俺はウイルスである

烏川 ハル

転生したらウイルスだった!

   

 俺はウイルスである。名前は、もうない。転生する前は人間であったので名前も持っていたが、それを今さら名乗るのも野暮ってものであろう。今や俺はウイルスなので、種族名はあっても、個体名は存在しないのである。

 どこで生まれたのか、それは決まっている。ウイルスなので、宿主となる細胞の中で生まれたのである。俺の種族は、細菌バクテリアではなく人間や動物に感染するウイルスなので、人間か動物の体内にある細胞であろう。もしも人獣共通感染症という言葉を聞いたことがあるならば、それを引き起こすウイルスの一種であると思ってくれたらよい。

 今の俺の意識が『俺』というウイルスの中で発生したのは、この『俺』ウイルスが組み立てられた瞬間である。まあ、ウイルスが組み立てられる瞬間をどこと捉えるか、それは考え方次第であろうが、少なくとも俺の意識が発生したのは、細胞膜を突き破って、新しいウイルスとして細胞の外へ飛び出した瞬間である。宿主の細胞膜の一部を破り取って、それを奪い去り、ぶんどった膜にくるまれて、生まれてきたのである。それまで包まれていた羊膜を拭い去って生まれてくる人間の赤ん坊とは、対照的な存在と言えるかもしれない。

 そうして生まれた『俺』ウイルスは、血液中を移動して、新たな細胞を目指すのであった。


 これは人間の中にも誤解している者がいるようであるが、ウイルスは細菌バクテリアや寄生虫とは大きく違う。ウイルスは、色々と生命活動に必須な装置を欠いている。だから、自分だけでは増殖も出来ない。子孫を作ることが出来ないのである。

 いや、こう言ってしまうと、人間だって一人では子孫を作れないと反論されるかもしれないが、そういう意味ではない。それは転生前の俺と同じで、ただ単に相手がいないだけであろう。子孫を作るために必要な臓器を持たぬわけではあるまい。

 ウイルス学は生物学の一種で、中でも分子生物学や遺伝子工学の専門家がウイルスを研究しているはずであるが、皮肉なことに、生物学者の分類によれば、ウイルスは『生物』とは見做みなされないらしい。

 まあ、自分自身がウイルスとなってしまった今では、非常に実感できる。何しろ、ウイルスとなった俺の身体からだを構成するものは、全体を包むエンベロープと、それに保護された遺伝子と、いくつかの種類のタンパク質だけなのであるから。

 そのエンベロープにしても、先述したように自前のものではなく、生まれる時に宿主細胞からもらってきた餞別の外套のようなものである。そして、あまりにも小さいため、タンパク質の中には、外套であるエンベロープに入りきらず、エンベロープに刺さった状態で外へ飛び出しているものまである。まあ、それは『手』に相当するタンパク質であり、そのおかげで新しい細胞に感染することも出来るのであるが、逆に『手』タンパク質は、抗体――俺たちウイルスの天敵――の標的ターゲットに成り得るので、それはそれで困った話である。

 つまり俺たちウイルスは、いわゆる『細胞』よりも、はるかに単純シンプルな構造をしているのである。

 そのようなウイルスのどこに俺の意識が宿っているのか、科学的に考えたら不思議な話であるが、まあ人間の魂の所在ありかにしたところで、まだ完全には解明されていないはずである。そもそも『転生』という現象自体が非科学的に思えるので、そこは深く考えないようにしよう。


 血液中を移動していた俺は、特に行きたい場所があるわけでもない。ともかく次の細胞の中に入りたいという、ウイルスとしての本能的な欲求しか持ち合わせていない。だから選り好みせず、手近な細胞の中に飛び込んだ。

 いわゆる『感染』と呼ばれる段階ステップである。

 次の宿主となる新たな細胞に感染する時、『俺』ウイルスは、『手』タンパク質の助けを借りて、自身のエンベロープと宿主の細胞膜とを融合させる。融合させることで、宿主の細胞内部と、ウイルス内部とを、一体化させるのである。結果、ウイルス内部にあった遺伝子やタンパク質は、広大な――俺たちウイルスから見たら広大な――細胞内部へ、ワーッと飛び散っていく。まるで、狭い部屋に閉じ込められていた子供たちが、急に広い公園に連れられて来たようなものである。

