バレンタイン・チョコ

 耳元で鳴るのは、電子の音。目の前で繰り広げられている攻防戦の音だ。銃声、人の叫ぶ声、ナイフで敵を切る音。

 耳に届くのは、手元の音。かちゃかちゃとボタンを移動する音、あるいは連打音が静かな部屋に響く。

 俺はパソコン近くに置いておいた好きな銘柄のお茶が入ったペットポトルを手に取り、片手で操作しつつ乾いた口に一口飲み込む。


「あ」


 甘く見過ぎていた。片手で勝てる相手ではなかったらしい。

 その事実に少し口角を上げ、先程の仕返しをするべく画面の中で動く女キャラクターの頭上に「本田」と記されている人物を探す。

 この「moon」に喧嘩を売るなんざ、どういう目に遭うか教えてやるよ。


 画面の中で動く「moon」という文字を頭の上に表示した男キャラクターは、シューティングゲーマーである俺、高槻律たかつきりつの操作キャラクターである。

 日中は三年目サラリーマンとして営業やら何やらと頑張っている俺は、日頃のストレスを発散する為に、大学一年生の頃からやり始めたガンシューティングにドハマりし、それから廃プレイヤーとなって以後、そのゲーム内ではそこそこ名の知れたゲーマーの一人として有名になる程度の腕前は付けている。

 故に趣味はゲームであるし、仕事でもパソコンに触れる事が多いので、この機器から離れると死ぬだろう。肉体的ではなく、精神的に。

 料理はそこそこ。一人暮らしの男の身。それなりの事は出来ている。


 まぁ、作りに来てくれる奴がいないわけではないのだが。


 俺には、めちゃめちゃ好きな彼女(?)がいる。

 何故(?)という言葉を付けるのかというと、そもそも性別が異なるという点が挙げられる。そう、彼女だけど男。でも、本気で好きな奴だ。

 世間的に見れば非難される関係を持っているわけで、更に言えば法律ですら認められていない関係だ。外では普通の親友として振る舞い、中でたっぷりと愛を囁くという生活を送っている。

 お付き合いをしている奴とは、高校時代からの親友でゲーム仲間としてもいい奴だ。つまり、最高にいい奴。


 今日は向こうは仕事の打ち上げがあるとの事で、どちらかの家に行く事なく自宅のマンションの一室でのんびりゲームに興じているわけだ。

 ちなみにあいつの仕事はモデル。顔もスタイルも良いので、非常に理解出来る仕事だ。

「......はぁ、そろそろ終わるかー」

 時計の針は十一時過ぎを指している。そろそろログアウトして、眠る準備をしなければ、と考えていると、ピンポンとチャイム音が鳴った。

 誰だ、こんな夜中に。

 自慢じゃないが、友達は多い方ではない。少なくともこんな辺鄙な時間に訪問してくる友人は居ない。

 ......泥棒か?

 最近は人が中に居ても押し入ってくるらしいし、会社と家の往復しかしないモヤシ人間だから目を付けられた、的な事も考えられるよな。

「......おいおい」


 冗談じゃない。

 俺はゆっくりと椅子から立ち上がり、玄関の方へ向かう。片手には一応防犯グッズとして持っているスプレーを所持しておく。

 ゆっくり、ゆっくりと扉を開けると、なだれ込むようにして中に人間が入って来た。それに押し倒されるように、俺は背中から腰を強く打つ。

 大きな音を立てて、扉が閉まる。


「うへへ~、はっぴーばれんたいんだぞー」

「あん?」


 酒の香り。ほんの僅かに香る煙草の匂い。聞き馴染みのある声。

 目の前で笑っているのは、恋人の花堂柚月かどうゆずきだった。

 雪のような白い肌を今は顔を赤く染め、気分がいいようでふわふわとした様子で笑っている。首元のシャツは大きく開いて鎖骨は見えて、それを人様に見せて来たのかと思うと頭を抱えたくなる。

