第6話 55

 事務所に戻ると、太一はすぐ樺島さん、山田さん、明を呼んだ。これに紗理奈くんを加えて、この事件の執行部だ。

「過去一年間、契約中なのに通信を一切していない顧客を探す。その顧客の自宅に連絡を取り、携帯を紛失していないか、しているならばその捜索協力を申し出る。遺失物捜索課として、新たなサービスの開始だ」と、太一はみんなに説明した。

「そ、そんなことして、どうするんですか?」と、すぐ明が聞いた。

「当社の携帯をもう使う気がないなら、解約手続きを勧める。そして、ここからが重要だが、利用者が行方不明ならその捜索協力も申し出る」

「な、なんでですか?」山田さんは驚きで、まさに目を剥いていた。彼を横目に見ながら、紗理奈くんは苦笑していた。彼女は何も言わなかった。

「お客様と携帯に、どこまでも責任を持つんだ」太一は、わざと不明瞭な答え方をした。

「わかりました。やりましよう!」と樺島さんは、強く言った。

「過去一年分なんて、膨大な計算量になりますよ」と、山田さんが不安げに言った。明も、その通りだと言いたげにうなずいた

「明。エクセルじゃもう無理だ。MSアクセスで、データベースを作れ。当社の顧客から通信量ゼロの人をピックアップしろ。年齢は、三十歳以下だ。ピックアップしたら、その顧客情報を一人ずつ表示する画面を設計しろ。自宅電話番号、年齢、住所、最終発信の前二ヶ月の通信量、その詳細。そして最終発信地点だ。

 データは私が取り寄せる。山田さん、あなたは明にデータ分析のアドバイスをしてください」

 渋々という様子で、明は山田さんと席に戻った。そして二人で相談して、データベースの設計を始めた。

「課長、私は何をすればいいですか?」と樺島さんが太一にたずねた。

「顧客がリストアップされたら、電話でコンタクトを取ります。紗理奈くん。オペーターの女性たちのうち、半分にこの仕事を指示して。樺島さん、そのあとがあなたの出番です。その顧客の家を直接訪問します。事情を聞き出し、携帯捜索の手がかりをつかみます。連絡の取れない、あるいは特別な事情のある家庭もあるでしょう。樺島さんしか、できない仕事になると思います」

「わかりました。私は、交渉役ってことですね」と、樺島さんは笑った。「コンピュータは無理だが、その仕事なら私に向いてる」

「なるべく、法には触れないでくださいね」太一は念を押した。昨日のように、住居不法侵入を繰り返されたら困る。

「ハハハ、わかりましたよ」と、彼は苦笑して答えた。

 紗理奈くんは何も言わずに席を立ち、さっそくオペーレーターの女性陣たちに指示を始めた。もともとこの課は、仕事量に対して人が多すぎる。電話応対をするオペレーターが10人。それから太一のようなスーツ組が、紗理奈くん含めて10人。おまけに太一と明が仕事を効率化したから、さらに暇になった。

 太一は現在のシステム課長に、過去一年間の全データ抽出を依頼した。

「三〇分くらいかかるよ」と彼は答えた。

「それで、十分」と太一は答えた。その間に、明にデータベースを組ませればいい。

 太一はようやく、席についた。そして両手で顔を覆い、机に両肘をついた。弾き出される結果に、彼は一人恐怖した。この世に失踪する若者なんて、いくらでもいるさ。そう自分を慰めることもできた。でものっぽさんの言う通り、今の若者はスマホを手放さないだろう。あれがなければ、友達とも繋がれないし情報も得られないのだ。その通信量が、ゼロということは・・・。

「太一さん、大丈夫?」

 顔を上げると、紗理奈くんが目の前に立っていた。彼女は顔をちょっと歪め、不安そうな様子を隠さなかった。

「大丈夫。次の作戦を練ってた」と、太一は答えた。彼は努めて笑顔を作った。その様子を見て、紗理奈くんはパッと表情が明るくなった。彼女はくるりと身体を反転させて、また無言でオペレーターたちのそばに戻っていった。紗理奈くんは、本当は優しい女性なのだ。何かで病んだ野良犬に、同情できる人なんだ。

