第5話:黄昏

 ちょっとした疑惑があったものの、詩依が疑惑を否定してくれた。

 あたしも頑張らないと。

「では班ごとに分かれて、配った予定表に書き込んでください」

 教壇に戻り、指示を出した。


「詩依っ!ありがとっ!!」

 教壇から戻ったあたしは詩依の手を包み込んで感謝の気持ちを伝えた。

 なぜかいつもの3人が揃って2班になっていた。

 もうひとりの男子は…今まで一度も接点の無かった柘植つげ琢磨たくまくんだった。

「よ…よろしく…」

 目線を合わせず挨拶する。

「よろしくな」

 初対面はやっぱり緊張する。

「ねっ、緋乃。やればできるんじゃないのぉ」

「途中から堂々としてたな」

 詩依と翔がはやし立てる。

「そ、そんなことないよ…足なんてガクガクしてたもん」

 机にだら~っと崩れ落ちるあたし。

「それにしてもこんな偶然あるんだな。詩依と緋乃で同じ班になるなんて」

「さっき詩依さんがイカサマできるなら説明してって言ってたけど、実はできるんだよ。予め打ち合わせしていればね」

 琢磨くんが口を開く。

 翔と詩依が真顔に戻った。

「簡単なトリックでさ、箱の壁に紙を軽く貼り付けておいて、知ってる人だけそれを引く。これだけで『下からクジを取ろうとする人』から外すことができる。よかったな。このトリックに気づかれなくて」

「お前…俺たちを疑うのか?」

「いや、最初から疑ってないよ。一番最初に引く時、箱の壁を隅々まで確認したから」

 そういえば琢磨くんって最初に引いてたっけ。やけにゴソゴソしてたと思ったら、そんな疑いを持ってたの?

「ならどうして蒸し返すようなことを言うんだ?」

 翔が問い質す。


 ピンッ、パシッ。

 琢磨くんは突然右手だけでコイントスをする。コインを握った右手と、何もない握った左手を差し出す。

「さて、コインはどっちの手にあるでしょうか?」

「右でしょ?」

「残念。左でした」

 悪戯な笑顔で両手を広げた。コインは本当に右手ではなく、左手に握られていた。

「えっ!?なんでぇっ!?」

「実は最初から両手にコインがあったんだ。右手でコインを掴んだ瞬間に袖へ滑り込ませた。簡単なトリックさ」

 そう言って右手を下ろしてコインを袖から机に落とす。

「手品に興味があってね。箱があるとつい仕掛けを探しちゃうんだ。だから、気づかれなくてよかったな」

 今度の『気づかれなくてよかったな』は、やけに説得力を感じた。

「すごぉぃ…」

 詩依の目がキラキラしてる。

「今度手品教えてぇっ!」

「おっ、おうよ。初歩でよければ」

「それはともかく早く予定を決めるぞ」


 放課後。

「どうした緋乃?」

「…一生分の体力を使い果たした…」

 ぐで~っと机に崩れ込んだまま返事する。

「しっかり司会できてたじゃん」

「一分につき一年分の体力使ったよぉ…」

「てことはひーふーみーよー…」

 指折り数える翔。

「なぁに数えてんのぉ」

 あたしと翔のやり取りに詩依がジト目でツッコむ。

 顔だけ二人に向ける。

「でもすごいじゃん。緋乃しっかり司会っぽかったよぉ」

「む~…人の気も知らないで」

「けどさぁ、緋乃が気にするほど他の人は気にしてなかったでしょ」

「そりゃそうだけど…見られることがこんなに疲れるなんて思わなかったよ。先生は大丈夫なのかな?」

 結局先生はほとんど黙ったままで、締めくくりの号令だけ立ち上がった。

「先生とか、政治家とか、アイドルなんて…全く違う人種に思えてくるよ」

 仕方ないなぁという微笑み顔でため息をつく詩依。

「だってそういう仕事だもん。それより帰ろぉ」


「緋乃」

 突然、翔が覆いかぶさってきて、耳元で囁く。

「えええっ!?」

 ゴンッ!!!

 思わず反射的に体を起こして、勢いよく起こした頭が翔の顔に直撃する。

「なななな…何をっ!!?」

 顔を真っ赤にしてしまう。後ろ頭がジンジンする。

「ってて…だから言ったろ、雪絵。覆いかぶさるのは危ねぇって」

 顔を抑えながら言う。

 察するに、いつの間にかそこにいた雪絵が翔にまた耳打ちしたみたい。

「それだけ元気があれば帰れるね」

 雪絵に促されて席を立つ。いつもの四人で教室を出る。


「でねぇ、雪絵ぇ。緋乃ってば最後にクジ引いて、翔と同じ班になったのを知った時に固まってたのぉ。あたしは黒板を見て空いてる班が2班だけだったからぁ、クジを確認する前からわかってたけどねぇ」

 はっ!

