第3話 殺人サイト

 太一は、サナエさんのお母さんに電話をかけた。

「突然で恐縮ですが、本日ご自宅に伺うことは可能でしょうか?」

「ええっ?どうして、ですか?」彼女は、明らかに当惑していた。

「サナエさんの、お部屋にあるパソコンを見せていただきたいのです。その中に、昨夜彼女が飯田橋駅まで行った手がかりがあるかもしれないと思うのです」と、太一は説明した。

「あの、そこまで考えてくださって・・・、申し訳ございません・・・、本当に

・・・」太一にそう言われて、彼女はうって変わって恐縮した。

「お母さん。残念ですが、今の時点では警察は動かない。でも、時間は刻々と過ぎている。一分も無駄にできません。当社は、準備できています。いつ頃、お邪魔すればよろしいでしょうか?」

「いつでも、構わないです。私は、ずっと家に居ります。みなさまをお待ちしています」

「かしこまりました」

 太一は受話器を置くと、紗里奈くんと明を指名した。

「さあ、今すぐ八王子に行くぞ」


「あの・・・、課長。ここまで、しなきゃいけないんでしょうか?」

 電車の中で、明が恐る恐る太一に話しかけた。

「当たり前だろう。俺たちは、『遺失物を捜索する』役目を任されてるんだ。やるからには、徹底的にやる。そして、失くなったものを見つける。今回見事にサナエさんのスマホを見つけて、このお母さんがそのことを友達に話したと想像してみろ。当社は、顧客サービスに優れた携帯会社だと話すよ。彼女たちの友達に、おしゃべりな人がいたらなお結構だ。口コミで、当社の評判はぐんぐん上がる。ジャニーズを高額でCMに使うより、ずっと効果的な宣伝だ」

「太一さんには、もう何も言わないよ。わかりました」と、紗里奈くんは言った。彼女は太一を、決して課長と呼ばなかった。敬語も使わなかった。これが彼女のスタイルだ。太一は放っておいた。

 私は出がけに、山田さんと樺島さんに指示を出した。

「山田さん、サナエさんの飯田橋付近のデータ通信の内容を細かく分析してください。メッセージだけか。通信が途絶えるまでの、通話履歴を確認してください。。また、パケット量からアプリがある程度特定できないか。通信が取れなくなったのは、電源をOFFにしたからか?それとも、地下など当社の圏外に移動したからか?データから、できるだけ細かく分析してください。私が帰社したら、結果を報告してください」

「樺島さん、あなたは飯田橋駅に行ってください。彼女が歩いたと思われる周辺をくまなく歩いてください。データ地点との誤差は、約100mと見ておいてください。それから、23時時点で空いている店があったら、二十歳くらいの少女を見かけなかったか聞いてみてください」

「わかりました。現場主義ですね」と言って、樺島さんは笑った。彼は元一流の、営業マンである。現場の大切さを、よくわかっている。

 とはいえ、実は太一にもまだ何のアイデアもなかった。昨夜の夜から、二十歳の少女が行方不明だ。強盗、あるいはレイプにあって、殺されたって可能性もある。都会のど真ん中だ。何だって、起こり得る。

 だが殺人者は、よく犠牲者の携帯で友達にメッセージを送る。殺害後、何時間も経ってから別の場所で発信し、アリバイを作ることが多い。今回のケースはそれに当てはまらない。サナエさんは自宅からまっすぐに飯田橋駅に向かっている。アリバイ作りの痕跡はない。あるいは、これから発信があるか?

「ねえ。太一さんは、何で結婚しないの?」紗里奈くんが、まったく違う話を始めた。

「そりゃ、不細工だからに決まってるだろう。簡単な話だよ」

「太一さんは、不細工じゃないよ」

「おい、そりゃ嘘だよ」

 紗里奈くんは、ニコニコしながら太一を見ていた。彼女はまだこの部署に異動して、三カ月だった。人事担当者から、「問題児を引き取ってくれ」とはっきり頼まれた。もともと、額に傷のあるメンバーの部署である。私は、快く引き受けた。

 彼女はすぐに、才覚を発揮した。オペレーターのリーダー役を任せると、すぐに彼女は仕事を覚えた。そして、部下たちの信頼をあっという間に勝ち取った。彼女は優れた人物なのだ。並みの上司では、彼女に敵わない。それで軋轢が生じる。さて私は、彼女のお眼鏡に叶うのか?太一には、わからなかった。

「おい、明。せっかくの機会なんだから、紗里奈先輩と話せ」と、太一はバトンを明に渡した。明は、一瞬にして真っ赤になった。そして下を向いてしまった。典型的な、女性が苦手なタイプだ。まるで昔の自分を見るようだ、と太一は思った。