 さて。別の人間が太一の立場なら、絶対にこんな問題に手を出さない。どうしたらいいかわからないし、出世のポイント稼ぎにもならない。だが太一は、逃げるわけには行かなかった。自分がたどってきた人生のために。希美ちゃん、そして川島。この二人が、太一のエネルギー源だった。

「課長、出ました」明がそう言ってノートPCを片手に、山田さんと彼の席へ走ってきた。太一はすぐ、樺島さんと紗理奈くんを呼んだ。

「該当者は、55人です」と、明は淡々と言った。

 55人。太一は、唇を強く噛んだ。これは、自分で対処できる人数じゃないぞ。太一はできることなら、今すぐのっぽさんに電話したかった。でも彼は開店準備で忙しい時間だ。それはできない。

 大事なことは、リーダーが狼狽えないことだ。トップが迷ってしまうと、部下たちはもっと迷う。太一は55人という人数に、一瞬考えただけでその重みに耐えた。それから、すぐに部下たちへ質問をした。

「この人たちの、住所は?」

「日本全国に、散らばってます」と、明は答えた。彼は自分のノートPCを、テーブルのモニターにつないだ。映し出されたリストを見ると、北は北海道から南は鹿児島まであった。

「山田さん、この人たちの最終発信地点は?」

「それが・・・」と、彼は言い淀んだ。「見事なほど、大都市圏に集中してます。札幌、東京、大阪、福岡。みんな最後の通信更新は、大都市圏の街中です。ほんとにみんな、共通しています」

「山田さんがさっき指摘していた、通信終了直前の大量パケット通信は?」

「あ、それは、調べてませんでした」と、山田さんは言った。

「すぐ、調べてください」と、太一はちょっと強く命じた。「全員です」

「紗理奈くん」と、太一は彼女へ顔を向けて言った。「この55人、全員の自宅にコンタクトを取って。明はリストをエクセルに落として、ファイル共有してみんなが書き込めるようにして。コンタクトの時間、コンタクト者と契約者の関係、会話内容、話した時間をリストに入力して。一度繋がらなくても、一時間待って掛け直す。これを繰り返して」

 紗理奈くんは、すぐに全てを理解した、大きくうなずいて、彼女はオペーレーター席に戻った。かなり厳しい表情で、彼女は部下たちに指示をした。

「明はコンタクト結果を、データベースに取り込めるように用意して」

明も走って、席に戻った。

「樺島さん」と、そばに残った彼に話しかけた。太一は無理にでも、落ち着いて見せようとした。「55人です」

「はい、課長」とだけ、彼は答えた。肝の据わった彼も、さすがに動揺が隠せなかった。顔が紅潮し、少し汗をかいていた。

「樺島さんと私の恐れていること。それが、みんな杞憂であればいいと思います。でも、確認しなくてはならない。樺島さん。この間に、シャツと下着の替えを買ってきてくれませんか?」

「はっ?」彼は、太一の言葉が飲み込めなかったようだ。

「今晩から、樺島さんに出張指令を出します。行き先は、オペレーターが集めた情報を分析した結果で決めます。あなたには、一番危険と思われる場所に行ってもらう。助手をつけます。一人では危険だ。出張中も、一人で行動することは極力避けてください」

「わかりました」彼はそう言ったが早いか、すぐに事務所を飛び出していった。早速買い物だ。

五人のオペレーターが、55人のリストと格闘していた。自宅の電話では、なかなか連絡が取れない。携帯なら、すぐ繋がるのだろうが。当社は申し込み時に、第二連絡先として自宅電話しか聞いていなかった。しばらくして、ようやく最初の一人と連絡が取れた。紗里奈くんが通話内容を、太一の机のスピーカーにモニターした。

「こんにちは。義男様は携帯を失くされたのでは、と心配になってお電話いたしました。義男様は、今ご在宅ですか?」

太一と樺島さんは、テーブルのモニターの表示された義男さんの情報を見た。樺島さんは下着を購入して戻ったところだった。義男さんは、まだ16才だった。山田さんも、モニターに近づいてきた。遅れて明もきた。

「義男はいないよ」と、電話に出た女性はぶっきらぼうに答えた。

「かしこまりました。義男様は本日、何時にお帰りのご予定でしょうか?」

「あいつは帰ってこないよ」と女性は抑揚のない声で言った。「ていうか、もう半年帰ってない」

課長席の周りにいるメンバーは、義男さんの最終通信地点と日付を確認した。明がPCを操作し、太一、樺島さん、山田さんは画面を食い入るように見つめた。義男さんの信号は、11月の上旬を最後に途絶えていた。場所は札幌、ススキノのすぐそばだった。彼の住所は、釧路市。

