第2話:籠と蜜

 え~~っ!?

 まさかあのイケメンが同じクラスで、しかも隣の席!!?

 前髪を一部だけ別の方向に流しているのが印象的なブラウンのショートヘア。

 切れ長で落ち着いた感じの目つきがステキすぎるっ。

「けっ、今朝はありががっ!!」

 テンパって噛んでしまった恥ずかしさに、耳まで真っ赤になった。

 ふふっ。

 ぽんぽん。

 翔くんは微笑みながら頭を優しく撫でてくれた。

「よかった。さっきは怒ってるのかと思ったよ。緊張してただけなんだね」

 ふわっと包み込んでくれるような安心感に、あたしの心は少しだけ解れた。

「…うん」

「でもね…」

 頭を撫でた手を下…胸のあたりまで滑らせてきて…

「えっ!?」

 片手で器用にブレザーのボタンを通していく。

「着崩すよりも、しっかり着てたほうが似合うよ」

 ポポポーッ!!

 いっ、いいい今っ…翔くんの手があたしの体に服越しで触れたっ!!?

 顔を真っ赤にしながら、今起きてる状況の把握に頭が追いつかない!

「あっ…あり…」

 言わなきゃっ!!ちゃんと言わなきゃっ!!

 ふわっ。

 目の前を腕が下から上へ通り過ぎて

 ぽんぽん。

 再び翔くんが頭を撫でる。

「これからよろしくね」

 優しく語りかけてくれた。

「周りは初めての人ばかりだよね。ゆっくり慣れていこう」


 気がつくと、早くも教室内の女子は翔くんに対する興味の目線を浴びせていた。

 そりゃそうだよね。すごいイケメンだし、何と言っても優しい。

「ふぅん」

 詩依ちゃんが察したか、からかうような笑顔で眺めていた。


 続々と教室に生徒が入ってきて、ホームルームの時間になる。

 ホームルームでは名前を呼ばれて生徒手帳が配られ、授業開始までの日程を軽く説明受けて帰る時間になった。


 早速というか、やはりというか、翔の周りには女子が集まっていた。

「一緒に帰ろっ」

 笑顔で詩依ちゃんが声をかけてくる。

「う、うん」

「そっか。詩依と翔は二組だったんだね」

 えっ?

「ねぇねぇ雪絵ゆきえは何組だったのぉ!?」

 詩依ちゃんを呼んだのは別の女子だった。

 緩くウェーブのかかった艷やかな黒髪。パッチリしてるのにどこか影を落としているような大人びた目つき。背はあたしより数センチだけ低い。

 まるでお人形さんみたいな見た目。

「四組」

「そっかぁふたつ離れてるんだねぇ」

 雪絵と呼ばれた彼女は、どうやら詩依ちゃんの友達らしい。なぜか淡々と口調で喋っている。

「紹介するねぇ。この子ははなぶさ 雪絵ゆきえ。小学校の同級生だったんだよぉ」

「よろしく」

 ニコニコキャッキャしてる詩依ちゃんと真反対な淡々とした様子だ。

「うん、こちらこそ」

 人見知りするあたしだけど、なんか雪絵ちゃんには緊張せずにいられた。

 この流れで三人一緒に帰ることになる。

 早速女子に囲まれている翔くんは、このやり取りを横目に見ていた。


「でさぁ、朝の電車はひどかったよねぇ」

「いい迷惑だった」

 ボンッ!!

