2

 部屋に戻った日向は、再びベッドに倒れこんだ。


「辛い……」


 それを覗き込むのは、まだ部屋にいる、自称幽霊。


「どうした小僧、晩の飯はアレだっのか、あの香辛料をふんだんに使った……」

「カレーじゃないし、『からい』でもねぇよ『つらい』な。あと、名前分かんねぇなら無駄にボケようとすんな」


 どうにもこうにも、あの後、いつも以上に優しい声音で未希が「ごめんね、イマジナリィフレンドはカウントしてあげられないんだ」と言い、普段厳しい花蓮もその時ばかりは「今日はもう休みなさい」と気を使ったのだ。


「しかし、あの少女は決して、頭ごなしにお前の感覚を否定したわけではないぞ、お前の視線の先を注視して観察しておった。魔眼か……あるいは物事の真理を見透かす目でも持っておるのだろうな。その上で、と判断したから、お前の感覚に異常が発生していると判断したのだろう。まあ、私を物理的な手段で捉えることは不可能ゆえ致し方あるまい」

「なんだ、随分とアイツを買っているんだな、好みのタイプだったか?」

「うむ、というか、あの少女、白雪と言ったか、瓜二つなのだ……」

「知り合いのそっくりさんなのか、あんな美形、そう何人もいるもんかね」

「ああ、我が旦那様にな――おい、寝たふりをするな、私はいたって大真面目だぞ」

「アンタ、自分の旦那は半龍とかいってたろ。しかも、二〇〇歳とも言ってたじゃないか、アイツが龍か老人にでも見えたのかよ」


 とうとう、幻覚ですら妄言を吐き始めてしまったのか……と頭を抱える日向に心外とでも言いたげな表情で幽霊は答えた。


「アホかお前は。千年生きるのだぞ、人間と同じ成長ペースであるわけがあるまい。まあ、それを差し引きしても彼はまあ小さく愛らしい姿をしておったがな」


 猫の人間年齢みたいなモノだろうか。つまり二〇〇歳という言葉を信じれば人間年齢で十六歳……未希は自称十八だが、とても高校生には見えないルックスだし、可能性が無いわけでもないが。


「けど、ドラゴンじゃねぇだろ、角も尻尾見たことねぇよ」

「龍は人の上位種であるが神聖な種というだけあって、現では人の形に引っ張られるようでな、急を要するときでなければ龍の姿は見れんよ。まあ、夜の彼はいつでも昇り龍のようではあったが」

「下ネタかよ……」

「まあ、この時代まで生きているわけがないし、他人の空似、或いは子孫かもしれんな」


 優しそうに微笑む幽霊は安堵しているようにみえる。そこに後悔や未練は感じられなかった。


「アンタはソイツの子を成せなかったんだろ。てことは、他の奴との子孫だろ、悔しくはないのか?」


 幽霊か幻、そんなのの与太話に、どうしてか日向は興味を持ち初めていた。


「確かに、私が彼の傍らに添い遂げられなんだのは口惜しいさ。けど、私を忘れて幸せになってくれたのであれば、そんな後悔も未練も、霞んで消えてしまうほどに嬉しいんだよ。さっきから私は『旦那様』と呼んでいるだろ? コレはな、もう彼は私の手から離れてしまったという意味なのんだよ」


 その幽霊は感情豊かで繊細な機微の持ち主だった。

 それは、日向が捨てたモノ。もはや望むべくもない、生きていく上で必要だった。そのために切り離したソレを惜しげもなく振りまいていた。


(本当にコイツは俺が生んだ幻想か……?)


