第3話

夏休みは一昨日で終わって、二学期が始まって二日目の昼休みだった。窓からは明るい光が降りそそぎ、クラスメイトは気だるい余韻を引きずりながらも楽しげで、彼らがお弁当片手に会話に花を咲かせている反面で、一人でお弁当を食べていた。大好きな厚焼き玉子もいつもより味がしない。学校の子と仲良くしてはいけないと言いつけされているから学校には麻子ちゃん以外の友達がいなかった。同じクラスの麻子ちゃんだけは「教団の子供」で、お昼休みには二人でお弁当を食べたし休憩時間だってお喋りして過ごしていたのに、今は避けられているみたいだった。誰かに焦点を当てないぼんやりした見方で教室全体を捉えると、一人でお弁当を食べているのがあたしだけであることが分かってお箸が震えた。大したことじゃない、一人で食事するぐらい大したことじゃないでしょと言い聞かせるのにお箸が震えて口が上手に開かなかった。夏休みが始まって少ししてから麻子ちゃんは集会に来なくなっていたし、昨日の始業式もお休みしていた。体調が最近悪くてと麻子ちゃんのママが言っていたことを信じていたけどそんなのは嘘だった。だって今朝登校した麻子ちゃんは久しぶりに会ったというのにそっけなかったし、休み時間だってお喋りに行く前にトイレかどこかにいなくなってしまった。さっきもお弁当の包みを持った麻子ちゃんは授業が終わるなりそそくさと消えていった。「あ……」こぼれた声はきっと誰にも聞こえていなくて、教室の誰にもあたしの姿が見えていないか、ここに存在したとしても身体が半分透けていて、ドラマの話やアニメや漫画の話やゲームの話を楽しそうにしているクラスメイトにとって透明人間なのかもしれなかった。黒板の上の掛け時計と教室の扉をかわるがわる眺め、あの扉から麻子ちゃんがにこにこ入って来て、びっくりした?ちょっとからかってみただけなの意地悪してごめんねなんて言ってくれたら良かった。そしたら怒った顔を作って、もう本当、友達がいなくなったかと思って焦ったんだからね、なんて言うんだ。本当、友達がいなくなったかと思って焦ったんだから……。食べるのが苦痛になってきたのでお弁当を鞄に仕舞うと、腕を枕にして机に突っ伏して眠る振りをした。帰ったらお母さんに見つからないように残りのお弁当を捨てなくちゃ。もし見つけられたら、お腹が痛くてあんまり食べられなかったって言おう。顔の筋肉が変になっていて、机に突っ伏したまま顔を歪めて変顔をした。みっともなくて悲しくなったけれど目に力を入れても涙一粒も出なくて大したことなかった。でも、隣の隣のクラスにいる恭次にこうしているのを見つけられて変に思われなかったらいいなとちらりと考えた。


「きょうちゃーん」呼び掛ける声が普段より高くなったかもしれないとぎくりとしたけれど、顔を上げた恭次は普通に、「まだ借りてきてないからちょっと待っててくれる」と応じた。「うん」返事をしながら恭次が座っていたテーブルに積まれていた数冊の本に目を流す。あたしも本は嫌いではないけど恭次は比べ物にならない読書家で、クラスの違うあたし達は図書室で待ち合わせをして一緒に帰るのがいつものことだった。縦に積まれてタイトルの見えづらい本の題を読み取る前に恭次は本をかっさらって貸し出しカウンターへ向かっていった。中学二年生にしては背の高い後ろ姿を目で追う。この図書室は教室のある校舎から離れた棟にあるせいかいつも空いている。ほんの少しの先客たちが静かに本を開いているだけ。恭次、ほんとにおっきくなったな。小学生の時から背が高かったけれど、中学二年生になってやっと百五十センチ台になったちびっこのあたしと違って、あたしが見えない世界を見ているなんてずるい。背の高い恭次にはあたしが見えないものが見える。貸し出しを終えると恭次は身体をくるりとこっちに向けて、「お待たせ。帰るよ」と声を掛けてきた。「待ちくたびれたよ。先に帰ろうかと思い始めてたところよ」いい加減なことを返してみると、図書室の奥にいたあたしを待たず扉から出て行こうとしたので背中を追いかけた。待て、バカ。その時、風が吹いて窓にかかっていたカーテンが捲りあがって、新鮮な外気が鼻を掠めた。窓の外に視線を流すと下校する生徒たちが群れを成していて、明日も麻子ちゃんとこのままでいるのかなという不安が足元から上がってきてぞっとした。

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