例えばこんな来世でも貴方は私を再び三度

小島秋人

例えばこんな来世でも貴方は私を再び三度


 「・・・愛して下さるのでしょうか」

 赤々と燃え盛る炎を帯びた柱が梁が絶え間なく爆ぜる度に纏わり付く熱が高まる様な錯覚を覚えた。其れが正しく錯覚であることに気付くと同時に今目の前に広がる風景が夢であることにも気付くことができた。


 板敷の広間、高い天井までの間には縦横に梁が巡り古典的な木造建築らしい。周囲を炎に囲まれ部屋の広さには見当がつかず、また目の届く範囲に脱出口は見当たらなかった。


 「・・・いかがなされたのですか」

 自分が抱き竦めていた相手が息も絶え絶えに問いかける。立ち込める熱気に目蓋を開くことにも難儀していた先程までと異なり最早熱さは感じない。


 声の主を凝然として見れば、何のことはない、愛し我が伴侶が自分に体を預け最期の瞬間を粛々と待ち受けている。


 「いや、答えを考えあぐねていたんだ」

 夢の中では自由に声を発するのも手子摺るものと思っていたが思いの外すんなりと言葉が紡げた。


 「やはり、こんな悲劇はこれきりに願いたいのでしょうね。」

 自嘲じみた笑みを浮かべる伴侶、影を差す表情すら美しいと思えてしまうのは、惚れた弱みか。


 「そうじゃない、そうじゃないんだ」

 「ならば、もう一度こんな幕切れを共に演じて下さいますか」

 否定の言葉に間髪を入れず質問を返してきた。いよいよその時が近いことを察したのだろう。


 「もう一度でも、再びでも、三度でも、仮令共に地獄に落ちようと、君だけを愛しているよ」

 最早夢か現かはどうでも良かった、ただ、言わなければ生涯後悔するとだけは悟っていた。



 突然視界が霞んでくる、耳鳴りがする、ついに「その時」がやってきた。彼を抱き竦める腕に力を込める。最早感触すら朧げだったが、微かに抱きしめ返されたような、気が



 ~序~


 目覚まし時計のけたたましい音で目が覚めた。いや厳密には暫く微睡の中にあった。所謂半覚醒と言われるような状態なのだろうか、意識の片隅に無機質なビープ音を捉えながらも思考と身体のいずれもが活動を始めるのに大分時間を要したことが分かった。


 生来寝覚めは頗る悪い方ではあるが、この感覚は経験から言って寧ろ昨晩の深酒と記憶にはないがその後に行った「運動」によって引き起こされた結果と予想された。

漸くと体を起こし寝台に腰掛ける、と同時に寝室を見渡す。予想は的中したようだ。


 寝室は宛ら強盗被害の現場、さもなくば台風一過の後と言って過言ではない惨状だった。寝台脇の床には乱れたシーツが波打ちながら広がっており、その表面には昨夜使った潤滑油の光沢有る生々しい染みが浮き出ている。部屋の隅では乱雑に脱ぎ捨てられた私の仕事着と乱暴に引き裂かれた相手の寝間着「だったもの」が昨夜の睦事を再現するかのように渾然と絡み合っていた。


 これ以上何かを見つけてしまうより先に身支度と朝食を済ませてしまおう。そう決心した私は隣の寝台に目をやる。目覚ましに不満を漏らす声が聞こえない時点で其れが既に無人であることは察しがついていた。


 案の定、乱れなくシーツの張られた隣の寝台の上には半ば床に落ちたブランケットが抜け殻のように存在するだけだった。見間違いではないかと言う一縷の望みをかけて二、三度瞬きをし眦を擦ってもみたが結果は変わらなかった。


 室内の有様を見て憂鬱な朝の訪れを感じた私は考えを改める。今朝は「酷く」憂鬱な朝になった事が分かった。



 このように自身の意識の有無、身の回りの状況一つ一つを丁寧に確認する作業によってゆっくりと覚醒していく。これは極度の低血圧である私が徒に早朝の被害を拡大せんが為に編み出した方法である。


 以前に隣の寝台が空だった時には大いに動揺し覚め切らぬ頭と身体で部屋を飛び出した結果勢い余って二階の窓を突き破りそのまま中庭の植え込みに転落した。


 階下で読書に耽っていた寝台の主である同居人曰く

「生きているのが不思議なほどの轟音が町内に響き渡った」

との事だったが幸いにしてというべきか、それとも怪我の功名と言うべきなのか、普段碌な手入れをせず鬱蒼と繁るままにしていた庭木がクッションになりその時は二、三の打ち身と無数の擦り傷程度で済んだ。それ以降寝惚けた頭では決して家内を立ち歩くまい、いや寝台から立ち上がりもすまいと固く誓い今に至る。


 思考が明瞭になった事を再度確認した私は片方しか見当たらない室内履きに右足を通し立ち上がる。羽織っていた毛布が小気味良い衣擦れ音と共に肩口から落ちていく。と、同時に纏わり付くような肌寒さが全身を襲った。思わず身震いをし寝台横のスタンドに掛けてあった安物のガウンを羽織る。


 冬には氷点下近くなるこの国では春先と言えど明け方は冷え込むことがままある。首元から忍び込む冷気に顔を顰めながら廊下に出て耳を欹てた。未だ西の空は暗い程の早朝、この時間特有の澄み切った静寂は私の好みとするところだが、よく耳を凝らすと下階から微かな物音がする。音の主には凡その見当がついている。思わず安堵とも呆れともつかない溜息が零れた。


 渋々廊下へ歩み出て階下に続く階段へ足を向ける。歩きつつ念の為ガウンのポケットからルガーを取り出し薬室と安全装置を確認してから階段を下りた。左の室内履きは未だ見つからない。

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