 思わず顔が真っ赤になってしまう。

 今朝の急停車では翔がぶつかってきて、混雑の乗客から守るため必死に堪えてくれた。

 まともに喋ることもできないままでさよならしたと思ったら、同じクラスでしかも隣の席。

 あの時のことを思い出して顔が真っ赤になった。

 雪絵ちゃんが無表情のままあたしの真っ赤に色づいた顔を見ている。

「そぅいえば翔とはそこで最初に会ったんだよねぇ?」

「うん」

 詩依ちゃんの問いかけに答える。

「何があったかは聞かないけど、彼に近づくなら覚悟しておいたほうがいいわ」

『えっ!?』

 雪絵ちゃんの一言に、二人して反応した。

「どういうこと?」

「翔は、まるで閉じた籠の中から蜜を垂らしてるようなものよ」

「籠?蜜?意味がわからない」

 フフッと雪絵ちゃんが微笑む。

「すぐにわかるわ。短くても一ヶ月というところかしら」

 その微笑みは、冷たげに目を細めているせいか少し薄ら寒く見える。

 このこと意味を聞いても、雪絵ちゃんは答えてくれない。


「おーい」

 校門を出てすぐに聞き覚えのある声が後ろからかかる。

 まさか…。

 雪絵ちゃんは振り向きもせず意味ありげに目を閉じるが、それに気づくことはなかった。

 あたしと詩依ちゃんは振り向いて

『翔っ!?』

 意図せずハモった。

「どっ、どっ、どうして!?」

「みんなと一緒に帰ろうと思ってね」

「みんなじゃなくて緋乃ちゃんと、でしょ」

 挙動不審なあたしに答えた翔へツッコむ雪絵ちゃん。

「えっ!?えええぇっ!?」

「いや、ほんとにみんなとね」

 笑顔のまま答える翔くん。

「さっき女子たちに囲まれてたでしょ。あっちはいいのぉ?」

「いつでも話はできるし、いいのいいの」

「それなら隣の席の緋乃ちゃんこそいつでも話できるじゃない」

 最もなことを言う雪絵ちゃん。

「というわけで帰ろ帰ろっ」

 雪絵ちゃんのツッコミを無視する翔くん。

「はっ、はわわわわ…」

「あははっ、緋乃キョドりすぎでしょっ」

 パニック状態のあたしには、雪絵ちゃんが言った籠と蜜の話などはるか向こうに飛んでいってしまっていた。

「そんなこと言ってもあたしどうしたらいいか…!!」

「ふつぅに歩けばいいでしょ」

 詩依ちゃんはニコニコ笑顔のままサラリと言う。

 駅に着き、四人とも同じ方面のホームで待っていた。

 ドキン!!

 ふと翔くんが急に顔を近づけてきて頭に手を伸ばす。

「えっ!?あっ!!」

 フッと微笑みながら目の前に大きな手が現れる。

 その指には桜の花びらが摘まれていた。

「髪に花びらがついてたよ」

 かぁ~~~!!

 思わず顔が真っ赤になって俯く。

 思い起こすと、翔と出会ってからまともに会話すらできてない。このままじゃダメだ!!

「もう後戻りできなくなったかしら」

 雪絵ちゃんがまた気になることをボソッと呟く。

「何の話なのぉ?」

 聞き返す詩依ちゃんに、雪絵ちゃんは

「別に。こっちの話」

 と感慨なさげに返した。

 すっごい気になるっ!

 最寄りの駅に着き、ホームへ降りる。

 ふっと気が緩み、今日この後どうしようかと思い浮かべる。

 車両の方を振り向くと三人が手をひらひらさせていた。

 あたしも手を振り返す。


「ふあぁぁ~~~…」

 あたしのベッドに倒れ込む。

 あれから電車でも、翔くんとはほとんど会話してなかった。

 けどいろいろと気にかけてくれるし、顔を赤くして喋れないことを気にしてる様子も無い。

 うん、明日こそはしっかり会話しよう。

 それにしても気になるのは雪絵ちゃんが端々に漏らす言葉よね。

 翔くんは籠の中から蜜を垂らす。

 引き返せなくなったかしら。

 一体どういう意味なんだろう?