 イマジナリィフレンドは自己投影、自身の内に秘める側面、だと本で読んだことがあった日向には、どうしても、この幽霊が自分の側面には思えなかった。


「どうした? 他にも聞きたいことはあろう、夜通し付き合ってやるぞ」

「寝る。取り敢えず寝て起きて、そんでもお前がいたら、色々考える」


 日向は目を閉じて布団に潜り込むことにした。

 考えるのが色々面倒くさくなったのだ。

 まだ、初春、夜は冷えるが、微熱を帯びた日向には心地よく、傍に幽霊が揺蕩っていることが障害になることはなく、すぐに寝息を立て始めた。



 早朝五時、染み付いた習慣から目覚まし時計が鳴るより前に目を覚ました日向は、瞼を開いた先に腕組している幽霊と目を合わせてしまった。


「いるのか……まあ、そんな気はしてた」

「随分とまあ熟睡してたじゃないか。一応私は女だぞ、女性に見られて恥ずかしくて眠れない! くらいの情緒はあった方がいいんじゃないか」

「疲れはしっかり抜けてる……熱は引いてはないが比較的良好。やっぱ幽霊なのか、お前」

「現実を受け入れるのが遅すぎる。お前の祖先たちは割りとすんなり信じて受け入れたぞ」

「さて、どうしたものか」


 なにやら騒いでる幽霊を無視して日向は考える。

 他人には見えないものが見える、そんな経験は初めてな日向は少し考えてあることに気が付いた。


「どうするもこうするもねぇか。アンタは俺に何かしろとか言ってるわけじゃないし、俺もアンタにして欲しいことがあるわけでもない」

「まあそうだな、私としてはただ蛍火にくっついている『そういうもの』なだけだからな。あえて目的があるとしたら暇つぶしの相手が欲しいくらいか」


 よくよく、考えてみれば特にダメージもないし悩んだり、騒ぐようなことではないことに、日向は気が付いた。

 普通なら周りから気味悪がられるとか、昨日みたく腫れ物扱いされるとかを気にするだろうが、日向はあまり考えていないらしい。


「まあ、良くわからんが、見えてしまってるし、これからよろしく……そう言えば、まだ名前を聞いていなかったな」

「今更だな……葵の連中は変わり者ぞろいだが、一際の曲者だよ、お前は。名は好きに呼ぶがいい、なにせ生前の名は生前のモノだからなあまり死んでから使いたくはないのだ」

「んなこと言われもな、ペットも飼ったことない俺にネーミングセンスなんてないぞ」

「私をペット扱いするな。そうだな、瀧貴は私のことを『蛍火』から『ほたるさん』と呼んでおったぞ」


 明らかに年上のクール美女に『ほたるさん』はどうかと思う日向だが蛍火から名前を考えるのは一から考えるより気楽だとも思うので、当たり障りのない名前を考えてみる。


「それじゃあ、『蛍火』を音読みにして『ケイカ』でどうだ」

「いいセンスじゃないか。瀧貴のより全然いい、名前っぽい」


 名前に対して名前っぽいって褒め言葉はどうなんだろうか。

 幽霊問題は日向当人の中では解決したらしく、悩みはもう一つの問題の方に戻っていた。

 未希に課せられていた、『友達作り』だ。


「ケイカは友達カウントされないしな、結局、昨日は参って作戦も練れてないし」


 顔を洗いに洗面所に向かうと、ケイカは憑いて、いや付いて部屋から出てきた。


「蛍火に憑いてるって言ってたけど、どこまで動けるんだ?」

「お前と契約した時点で、蛍火、そしてお前のどちらかの半径10mの間なら自由に動けるし、制限は多少あるがモノにも触れる。ぽるたーがいすと、って奴だな」


 ちょくちょく使いなれないカタカナ語に不安定さが生まれるところが、古い人間っぽさが出てる。


「なに、ただこの寮を見物したいと思ったのだ。私もここに住まうわけだからな」

「へーへー、けど、あんま部屋以外であんま話しかけるなよ。他人には見えも聞こえもしないんだから、俺が痛い奴扱いされる」

「そんなことは生きている期間より死んでる期間の方が長いからよく解っているさ。それで、毎朝お前はこんな朝早くに起きて何をしてるのだ」

「ジョギング、体力作りだよ」



 いくら幽霊という非常識な存在であるケイカでも、ちゃんとしたモラルを持ち合わせており、日向が部屋で着替えている間はちゃんと部屋の外で待っていた。


「やはり、不思議なものだな」

「何が?」


