第9話 「希世、何で沙也伽の渡米を反対してんだ?」
〇朝霧希世
「希世、何で沙也伽の渡米を反対してんだ?」
数日前…ロビーで紅美が詩生くんと映ちゃんと話してるのを見たから、てっきり二人には何か言われると思ったけど。
まさかの彰が聞いて来た。
「…色々あんだよ。」
「色々とは?」
「…廉斗もいるのに…」
「どうにでもなるだろ?」
「…んじゃ、彰は佳苗が子供を置いて女優を始めるっつったら賛成か?」
俺の切り返しに、彰は目を丸くして。
「んー…内心嫌だと思っても、あいつがしたいなら応援するぐらいの器は持ちたい。」
まるで嫌味のように…そう言った。
「…悪かったな。器が小さくて。」
「本当に廉斗の事だけか?」
「他に何があるって言うんだよ。」
「…プライドが邪魔してるとか?」
「…そんなんじゃない。」
俺はプイとそっぽを向くと、プライベートルームを出た。
俺が反対した話は…瞬く間に広がってて。
昨日は映ちゃんのお父さんにまで言われた。
「行かせてやれよー。」
…周りは、何とでも言えるさ。
「希世。」
ああ…また何か言われるのか。
声をかけられて振り向くと。
「はっ…あ…はい…」
「飯、付き合えよ。」
泣く子も黙る…神 千里さん。
「え…俺が…ですか?」
「そう。」
神さんと飯…
食った気になんねーよ…!!
そうは言っても、断るわけにもいかず。
俺は神さんについて外に出る。
神さんは無言で。
当然俺も無言。
少し歩いた場所にある『香津』っていう…ちょっと高級な店に入って…
な…なんだ?
こんな高級な所に…
俺みたいなヒヨッコ連れて来るとか…
しかも神さんは、庭園の見える座敷にしてくれとかってさ…
ますます飯なんか食えねー!!
「さて。」
正面に座られて、そう言われて…
俺はカチコチ。
「飲むか。」
「……え?」
神さんは運ばれてきたビールを俺にも入れてくれて。
「さあ、飲め。」
まだ昼間だと言うのに…乾杯してくれた。
目の前には、普段食べる事がないようなご馳走が並んで…
これ、本当に俺みたいなペーペーが…神さんと食ってもいいやつ?って、気になって仕方がなかった。
「俺は、おまえの気持が分からなくもない。」
「……」
「プライドとかじゃねーよな。ただ、行かせたくないんだよな。」
神さん…
「俺も若い頃、知花にアメリカデビューの話が出て…俺は俺でバンドは解散の危機。しかも知花は行きたくないってごねやがって…」
「え?どうして…行きたくないって?」
「俺と離れたくないから。」
「……」
の…のろけ?
「俺だって離れたかなかったさ。でも、俺の気持ちなんかで、あいつらの才能を埋もれさせるわけにはいかない。」
「それで…行けって言ったんですか…」
「…それどころか、知花から離婚を叩きつけられたよ。」
「えっ!!」
目の前に並べられたご馳走が目に入らなくなった。
「ひでー女だよな。俺と離れたくないって言いながら、別れてくれと来た。」
「そ…それで…?」
「別れた。」
「……」
俺の口は開いたまま。
アメリカデビューのために…離婚…?