「明くんも可愛いよ。母性本能をくすぐるタイプ。そして、システムの才能!君の作ったファイルのおかげで、オペレーターの女の子はみんな本当に助かったよ。みんな、君に感謝してるよ」

「あ、あれは、課長が作ったんです・・・。私は、課長の指示通りにしただけです・・・」と、明は床を見つめたまま小さな声で答えた。今の彼に、紗里奈くんほどの美女と目を合わせる勇気はない。傷つくのが怖いのだ。

「いや、あれはお前が仕上げたんだ。俺は、アイデアを用意しただけ。自信を持っていいぞ」と、太一は言った。でも明は、ずっと首を振っていた。


 八王子駅に着くと、タクシーに乗った。電話をくれたお母さんは、小林さんといった。太一たちは、小林家へと急いだ。近づくにつれ、緊張感が高まってきた。少し怖いくらいだ。

 小林家は、建売住宅が立ち並ぶ典型的な郊外の住宅だった。お父さんは今も、都内のどこかで働いているだろう。娘がいなくなっても、彼は会社に行かなくてはならない。どこかバカげた話だ。

 チャイムを押すと、四十代半ばの品のいい女性が現れた。彼女は痩せていて、顔も細かった。髪もストレートで、そのせいかさらに痩せて見えた。その上彼女は、目の下にクマを作り顔の肌も荒れていた。ずっと、泣いていたせいだろう。太一のギアが、一段上がった。

 まずダイニング・ルームのテーブルに座り、お互いの情報交換をした。太一は、これまでつかんだ事実を全て話した。サナエさんの足取りを示す資料もお母さんに見せた。

「それで、お母さんの方は、何かわかりましたか?」

「実は・・・、それが・・・」

「どうされました?」太一は、答えを急かした。

「連絡の取れた友達はみんな、この一年以上佐奈江と付き合っていないと言うんです・・・」

「そうですか」

「飯田橋駅にも、まったく心当たりはないそうです」

「はい」

「それから・・・」と、お母さんは口ごもった。「佐奈江は、高校を卒業してから人が変わったそうです・・・。娘の友達は、みんなそう言うんです・・・」

「どう、変わられたんですか?」

「佐奈江は、宗教団体に入ったそうなんです。それで友達を熱心に勧誘したらしくて・・・。みんな佐奈江の勧誘を嫌って・・・。それで、疎遠になったそうです」

「宗教ですか」

 太一は手元の資料を見返した。そこでやっと、サナエさんが佐奈江と書くことを理解した。

「そんなこと・・・、私、全然知りませんでした・・・」と言って、お母さんは絶句した。

「佐奈江さんは、一年以上部屋に閉じこもってらっしゃたんですか?」

「はい・・・」と、お母さんは弱々しく答えた。太一はお母さんに、言いたいことが山ほどあった。でも、全部飲み込むことにした。

「佐奈江さんの部屋を、見せてくれませんか?」

「わかりました」

 彼女の部屋は、二階の南側だった。限られた敷地の建売住宅らしい、狭い急な階段を太一たちは登った。

 お母さんが部屋を開けると、異様な部屋に太一たちは対することになった。締め切ったカーテン。壁一面を覆う濃い紫色の布。その上に飾られたムンクの「叫び」の模造画。それから、ピカソの「ゲルニカ」。その他、太一も知らない不気味な絵画。とても、二十歳の少女の部屋ではなかった。

 部屋の左端をベッドが占め、右側に机があってデスクトップPCが置かれていた。これが、唯一の手がかりだ。OSは、Windows10だった。

「明、ログインしろ。管理者権限でだ」と、太一は彼に言った。

 明はノートPCをカバンから出し、佐奈江ちゃんのデスクトップPCにUSBで接続した。彼は、PCを起動させた。彼は佐奈江ちゃんのPCのキーボードを起動直後に叩き、現れた白黒の選択画面から自分のPCを選択した。明はプログラムを、マシン語から理解している。普通の人にはわからない言葉だ。

 現代のプログラマーは、GUI(グラフィカル・ユーザ・インタフェース)上でプログラムを書く。だが、完成したプログラムは「コンパイル」という段階を経てマシン語に変換される。コンピュータはマシン語を使って動く。日常我々がパソコンを使っている場合、こんな過程は一切気にする必要はない。

 だが起動時においては、マシン語の理解が必要だ。太一の指示で明が試みているのは、OS(オペレーティング・システム)の起動前にこのPCの修理屋としてログインすることだ。彼はノートPCに数行コマンドを打ち込み、修理屋として接続することに成功した。

