第23話 星に贈る名前、です

「はーい。スピカ姫にしつもーん」


 私たちが戻ってきてから、二十分程度。

 チャイムが鳴って、楽器体験の時間が終わった後、解散準備の最中。

 すっかり天音部を気に入って入部を決めたと言っていた洞辺さんが、唐突にそんなことを口にしました。


「な、何?」


 ちょっぴり警戒しながら聞き返すスピカちゃんに、洞辺さんが首を傾げながら尋ねます。


「あのねー、ずっと気を遣うのもしんどいからー、ぶっちゃけちゃってほしいんだけどー。結局スピカ姫はー、なワケー?」


 音楽室内のほぼ全員が、ぎくりと緊張するのがわかりました。

 こ、この質問は……スピカちゃんが答えるの、つらいはず、ですっ。


「あ、あのっ」

「大丈夫よ、しえら」


 慌てて割り込もうとした私を制して、スピカちゃんは静かに言いました。


「……ありがとうね、洞辺さん。ちゃんと言わなくちゃ、みんなに私の顔色を窺わせ続けてしまうものね」

「いえいえー。あと実紗みさでいーよー」


 ……そっか。そういう考え方は、私にはありませんでした。

 スピカちゃんへの接し方がわからないまま一緒に過ごせば、みんなはスピカちゃんを傷つけまいと気を遣い続けて、スピカちゃんは嫌でもそれを感じ取って、どちらも居心地が悪くなっていきます。

 同じ部の仲間としてやっていくのですから、それでは困っちゃいます。


 だから、洞辺さん……実紗ちゃんは、あえてこの場で質問したのです。

 ほんとのきもちは、言葉にしないと伝わらない。そう知っていたはずなのに、私はといえば、傷を隠すことに必死になって……恥ずかしいです。


「ミサタン、ドッチって、どういうことなノー?」


 まだ元気があり余ってる様子のポーラちゃんがそう聞くと、実紗ちゃんはイタズラっぽい笑みを浮かべます。


「えー、だからつまりー、おちn「ウェェェエエエイCompliance!!」えてるのかってことだよー」


 部長先輩が吠えました。腰が抜けちゃうくらいびっくりしました。

 急にやめてほしいです、これだからチャラい人は苦手なのです。


「あッッぶね!! 何口走ろうとしちゃってんだこの子は! 怖いわ、最近の若い子怖いわ!!」

「えー若い子とかー、パイセンおっさんくさーい」

「そんでいちいち辛辣だなオレに!」


 何故か顔を真っ赤にした部長先輩をひとしきり笑ってから、実紗ちゃんが「それで?」と言わんばかりにスピカちゃんに向き直り、言葉を待ちます。


「……正直、どう答えていいのかわからないの」


 ゆっくりと語り出すスピカちゃんの言葉に、全員が静かに耳を傾けました。


「身体は、男よ。けど心が女かと言われると違う。確かに、髪を伸ばして、女子の制服を着て、こんな言葉を使ってはいるけど……それで心まで女の子になりきれるわけじゃない。そもそも、男でいるのが嫌だっただけで、女になりたかったわけでもないの」


 スピカちゃんは言っていました。男から遠ざかりたかっただけ。たまたま「男の子」から遠い場所に「女の子」があっただけで、私たちが超絶美少女だと感じていたスピカちゃんの振る舞いは、女の子を目指したものではなかったんです。


「……そうか。さっきレグは、男か女かなんてどっちでもいいなんて適当なことを言っていたけど……キミは、だったんだね」


 ラン先輩の言葉に、スピカちゃんが無言で頷きました。


「んー。そっかぁー。どっちで接するのもダメだと、むずかしーなー。『姫』っていうのもー、アウトだったりするー?」

「……そもそも、それは女だったとしても恥ずかしいわ。何で平然と呼べるのよ」


 恥ずかしかったみたいです。ごめんなさい、スピカちゃん。ずっと心の中で呼んでました。


「でもまー、いっか姫は姫でー。気遣って呼び方変えるのめんどいしー」

「じゃあ何で確認したのよっ!」


 マイペースな実紗ちゃんの態度は、きっと彼女なりの距離感です。本当は面倒なんかじゃなくて、わざわざ接し方を変えることで気を遣っていると思われたくないから。表面だけ取り繕ってもスピカちゃんには気づかれてしまうから、あえて裏表のない態度で接しているんです。

