愛らしく小首をかしげてくる。知らないはずがないくせに。だがそれを指摘するのも面倒で、俺は投げやりに言った。
「モノはモノだろう。人間とは少しかけ離れた、物の怪やアヤカシ、あるいは神と呼ばれた存在の末裔」
そして、元号改正によって存在の在り方を変えられそうになっている儚き者たち。
視線を伏せる俺に、彼女はぱちぱちと手を叩いてきた。
「おお、すごいですね。初耳です」
「……どうせそれも嘘なんだろう」
「いえいえ本当ですよ。私はあらゆることに無知なんです」
くるりと反転し、物怪ちゃんは前を向いて歩き出す。
「分かりやすい嘘だな」
「ええ、嘘です。何もかも知っていますとも。だってあなたの存在は私が握っているんですから」
心臓をつかまれたような感覚がして、俺は小さくうめく。
「何でも知っていますよ。あなたの年齢、身長、体重、出身地から女性経験まで」
聞き捨てならないことを言い放たれ、俺は流石に彼女を制止しようとする。その直前に彼女は振り返り、指を組ませながら心底哀れに思っているという表情でこちらを見上げてきた。
「二十三歳で恋人がいるのに手を出したこともないのは流石に不健全ですよ?」
怒鳴り散らしたい衝動が全身を駆け巡った。だがここは往来だ。行き倒れる前のようなことになるのは避けたい。
俺はぎゅっとこぶしを握り込み、震えながら彼女を見下ろすことしかできなかった。
物怪ちゃんがやってきたのは、とある出版社のようだった。入り口に掲げられた会社名は「等々出版」。うっすらと聞いた覚えのある会社だ。相当大きな出版社なのだろう。
普通なら彼女のような少女が入れる場所ではないはずなのだが、彼女はさっさとそのビルの中へと入っていってしまった。
「小説家の
「はい、ウソツキ様ですね。そちらの方は?」
「新しい下僕です。お気になさらず」
お気になさるんだが。
受付の女性とそんな適当な会話をすると、物怪ちゃんはさっさと奥に進み、エレベーターのボタンを押した。
エレベーターが止まったのは七階だった。ドアのプレートを見るに、編集部のようだ。
「担当さんを出してください」
ドアを勢いよく開いた物怪ちゃんは、開口一番そう言った。編集部の人々は一瞬びくっとなった後、彼女から逃れるように目をそらして自分の仕事に戻っていった。
「担当さーん! 担当の斎藤とどめきさーん! いるのは分かってるんですよー!」
わざとらしく口元に手を当てて、彼女は叫ぶ。
「出てこないと、担当さんが中学生の時に書いた中二病ノートの設定、読み上げちゃいますよー!」
ガタン! と何かが落ちる音が響き、一人の男性が机の陰から飛び出してきた。ほとんど泣きそうなほど必死な形相だ。
「なっ、なんでそんなもの持ってるんだ!」
「やだなあ、嘘ですよ。そんなもの持ってるわけないじゃないですか」
「ううっ、それもそうか……」
「まあ嘘なんですけどね」
「えっ」
彼女はどこからともなく一冊の大学ノートを取り出した。表紙には円と星で描かれた魔法陣がまがまがしく描かれている。
「デスファイヤー竜輝。赤月を宿す紅の瞳は闇の世界を見通し、彼の振るうドラゴン†ダーク†キラーは闇から出づる魔物たちを――」
「なんで持ってるんだ!!」
担当のデスファイヤー竜輝――もとい斎藤とどめきは、物怪ちゃんに飛びついてノートを取り返した。
「ひどいっ! なんでこんなものを!」
「うふふ、いいじゃないですか、そんなこと。それよりこちらは徒労さんといいます。担当さんの助けが必要なんです」
「た、助け?」
ぜえぜえ言いながら斎藤は聞き返す。物怪ちゃんは振り向くと、俺に斎藤を指してみせた。
「まあ私は何もかも知っているわけですが、彼は何もかもは知っていないのでここに至るまでのご説明をどうぞ」
困惑で咄嗟に何も言えず、口をぽかんと開けてしまう。彼女はそれをどう受け取ったのか、それまでよりほんの少しだけ真面目な目で言った。
「大丈夫。私たちは『モノ狩り』とは関係ありませんから」
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