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 「育ち盛りでございますれば、ご容赦下さいますよね」

 唐黍菓子の箱が生意気な冗句を返してくる。出会った当時にはまともに口も利けない状態だった小僧が私の悪態に物怖じしなくなった事を素直に喜んで良い物なのだろうか。


 諸般の都合により街の学舎には通わせられない為最低限の教養は身に付けさせてやらねばと思い書斎への出入りを許可したものの、最近では読書傾向に難が有るように思えてならない。本棚の中身を吟味することも考えなければ。


 「腹が減ったなら遠慮なく起こせば良い、前にも念を押しただろう」

 毎朝唐黍菓子で前衛芸術を拵えられてはたまらない、と更なる皮肉を付け加えながら彼を抱き起しすぐ傍で役目を失っていた車椅子に座らせる。


 「昨夜は大層お疲れのご様子でしたの、でっ」

 未だ頭部を覆っていた箱を乱暴に引き抜くと短い悲鳴を上げた。良く見ると旋毛から身に着けている肌着の裾まで細かな菓子屑に塗れている。


 「それならせめてそこの果物か保存食で我慢しろ、態々手間のかかる物を選ぶんじゃない」

 キッチンの調理台の上には常にそれらの食糧が常備されている。外仕事で帰りの遅い場合には夕食をそれで済ますよう以前から言いつけてあった。


 「今朝は唐黍菓子の気分だったのです、食の好みにまで口を出される筋合いは御座いますまい」

 居候の分際で良いご身分である。尤も、本人は愛妾か何かの心算であるのかも知れないが。烏の濡れ羽の様な彼の黒髪を手櫛で梳きながら溜息を漏らす。


 「口の減らない餓鬼だ」

 「口煩い家主だ」

 彼と会話が可能になって以降、このような悪態の応酬は既に私たちの日常である。だがどれだけ悪口雑言を遣り取りしても悪意や害意が生じることはない、寧ろ互いに笑みを湛える程である。


 頭髪に紛れていた屑を粗方落とした所で徐に掌を頬へと滑らせる。陶磁器を思わせるような不健康な程に白い肌はしかし見た目の印象に反して熱を帯びている。指先を更に滑らせ唇の輪郭を確かめるように撫ぜていく。手の位置を動かすのに合わせるようにして首を傾け少しでも触れる面積を広げるように求めてくる様がいじらしい。


 指先が顎先と重なった所で上向きに力を加えてやると抵抗することなく顔を上げこちらを見上げてきた。彼のオニキスのように輝く黒い瞳に吸い寄せられていく。自身の存在ごと委ねるように目蓋を閉じ全身の力を抜いた彼が車椅子から転落しないようそっと反対の手を腰に回し抱き留める。


 唇が触れてからの時間を数える趣味は無いが今回は五秒と経たず中断を余儀なくされた。玄関の呼び鈴が来客を告げたのである。ゆっくりと身体を離すと彼の不満げな表情が眼前に有った。


 「これからと言う所で・・・」

 恨めしそうに玄関の方角を睨みつける彼の頬を慰めるように撫でてから手を離す。


 「旺盛な奴だ、昨日あれだけ可愛がったのに」

 そう言えば結局寝室もキッチンも掃除が全く済んでいない事に気が付いたが先ずは来客に対応しなければ。


 「貴方様の寵愛なら何時だって何度だって何処でだって受け止めたく存じます」

 邪気のない笑顔で殺し文句を吐く彼に返す言葉が見つからず、ただ頬にもう一度軽く口づけた私は早々に玄関へと足を向けた。断じて気恥ずかしかったわけではない。

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