大都市とは、不思議な場所だ。たくさんの人が行き交っているのに、誰も他人のことなど気にしない。むしろ他人と接触することを避ける。だから、なんだってできる。ターゲットを、闇とネオンの光の下に引き摺りこめば。

二時間かけて、リストの半分くらいの人と連絡が取れた。だが、無事を確認できたのは一人だけだった。中学校三年の女の子で、スマホを失くしたことずっと両親に黙っていた。子供らしくて笑ってしまった。

あとは全員、行方不明となっていた。高校生から社会人まで。男も女も半数だった。太一は紗里奈くんに二時間の残業を命じ、オペレーターたちも同様とした。本来の遺失物受付サービスが17時半で終了すると、十人全員をこの仕事に投入した。20時時点で連絡が取れたのは、35人。本人は一人もいない。話ができたのは、母親か兄弟姉妹だった。

ここで連絡は終了にした。出来上がったリストを、ミーティングテーブルのモニターに映して、太一は樺島さん、山田さん、紗里奈くん、明を呼んだ。そして全員で、リストを睨んだ。

まずはっきりしたのは、家族たちがことごとく持ち主の行方不明であるのに悲しんでいないことだった。あからさまに、持ち主の悪口を言い連ねる者もたくさんいた。つまりこの携帯の持ち主たちは、家族から嫌われていたのだ。

太一も子供の頃、父親の暴力と姉との不仲のせいで家を飛び出した口である。今だに、家族とは疎遠だ。他人事ではなかった。

「どうしましょう?」

樺島さんが、切羽詰まった表情で太一に聞いた。彼は行動を起こそうとウズウズしていた。だがこのリストを前に、どうすればいいのかアイデアがないようだった。

「どうすればいいと思う?」と、太一はみんなに問いかけた。考えさせること、それが大事だ。必死に考えてこそ、人は強くなれる。

「最終発信日時が、一番古い人からあたりましょう」と、山田さんが口を開いた。「55人全員はまだ調べ切れてませんが、みんな一様に最後の通信で動画を見ている。そして、スマホの電源を切っている」

「正常終了してるってことですか?」と、明が山田さんに聞いた。

「うん。位置情報サービスを停止する信号が出ている。つまり位置情報を利用する、すべてのアプリが終了したということです。スマホのOSがシャットダウンされたと思われます」と、山田さんが説明した。

「自分で電源を切ったか、出会った相手がスマホを受け取って切ったか、ね」と、紗里奈くんが言った。「そして、あの飯田橋のビルみたいなところに連れてかれた・・・」

「一年近く前から通信がない人は、今さら調べても手ががりがないんじゃないだろうか?」と、樺島さんが疑念を示した。

「そうかもしれません。だが私たちが心配しているのは、当社の顧客の安全です。古い順に当たりましょう」と太一は言った。

それから彼は、机で所在なげにしているあと七人の部下を呼んだ。樺島さんを加えて、二人ずつ4グループに分けた。

「樺島さんと吉元くん。あなたたちは、関西地方を担当してください」

尼崎の顧客に電話をかけたら、明らかにヤクザものの男が電話に出た。大阪のおばさんも、屁理屈をこねてガラ悪く絡んできた。別に、彼らが悪いわけじゃない。生活が、人生が厳しすぎるのだ。

北海道、関東、九州。チーム分けが終わると、太一は出張命令を出した。

「この出張は、帰りの日は決まってない。何か手がかりをつかむまで帰ってくるな。各チームは進捗状況を、逐一樺島さんに報告しろ。そして指示を受けろ。私はすべてを、樺島さんから聞く」

「はいっ!」と、樺島さんが一番大きな声で返事をした。彼はすぐ、吉元くんを連れて新幹線に乗ると言い出した。

「今から出れば、ギリギリ新大阪に着けます」

樺島さんの気合が、みんなに伝染した。各チームが相談して、今後のスケジュールを立てていた。後は、放っておけばいい。樺島さんがすべてやる。

さてと。太一は大急ぎで荷物をまとめ始めた。必要な資料をカバンに詰め、春用の薄いコートを羽織った。彼は急いでいた。一刻も早く、のっぽさんに現状を相談したかった。


 会社を出て、のっぽさんに電話をした。

「これから、一時間弱でそちらに行きます」

「わかった。今、メールで送ってもらったリストを読んでいるところだ。一時間以内に考えをまとめるよ」と、のっぽさんは言った。お店は、大丈夫なんだろうか?