「それで結果あいつらはあっちで成功したし、ま、捨てられても納得はいった。」
神さんは何か思い出すように…小さく苦笑いしたり…目を細めたり…
ビールをガンガンに飲んでる。
「けど…」
「…けど…?」
「惚れた女を手放したら、情けねー事に…歌なんか歌えなくなっちまったんだよなー。」
「……」
神さんて…もっと…女は黙ってついて来いタイプなのかと思ってた。
奥さんの事を大好きなのは、事務所で見ても分かる。
いつも腰に手を回してて…何ならそこで何かが始まってしまいそうな熱い目で…奥さんを見てる。
軽く手の平で転がされてない?って思ってしまう事もあるけど。
詩生くんが言うには、神さんはそうされたいらしいぜ。だって。
俺と沙也伽は…やっと、夫婦って言うか…恋人って言うか…
本当に、やっと…気持ちがついて来たって感じで。
まだ、今からって感じで…
何より…俺には。
どうしても反対しなきゃいけない理由が…
「俺自身、離れたくないから、行かせたくない気持ちも…なくはないです。」
俺は料理に手を付ける事なく、話し始める。
「いや…どちらかと言うと…沙也伽の夢を…叶えたい、応援したいって気持ちは…大きいんです。」
「……」
神さんはビールを飲むのをやめて、聞いてくれてる。
「…俺と沙也伽って、できちゃった婚じゃないですか。」
「ああ。」
「それで、向こうの親には…かなりガッカリさせたと思うんです。」
「今が良ければ、それはもう関係ないんじゃないか?」
「…春に…周子さんのトリビュートアルバム制作で、沙也伽も二週間ほど渡米したじゃないですか。」
「ああ。」
「あの時…親父さんの体調が悪くなったんですよ。」
「え?」
幸い、大したことはなかったけど…
倒れた親父さんは、ずっと沙也伽の名前を呼んでて。
駆け付けたお義兄さんが。
「少しは俺の名前も呼べよ。」
って、ヤキモチ焼くぐらいだった。
診察の結果、過労だったが…精神的ストレスの事も医者に言われた。
「好きな事ばっかやってんのに、何のストレスが溜まってんだよ。」
そう、あっけらかんと言う義兄さんに。
「まあ…お父さんにも色々あるのよ…」
お義母さんは、言葉を濁した。
…沙也伽が妊娠したと知った時…
お義父さんショックで失神した。
それほど…可愛い娘なんだ…
それを、妊娠って形で…沙也伽をあの家から出す事になって…今はまだ、廉斗を連れて遊びに行ける距離にいるから。
心からの祝福じゃなくても…許してくれてる部分はあると思う。
だけど…
一年半も、しかも…廉斗を置いて渡米するとなると…
お義父さんは色んな気を使う人だから…また、倒れてしまうんじゃないだろうか。
今でこそ、俺の愛はちゃんと育ってて。
沙也伽の事、本当に大切にしたいと思う。
だけど、その反面。
あんなに沙也伽を大事に想ってる親父さんから、あんな形で奪ってしまった事への罪悪感は…膨らむ一方だ。
「そうか…」
神さんは俺の話を聞いて。
「じゃ、親父さんも一緒に渡米したらどうだ?」
とんでもない事を真顔で言った。
「…は?」
「ああ、親父さんじゃない。親御さん。店は誰か雇えばいい。」
「……」
まさに俺の顔は『ポカーン』って顔文字のそのままだ。
神さん…
何、無茶苦茶な事を…
「目の届くところで、沙也伽がどれだけ頑張ってるか知ってもらえばいい。」
「……」
「ま、おふくろさんはともかく…親父さん、年寄りだったよな。年寄りに一年半はキツイかもしれないから、せめて半年でも。」
「あ…あの…えーと…」
俺は、回らない頭で考える。
「えと…それなら、ここの事務所で見てもらっても…」
そうだよ。
わざわざアメリカになんて行かなくても…
「こっちじゃ常に知ってる奴がいるからな。甘えられる環境ってのが揃ってる。」
「……」
「知らない土地でも、沙也伽はこれだけやれるんだってとこ、ちゃんと見せて…手を離させてあげたらどうだ?」
「そう…したいのは山々ですが…」
「子供ってのは、親にとってはいくつになっても子供だ。だけど、たぶん沙也伽の親父さんにとっては…沙也伽はまだ小学生ぐらいのままなんじゃねーか?」
…思い当たり過ぎる。
「それに、おまえが責任を感じるこたねえよ。順番なんか違ったって、幸せになったモン勝ちだ。」
「…ははっ…神さんらしいっすね…」
「順番どうこうちっさい事言ってる奴の方が、幸せに関する感度が低い気がするな。おまえは堂々としてろ。」
「……」
なんて言うか…神さんが、ただ怖がられてるだけじゃないのが…分かった。
怖くても、この人について行きたいって、みんなが思うのが分かった。
愛に純粋で、自分に正直で…
こうやって…沙也伽のバンドのためだけじゃなくて…俺のケアまでしてくれるなんてさ…
「…行くって言うかどうか分からないけど…向こうの親に話してみます。」
「ああ。住む場所は用意するから心配するな。」
そこまでしてくれるんだ?