 あたしは今やっとその事実に気づいた。

「そういう詩依こそ、琢磨くんの手品見て目がキラキラしてたじゃん」

「そぅそぅ、同じ班になった琢磨くんって、手品がうまいのぉ!!今度教えてもらうことになったんだけど、雪絵も一緒に教えてもらおうよぉ!」

「あたしはいい」

 詩依はすっかり手品に魅せられちゃったみたい。

「面白いんだよぉ!人の意表を突いててぇ」

「あたしは手品見ても驚かないから」

 無表情のまま答える雪絵

「もしかして雪絵も手品、マスターしてるのぉ?」

「ううん、見ればタネが分かっちゃうから」

 それから数日、詩依は休み時間に琢磨くんからいくつか簡単な手品を教えてもらっていた。


「やっと着いた~」

 バスで揺られること約三時間。

 交流合宿のキャンプ場に到着した。

 立ち並ぶバンガローの外側はどこまでも続く森、森、森。

 近くに植物園や野鳥観察台、河原などがあって、テーマを決めて記録する。

 それを最後の時間に班で意見を出し合って、クラスの中で班ごとに発表することになっている。

 バンガローは班ごとの男女別で割り振られていて、到着してすぐ一時間の掃除タイムに入る。

 一度使った後は数ヶ月放置されるらしくホコリが積もっていた。

 テキパキと掃除を進め、メドがついてきたころ…。


「緋乃はいいよね~。あの翔くんと一緒の班なんでしょ?」

 同じバンガローで過ごすことになっている女子から声をかけられる。相変わらず翔の人気は高い。

 もう一年生の間では、翔は女子憧れの王子さまみたいな位置になっているらしい。

「う、うん」

「二人って付き合ってるの?」

「いやいやっ!付き合ってないよっ!」

「そっかぁ。ほんとに誰とも付き合わないんだね。翔くんって」

 そう。本当に誰とも付き合うつもりは無いと、雪絵からチラッと聞いたことがある。

 詳しくは教えてくれなかったけど…。

 そういえば籠から垂らす蜜の話って、どういうことなんだろう?

「あれ?もしかしてコクってフラれたの~?顔暗いぞ~」

「えっ?ううん、考え事してた」

 人見知りのあたしが、ほぼ初対面の相手でも多少は会話できるようになっていた自分に少し驚いている。


 掃除の時間が終わり、河原に集合する時間。

 外に出ると翔がいた。

 数人の女子と会話している。

「ねぇ今、彼女いないんでしょ。あたしと付き合わない?」

「ありがとう。気持ちは嬉しいけど、誰とも付き合う気はないんだ。ごめんね」

「ほんとに噂どおり、誰とも付き合わないんだ?」

「ああ、いろいろあったからね」

 げっ…告白現場見ちゃった…。

 それに翔、即答で断ってる…。

 今の女子ってあんな軽い感じで告白するんだ…?

 あたしには無理っ!!

 見なかったことにして、集合場所へ急ぐことにした。


 掃除が終わるともうお昼が近い。

 クラスのグループごとに料理を始めるため近くの河原へ移動してくる。

 普段料理をすることがないあたしだけど、翔と一緒だからそれも楽しく感じる。

 手を洗い、ポケットからハンカチを取り出す。緋色の花柄でお気に入り。

「前に使わせてもらったけど可愛いな、そのハンカチ」

「うん、お気に入りなんだ」

 あたしが褒められたわけじゃないけど、つい嬉しくなってしまう。

 翔が使ったあの日、洗いたくなかったけどやっぱり洗っておいた。

 でも嬉しい。これ、絶対大切にしよっ。

「デレデレしないのぉ!」

 詩依がからかうような顔をして肘でつついてくる。

「してないよっ」

「どうかなぁ~?」

 雪絵は少し離れた場所で黙々と料理していた。

 そういえば雪絵って料理できるのかな?