 だが、これはこれで、ちょっと問題である。外のエンベロープは宿主の細胞膜と癒合するわ、ウイルス内部のあれこれは細胞内へと去ってしまうわで、俺の身体からだはバラバラになってしまった。つまり、『俺』ウイルスの崩壊である。ある意味、『俺』ウイルスの死、と言ってもよかろう。

 実際、俺の意識は、急速に薄れてゆく。死の実感である。しかしウイルスなので「走馬灯が浮かぶ」なんて情緒たっぷりな死ではない。そもそも、まだ生まれてもないため、走馬灯に描くほど十分な思い出もないのである。

 薄れゆく意識の中、俺は一つの事実に気づいた。どうやら『俺』ウイルスの中で俺の意識が宿っていた部分は、心臓部にあるタンパク質であったらしい。ウイルスの種族によっては、コアプロテインとかヌクレオプロテインなどと言われる部分である。カタカナよりも漢字の方がわかりやすいであろうから、ここでは核タンパク質と呼んでおこう。

 この核タンパク質は、ウイルスとして生きている間は、ウイルス中心にある遺伝子を保護する役目を果たしている。人生ライフサイクルの短いウイルスにとって、最大の生存目的は子孫を作ることであり、そのためにも遺伝子は最重要パーツである。遺伝子は設計図であり、種々のタンパク質――ウイルスを構成する部品――の情報が、そこに記されているからである。

 今、その設計図から、それを大切に守っていた核タンパク質が少しずつ剥がれて、その隙間に別のタンパク質が入り込む。設計図をコピーする手助けとなるタンパク質である。これも核タンパク質のように、『俺』ウイルスが内部で大事に抱え込んでいたタンパク質の一種である。

 ただし、残念ながら設計図をコピーするための材料となる物質は、ウイルスの中には存在しない。だから、宿主細胞のものをちょいと拝借して使わせてもらう。まあ、俺たちウイルスがわざわざ細胞に感染する理由の一つである。

 もちろん設計図をコピーするのは、新しく作られるウイルスの中へしまいこむためであるが、それだけではない。細胞内で大量に作られた設計図を元にして、当然そこに記されたタンパク質も作る必要がある。子孫ウイルスを構成するための、大切な部品タンパクしつが必要なのである。

 なお、設計図のコピーの場合とは異なり、今度は材料だけでなく、設計図を元にしてタンパク質を作る道具や装置まで、『俺』ウイルスは持ち合わせていなかった。だから一切合切、宿主細胞のものを使わせてもらうことになる。これも俺たちウイルスがわざわざ細胞に感染する理由であり、俺としては、こちらの方が主目的メインであると感じてしまう。

 

 こうして作られた、大量の新しい遺伝子やタンパク質は、宿主の細胞膜近辺に集合する。中には核タンパク質――俺の意識が宿る先――のように、作られてから何度か形を変えて、他のタンパク質と結合するものもある。ガシャンガシャンと変形合体する、と考えてもらえれば、イメージも良くなるかもしれない。

 こうした過程を、俺は、ほとんど消えそうなくらいにかすかな意識で見守っていたが……。

 細胞膜を突き破って、また新たなウイルスが生まれた瞬間。その生まれたばかりのウイルスの中で、はっきりと俺の意識は覚醒した。新しく別のウイルスに、俺の意識が、移動したのである。

 人間からウイルスへ、ではなく。

 今度は、親ウイルスから子ウイルスへ、俺は転生したのである。

 そして新しい『俺』ウイルスは、また近くの細胞に感染してバラバラになり、また意識が薄れて、また次の子孫ウイルスとして復活して……。

 これを、ひたすら繰り返すのであった。


 以上の話で、わかっていただけるであろうか。

 ウイルスは死ぬ。簡単に死ぬ。生まれてすぐ、新しい細胞に感染次第、次の世代のために死ぬ。

 人間の世界には「生き物は死んで太平を得る」なんて概念もあるらしいが、ウイルスの場合は、少なくとも俺の場合は、違うようである。何しろ、忙しく繰り返される人生ライフサイクルなのであるから。

 しかし、こうして短い周期で生と死を繰り返すのも、輪廻転生りんねてんしょうの一種なのであろう。決して悲しむべき話ではないのかもしれない。そう考えると、俺も気分が良くなってくる。ああ、これはこれで、良い身分ではないか。ありがたい、ありがたい。




(「転生したらウイルスだった!」完)

   

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