 今日は入学式だけだったのから、午前で終了。

 ちょっと出かけるか。

 いつもの私服に着替えて外に出ると、桜の花が空を舞っている。

 今朝見た桜と色が違って見える。なぜか彩りが鮮やかかも。

 頭が少しぽやんとしている。

 思い浮かぶのは翔くんの顔。

 きゅぅん。

 胸が締め付けられるような感覚に襲われる。

 あたし…翔くんに恋しちゃったんだ。

 一目惚れなんて初めてのことで、衛のことだって最初は隣の席だったけど、こんな気持にはならなかった。

 けど翔くんは違う。

 想うだけで切なくなる。


 逢いたい。


 理屈じゃなくて、ただ逢いたい。

 そういえば翔くんの最寄り駅も知らなかったな。

 仕方ないか。ろくに会話すらできずにいたから。

 駅のホームで思い浮かべた、なんとなく行きなれたところへ足が向く。


 さすがに平日の昼前だから人はまばらだ。

 お店がたくさん入ったビルに入り、ウィンドウショッピングすることにした。

 ぽやーんとしたまま吊るしの服を眺める。

 春めいた色のワンピースやボレロ、ジャケットなんかを眺めつつ、手に取るたび考えるのは「翔くんはこんな服を着ている子をどう思うんだろう?」だった。

「緋乃ぉ?」

「え?」

 後ろから声をかけられて、振り向いた先には…

「し…翔くん!?と雪絵ちゃんに詩依ちゃんっ!?なんでここにっ!?」

 さっき帰る時の面々がそこにいた。

 ふと抱いた違和感が何かを考える余地なんてなかった。

「緋乃が降りてすぐに、午前で終わったからどっか出かけようって話になったんだ。それで翔も一緒に行こうって話になったのぉ」

 詩依ちゃんは動きやすそうな五分丈のスキッパーシャツに七分丈のデニムパンツ。詩依ちゃんらしい格好だ。

 雪絵ちゃんは黒いフレアカフスの無地ワンピースに白いボレロを組みわせている。スカートがふんわりしてるのはパニエでも履いてるのかな。

 翔くんは無地のシャツにベージュのジャケット、チノパンという出で立ち。

「そそ、そ…そうなんだ!!」

 自分でもわかる挙動不審さ。

「緋乃は服を買いにきたのぉ?」

「ううん、なんとなく…思いつきで…その…」

「そっかぁ。入学式が終わっちゃえば暇だもん。外に出たくなったんだねぇ」

 あたしのふわっとした言い分を詩依ちゃんがフォローしてくれた。

 いっぱいいっぱいだったけど、重大な事に気づいた。

こんなことになるって頭になかったから、ニットのトップスにスカパンという何も考えてない格好で出てきちゃった。

 恥ずかしすぎて死にたい…。もっとよそ行きの服で出かけるべきだったけど、後悔してももう遅かった。

「そういえばここに行くことを決めたのは雪絵だったよね。もしかして緋乃が来ること知ってたの?」

 また違和感を覚えた。

「別に。偶然」

 無表情で答える雪絵ちゃん。その顔からは真意を垣間見ることはできない。

 何かミステリアスな感じはしたけど、雪絵ちゃんの考えてることはわからない。

「いいじゃん。みんなで遊ぼうよ。緋乃もいいだろ!?」

 ボンッ!!

 またもや顔が真っ赤になってしまった。

 いけないいけない!!こんなんじゃだめっ!!

「もっ、ももももも…」

 ドキドキしすぎて心臓が破裂しそうっ!!

 絶対変な子って思われてるっ!!

「もちろんいいよって言いたいみたい」

 コクコクコク。

 これがあたしにできる精一杯の返事だった。雪絵ちゃん感謝っ!!!

「よかったっ!」

 翔くんが向けた笑顔で、あたしはまた顔が真っ赤になる。

「翔は服装、あんま気にしないよ」

 雪絵ちゃんに耳打ちされて、ギクッとした。

「なんでわかるの~っ!?」

「勘」

 表情を変えずに淡々と返される。

 なんか雪絵ちゃんに心の全部を見抜かれてる気がする~!!

 お昼の時間になっていたから、あたしたちは近くのファミレスへ入ることにした。

「翔は奥。緋乃はその隣へ。あたしが翔の向かいに座る」

 四人席のファミレスで、席へ案内されると雪絵ちゃんが席決めを買って出た。

「えっ?雪絵があっちに座ったほうがよくないかなぁ?」

「任せて。このままで」

 雪絵ちゃんの決めたとおりに座ることにした。

 よかったぁ。もし向かいだったらまともに顔を上げられないところだったよ!

 …って、もしかして雪絵ちゃんってそれをわかっていて…?

 斜め向かいの雪絵ちゃんを見ると、雪絵ちゃんの視線があたしにぶつかる。

 わずかに口元が動いた…ような気がした。

 見抜かれ…てる?

「前から聞こうと思ってたんだけど、翔と雪絵はどう知り合ったのぉ?」

「中学時代の同窓生だったんだ。俺たち」

 こくん。

 詩依ちゃんの問いかけに答えた翔に続いて雪絵ちゃんが頷く。

「雪絵って不思議なとこがあって、意味ありげに呟くことが、後になって納得できることがあるんだよな」

 えっ…?

 ということは籠と蜜の話ってのも、もしかして…。

「買いかぶりすぎ。ただの勘」

「今日遊ぶ場所のことも意味ありげだったから、何かあると思ったら緋乃とばったり。ほとんど予知能力だよ」

 相変わらず雪絵の表情はほとんど動かない。

「それよりメニュー決めようぜ。お腹ペッコペコだ」

 翔くんはメニューを広げて、あたしの方に寄せる。

「どれにしよっかなぁ。緋乃はどんなものが好き?」

「うっ」

 ボボボンッ!!

 メニューを見ようと体を寄せていたら、翔くんとの距離が近くなっていた。

 ふと呼びかけられて振り向いたら、あまりの近さで顔から湯気が噴射していた。

「あっ、あのあの…パスタ…かな」

「俺と同じだ」

 翔と視線が絡む。

 かぁ~~~。

 こりゃ時間かかりそうだなぁ、と詩依ちゃんは少し呆れ気味に苦笑いしてそのやりとりを見ていた。

 横にいたからまだよかったのかもね。雪絵ちゃんはそこまで考えてたんだ。

「ところで詩依ちゃんと雪絵ちゃんは…?」

「まったぁ」

「えっ?」

「緋乃は気づいてないかもしれないけど、あたしたちはみんな下の名前で呼び捨てにしてるぅ。緋乃だけみんな【ちゃん】【くん】付けだったのが気になったんだぁ」

 はっ。

 さっきからの違和感はこれっ!?

「あたしたちの呼び方に合わせて、下の名前で呼びあおうよぉ」

「えっ…それは…」

「なっ?いいだろっ?」

 翔くんが笑顔で覗き込んできて、あたしの顔が真っ赤になる。

「えっと………努力…します…」

 ふぅ。

 詩依が笑顔のままやれやれといった表情でため息をついて思った。

(まだまだ先は長そうだなぁ)

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