第6話 『紅美ちゃん、今どこ?』

『紅美ちゃん、今どこ?』


 一時間経っても帰れなかった。

 それどころか、連絡するのを忘れてたあたしに、沙都が電話してきた。


「ごめん…ちょっと今日、あたし抜きで練習してもらっていいかな。」


『それはー…いいけど…何か変わった事?』


「沙都には、後で話すから。」


『…分かった。』


「ごめんね。」


『紅美ちゃん。』


「ん?」


『気を付けてね。』


「…ありがと。」


 携帯をポケットにしまって、あたしは走り出す。


 …あそこじゃないかな。

 まだあるといいけど…



 まだネオンもついていない繁華街。

 あれ以来…来るのは初めて。

 あたしは、記憶を頼りに狭い道を抜けて、そこにたどり着いた。


 …影。



「……」


 一度小さく深呼吸をして、ドアを開ける。

 コロコロと低い音のカウベルが鳴って、マスターが顔を上げた。


「…おや、今日は同窓会か何かかな?」


「お久しぶりです。」


 マスターに聞くまでもなく。

 あたしは、店の一番奥、いつもあたしが座ってた席に向かう。


「…慎太郎。」


 慎太郎は、そこで壁にもたれるようにして…眠ってたのかどうか。

 あたしが声をかけると、うっすらと目を開けた。


「…おまえ…」


「ルミちゃんが来た。全部聞いた。」


「…余計な事を…」


「病院、行こうよ。」


 慎太郎の腕を取ると。


「…行かねえよ。」


 慎太郎は、低い声でそう言って、あたしの手を振り払った。


「……」


 あたしは、息を吸って。


「…ふざけんなよ…」


 慎太郎の肩を掴んだ。


「ふざけんなよ。勝手にいなくなって勝手に現れて、これ以上あんたの好きにはさせない。」


「……」


「ガンだから?何だよ。負けんなよ。あんたらしくない。」


「……」


「一日でも長く生きてみせろよ。」


 慎太郎の目から、涙がこぼれる。


「…凜太郎か…?」


「兄弟だから、ちゃんと面倒見てやる。」


「はっ…はは…」


 慎太郎は立ち上がってあたしを抱きしめると。


「おまえ…厄介な奴だな…」


「慎太郎が言うかな…」


「…覚悟…あんのかよ…」


「覚悟?」


「…最期まで…いてくれんのか?」


「…いるよ。」


 いるよ。

 慎太郎。

 あんたの息が止まる、最後の日まで。


 じゃないと…

 あたしはきっと。


 後悔する。



 * * *



「紅美。」


 スタジオの帰り、呼ばれて振り返ると…ノン君。


「何。」


「今日、空いてるか?」


「ううん。空いてない。」


「……」


「ごめん。忙しいから。じゃ。」


「紅美。」


「何?」


 手を取られた。


「昨日、何かあったのか?」


「どうして。」


「おまえが練習来ないなんて。」


「…それは、ごめん。」


「何があったんだ。」


「…言いたくない。」


「……」


 ノンくんは溜息をついて、さらに強くあたしの腕を掴むと。


「様子がおかしい。」


 真顔で…言った。


「そんな事ないよ。」


「……」


 あたしがノン君の目を見てキッパリ言ったからか、ノン君もそれ以上は聞いて来なかった。


 …あれだけー…ノン君と薫さんの事でモヤモヤしてたのに。

 命のかかった慎太郎を目の当たりにして…

 どうでも良くなった。



「あたし、急ぐから。」


「……」


 ノンくんの腕を外して、エレベーターに乗って下に降りた。



「あ、もしもし、わっちゃん?」


 ロビーを歩きながら、わっちゃんに電話する。


『ああ、なんだ?』


「ちょっと、お願いがあるんだけど…」


『…何だ?』


「友達がガンなんだ。治療は難しいとしても…何か苦痛を和らげるような方法って…ないかな…」


『…友達?』


「うん。」


『一度病院に連れて来い。話はそれからだ。』


「ありがと。そうする。」


 電話を切って、あたしは急ぐ。



 昨日、慎太郎を連れてナナちゃんのお店に戻ると。

 二人は泣いて慎太郎に抱きついた。


 心配したじゃないの。

 何やってんのよ。


 そう言って泣く二人に…

 慎太郎は、優しく笑いかけた。



「…悪かったな。」


 今までだったら、あり得ない。

 慎太郎の優しい言葉。



 あたしが、慎太郎のそばにいる事を選んだと言うと…

 ナナちゃんとルミちゃんは反対した。

 だけど…あたしが一緒に居たいんだ。

 …あたしの父親が殺した家族の代わりに。

 あたしが、慎太郎を大切にしたい。

 少しでも、その人生に幸せな時間があった、と。

 慎太郎に…思って欲しい。


 それが自己満足に過ぎないとしても。

