Episode.6 Dream of a snake surrounding them.

 ひとしきり泣き終え、ユイはゆっくりとシノから離れた。

 シノは少し赤くなったユイの目尻を見て、「少し待ってて」と、ユイの側から離れる。風呂場から小さめのタオルを手に取り、冷水に浸してユイへ手渡した。

「それで目、押さえて」

「...っはい」

 ユイはポンポンと目の赤みを抑えるように、優しく当てていく。

「...どうして泣いちゃったの?マキが何かした?」

 シノの問いにぶんぶんと首を振るった。

「...僕が、悪いから......」

「......どうしてか、言える?」

 ユイは目を伏せて、しかしこくんと頷いた。

「ゆっくりでいいからね」


「...二人は、怖くないのに.........。僕...怖いって思っちゃって......」


 ユイの言葉に、シノは少し驚く。怖くないと思われていたとは、全く思っていなかったからだ。

「...ユイ、それは普通だよ。俺達は怖くて...、恐れられて当然だから」

 ポンポンと落ち着かせるように、背中をリズムよく叩く。

 ユイはまた混乱していた。怖いという人が、どうしてこんなにも優しいのか。その理由が分からない。

「ん......、ごめんなさい......」

「いいよ。ユイはむしろ、もっと甘えなさい」

 砂糖のような甘さ。ユイはそれへ縋るように、ギュッとシノの服の裾を掴む。

「.........どういう状況、ですか?」

 そこで、マキが目を覚まし、ぽつりと呟く。

「......マキさ、えと、その......」

「? どうしたどうした、ユイ?」

 寝惚け半分であった為か、あまり記憶がなかったようで、マキはぼんやりとした表情で、ユイを見ていた。

「ごめん、なさい......」

「何で謝るの?え、ユイ、何かした?」

 唐突な謝罪に、マキは眉を寄せる。そして、ちらとシノを見る。シノの表情は複雑で、どういう返答が正しいのか汲み取れない。

「......ユイ」

 マキはソファから身体を起こし。少し二人へ近付いてユイの頬をするりと撫でる。

「よく分かんないけど、私は怒ってないから、謝らないで」

「.........っ」

 その言葉にまた潤みだす碧の双眸に、マキは動揺する。

「ど、どうしたのさ、ユイー」

「......マキがおろおろするなんて、珍しいな」

 必死に涙を堪えようとするユイと、彼に対してどういう反応をするべきか悩んでいるマキ。そしてそんな二人を面白そうに見ているシノという、不思議な三人の様子は奇妙に溶け合っていた。

 ようやく落ち着いた頃、シノはユイをマキの方へ移動させた。

「ん?先輩どうしたの?」

「昼ご飯を作ろうと思ってね」

 シノはよいしょと立ち上がり、キッチンの方へ向かおうとしていた。マキは少し切迫した声で、「先輩、レトルトじゃなくて作るんですか?」と訊ねる。

「うん、そうだけど?」

「私、やりますよ!」

 少し食い気味にマキは進言する。シノはマキも手伝い好きなのかな、と思いつつ、左右に首を振るった。

「マキ、まだ疲れてるでしょ?いいよ、俺がするから」

「先輩、料理が得意ではないという自覚、あるんですよねぇ?」

「食べられないものは作ってないだろ」

「飢え死にするよりはマシというのを、まだ健康状態がいい時に食べたくないです。美味しいものが食べたいです」

「っう」

 マキのストレートな発言に、シノは喉を鳴らした。

「先輩はお菓子作りの時だけ活躍しててください。昼は今から私が作りますから、ユイの事、よろしくお願いしますね」

 マキはユイの身体をずいとシノの方へ近付けて、それからすたすたとキッチンの方へ歩いて行った。

 シノはすとんとその場に座って、シノの膝の上でどうしたものかとオロオロしているユイを、ぐいっと自身の方へ引き寄せた。

「し、シノ...?」

 シノはぎゅっとユイの細い身体を抱き締め、ふわふわの茶髪を撫でる。

「はー、ユイの髪の毛、いいね。気持ちいい」

 手触りの良い髪を梳く。シノはぼこぼこにマキの言葉で殴られた心を癒す。ユイはどう対処すればいいのか分からず、シノにされるがままになっている。

 マキはそんな様子を見て、くすくすと笑う。


 温かな日常が確かにそこに存在していた。








 薄暗い電気の部屋の中で、一組の男女がソファに腰を下ろしていた。

 青年は黒髪に黒縁の眼鏡をしており、その奥の双眸は閉じられている。細身の身体は黒を基調とした服装でまとめられていた。

 女は蒼色に近い黒髪に、片目を眼帯で隠していた。男の横でどこか楽しくにやにやしていた。

 そんな部屋に急にパンという音が鳴った。それと共に薄暗かった部屋全体が明るくなる。その音に、黒髪の男と女は顔を上げた。

 扉の前には、高級そうな生地で作られたタキシードを着た中年の男が立っていた。

「え...っと、依頼主の方、ですか?」

 青年は少し驚いた様子で、男を見ていた。

「当たり前だ。ここは私の家だぞ。それとも...、私では不服なのか!?」

「い、いえっ。いつも代理の方が来られるので、本人が来るっていうのが珍しくて...」

 青年は取り繕うように慌ててそう言い、黒縁眼鏡の位置を直した。そんな彼を女はにやにやと笑って見ている。

 そんな様子に男が訝し気に眉を顰める。

「......君達は本当に"Knight Killers"殺しなんだろうな。そもそも"Knight Killersお前"たちを信用できないんだが...」

「...Kくん、信用されないと色々面倒だし、いっちょ撃ってみれば?」

 女は笑いながらそう言う。彼は少し唸り、こくりと頷いた。

「じゃ、」

 青年は短くそう言って笑うと、拳銃を抜いて発砲した。

 素人の人間には目にも止まらない、流れる水のような速い動きで。その弾丸は中年男のすぐそばを通り、壁に穴を開けた。

「...こんなので、どうですか?」

 そう言って、得意げに笑った。男はその腕を見て、不安げな顔から一転、優越感漂う表情へと変わった。

「流石だ!優秀な狙撃手スナイパーで顔の良い...、まさに理想的だな」

「......は、はぁ.........」

 彼は少し苦笑いをして、しかし何も言い返しはしなかった。

「あぁ...、済まない......。私の悪い癖だ」

 男は呼吸で興奮を抑え、二人の居るソファの前にある革製の椅子に腰を下ろした。彼もまたソファへ座る。

「依頼は"Knight Killers"〈幽冥の蝶〉の一人シノの殺害、......貴方の所有物であるユイの捕縛或いは殺害。それ以外にある詳しい内容を教えてください」

「......あぁ、今思い出すだけでも...」

 男は拳を握り、フルフルと肩を震わせる。

「そいつは、俺の逃げた所有物を殺さず、俺の部下を殺しやがった。死んだ情報は聞いてないから、まだ生きてやがるに決まってる!あぁ、腹立たしいっ!」

「......そうですか。で、僕らはその二人を...いや、一人を殺して一人を生かしたらいいんですね...?」

「可能であればな。ユイの方は、見せしめとして所有物達の目の前で殺してやろうと思ってな」

「へぇ」

 青年と女は男の恍惚とした表情に何も言わず、小さく合槌を打った。

「まぁ...、任せてください。〈黄昏の夢〉の名に懸けて、仕事はきちんと遂行させていただきますよ」

 青年は微笑む。その下には確かな勝利の色が見え隠れしていた。

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