第19話 翌日。

 翌日。

 あたしは学会に行くわっちゃんと別れて、一人で次の温泉地へと向かった。


 今回の旅は車で。

 高速を使って、三時間で辿り着いた。



「こちらのお部屋になります。」


 案内された部屋は、以前泊まった部屋とは階が違ったけど、窓から見える景色はすごくきれいで大満足!!


 ここは、三年前にみんなで来た温泉。

 あの時は…沙都も華月ちゃんも一緒で…楽しかったな…


 海を望めるロケーションは最高に気持ちいい。

 やっぱ、ここを選んで正解。



「んーっ。」


 窓を開けて、大きく伸びをした。

 確か、露天風呂が新しくなったって書いてあった。

 よし。

 もう少ししたら、早速湯に浸かりに行こう。



 オフの間はほっといてやろう。

 そうとでも思ってくれたのか、面白いぐらい誰からも連絡がなかった。

 絶対沙都から電話があるだろうなって思ってたけど、それもなくて。

 それが嬉しいのか寂しいのかは分からないけど、お土産はちゃんと買って帰ろうと思った。


 露天風呂に浸かって、その心地良さを満喫して。

 庭園の散策をして心を落ち着かせた。

 ああ…やっぱこういう時間って必要だよね。

 ずっと、せかせかしてた気がするもんな…


 しばらく近くを散策して、お土産でも買いに行こうかな…って一度部屋に戻りかけた所で…



「紅美…」


 あたしの足が止まる。

 声も出ない。


「……」


 海くんが…

 海くんが、あたしの目の前に立ってる。


「……」


「……」


 お互い、無言で見つめ合った。


 …何で?

 もしかして…わっちゃんが何か?



「…一人か?」


 ふいに、海くんが問いかけた。


「…うん…」


「そっか…」


「…海くんは?」


「一人。急にここに来たくなって。」


「……」


 不思議。

 別れたのに。

 もう、あたしたちは、とっくに終わってるのに。

 どうして…こんなとこで繋がっちゃうの?