 一定のペースを保って海岸沿いを走る日向を、ケイカは腕組みしながら全身を眺めていた。

 自分は走ってるのに見ている側が止まっていると、ランニングマシンを使ってる気分になるな、などと益体もないことを思いながら日向は走りながらケイカと会話をする。

 発声しながら走るといい有酸素運動になる。と未希から聞いていたので、丁度日向も早朝の誰もいない道路上ならケイカの話に付き合うのも悪くないと考えていた。


「お前が身体を鍛え始めたのは病弱さを克服してから、つまり白雪がお前の前に現れて半年後、つまりまだ二年半の鍛錬しか重ねることができてないわけだ」

「そうだな、もっと早く、ドクターに出会っていたら、今頃もう少しましだったろうさ」

「そんな、もしもの話をしても仕方ないだろう。私が言いたいのはだな、たった二年半にしては仕上がった肉体をしておる、ということだ。瀧貴も大概だが、相当な密度の鍛錬量だったのだろう。むしろ、ある程度基盤の身体が成熟してからの肉付けゆえに体格にも恵まれている。幼少からの筋肉を付け過ぎると成長の阻害になるからな」


 ケイカは舐め回すように日向を眺めて、頬杖ついてこうも続けた。


「問題は技術面だな。魔術に秀でてない近接型であるがゆえに、より必要になってくる部分だ。三角とかいう男も言っていたが、こればかりはもうどうしようもない、薊一刀流の門下の唯一の生き残りがお前である以上、これ以上、技術面の向上は望めん」


 それは事実上の、薊一刀流という流派の廃絶を意味していた。


「俺が不甲斐ないばっかりに、薊、いや……出来損ないの俺しか残らなかった時点で葵の血統も衰退かな」


 魔術使いの実力は、血の純粋さに大きく左右される。

 今日まで魔術使いはその血を絶やさないために大衆との交配で、その血を薄めつつも、生き残ってきた。

 魔術の素養は魔術使いの血が一滴ほどの濃さであっても発現するが、薄くなればなるほど一度に扱える魔力量が減り、魔術使いとしての能力に影響する。

 葵家のように名門、名家と持て囃される家系では、血の濃さを一定に保つために同族交配をしている家系が多い。

 葵の家系は、源流の薊から派生し、本家の葵と分家の七夕に分かれ、それぞれの家系で生まれた優秀な男女を葵の跡継ぎに、次点を七夕の跡継ぎにしていた。

 本来なら花蓮の兄、紫陽が日向の姉と結婚し葵の家を継ぐ予定だった。だが紫陽は先の事件で死亡、日向に葵家の継承権が回ってきてしまったのだ。


「重圧に感じてるか?」

「当たり前だろ、凡才の俺が天才の義兄さんの代わりなんて勤まるわけがない」


 ただでさえ、祖父や家族が死んだことに整理がついていないのに、分不相応な責任のダブルプレッシャー。表情にこそ出ないが、ここ最近の日向はこれに圧し潰されそうになっていた。


「天才など、私からすれば一人としていないさ」

「慰めか? それとも驕りか?」

「紫陽は分家という劣等感をバネに、瀧貴という男もまた私を解き放てなければ人より劣る」

「お前を解き放つ?」


 あの豪傑の祖父が人より劣る、と聞かされ、にわかには信じられなかった。だが、ただの気休めとも受け取れなかった。

 正面を漂っていたケイカは横並びになり肩を叩いた。


「鍵は『原初の想い』あるいは、あの男、三角の言葉に従えば道は拓けるかもな」


 三角の言葉「殺す気で来い」それにもまた意味があると、ケイカは言う。


「技術も肝要だが。決して、筋力を軽んじてはいかん、時には洗練された技術を、磨き上げられた筋肉は凌駕するのだからな」

「脳みそまで筋肉にしたくはないがな」


 ずけずけとデリケートなところに入り込んでくるケイカに、不思議と日向は嫌な気はしていなかった。

 むしろ、未希に気を使われていることに居心地の悪さを感じる今、気の置けない友人のように話てくれるケイカの存在をありがたいと感じていた。


「私は答えを知っている。何せ二千年の歴史があるからな、永き時の流れからすれば、お前の悩みなどありふれた瑣末ごとなのさ。だが、教えてやらん、どんな瑣末ごとであろうと、たしかな成長に繋がるのだからな」


 葵の歴史に寄り添ってきた少女は、この時代の葵にも漂い寄り添う姿勢を見せるのだった。

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