 そう、ですよね? きっと。多分。……実紗ちゃんはいまいち何を考えているのかわからないところがあります。


「……ムゥ、やっぱりわかんないノ! ドッチって、どういうことなノ?」


 ポーラちゃんが困り顔で唸ります。さっきと同じ言葉でしたが、ニュアンスは違って聞こえました。


「だって、ドッチかなんて、ムリヤリ決めなくってもいいと思うノ! ドッチでもない人だって、イッパイいるはずなノ!」

「ポーラ……。そう、かもしれないわね。私一人だけの悩みなんかじゃない」

「そ、そうだぜ! 何せ宇宙は広いからな!」

「パイセンはもう黙っててくださーい」

「うっす、さっせん……」


 ライオンじゃなくて借りてきたネコさんみたいです。部長の威厳、どこでしょう。


「あたしらはそれでもいいかもだけどー、クラスのみんなにはもーちょっとうまいこと説明しないとかもねー」

「ドッチでもない、じゃダメなノ?」

「みんな白黒つけたがるからねー。ポーたんにはあんまり聞かせたくない、イヤーな話だけどー……多分、どーやっても敵は出てきちゃうと思うんだー」


 そう言いながら実紗ちゃんはスマホを操作してクラスのLANEレイングループのトーク画面を表示しました。内容までは読めませんが、次から次へ新しいメッセージが投下されていくさまは、それだけで何が起こっているのかを鮮明に伝えてきます。


「まー、大事件だよねー。昨日まで姫だと思ってた子が、実は男でしたーって……あー、男も違うのかー。まだ慣れないなー」

「……ごめんなさい」

「そのうち慣れるって意味ー。でもこのプチ炎上ー、どーにか黙らせておかないと明日以降めんどいよー。明日の朝あたり、ハリキってつまんないことする奴らとか、出てくると思うんだー」


 先輩相手だろうとお構いなしにズバズバ言っちゃう実紗ちゃんの言葉には、不思議な説得力がありました。ただ、口調はなんだかとてものんびりしているので、あまり危機感にはつながらないのですけど。


「……私は、いつも通りにするだけよ」

「んー、それがいいと思うー。はしゃぐ奴らはどーせ反応が見たいだけだからー、構ってあげなきゃ勝手に興味なくすしー。本気で受け入れられないって人はー、そもそも近寄ってこないだろうからー、そういうのはこっちもほっとくしかないかもねー」

「……なんかミサちぃ、詳しいっていうか、妙に実感こもってない?」


 奈緒ちゃんの問いに、実紗ちゃんはけろりと答えました。


「まー、一歩間違ってたらー、あたしがかもって話ー」


 成り行きだけを聞いていた笛塚君たち男子がざわつき、「女子怖っ」と男の子らしい感想を呟きましたが、今の発言は私からしても怖いです。実紗ちゃん、何考えてるのかいまいちわかりません。


「安心してよ、今はもうちゃんと味方だからー。ピュアガールに感化されちゃいましてー」


 そんな実紗ちゃんと、ぱちり。目が合いました。にまーと微笑む彼女に、我ながらぎこちない笑みを返します。

 ……ところで、ピュアガールって、誰のことでしょう? ポーラちゃん?