「…少し、話せるか?」


「えっ…?」


 海くんは、そばにあったベンチに座って…あたしを見上げながらそう言った。


「…少し、話したい。」


「……」


 …海くん、少し痩せた…



「まだ泳げそうだな。」


 波の向こうを見てるような視線。


「……」


 何だかんだ思いながら、あたしは海くんから少し離れて座る。


「カプリ、大盛況だったな。今でも写真飾ってあるんだぜ。」


 ふいに、海くんは懐かしいような話題を出した。


「…そうなんだ。」


「カプリで…」


「……」


 波の音が…優しい。


「Lovely Daysって曲演っただろ。」


「……」


「今も俺ん中で、あの曲はお守りみたいになってる。」


「…別に、そんなつもりで作った曲じゃないよ。」


「でも、嬉しかった。」


「……」


 来てたんだ…



「…このあいだ…」


 あたしは、ゆっくりと…言葉を選んだ。


「…朝子ちゃんに会った。」


「……」


「…婚約解消した…って。」


「……俺が不甲斐ないばっかりにな。」


 海くんは苦笑いすると、足元の枝を取って砂を集め始めた。


「……なんで?」


「何が。」


「朝子ちゃんの事…抱けないの…何で?」


「…そんな事まで話したのか…」


 海くんは大きく溜息をつくと。


「…別に、朝子だけがダメなわけじゃない。俺自身…どうしていいか分からなくなって、他の女でも試してみた。」


「…意外だね。」


「でも、ダメだった。だったら…色々治療とか、妊娠方法とか…考えて行けばいいって話したけど…」


「朝子ちゃんは納得しなかったんだね。」


「…そういう事。結局朝子は…俺の事を憎んでたから。一緒に居ると辛いって言われた。」


「……」


「…おまえも朝子も…傷付けた。」


 風が吹いて、海くんの髪の毛が揺れる。



「おまえは?沙都と上手くいってんのか?」


 あたしはこの時…

 色んな事を考えていた。

 海くんの横顔を見て、変わらず愛しさが湧いたし…

 まるで、別れる前に戻ったみたいに…あたしの気持ちは、そこにあった。



「…海くん。」


「ん?」


「あたしの事、まだ愛してる?」


「…何言ってんだ。」


 あたしの言葉に、海くんは小さく笑った。


「…愛してた、って、言っただろ?もう、終わった事だ。」


「嘘だよね。」


「……」


「そう言わなきゃいけなかったから…あたしも、そう言った。」


「紅美…」


「分かってるよ。海くんは…あたしを選ばないって。」


「……」


「歌ってるあたしが好きだもんね…」


 海くんと結婚すると言う事は…業界からは去らなければならない。

 それほど、海くんは…二階堂の中でも特別な人だ。



「…でも、愛してるの…」


 手を握ると、海くんはそれをそっと振り払った。


「紅美、俺達はもう終わったんだ。」


「…あたしは、まだ終わってない。」


「……」


「…終わらせて。」


 海くんに抱きついて。

 強引にキスをした。


「おま…」


 離れようとする海くんの頬を両手で押さえて。

 あたしは、今、この瞬間だけの事を考えた。



「愛してるの…ずっと…忘れられなかった…」


 海くんの耳元でそうつぶやくと。


「…やめろ…」


 海くんはあたしの肩を掴んで離そうとして…


「……」


 苦しそうに…顔をゆがめた。


「…今だけでいいの…」


 頬にキスをする。

 それから…首筋に。


「海くん…愛してる…」


 離れていた時間を埋めるように…あたしは、何度も言った。


「………ダメだ。俺はおまえを守れない。」


 海くんは…

 本当に…苦しそうな声で、そう言った。


「守って欲しいなんて思ってない。」


「……」


「今は…ただ、今の気持ちで…」


「ダメだ。」


 海くんは立ち上がって、あたしに背を向けた。


「待って!!」


 海くんを追って。


「もし…もし、あたしの事、嫌いじゃなかったら…今夜、部屋に来て。」


 腕を掴んで言う。


「…海くんにとっては…どうか分からないけど…」


「……」


「それで…あたしは、終わらせるから。」


「……」


 あたしの言葉に、海くんはずっと無言。


「これから…ちゃんと…前に進む。誰かと恋をして…誰かのものになる。」


「……」


「二階の、紫の間だから。」


「……」


「…待ってる…」


 あたしはそう言うと、立ちすくむ海くんを置いて、部屋に戻った。



「……」


 部屋に戻って…ペタリと座り込む。


 懐かしい…唇。

 夢みたい…



 今夜…海くんは来てくれるだろうか。

 …終わらせて欲しい。

 それが、海くんにとって酷い決断だとしても…

 …許してほしい…。




 夜…。

 あたしは、窓辺で景色を見ながら海くんを待った。

 だけど…

 何時間待っても、海くんは現れなかった。


 気が付いたら…涙があふれてて…

 あたし…なんであんな事言っちゃったんだろう…って…後悔し始めた。


 自分が終わらせたいから…って…海くんに、決断させるなんて。

 しかも、朝子ちゃんと出来なかったって知ってるのに…誘うなんて。

 あたし、最低だよね…



 海くんは、優しい人だ。

 婚約解消したのに、朝子ちゃんに義理立てって言うか…

 うん…

 あたしが…悪いよ…



 涙をぬぐって、部屋を出る。

 もう…きっと来ない。

 部屋で待ってるのが辛い。

 あたしはゆっくりと歩いて、浜辺に向かった。


 波は穏やかで、あたしは少しだけ冷静さを取り戻せた。


 …海くんに…気持ちを残させる所だった…

 毎日、命を懸けてるような仕事をしてる人に…邪念ばかり持たせてどうするんだよ。

 小さく笑う。



 あたし、結局…自分が可愛いんだな…