 ログイン画面が表示された。明はすでにこのデスクトップPCのシステム権限を得ており、難なくログインした。

「佐奈江ちゃんの、ユーザデータにアクセスしろ」と太一は言った。

「そ、それは、IDとパスワードがわからないと無理です」と、彼は弱気なことを言った。

「アホか!解けよ。お前、プロだろう」と、太一は言った。

 人はまず、自分と一切関係のないパスワードは選ばない。名前、生年月日、記念日、電話番号、今の恋人、昔好きだった人、ペットの名前、・・・。

「お母さん、何かペットは飼ってらっしゃいますか?」

「へえっ!?」お母さんは突然の質問に、素っ頓狂な声を出した。「はい、犬を飼ってます」

「お名前は、なんですか」

「ワ、ワンダです」

ワンダも、重要な候補だ。人は先にあげた、身近な言葉や数字を組み合わせてパスワードを作る。無意味な文字の羅列は、本人が覚えられない。際限ないように聞こえるが、システムに詳しい人なら有限な可能性である。思いつく全ての組み合わせを、すべてPCにぶつければいいだけの話だ。管理者権限でログインすれば、何億回だって試せる。あらゆる組み合わせを試すプログラムを書き、さらっと流せばいい。人間にとって無限に思えることが、機械にとっては一瞬の簡単な仕事だ。

 明は一分も経たないうちに、佐奈江ちゃんのログインIDとパスワードを解いた。命令しておきながらだが、すごい才能である。

「ブラウザの履歴を確認しろ!直近一週間でいい」太一は明に指示した。

 彼女が主に使っているのは、Chromeであることがすぐにわかった。その履歴を、太一たちとお母さんは見た。

「なに、これ!?」紗里奈くんが、悲鳴に近い叫び声を上げた。なぜなら、その履歴はことごとく残忍な名前のサイトだったからだ。

「一番、直近の履歴を開け」太一は、明に命じた。サイトが画面に表示されると、それは「未来のサイコ・キラー」と題された2ちゃんねるの掲示板だった。


「小学六年生の女の子の、手と足を切断したい」

「生きたまま、だよね?」

「もちろん!」

「まず、指から落とそうぜ。一本ずつ(^_^)」


そんな会話が、延々と続いていた。佐奈江さんは出かける直前、このサイトを見ていたわけだ。紗理奈くんが青ざめ、両手で口を押さえていた。

「昨日の午後から夜にかけて、佐奈江さんを飯田橋に誘う書き込みはないか?」

太一たちは、昨日に遡って「飯田橋」という単語を必死に探した。しかし、何度見返しても見つからなかった。

「こいつら、狂ってるよ」と、うかつな紗里奈さんが嫌悪感を隠さずに言った。お母さんの前なのに。でも、仕方がない。彼女にはまだ、人生経験が不足しているのだ。

太一たちは、履歴を過去へ向かって確認した。現れるのは、有名な凶悪犯罪者を扱ったサイトばかりだった。切り裂きジャック、アンドレイ・チカチーロ、ジョン・ゲイシー、アルバート・フィッシュ、チャールズ・マンソン、・・・。それらのサイトは、彼らの犯罪を賞賛するコメントで溢れていた。同時に、新しい情報を付け加えたり、自分自身の残虐な嗜好を披露し合ったりしていた。

さてと。そろそろマズいな、と太一は考えた。振り返って佐奈江さんのお母さんを見ると、彼女はショックのあまり今にも泣き出しそうだった。

「お母さん」と、太一は努めて冷静に話しかけた。「若い人が、こういう犯罪者に興味を持つのはよくある話です。知識のひとつだと考えてください。実際私も、この手の犯罪者の本はたくさん読んでいる。若いころにね」

太一が犯罪者に詳しいのは、本当だった。彼は親友の川島に近づこうとして、古今東西の殺人鬼の本を読みまくった。おそらく川島も、同じことをしていたはずだからだ。彼は生前、「美学」という言葉をよく使った。それは、殺人を意味していた。

でも太一は、川島に近づくことができなかった。どれだけ残虐な犯行を詳細まで知っても、彼の心はまったく動かなかった。例えばいま、隣には紗里奈くんがいる。太一は彼女の、髪の毛一本引っ張ることも拒否する。頭皮から離れた髪の毛は、その命を失ってしまうから。それは、絶対に許されないことだ。太一にとって。

