聖眼の守り人

本田玲臨

第1話 謎の青年

 優しく風が吹き、雪のように白い青年の肌を撫でる。


 布団の中に居た筈なのに酷く寒い。そして、背中もだんだんと硬い感触を感じ始める。

 ゆっくりと目を開けていくと、温かな日差しが緑色の草原へ降り注いでいるのが目に入った。

「あ......う.........っ?」

 掠れた声が唇から零れ落ちる。誰も、何も返さない。


 ここはどこだ。何故外で眠っていたんだ。どうして身体が上手く動かせないんだろうか。

 考えても考えても、上手く最近の記憶が思い出せない。

 それどころか、自分の名前や年齢も思い出せない。自分は、何者なのだろうか。


 不意に耳がガサガサという音を聞き取った。身体が上手く動かせないので、目線を少し動かしてその音のする茂みの方へ目を向ける。

 そこには大きな獣がいた。


 顔付きは狼のようだった。黒毛が全身を覆い隠し、しなやかだが筋肉がしっかりとしている四肢が歩いている。口元はだらだらと涎が垂れており、獣が歩く度にぽたぽたと地面へ落ちていっている。

 嫌な臭気が、青年の鼻へやって来る。

 瞬時に、このままではまずいと理解する。何とか逃げようとするが、上手く身体を起こせない。ただ、腕を小さく動かしてずるずると這って逃げるばかりだ。

 すぐに距離を詰められる。

「っひ......ッ」

 息を呑む事しか青年には出来ない。

 獣は手を伸ばせば足に触れられそうなほど間近に迫っていた。その時だった。


「黒の槍」


 静かで透き通るような声だった。だが、その言葉と同時に地面から黒い影のようなものが突き出し、青年の鼻先を掠める。情けない悲鳴も上げられず、頬に降り注いできた黒い液体が頬に降りかかったのを感じた。

 目の前の地面から突き破って出て来たのは、第三者の声が告げていた黒い槍だった。一本ではない、二桁は軽くいっているだろうと分かるほど本数は多い。

 上へ視線を上げると、先程の獣はその槍数本に貫かれていた。しかし、生きているようでもがいている。

「.....生命力が馬鹿みたいにあんなぁ」

 また別の声がする。今の声は、男の低い声だ。

「我が契約に応えよ、灼熱の覇王。全てを焼き焦がす無情のほむらを放て!灼熱の炎王獄ファイナ=キラーヘルッ」

 男の声が呪文のようなものを唱える。

 獣の周囲に金色の光が飛んできたかと思うと、次の瞬間にはその光が紅蓮の炎に変わって獣の肉体を焦がす。

 焦げる肉の匂いが青年の鼻へ入ってくる。獣はまるで砂のようにボロボロと肉体を地面へ落としていく。

 まるで初めからそこに何もなかったかのように。

 その様子を間近で見ていた青年の耳に、足音が近付いて来る音が聞こえてきた。

「...人が倒れてる」

 さく、と草が踏まれる音が間近で鳴り、冷たく硬い何かがそっと頬を撫でる。

「...大丈夫そう。息してた」

「私らが殺したわけじゃないっちゅうわけですね」

 そろりと、青年は薄目で声の主を見る。


 二つの声は、男と少女だった。

 男は黒髪を一つに結って、細いフレームの眼鏡をかけている長身の持ち主だ。赤いマフラーを首に巻き、黒い詰襟の服を着ていた。太腿から膝辺りの長さまでスリットが入っており、ぴったりとした黒いパンツが見える。腰には灰色の布が巻かれて、腰の細さが強調されている。

 少女は黒髪の一部を編み込んで、無表情に近い顔をしていた。渦巻いた黒の角が耳の上辺りにある。左腕は人の細い腕でなく、太く黒い怪物のような腕になっていた。隣に立つ男と同じようなゴシック調のフード付のコートとワンピースを着ている。その腰には灰色の布が巻かれて腰の下辺りでリボンの形になっており、その端がひらひらと風で動いている。


「あ、起きてた」

 二人の様子をまじまじと見ていたせいか、少女が青年が起きているのに気付いた。

「怪我は?してない?」

 彼女は静かに問いかけてくる。青年はコクコクと頷いた。

「......声、出ないの?それに、起きられない?」

「...あ、や......。しゃべ、れます.........。からだは、おもたくって、うごけな、くって...。た、たすけてくれて、ありがとう...、ございました..........」

 青年はぽつぽつと言葉を溢す。

 少女は少し目を丸くしたが、彼の無事を知ると嬉し気にはにかんだ。

 一方、男の方は青年の顔を食い入るように見ていた。その異常な視線に青年がすぐに気付き、遅れて少女も気が付いた。

「......リーフェイ?」

「ノルチェ、こいつ連れ帰りましょう。あいつの探しとる奴に似とる」

「..........分かった」

 少女は納得したように頷いた。男は青年の近くに寄り、その身体を抱き上げた。

 白く細いその身体の軽さに、男は僅かにぎくりとしてしまう。

「大丈夫か?」

 その気持ちを紛らわせるように、男は青年へ訊ねた。

「だいじょぶ、です...」

 姫抱きされているという事実に顔を赤く染めつつも、青年はゆっくりと首肯する。未だ掠れた声だが、大分元の状態に戻ってきているようだった。

「ノルチェ、援護してくださいよ」

「うん、頑張る」

 少女が男の前に立ち、茂みの中をどんどんと歩いて行く。男はその後ろをついて歩き、少女が踏んで通りやすくしている道を歩いて行く。

 少し歩いて行くとだんだん木の本数が減っていき、日の光が入ってきて一気に視界が開けた。


「ッ.........わぁっ...!」


 眼下には、個性的な建物が多く建ち並んでいる。煉瓦造りの建物が全体を占めており、所々には先端が尖った尖塔ミナレットが見張り台のように数個ほど建っている。手前には屋敷のように大きな建物がぽつぽつとあり、都市の中心らしき場所には背の高い建造物が増えていく。

 目を大きくした青年の様子に、少女は不思議そうに首を傾げた。

「初めて、見たの...?」

「多分......。すごく、きれい......ですね」

 感動したように言う彼に対して、男も少女も物珍しい視線を彼へ向け、そして顔を見合わせた。

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