 作ったのはお約束のごとくカレーだった。

「外で食べるのって、なんでも美味しく感じるよねぇ」

「それわかる~」

「家じゃ絶対選ばないようなものもそうだよな。たとえば海の家で出るプレーンなカレーやダシが足りないラーメン、具のない焼きそばなんてのも」

「そうそれぇ!」

 他愛ない話に花を咲かせた。


 グループ研究の時間がきた。

 あたしたちのグループは植物園で植物観察にした…が

「銘苅くんと水無月さん、ちょっといいか?」

 先生から呼び出される。


「よいしょ」

 夜にキャンプファイヤーをやるということで、各クラスの委員長と副委員長はその準備に駆り出されていた。

 薪を保管場所から広場へ運び込む。もちろん呼び出された翔も運んでいる。

 詩依と琢磨くんは同じテーマにした別のグループへ入って課題に取り組む。

 広場へ運び終えて、保管場所へ移動する。


「ちょっといい?」

 他のクラスだろうか。見覚えのない女子三人に呼び止められた。

「何か用?今クラス委員の仕事中なんだけど」

「そんなの後でいいじゃん。来なよ」

 有無を言わさぬ剣幕で腕を掴まれて連れられ、場所を移動する。

 生い茂る草むらの中で三人に囲まれた。

 このパターンってもしかして…。

「あなた、翔くんの何なわけ?」

「何って…同級生でクラス委員長と副委員長で…」

 迫力があって、あたしはもうタジタジ。

「前から見てたけど、あなた翔くんに馴れ馴れしすぎるのよ」

 三人が代わるがわるまくし立てる。

「普段から側にいるし、席が隣だし副委員長だって翔くんがいるから決めたんでしょ!?」

「…いや、それは…」

 口調が激しくなってきてつい圧されてしまう。

 威圧が強くて返答に困ってしまった。

 助けてっ!!翔っ!!


「やめろよ」

 ふと、後ろから聞き慣れた男の声がかかる。

 まさか…。

「副委員長には委員長の俺が一方的に絡んでるだけだ。まだその話を続けるなら後は俺が聞く」

 キッと見つめる翔に、絡んできた女子三人たちは『うっ』とたじろぐ。

 少し逡巡しゅんじゅんして、女子たちは引き下がった。


「大丈夫か?緋乃」

「翔、ありがとう」

「さっさと仕事片付けちまおう」

「うん」

 あたしのこと、気づいてくれんだ…翔。


 薪を運び終えたあたしたちは合流して課題に取り掛かる。

 昼下がり。

 それぞれの課題を発表するため班でまとめる。

 発表は琢磨くんが引き受けてくれた。


 夕方になって夕食の準備を始める時間になった。

 この後は暗くなるから、照明が無い河原ではなく広場近くの炊事場へ集まる。

「準備の前にお手洗い行ってくる」

「いってらっしゃい」

 あたしは近くのトイレから出た後に手を拭こうとした。

「あれ?」

 ポケットに入れたはずのハンカチが無い。

 昼に使った時には入ってたはず。

 もし落としたとすれば、心当たりは1つ。

 お昼に行った河原。そのまま河原へ足を向ける。

 …すぐ戻るから大丈夫だよね。

 雪絵がいる班の近くを通り過ぎる。

 雪絵は緋乃の後ろ姿を少し捉えるが、そのまま準備に戻る。


 河原へ着いて、ハンカチは水道のところにあった。

 翔が可愛いって言ってくれた大切なハンカチ、捨てられてなくてよかった。

「早く戻らなきゃ」

 河原からキャンプ場までの道へ戻る。


「そういや緋乃、どこまでトイレに行ったんだ?」

「遅いよな」

「サボるような子じゃないよねぇ」

 翔班の三人が心配し始める。そこに雪絵が現れた。

「翔、ちょっといい?そこの二人も」


 辺りは薄暗くなり、足元も見えにくくなってきた。

「どうしよう…迷っちゃった…」

 帰り道はわかってるつもりだった。

 河原からキャンプ場へはひたすら上へ登っていけばいい。しかし行けども行けどもそれらしい場所に着かない。

 それどころか先は見覚えのない獣道みたいになっていた。

「どこかで道を間違えたのかな…」

 少し暗くなってくると、真っ暗になるのは早い。

 おまけにこの時期は夜が結構冷える。山間部だからなおさら。

 わずかに残った光を頼りに辺りを見回す。

「みんな、心配してるよね…」


 ガサガサッ!!

「ヒッ!!」

 近くの茂みで草ズレの音が立ち上がる。

 なにか黒いものが遠ざかっていっただけだった。イタチかタヌキか…。

「どうしよう…道がやっと見える程度だけど、あと少しで完全に真っ暗だよね…」

 もう足がガクガクしている。

 かなり歩いてきたために、足も頭も疲れが色濃く出ていた。

 これまで来た道は間違っていたと思い直したあたしは、わずかに見える元来た道を引き返すことにする。


 完全に真っ暗になってしまい、もう歩くことすら難しくなってしまう。

「助けて…誰か…」

 縋るように呟く。

 誰もその呟きに応える人はいなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る