 あたしも…先に進みたい。



 * * *


「…慎太郎さんが…?」


 まだ、あたしと沙都だけのプライベートルーム。

 あたしは慎太郎が会いに来た事、病気な事を打ち明けた。


「それで紅美ちゃん…慎太郎さんと…?」


 沙都は眉間にしわを寄せたまま、低い声。


「…ごめん。こんな話。」


「いや、ごめんとかじゃなくてさ…」


「あたし、自分でもよく分かんないんだよね。」


「……」


「ただ、慎太郎は…あたしの父親のせいで、ずっと辛い想いをして来てさ…やっと幸せになれるかもしれないって時に病気になって…だから…」


「お父さんの代わりに、罪滅ぼしするって事?」


「…そう取られても仕方ないけど…」


「……」


「正直、あたしの事を必要としてくれる人には、あたし…たぶんホロッといっちゃうんだよ。」


 前髪をかきあげながらそう言うと。

 沙都は目を細めて。


「紅美ちゃん、それは良くないよ。」


 キッパリとそう言った。


「…そうだよね…分かるんだけどさ…」


 分かるんだけど。

 あたし自身、どうしていいのか分からない。


 ノン君に求められるがまま抱かれたり。

 慎太郎の最期を看取る約束をしたり。


 …誰かに、必要とされたい。

 じゃないと…

 自分で決めたクセに、あたしは今も朝子ちゃんを恨んでしまいそうになる。



「…海くんの事、まだ吹っ切れないんだ?」


「…そうじゃないよ…」


 そう答えたあたしの声には、全然力が入ってなかった。

 もう、あの二人は婚約して…

 あたしは、海くんの中では思い出でしかない。


 めったに会う事のない、イトコ。

 そういう位置付けになると思う。


 あのキスも…あの腕も…

 あたしは今も、こんなに恋しくてたまらないのに。

 本当…こんな事なら、自分の気持ちになんて気付かなきゃ良かった…

 今さらそんな事を考えて、ブルーになる。



「…紅美ちゃん。」


 ふいに沙都があたしの手を握った。


「……」


「僕はいつでも紅美ちゃんの事が必要だよ?」


「沙都…」


「紅美ちゃんのためなら…なんだってする。」


「……」


 自然と…距離が縮まった。

 唇が触れそうになって…


 ガチャッ


「っ…」


 ふいにドアが開いて、沙都が驚いたように離れた。


「…なんだ。居たのか。」


 ギターを担いだノン君が入って来て、あたしの手を握ったままの沙都を…少しだけ目を細めて見た。


「沙都、女いんだろ?浮気すんなよ。」


 小さく笑いながらギターをおろしたけど…


「…そういうんじゃない。」


 沙都はイライラした声で立ち上がって…部屋を出て行った。


「…おまえも。」


 ノン君は座ってるあたしの頭をグリグリしながら。


「あちこちにいい顔すんな。」


 低い声。


「…自分はいいわけ?」


「は?」


「薫さんに、思わせぶりにしてるじゃない。」


「あいつはただの同期だぜ?」


「…もういいよ。」


「もういいって、何が。」


「薫さんと付き合えばいいじゃない。あたし達はバンドメンバーってだけでいい。」


「……」


 ノン君は小さく溜息をつきながら、あたしの隣に座ると。


「やっぱり沙都がよくなったか?それとも、こないだ事務所の前で会ってた男のせいか?」


 あたしの顎を持った。


「…わかんない。」


「なんだよそれ。」


「誰でもいいの。あたし。」


「……」


「あたしを必要としてくれるなら。だから、ノン君とだって、何てことなく寝れちゃうもん。」


「おまえ…何があった?」


「別に何もない。あたし、今日はオフだから帰る。」


 立ち上がろうとすると。


「待てよ。」


 ノン君に手を引かれた。


「離して。」


「…誰でもいいなんて言うな。」


 引き寄せられて…抱きしめられた。


「ちゃんと、誰が好きか…考えろ。」


「……」


「おまえが辛くなるだけだろ?」


「あたしの気持ちなんて考えずに、付き合おうって言ったクセに。」


「……」


「付き合ってるって言いながら、他の女と会ってあたしの反応楽しんでるクセに。」


「違う。そうじゃない。」


「もう、そういうの面倒だから。あたし、ノン君とは付き合わない。でも、寝たくなったら言って。体の相性は良さそうだから、いつでも相手してあ…」


 ドン


 肩を、突き放された。


「…どこへでも行け。」


「……」


 ちさ兄と同じ声だ。

 こんな時なのに、そう思った。


 あたしはノン君を残して部屋を出ると、暗い気持ちで『影』に向かった。



 * * *


「どういう知り合いだ?」