笑いが出そうになった。
ほんと…ビートランドの上の人達は…
世話好きにもほどがある。
「せっかくの料理だ。食えよ。」
「…いただきます。」
手を合わせて、箸を持つ。
一人だけこんなご馳走食って、罰当たらねーかな…なんて考えてると。
神さんは、少し首を傾げて俺を見て。
「おまえらも、課題クリアしろよ。」
…悪魔…っ!!
と思わせるような、笑顔を見せた…。
* * *
〇朝霧沙也伽
「……」
あたしは今…とても…らしくない顔をしてるんだと思う。
出来れば…知った顔が通りませんように…
昨日の夜…
「沙也伽。」
仕事から帰って来た希世が。
「おまえ、明日オフだよな。」
相変わらず毎日泣けてしまって、目が腫れてるブスなあたしを前に言った。
「明日、デートしようぜ。」
その言葉に…
「きゃあ!!デート♡いいわねいいわね!!」
はしゃいだのは…お祖母ちゃんと、お義母さんだった。
そんなわけで…同じ家に住んでるのに…音楽屋の前で待ち合わせ。
ああ…
照れくさい…
デートなんて…
あたし、生まれて初めてだよ…!!
「沙也伽。」
呼ばれて顔を上げると、希世が車に乗って窓から顔を覗かせてた。
「…えっ?」
希世…
何で車になんか乗ってるの!?
「ど…どーしたの?これ、おじいちゃんの車だよね?」
「借りた。」
「借りたって…希世…免許…」
「ペーパードライバー。」
「……乗りたくないんだけど…」
「大丈夫だって。今朝練習して来たから。」
…だから早くに家を出たのか…!!
「……」
あたしは眉間にしわを寄せながらも、助手席に乗り込む。
初めて乗るけど…高級な皮の匂い…
希世…ぶつけないでよ…
そんなあたしの想いとは裏腹に。
希世は車を飛ばして海に向かった。
…正直、こんなの…本当に初めてで。
すごく…興奮する!!
ドライヴって何が楽しいんだろうって思ってたけど、希世が用意してくれたのか、うちの事務所のバンドの曲がランダムに流れて。
それを一緒に歌ったりして。
すごく楽しい!!
こうしてると…ぎくしゃくしてるのが嘘みたい。
DANGERのアメリカデビューの話は…
希世が反対してるから…行けなくなった。
一昨日、神さんから『今回は、なし』ってあっさり言われて…
超へこんだ。
…みんなにも悪かったけど…
なぜかみんな笑顔で。
「気にするなって。」
「また次があるよ。」
「日本でもやれるって。」
あたしを励ましてくれて…
だけど、あたしは希世に反対されたあの日から、毎日涙が止まらない。
もうダメだって決まったのに。
やっぱり…諦められない…。
「酔った?」
あたしが黙ったからか、希世が速度を落としてあたしに言った。
「…え、う…ううん…大丈夫…」
だけど、つい…小さく溜息をついてしまった。
せっかく…希世がデートに誘ってくれて。
色んなプランを立ててくれてるんだろうけど…
…ゴキゲン取り?なんて…思っちゃう。
あたし…
荒んでる?
でも、仕方ないよね?
希世が反対したから、行けなくなったのは間違いないんだから。
…そう考えてると、フツフツと怒りが蘇って来て。
「…アメリカ…行きたかった…」
小さくつぶやいた。
「……俺と廉斗を残してでも?」
「そんなの…比べる所じゃないでしょ。」
「……」
いつもなら。
まくしたてるように、言葉を並べる希世が。
何も言わなくなった。
あれ。
何これ。
調子狂うな…。
車の中では、こんな時に『I'm horny』
したい気分なのよ。
…紅美。
ちょっと黙っててくれるかな。
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