久しぶりの帰省


 電話越しに「お父さんが死んじゃった」と声を震わせながら泣く姉の声が聞こえた。ショックではあったが、あの冷静な姉が取り乱していることで逆に落ち着けた。


「ここ最近連絡がとれないから家に行ったら……、お父さん血を吐いて倒れてた……。何度も呼びかけたんだけど、反応が無くて……。救急車を呼んですぐに病院に行ったけど、もう死んじゃってた……」

 ぐずぐずと泣きながらも状況を説明してくれた。


「いまから帰るから」

 帰省の段取りを考えながら答える。


 父は単身で実家から一駅隣のアパートに住んでいた。母と姉は二人で別のアパートに住んでいる。


 つまり、孤独死だった。




 少し落ち着いた声になった姉から一部始終を聞き、

「これから警察とか病院の人に話をするね」

 と言って電話を終えようとした。


 僕は何とか、

「お姉ちゃん。色々とありがと」

 そう言えたと思う。


 セリフははっきり覚えていない。

 でも、部屋の中で父の死体を見つけた気持ちは、どのようなものだったのだろう。血を吐いて裸で倒れている父に呼びかけ、救急車を待つ気持ちは――。そんな姉を思うと、心苦しさと尊敬と感謝しか出てこなかったのは覚えている。


 上司に事情を話すと「帰ってよかよ、すぐ帰らんと」と言ってくれたので、正午の昼休憩のチャイムと共に職場を離れ、九州から電車に飛び乗った。


 どうしたらいいんだろう。

 何て声をかければ。

 手続きは。

 母は。


 特急と新幹線の中で、結論の出ない考えが頭の中を回っていた。


 ○


 夜に家につくと、お父さんの叔母さん――大叔母が家にいた。姉が連絡して、すぐに駆けつけてくれたらしい。若かった父が姉のように慕っていたようだ。着付けをしているので、最近姉がお世話になっていると聞いていた。会うのは初めてだったが、姉のそばにいてくれて本当に良かった。


 大叔母がいてくれたからか、いつもの調子に戻った姉はいろいろと説明してくれた。


 母から頼まれて、様子を見に行ったこと。

 身体をゆすった時には、もう冷たかったこと。

 死後、かなり時間が経っているらしいこと。

 警察が検死をしていること。

 死因特定のため解剖をすること。

 式の手配を終えたこと。

 叔父さん、叔母さんに連絡したこと。


 一通り話してくれた。


 簡単なご飯を食べて、上司にメールを打って、その日は寝た。

 そこから、何をどうしたのかよく覚えていない。


 ○


 死因は、急性の心臓病だった。お医者さんは「苦しまなかっただろう」と言ってくれた。それを聞いてほっとしたのは言うまでもない。


 病院で診断書を受け取り、葬儀屋が遺体を受け取りに来た。契約書にサインをして、翌日の火葬の段取りを聞く。お金も、父の知り合いの情報も何もない僕たちは火葬だけを行う火葬式を選んだ。お通夜も告別式もない。ただ焼くだけ。


 正直、ありがたかった。


 二十代半ばの僕が喪主と言われても分からないことだらけだったから。孤独死という結末を周りの人がどう思うか気にしなくてよかったから。「これは僕たちの家族が選んだ最善の道だった」と身内だけで消化できたから。

 

「お父様のお顔を見られますか?」

 葬儀屋は僕たちに聞いた。


 なにせ3月末、暖房が効いた部屋で一週間経過しているのだ。少なからず遺体に損傷がみられるという。姉と叔母と大叔母は断った。姉は当然だ、もう見ているんだから。


 でも、僕は最後に会っておきたかった。

 いや、見ておきたかったというべきか。


 孤独死という結果になった、僕の父の姿を。明らかに人ではなかったとしても、父だったそれを。


 僕と叔父は首を縦に振った。マニュアルでもあるのだろうか、葬儀屋はしきりに前置きを繰り返す。


「ご遺体には損傷が見られます」


 ――分かったから。

 もう決心はついているんだ。

 何度もそんな言葉を聞きたくない。

  

 病院の横の道に路駐された普通のバンへと案内される。スライドドアを開くと灰色の袋が載せられていた。


 ――棺桶に入っていないと、なんだかモノみたいだな。

 そう思った。


 その中に父が入っていることが不思議だった。


 先に葬儀屋が袋を開いて確認し、「どうぞ」と言う。

「右の頬を下に倒れていたので、右側は少し痛んでいます」

 少しドキッとしたけれど、バンに乗り込んで袋をのぞき込む。


 そこには、すこしむくんでいたけれど、知っている父がいた。臭いがするかと思ったけれど、全然感じなかった。確かに、うつぶせになった右の頬から顎にかけて黒くなっているかな。でも、体勢を変えないと分からないだろう。思ったより父の姿そのままだったので安心した。


 少しの間、父の顔をみていた。


 ――はぁ。お父さん死んじゃったんだね。

 横たわる父を見ながら、寂しさを感じながら思った。


 ――むくんでるのはお酒の影響かな。

 ――お父さんは好きとはいえ、飲みすぎだったからどうかと思うけど。

 ――もうちょっと一緒にお酒を飲めれば良かったね。

 

 そうして、僕は父と最後のお別れが出来た。

 少し二の足を踏んだけれど、顔を見て良かった。


 本心からそう思えた。


 ○


 父を火葬して、家で一息つく。

 その日、僕と姉は話し合って決断をした。

 

「それでいいよね?」


 僕は頷いた。

 二人で一生の嘘をつくことを決めたのだ。






「お母さんにはお父さんが死んだことは言わない」

 僕は何度も何度も頷いた。


 病院のベッドで寝ている母に。

 少し前に入院して戻ってこれなくなった母に。


 取り返しのつかない嘘を背負ったまま、僕たちは明日も、何食わぬ顔で母のお見舞いに行くのだ。



 

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