 XXX駅で降り、歩いて五分ののっぽさんの店に向かった。店の扉を開けると、馴染みの店員の他に、新しい若者がカウンターの中で働いていた。

「いらっしゃい。こっちに来てくれ」と店の奥から、のっぽさんが声をかけてくれた。店の一番奥には、小さな個室の四畳半の部屋があった。普段はその部屋は使わない。だが今夜の彼は、その中に座って太一を待っていた。襖を全部開けて、手招きをした。

「まあ、一日お疲れ様。とりあえず、飲み物と食べ物をざっと頼んでよ。疲れて、お腹も空いてるでしょ?」のっぽさんは、太一たに優しく話しかけた。

 太一は、生ビールのジョッキを頼んだ。おつまみは、すぐできるものにした。のっぽさんは、もう瓶ビールを飲んでいた。

「今日から、一人アルバイトを頼んだんだ。ちょうど近くの居酒屋が売上悪くてね。一人貸してって頼んだら、即OKだった」

「だから、のっぽさんは仕事する気ないんですね」と、太一は言った。

「そう、俺は休みだよ」と彼は笑った。「学生みたいなもんさ」

「のっぽさんのレストランに、すごい美少女がいましたね。レジ係の子ですよ」と、太一はのっぽさんに昔話をした。

「工藤くんだね」と、のっぽさんは懐かしそうに言った。「実は彼女から、何度も『付き合ってくれ』って言われたよ。そのたび、やんわり断ったけど」

「彼女は私にとって、この世で一番恐ろしい人だった」

「何!?」と、のっぽさんはたまげた顔をした。「そんな話、初めて聞いたぞ」

「そうでした」と言って、太一は頭をかいた。「工藤さんは、あまりに美しかった。そして、私を完全に無視してた。彼女の目に、私は入らなかったのかもしれない。彼女の視界に立って、彼女を怒らせたくなかった」

「I won't stand in your way だな。まさに」と、のっぽさんはさらりと答えた。「でも誰だって、怖い人はいるぞ。タイプは、様々だけどね」

「すいません。つい、学生の頃の気分になりました」と、太一は謝った。

「いいんじゃないの。昔話は、いつ愉快なものさ」と、のっぽさんは笑った。「工藤くんとは、ずっと連絡を取り合ってたんだ。彼女が二十代後半になったら、俺にそっくりの男を見つけた!って連絡してきた。その人と結婚して、今は二児のママだよ」

 レジ係の美少女も、自分なりの幸せをつかんだということか。太一もそれを聞いて、清々しい気分になった。

 飲み物と食事が運ばれてきた。ささやかに乾杯をし、まずはつまみを食べた。精神的に疲労する一日だった。とにかくエネルギーを摂って回復しなくては。太一は野菜炒めをムシャムシャ食べた。のっぽさんだけ、瓶ビールを手酌で飲みながらニコニコしていた。彼は、ぬか漬けのキュウリだけポリポリ食べていた。

 ひと段落ついたところで、のっぽさんが口火を切った。襖も、ピシャリと閉めた。

「さて、本題に入ろうか」

「はい」と、太一は答えた。

「俺はこの問題を聞いて、仕事してる場合じゃないと思ってる。だから、助っ人のアルバイトを雇ったんだ」と、彼は言った。のっぽさんはMacBookを開き、太一がさっき送ったリストを睨んだ。いつのまにか彼は、とんでもなく真剣な顔をしていた。

「北海道、関東、近畿、九州に、うちの課から調査員を送ります。でも、プロじゃないですから断片的な事実しかつかめないでしょう。次にやるべきことは、その集まった断片をつなぎ合わせる作業です。そして、ストーリーを描くことです」

「同感だ」と、のっぽさんは言った。「最終発信地点は、みんな街中というか繁華街なんだな?」

「全部調べられてませんが、連絡のついた35人はそうです」

「彼、彼女らは、家族と上手くいってなかったんだな」

「そうです」

「格好の標的だ」と、のっぽさんは言ってリストから目を外した。彼は、狭い四畳半の部屋の壁を睨んだ。そこには、何の変哲もないカレンダーが飾られていた。でものっぽさんは、それに経過した時間の重みを感じているようだった。