 記憶が飛ぶほど飲むなと言っているのに、このざまか。

「んんんー?どこみてんのー?」

 完全にとろりと溶けた大きな黒目が、俺の瞳を捉えている。

 とりあえずゆっくりと身体を起こして、上に乗っかって来ていた彼を側に座らせる。

 膨れた頬を指で押してやると、ぷすっと口から空気の抜ける音が出た。それの何が面白いのか分からないが、彼はその音を聞いてすぐにケタケタと笑い始める。

 そして少しすると、何かを思い出したようにコートの中を探し始めた。

「ん?何して、」

「はい、りつにこれ、あげる!」

 彼の手にあったのは、市販のチョコレート。二十四個入りの、ビターチョコだ。甘い物が苦手だという言葉は酔っていても覚えていたらしい。

 ただ、何故今日これをくれるのかが分からない。

「......どうしたんだこれ?」

「ばれんたいんのちょこれぇとだよ!せっちゃんがきょうはばれんたいんだから、あげておいでって!」

 満面の笑みで彼は舌ったらずにそう言う。犬ではないので一応無いはずなのに、尻尾をぶんぶんと振っているように見えてしょうがない。

 せっちゃん、というのは柚月の同期のモデル友達であり、俺と付き合う前から恋愛相談をしていたという人物らしい。直接出会った事はないが、彼の口振りからすると理解力のある人物だとは思っている。

「......ありがとうな」

 ぽんぽんと頭を撫でてやると、更に顔を綻ばせた。

 相変わらず、可愛い...。

「えへへ。おいしくたべてね?」

 今、お前を食べたくてしょうがない。


 違う。そうじゃなくて、だ。

「お前、...電車あるのか?」

 時間的に終電になるだろう。それを逃せばこいつは帰れなくなるわけだが。

 そう言うと、彼はきょとんと目を丸くしてそれから「とめて!」と微笑む。

 まぁ、下着類はお互いの家に少しずつ置いてあるし、泊めるのは可能だが。朝起きて驚かないだろうか。追い出す気はさらさらないが。

「ほら、立てるか?」

「んむむー、たたせて!」

 ぱっと手を広げて俺を見る。止めろ、襲うぞ。

 とりあえず、彼を立たせて壁にもたれかかるようにさせてから、鍵を閉めて手を引いてリビングへ連れて行く。

「おら、水やるから座っとけ」

「んー」

 柚月がちゃんと腰を下ろしたのを見て、キッチンの方へ足を向ける。水道水をコップに注ぎながら、机の上に置いておいたチョコのパッケージを見つめる。

「...ほら」

 水の入ったコップを渡すと、柚月は「ありがと~」と言って飲んでいく。だが酔っているせいなのか上手く飲めずに、僅かに口から溢してその雫が首を伝っていった。

 それだけの光景なのに、何故だか酷く扇情的だった。酒のせいで赤く染まった肌のせいか。俺を煽るこいつのせいなのか。

 もう、耐え切れない。

「......っ、はぁ」

 俺はキッチンに戻ってチョコレートを手に持って戻り、パッケージをばりばりと勢いよく開ける。

 黒と金で個装されきちんと並んでいるチョコの列から一つ抜き取り、オシャレな包みを取る。目の前で食べてくれるのだろうか、と黒目を輝かせて柚月は俺を見ている。


 俺はそれを躊躇う事なく柚月の口の中に押し込んだ。

「んん!?」

 勢いよく押し付けたせいで俺の指も入るが、気にしない。

 目を白黒させている内にこちらから身を乗り出し、状況を理解しようとしている柚月のチョコで汚れた唇にそっと唇を重ねる。

 すぐに舌を差し込めば、ようやく頭が追い付いたらしい柚月が抵抗を見せ始める。胸を叩き、ぐいぐいと離そうとしている。が、もう手遅れだ。

 両頬に手を添えて、逃げないようにする。

「ふ...っ、んん...........っ」

 ビターチョコなのに、彼の口の中は甘かった。

 漏れる吐息も甘い。病みつきになりそうなくらい。

 チョコを追いかけるように舌を動かして、無くなってからは残っているチョコがないかどうかを探すように動かしていく。

 ふるふると生理的に流した涙で濡れた柚月の長いまつ毛を見て、俺はそっと手を離して唇を離した。


 てらてらと、部屋の電気で柚月の唇が光っている。その光景にぞくりとした。


「っなに、なにす、」

 息を乱しながら、当然の質問をしてきた。

 それには答えずにぺろりと口の周りを舐めれば、甘い中毒性の高い毒の味がした気がする。


 あぁ、ごめん。明日か、日付が変わっていれば今日の俺。目が覚めたら、柚月に怒られてくれ。

 だって、目の前の彼は明らかに据え膳で。食わないのは男の恥で。

 食べないと、だろう。

「ごめん。許せ」

「へい?」

 丸くなった黒目をそのままに、手の中にあるコップを近くに置いて、そのままソファの方へ向かうように押し倒す。

 柚月の胸元のボタンを一つ外してやった。


「あれだ、チョコの代わりのお返しだ」


 そこで言葉を止めて、彼の細く白い首筋に、キス痕を残した。

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