 はあ…

 成長ないや。



 砂の上に仰向けになる。

 途端に広がる…満点の夜空。

 その壮大さは、今のあたしの悲しみと言うか…自分のちっぽけさを悲観する気持ちを、少し慰めてくれた。


 しばらくそうやってると…


「…そのまま、聞いてくれ。」


 そばで…海くんの声が聞こえた。


「…いつの間に…」


 言われた通り…上を向いたまま、あたしは海くんの声を拾った。



「…部屋に行かなくて、悪い。」


「…ううん…あたしこそごめん…」


「ここからは、全部本音だ。」


「…うん。」


 あたしは…そっと目を閉じた。



「朝子を抱けなかった。だから、おまえも抱けない。」


「…そっか…」


「その指輪も…外して欲しい。」


「……」


 気付いてたんだ…


「俺との事を終わらせるのは…おまえ自身の問題だ。」


「……」


「いつまでも引きずるな。」


 あたしは息を飲んで指輪を外すと、それを…海くんに渡した。


「…あたしには、捨てれないから…」


「……」


「捨てるフリして、大事にしちゃいそうだから…海くんが捨てて。」


 すると、海くんはそれを手にして…

 …波間に向かって…投げた。

 泣きたくなったけど、少し…スッキリしたような気もした。

 自分じゃ…どうにもできなかったしな…



「俺が弱いせいで、二人を傷付けた。」


「…どうして、弱いなんて?」


「…おまえが向こうに来た時…迷わず抱いてしまった。」


「……」


「俺は…自分の立場をわきまえてなかった。」


「二階堂のトップに立つから、恋愛も自由にできないって事?」


「…そうだな。」


「じゃあ、あたし…立場的な物では、とっくに朝子ちゃんに負けてるよね…」


「……」


 二人が許嫁だったのは…二階堂にいる者同士。

 そういう点でだった。と思う。

 実際、朝子ちゃんの両親も二階堂の人達だし…


 …空ちゃんは、わっちゃんと結婚したのに。

 どうして海くんはダメなの?

 …なんて…

 言えないよね。

 男と女じゃ、また…違うんだろうし…



「…あたしと居た事…間違いじゃなかったって、言ってくれたよね…」


「…ああ。」


「それでも、後悔はしてるんだ…?」


 あたしの言葉に海くんはなかなか答えなかった。

 たぶん…何を言ってもあたしを傷付けるって…

 バカだね…海くん。

 なんでそんなに優しいの?



「…聞いていい?」


「…なんだ?」


 会えたついでだ。

 あたしは…多少開き直って来てた。



「…あたしが流産したの…知ってるよね…?」


「………」


「もし…朝子ちゃんを選ぶって決める前に…あたしの流産を知ってたら…あたしを選んでた?」


 すごく…意地悪な質問。

 だけど、ずっと気になってた。


「…結局は、どちらも選ばないって選択をしなかった俺がバカだった。」


「そうじゃなくて。どっちだった?って聞いてるの。」


「……」


 海くんは少し悩んだけど。


「先に知った方を選んだだろうな。」


 低い声で言った。


「…そっか…じゃ、相手はどっちでも良かったって事だね。」


「……ああ。」


 ズキン。


 …嘘だ。

 海くんはそんな人じゃない。

 あたしに…諦めさせようとして言ってる。

 …解ってるけど…

 胸が痛い。



 しばらく、言葉が出せなかった。

 だけど、あたしはもう一つ…


「…もう一つ…聞いていい?」


「……」


 海くんから返事はなかったけど、あたしは言葉を出した。


「どうして…母さんに言ったの?」


「…何を。」


「あたしたちのこと、母さんに言ったんでしょ?」


「麗姉に?」


「海くんから電話があったって。」


 少しだけ、視線を海くんに向ける。


「俺は何も言ってない。」


「え?」


 つい、目が合ってしまった。

 海くん…言ってないって…


「でも…母さん、海くんから聞いたって…」


 体を起こして、海くんを見る。


「陸兄には…正直…話そうと思ったけど。わっちゃんに止められた。」


「じゃ…誰が…」


 あたしが考え込むと。


「…沙都じゃないのか?」


 海くんが、少しだけ優しい声で言った。


「…沙都?どうして沙都?何も…知らないはずだけど…」


「アメリカ来た時、あいつ知ってるって言ってたぜ。」


「沙都が…?」


「ああ。」


「……」


 …どうして沙都が知ってるの?


 ……だから…?

 だから、一緒に渡米してた頃…いつもあたしのそばにいたの?

 朝子ちゃんとカフェで会った日も、泣いてるあたしをずっと抱き締めてくれたのは…全部知ってたから?



「俺に言われたくないかもしれないけど。」


「…?」


「幸せになって欲しい。」


「……」


 海くんはそう言うと、立ち上がって…宿に向かって歩き始めた。


 …幸せに…?

 あたし、もう幸せだよ…


 今日のこれは…

 ちょっと欲張り過ぎたって事だよね…

 …キスできただけでいいか…って。

 あれは、あたしが奪ったんだよね。


 あはは…

 凶暴な女だって思われたかな…



 空を見て…笑えるのに。

 やっぱり、ちょっとだけ涙が出た。



 …ちくしょー…

 どっちでも良かったなんて…

 そんなわけ、ないじゃん。

 嘘が下手な海くん。


 バカじゃない?

 …終わらせられないよ…

 ますます…ずっと好きでいたくなった。



 海くんは、あたしと沙都が上手くいけばいいって思ってるのかもしれないけど…

 いくら沙都が…ずっとあたしのそばにいてくれるとしても…

 あたしの気持ちは…


 あの日から、ずっと変わっていなかったなんて…。


 悔しいな…。

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