 厳しい表情を崩さず、のっぽさんは長い沈黙に入った。でも、太一は慣れっこだった

「通信途絶直前の、動画配信について太一はどう思う?」と、のっぽさんは聞いた。

「おそらくカリスマ的指導者が、説教をする動画だと思います。ヒットラーの演説みたいなものです。それを見せて、ターゲットに最後のドアを開けさせるんだと思います」

「興味深い意見だ」と、のっぽさんは言った。

「佐奈江さんの例のように、やつらは床に魔法陣を描くような連中だ。ある意味、子供っぽい。自分たちが作り出した、無邪気な宗教に酔っている」と、太一は付け加えた。

「そして街中の、ビルの一室に誘い込む」と、のっぽさんは言った。

「そういう手でしょう」

「若者たちを集めるのは、Iris だ。あいつは、人に殺人の誘惑をするんだよな?」

「そうだと思います。人生の途上で転げ落ちてしまったうちの何人かは、その解決を殺人に求める。それは彼らにとって、解くことの出来ない魅惑的な謎だからだと思います」

「その通りだろう」と、のっぽさんは短く答えた。しかし彼はまた、それ以上は言わなかった。表情を崩さず、ずっと先のことを考えているように見えた。

「新しいことは古いことにある、という言葉が俺は好きだ」と、のっぽさんは言った。「Iris に関わっている連中は、いわゆる新興宗教みたいなことをやっていると思う。太一が指摘した通り、魔法陣を描いて全裸の少女を鞭で打ったり、切り刻んだりする。神に生贄を捧げる儀式だ。こういう事例は、過去の密教的な宗教を調べればいくらでも出てくる。また、キリスト教の異端教徒処刑においても、似たようなことが行われている。できる限り残酷に、無慈悲に処刑が行われる。それが歴史的事実だ」

「おそらくそうだと、思います」と、太一は答えた。「やつらは、過去のいろんな書物や出来事から学んで、それを切り貼りして自分の教義を作る。そして、その通りのことをする。それに美しさと性的興奮を感じる。

おそらくやつらは、Iris で人を集めて、生贄の儀式をしてる。首や手足を切断して、神に捧げてる」

 太一が話していることは、みんな川島から学んだことだった。彼はまず性的欲望を、実の妹に向けた。しかも、とてもサディスティックに。妹に拒絶された彼は、今度はその欲望を見知らぬ少女たちに向けた。その行動において、彼は自分なりの「美学」を構築した。それがどんなにバカげていようと、本人は真剣だったのだ。このことは、世の中で繰り返し起こる猟奇的殺人事件に共通する。残虐非道な犯人は、なんらかの自分の物語を作り犯行に至る。

「俺も、太一の予想に賛成だ」と、のっぽさんは言った。「おそらくこいつら徒党を組んでる。インターネットを通じてね。そして、 Iris にしゃべせてる。そういうことになるのかな?」

「そうだと思います」

「俺たちの予測が全て当たりなら、史上稀な大量殺人事件かもしれない。ならば、明日からどんな手を打つ?」と、のっぽさんが太一にたずねた。

「さっきの四チームが、家族と面会し事情を聞きます。それから、なくなったスマホを探します」

「見つかるか?」

「川や水路に捨てられたらおしまいです。でも、中には道端に捨てたやつもいるかもしれない。それは誰かに拾われ、JRか私鉄か警察の遺失物集積所に眠ってます。それをできる限り見つけたい」

「それで?」

「彼らのスマホが見つかったら、充電して電源を入れます。会社の事務所から、それに接続します」

「パスワードは?」

「解きます。優秀な部下がいるので、できます」

「それから?」

「起動させたら、彼らが使っていたアプリを片っ端から調べます。LINEからTwitter、Webの閲覧履歴。そこから彼らが誰とコンタクトを取っていたか、どんな話をしていたかがつかめます。それを分析して、次のアクションを決めます」

「なるほど。いい作戦だ」と、のっぽさんは言ってくれた。

 太一たちは明日、死体に行き着くかもしれなかった。だが太一とのっぽさんの考えは一致していた。死んでしまった人は、帰ってこない。だがこれ以上、人を死なせないことだ。今すぐに、こんなことは止めなくてはいけない。