太一はむしろ、犯罪者の不幸な人生に興味を惹かれた。幸せな人生を送った、犯罪者なんていなかった。一見恵まれた生活を送っているように見えても、彼らの人生には欠落、亀裂、欠陥があった。彼らは、それにずっと苦しんだ。もちろんそれが、直接犯罪に繋がるとまでは言わない。だが、重要な要素であるのは確かだ。

「明、どうする?」と、太一は彼にたずねた。

「一年分、ブラウザの履歴をダウンロードします」と、彼は答えた。「会社に持ち帰って、飯田橋に関係するものを調べます」

「いいね。キャッシュ・ファイルも忘れるなよ」

「もちろんです」と、明は言った。

キャッシュ・ファイルとは、よく見るサイトを素早く表示するために過去の画面表示をPCに保存するファイルだ。同時にこのファイルは、サイトごとのIDとパスワードも記録してある。IDとパスワードを求められるサイトで、自動的にそれが入るようにする。これをもらえば、彼女のネット・サーフィンの状況がわかる。

しかしこのままじゃ、空振りに近いと太一は思った。八王子までわざわざ来て、手がかりは何も見つかっていない。これではスマホは、佐奈江さんは見つからない。そう思っていたときだった。

「佐奈江さん、このサイトを頻繁に閲覧してますよ」と、明がボソッと言った。

画面を睨むと、背景は黒だがまるで google みたいな殺風景なサイトが表示されていた。Iris とだけ中央に書いてあり、その下にIDとパスワードを求めるボックスが表示されていた。

明がIDに最初の一文字を打ち込むと、すぐに既定のIDとパスワードが入った。その下に「Down」と書かれたボタンを、明はクリックした。画面はすぐ、次のページに遷移した。みんな緊張しながら、PCの画面に見入った。

また真っ黒な画面に Iris と表示され、その下に「子羊たちよ。お前のすべてを告白しなさい」と書かれ、さらに下に入力を促す長方形のボックスがあった。

「課長、どうします?」と、明が聞いた。

まず間違いなく、犯罪関係のサイトだろう。しかもこれは、対話形式のプログラムだ。このサイトを作ったプログラマーは、ユーザの質問を何千通りも考えその答えを用意している。用意していない質問が入力されると、「意味がわからない。もう一度説明して」などと言って、ユーザを自分の既知の質問に誘導する。

「人を殺してみたい、と打て」と、太一は言った。

「えええっ!?」紗里奈くんが大声を出した。

「いいんだ、やれ」と、太一は明を急かした。明は質問を入力し、またその下の「Down」をクリックした。Down か。こいつを作ったやつは、とことん暗いな。

「うふふ、困った子ね。どんな風にするの?」Iris は、質問してきた。

「首の下から下腹部まで、ナイフでまっすぐに切り開きたい。もちろん、生きたままで」

佐奈江さんのお母さんと紗里奈くんは、画面を見ずに太一を見ていた。驚きで、声も出ないようだった。

「あら、悪い子ね。丈夫なナイフを用意しなさい。でないと、骨に引っかかって上手く切れないから」

こいつは我々を、佐奈江さんだと思っている。つまり佐奈江さんは、日常こんなやり取りをこのプログラムとしてたのかもしれない。太一は、結論を急いだ。

「飯田橋で、人を殺したい」

「あら、昨日行かなかったの?」と、Iris は返してきた。

やった、と太一は思った。他の三人も、「うわあ!」と声を上げた。だが、ここからが肝心だ。

「眠ってしまった。今日、これから行きたい」と太一は、明に指示した。

「ダメな子ね。今日こそ、行きなさい」

「場所を教えてほしい。忘れてしまった」

「おバカさんね。千代田区富士見x丁目xx番xx号、森山ビル5階よ」と、Iris は言った。

よし。太一は、すぐ樺島さんに電話をかけた。電話が繋がると、すぐに Iris から教えてもらった住所を伝えた。

「遠くから離れて、この森山ビルの写真を何枚も撮ってください。それを私に送ってください」

「了解。わかりました」と彼は答えた。きっと退屈していたに違いない。

「写真は目立たないように、撮ってください。ビルに、一人で近づかないで。これからすぐに、私が行きますから」そう言って、太一は電話を切った。

「お母さん。心配でしょうがないでしょうけど、あなたは家で待機してください」と太一は言った。

「それから、紗里奈くん。明。君たちはもう、今日は直帰でいいよ」

「ええっ、あたしも飯田橋に行くー」と、彼女は口を尖らせて言った。

「ダメだ」と、太一は即座に否定した。「あまりに危険過ぎる。こっから先は、俺と樺島さんで対応する。いいね!」

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