 地元の病院から検査結果を取り寄せて、わっちゃんのいる大学病院に持って行くと…慎太郎は即入院となった。

 今日は、細々とした検査で、慎太郎は朝からあちこちに行かされている。


 慎太郎が検査をしている間。

 わっちゃんが、胡散臭そうな顔であたしに言った。



「…誰にも言わないでくれる?」


「正直に話してくれるならな。」


「あたしの…実の父親に、お父さんと弟を殺された人。」


「それって…おまえが家出してた時に…」


「うん…」


 あたしが家出して、慎太郎と暮らしてた事は…二階堂家の者は知ってる。

 あの時、空ちゃんは記憶喪失になってたから、リアルタイムでは事情を知らないけど。

 後で励まされたもんな…

 だからきっと、わっちゃんも知ってるはず。



「これから、どうするつもりだ?」


「あたしを頼って来てくれたんだ。」


「だからって、おまえが背負わなくてもいい事だろ?」


「あの時、あたし…世界中に一人ぼっちな気がしてた。」


「……」


「だから…慎太郎には、すごく救われたんだ…」


「恩返しや情で一緒に居るつもりか?」


「……」


 あたしは、わっちゃんの目を真っ直ぐに見て言う。


「それでも、誰かが居てくれないと…」


「紅美…」


「誰かが居てくれないと、あたしが…壊れそうなんだよ…」


「……」


「もう、どうにもならない事なのに…どうして海くんを助けたのがあたしじゃないんだろうって…なんで、あの時地震なんか起きたんだろうって…時間が経てば経つほど、そんな感情しか出て来ない。」


「紅美。」


「時間が薬って、何?全然薬になんかならない。どうして、海くんはあたしを選ばなかったの?顔に傷が残るって、そんなに大変な事?それで海くんが手に入るなら、あたしだって顔に傷を」


「紅美!!」


「……」


 わっちゃんが、あたしの両肩をギュッと掴んで。


「…そうだな。おまえ一人で抱えられるわけないよな。」


 絞り出すような声で、そう言った。


「……」


「気が向いたらでいい、カウンセリングを受けてみないか?」


「…あたし、頭がおかしくなってる?」


「そういう意味じゃない。心に抱えてる負担を、どう減らしていくか話してみるだけだ。」


「……」


「彼といて、楽になれると思うのか?」


「誰もいないよりは…」


「紅美はそれでいいかもしれないが、彼は同情で一緒に居られて、どう思うかな。」


「…それは…」


「俺はそれでもいい。」


 ふいにドアを開けて、慎太郎が入って来た。


「慎太郎……いつから…?」


「おまえ、あいつと出来てたのか。」


 慎太郎は、苦笑い。


「…あいつ、沙都坊より先におまえを探しに来て…ずっと好きだったって言ってたもんな…」


「……」


 わっちゃんは、慎太郎とあたしを見て。


「聞いてたなら話は早いな。紅美はこういう精神状態だ。君にも辛い想いをさせるだけだと思う。」


 キッパリと言った。


「俺は、どうでもいいよ。そんな事。」


「慎太郎…」


「同情でも、罪滅ぼしでも、紅美の隙間を埋める事ができるんなら。」


「…そのためにも、君はちゃんと治療を受けるべきだと思うけど、そこは?」


「ああ…するよ。」


 わっちゃんの顔が、少しだけ優しくなった気がした。


「治療は辛いと思う。紅美、それをそばで見ていられるのか?」


 あたしは頷く。


「…分かった。内科の先生と相談して、治療方針を決めよう。」


「宜しくお願いします。」


 慎太郎が、頭を下げる。


「余命がどれぐらい、とかじゃない。生きるための治療をする。その覚悟、ちゃんとしておくように。」


「はい。」


 わっちゃんが病室を出て行った。


 慎太郎はふっと笑って。


「はい、なんて…どれぐらいぶりに言ったかな。」


 つぶやいた。


「宜しくお願いします、なんて言えるんだね。」


「バカにしてんのか。」


「…慎太郎。」


「ん?」


「ごめんね…」


「そこは、ありがとう、だろ?」


「え?」


「俺は、紅美のためなら何だってするよ。おまえが辛いなら、期間限定の男にだってなる……病気にも、勝つ。」


 慎太郎の腕が、あたしの腰に伸びる。


「ふっ…期間限定とか…欲がないんだね…」


「まずは、あいつの事を忘れさせねえとな…」


 引き寄せられて…唇が来た。

 抵抗あるかな…なんて思ったけど。

 慎太郎の唇は、懐かしいばかりだった。


 …誰の唇も、こうやって受け入れてしまう。


 そこにもし愛があっても。

 きっと…

 海くん以外の人からの唇には…


 あたしは、それを感じないのかもしれない…。

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