「絶対的権力は絶対に腐敗する、という言葉がある」

「政治学ですね」と、太一は返した。

「そうだ。今回にも、これは当てはまる。犯罪をバレずに繰り返すと、犯人は必ず脇が甘くなる。慎重さを失うんだ。そして、証拠を残してしまう」

 太一はのっぽさんの言葉に、思わず天を仰いだ。川島もそうだったからだ。彼はまず、獲物に非行少女たちを選んだ。家に帰らなくても怪しまれない対象だ。だが彼は続いて、進学塾から帰る女の子にまで手を出した。だんだん手口が荒くなっていった。

「明日ご家族と面会したら、許可を得てPCを送ってもらいましょうか?」

「そりゃ、いいアイデアだ。是非やってみようよ」と、のっぽさんも賛成した。

「わかりました」と、太一は答えた。しかし、問題があった。

明が得意とするのは、Windowsである。Mac OS X や Linux は多分詳しくないだろう。昔の付き合いで、システム開発会社の人間を雇うか?

ここで、OS(オペレーティング・システム)について、簡単に説明しておこう。OSとは、機械であるコンピュータとアプリ(アプリケーション)を橋渡しするためのソフトウェアである。OSは、CPUやメモリやハードディスクやLANポートやプリンターとアプリをつなぐ。

例えばインターネットを見る場合、人はブラウザというアプリ(インターネット・エクスプローラー、google クローム、ファイアフォックス、safariなど)をクリックして起動させる。そして、お気に入りのページなどを開く。するとOSはブラウザからの要求を、物理的な機械が理解出来る言葉に翻訳する。CPUが指定されたアドレスのデータ要求を行い、LANポートがその命令を外の世界へ流す。

次に要求された情報が、どこかのWebサーバーからパケットの行列となって届く。CPU は 以前話したTCP/IP のプロトコル(ルール)に従い(これも、厳密にはアプリだ)、パケットが全部届いたか確認する。間違いなく届いていれば、CPUはパケットをメモリ上に展開し、OSへ仕事が完了したことを伝える。OSはさらにブラウザへ連絡し、メモリ上に目的のページのデータが揃ったと言う。そこまで準備が出来て初めて、ブラウザは画面に描画を始める。

 コンピュータ黎明期は、システムとOS(オペレーティング・システム)の区別はあまり意識されなかった。システムとはその計算装置、コンピュータの筐体まで含めて一つのシステムと捉えられた。だが、IBMが先頭になってその概念を書き換えた。同社は、自社が販売する巨大コンピュータにOSを組み入れたのである。これを汎用機と言う。

これは、どういうことか?利用者はもう、機械から準備してシステムを作る必要がなくなった。IBM のOSに合った、ソフトウェアだけをを開発すれば良くなったのである。軍事目的でも、JRの予約システムでも、顧客情報管理でもいい。大幅なコストダウンだ。IBM のOSは、1960年代から世界を席巻した。

そこへ、アメリカのAT&T 社が UNIX という独自OSを開発する。これは無償で大学、研究所に配布された。仕様も公開されていたため、莫大な数のプログラマーが改良、改善、強化に携わった。こうして UNIX は、一躍OS界のトップに躍り出た。Mac OS X や Linuxも、実はUNIXの改良型だ。Windowsも、今は違うがMSーDOS時代はUNIXの真似だった。

やはり、システム・プログラマーを雇う必要があるかもな。その前に私は明に電話してみた。彼はまだ会社にいた。

「お前、UNIXはわかるか?」

「あたり前じゃないですか。私は、LINUXのベータ版の改良からこの世界に入ったんですよ」

私の心配は、まったく的外れだった。彼はまだプログラムを改良して、最終発信地点の精度を上げようとしていた。

「終電までには帰れよ」と、太一は言った。でも若いときは、徹夜で仕事できるんだよな。今の明は、それぐらいのエネルギーを放っていた。

「新しいことは、常に既知のことだ」と、のっぽさんは言った。

「はい」と太一は返事をした。

「驚かないことだ。よく見れば、すでに知っていることのはずだ」

「わかりました」

今度は少し早めに、太一はのっぽさんの店を出た。






 


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