第19話 それぞれの信念の為に

 アズリナの目の前で鮮血が舞った。だが、それはアズリナの血液ではない。

「リーフェイ...」

 リーフェイが、剣で魔素複合体マナ・キマイラの拳を刺していた。

「無事、アズ?」

「リーフェイ、ッあの子は」

 リーフェイは剣に突き刺さっている拳を蹴り飛ばし、剣を消す。そして視線を玄関前へと向けた。アズリナも同じ方向へ顔を向ける。


「よぉ、がきんちょ。俺の仲間を随分と可愛がってくれたみたいだな」


 そこにはリーフェイに振るわれていたナイフを砕いて微笑む、ニアが立っていた。アズリナは目を丸くして「どうして」と唇を震わせる。

 対峙しているイヴも同じだった。何故ここにニアがいるのか分からなかった。

「......が、引き止める手筈だった...」

「あー、ミオムの従者の事か?アレはすぐにミオムにバレたらしいぞ。そこから俺に話が伝わった」

 ニアが悪戯っ子のような笑みを浮かべ、それから目線を彼女から外すことなくリーフェイに声を掛けた。

「リーフェイ」

「何ですか、我らが主様?」

 ややおどけた調子で、リーフェイは魔素複合体マナ・キマイラを見たままそう言った。ニアは吐き捨てるように言った。

「焼き尽くせ、許可する」

「...屋敷に燃え移っても、知らんですからね」

 彼は口でそう言っているが、口元は上がっており好戦的な色合いをその目に宿した。

 拳に金色の光がまとわりついた。


「風を殺せ、灼熱の王。全てを焼き焦がす無情の炎を放てッ!無情炎王ファイナ=キングスッ!」


 金色の光が赤く燃える炎と化したかと思うと、リーフェイが腕を振り上げる。上空に炎の柱が上がると、それは人の顔を模したようなものになり、そして二体の魔素複合体マナ・キマイラに襲い掛かった。

 それは一瞬の事で、二体は瞬時に燃え尽きて黒い灰となってしまった。


「んだよ、館を燃やさずに出来るじゃん」

 ニアはそう言ってから、興味対象を目の前のイヴに移した。

 彼女はすぐに分が悪いと察し、ニアから距離を取っていた。

「おい、何逃げようとしてるんだよ」

「...勝てない戦いはしない。撤退する」

 イヴが更に間合いを離したが、それをすぐにニアが詰めた。まさか追いかけてくるとは思っていなかった為、イヴは僅かに目を丸くして隠し持っていた先程よりも刃の短いナイフを構える。

 しかしそれも彼の腕に握られ、血液と共に粉々に砕かれてしまう。

「流石、忌まれし吸血鬼の血族」

 イヴは素早く離れて、壊れてしまって使い物にならないナイフの柄を投げ捨てる。ニアは切れた傷口を舐めて、それをあっさりと塞ぐ。

 そしてに、と笑った。

「お前、魔素複合体マナ・キマイラの事を知っているみたいだよなぁ。引き連れてきたんだろう、アレ。...まさか、偶然同時期にこの場所に魔素複合体マナ・キマイラが来たんだ、とか言わないよなぁ?」

 イヴは顔を顰めてしまった。



 ノルチェは、突如強く掠めた薔薇の香りと目の前の光景に目を丸くしていた。

 本当に死んだろう、と思った。敵に背中を取られたという事は、そういう事だ。死を示す。

 しかし、こうして目を開けて生きていて。身体は自分よりも幾分か体温の高い身体に包まれている。

「..............スノー」

 顔を上げると、小さく結んだ白髪が風に揺れている。彼は、レイと対峙していた。

「...何々?保護者?それとも兄妹?...恋人じゃないよねぇ?」

 レイは内心どういう事か、と混乱しながらも目の前の彼らを煽るしかなかった。

 ノルチェを殺そうとした瞬間、猫の獣人ウェアビーストが爪で弾き、しかしすぐにまたレイが殺そうとすれば彼女の身体をそれに抱かれて、代わりに出て来た白髪の男に赤い文字で弾かれて距離を取られてしまった。

 強者との戦いを邪魔された悔しさに、レイは顔には出さないが苛立ってしょうがない。

「そうだなぁ。正しく言えば、俺のにしようとしている奴だって事か?」

 明らかに苛々とした声で、ベンジャミンはそう言った。

 ノルチェはスノーブルーの腕に抱かれたまま、彼の口から零れた言葉に目を僅かに瞬かせる。スノーブルーは特にそれには触れずに、ノルチェへと目線を落とした。

「...ノルチェ、怪我は?」

「そこまで酷くない」

 スノーブルーは僅かに顔を険しくする。黒い血液は手の平をべっとりと濡らしておきながら、酷くないという発言は、信じるにはやや無理があった。

「...ふぅん。それ、いいなぁ。自分のものにするっていう考え方。ボク、割と好きかも」

 レイの言葉を聞きながら、ベンジャミンは拳に赤い光を纏わせる。

グランド

 地面からにょきにょきと草の蔓が勢いよく生えると、それはレイに向かって一直線に伸びていく。レイはそれをあっと言う間に躱していき、ベンジャミンへ渾身の力を込めてナイフを振り落とす。

 レイの見開いた瞳に、ベンジャミンは僅かに狂気を感じるが、すぐに蔓を消して自身の足に赤い文字を書く。

ダヒード

 一瞬だけだが、吸血鬼と同等の速さを得る事の出来る方法。すっとそれで身を躱し、レイのナイフは地面に突き刺さった。

「...ベンジー、その人は殺さないで」

「うん?」

 やや張られたノルチェの声に、ベンジャミンは首を捻る。彼女の性格上、仲間内に手を出した者に対しては情け容赦しないと思っていたのだが。

「その子、魔素複合体マナ・キマイラの事、知ってる」

「成程」

 それは凄い情報だ。

 通りで大人ばかりに聞いても雲を掴むような話しかしないわけだ。子どもが末端として加担していたのならば、その糸口を捉えられない理由も分かる。

「生け捕りだな」

 ベンジャミンの目が、輝く。それを見てレイは笑った。

「何だ、ここにも面白いのがいるんじゃん」

 二人の拳が交わった。

 素早さで同格にいなければそもそも勝てないとベンジャミンは予測し、赤い光だけを纏わせる。赤い光で使う魔法は威力はそこそこ劣るが、金色の光を纏って使う魔法よりは断然早く魔法を発動させられる。

 レイはベンジャミンの速さに僅かに驚くも、それが逆に面白いと感じ、歯を見せて口角を上げる。

 レイの速いナイフの刃裁きを、ベンジャミンは赤い光で生み出した盾で次々と弾いていく。

「ッウィンディッ!」

 何度目かの拳の応酬後、ベンジャミンが風を使ってナイフを吹き飛ばした。

 レイの手からナイフが滑り落ちる。レイは僅かに目を見開き、そちらの方へ顔が向いた瞬間、ベンジャミンが一気に間合いを詰める。

「ノルッ」

 名を呼ばれ、ノルチェはベンジャミンの意図を読み取って頷いた。

 ぶわりと黒い霧が腕の辺りから噴き出した。スノーブルーが少し離れると、その形状は長い鎖のようなものへと変質していく。

「黒の鎖」

 それは四方八方へと伸びていき、空間を一気に駆け抜けるとレイの腕を拘束した。ナイフに気を取られてしまっていた彼女は、上手くそれを躱せずにされるがままになってしまう。

「ッくそ」

 ぐいぐい、とレイは絡みつく黒い影を離そうと躍起になる。しかしそれは外れる事は無い。

「...流石、ノル」

「それくらいなら、読める」

 ノルチェはふいと顔を反らして、ぼそりと言った。照れ隠しなのだろう、とすぐに分かる。ノルチェとしてもベンジャミンが何を思って声を掛けたのか分かってしまったのが、何となく恥ずかしくてしょうがなかった。

「ッイヴ、イヴ!」

 レイは何度もイヴの名を呼ぶ。


「...........レイ」


 レイの声に、静かなイヴの声が答えた。パッとレイが顔を上げると、申し訳なさそうに顔を俯かせて両手を挙げているイヴと、館の主が立っていた。その後ろでは恐らくイヴが戦闘をして負わせたのであろう傷を負っている一組の男女がいた。

「ッイヴ、そいつら早く殺して...っ」

「この状況で拳を上げれば、殺られるのはボク達だよ」

 イヴは冷静にこの状況を見ていた。血気盛んで殺したがりのレイを抑えるのが、彼女の性格からしての役割である。

「......ッ、じゃあ死ぬ?」

「それも一興かもしれない」

 肯定とも否定とも取れる、そんな返答だった。

「許すわけないだろう。お前達には聞きたい事が山ほどあるんだ」

 ニアは、そう言ってアズリナの方へ目を向けた。アズリナは静かに頷いて、すたすたとレイの目の前に立ち塞がる。

「失礼します」

 力強く、アズリナはレイの首に手刀を落とした。レイの口から小さな呻き声が零れて、その身体から力が抜けた。

「イヴ、でいいか?」

「えぇ。...ボクは逆らう気はない。どこへ連れて行く気だ?」

「屋敷の地下室に。抵抗しないのならば、私とリーフェイで連れて行きます」

「頼んだ」

 ニアはイヴの身体をアズリナに託し、リーフェイがノルチェに視線を向ける。彼女はゆっくりと頷いて、それから黒い鎖をするすると解いていく。

 そして、ゆっくりと足に力を入れて立ち上がる。思いのほか、あのスピードに身体がついていっていなかったようだ。

「ノルチェ?」

 その身体をスノーブルーが優しく支えた。

「図書室――メイアンの所...、行く」

 きっと不安になっているだろう。

 一応守護の魔法をかけているが、攻撃音や窓の外の景色を消しているわけではない。メイアンには見えているだろうし、聞こえてもいるだろう。

「それなら俺が行く。お前達は屋敷の修繕に回れ。...お前が行きたい気持ちも分かるが、お前には結界の方に気を配ってもらいたい」

 ニアの言葉に、ノルチェは不服そうであったが静かに頷いた。主の決定に反発するつもりはないらしい。

 全員がそれぞれの仕事をし始めたのを確認してから、ニアは足早にメイアンの居る場所へと足を速めた。

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