「今のうちに何か、先手が打てればいいんだけどねー。どっちでもないってだけだとー、結局どう接すればいいのかって決め手に欠けちゃうしー。なんかインパクトあること言えればー、この良くない流れを上塗りできそうなんだけどー」

「……じゃあ、それはアタシが言うよ。元はと言えば、最初に余計なこと言ってスピカを怒らせたのはアタシだし」

「奈緒。それはもういいって言ったでしょう」

「けどっ……アタシ、スピカになんもしてあげられてないし!」

「はいはいそこまでー」


 二人の間に、実紗ちゃんがぐいっと割り込みました。完全に実紗ちゃんのペースです。


「まーアスミンならクラスでの立ち位置的に悪くはないんだけどー。当事者以外が出てきてもー、結局派閥が生まれちゃうだけなんだよねー」

「アタシは当事者でしょ?」

「さっき部室に来てた人たちにとってはねー」

「あ……」


 そうです。今クラスのグループLANEで情報だけを見せられている大半のクラスメイトたちにとっては、奈緒ちゃんは無関係な部外者でしかありません。

 そんな奈緒ちゃんがいきなり出て行ってスピカちゃんを庇っても、ただ「お仲間」としか映らない。悪意の対象が一人増えるだけ。だから誰にも頼らずに、独りで戦い続けるか、全部諦めて独りになるかが、正解なの。それしか選べない。


「シエラタン? お腹痛いノ?」

「……ううん。大丈夫、ポーラちゃん。ありがとう」


 こういうときの作り笑いは、巧くなってしまったかもしれません。


「一緒に考えるのは、いいよね?」

「もちー。てかー、そのためにこーしてガンクビ揃えてるんだしー」


 気がつけば、周りには片づけを終えた先輩たちまで集まってきています。


「ちょっとだけだからね? 本当は、体験入部の時間が終わったから安海さんとスピカさん以外は帰さなきゃいけないんだ」

「ま、こーゆー時は助け合いっしょ!」


 並んだ笑顔は、仲間でいてくれることの証。

 差し出された優しさに心からの感謝を述べるように、スピカちゃんは深くお辞儀をしました。

 誰もが見惚れるような所作。優雅に上げられた顔は、凛々しく煌めいて。


 ……やっぱり、あなたは強いよ。強くて、気高くて、……眩しい。

 私とは違う。どんなに暗い悪意に覆われても、逃げることなく、目を閉じることなく、輝き続けられる。

 ううん。輝き続けてほしい。

 あなたには、星でいてほしい。


 たとえ、私がまっすぐ見つめられないくらいに眩しかったとしても。


「……あ、あの」


 だから、私は届けます。

 スピカちゃんに望む姿。男でも女でもない答え。


「……。っていうのは、どうでしょうか」


 おとめ座の一番星の、光り方を。


「……なるほど」


 最初に口を開いたのは、レイ先輩でした。

 緊張して火照り切った身体に、心地良いクールな低音。


「オトコでもオンナでもなくて、オトメ。で、スピカだから、それもオトメか。咄嗟に考えたにしては、面白いな」

「やっぱりシエラタンはポエマーなノ!」

「そ、その呼び方は、恥ずかしいからやめて……」


 せっかくレイ先輩の声で落ち着いたのに、また顔が火を噴きそうです。


「……ふーん。やっぱり面白いなー、はまるんるんー」

「はま、るんるん……? わ、私のことですかっ⁉」

「しえらんらんでもいーよー」


 どっちも嫌ですっ!


「……ふふっ。あははっ、あはははっ……」


 可憐な笑い声に、振り向けば。

 涙が出ちゃうくらい笑ってる、スピカちゃんの顔。


「にははっ。やっと、ちゃんと笑ったっ」

「よかったノ。やっぱりスピカタンは、笑顔のほうがお似合いなノ!」

「……ありがとう、しえら。みんなも」


 涙を拭ってから、スピカちゃんはスマホを取り出します。

 連続する、入力音。


『私、寂沢スピカの性別は』

『男でも女でもない』

『おとめ です』

『改めて、以後よろしく』


 スピカちゃんが一連のメッセージを送った途端、それまでの騒ぎが嘘のようにみんなのメッセージが止みました。


「……ミサちぃ先生、これは?」

「いいんじゃないでしょーかー」


 実紗ちゃん先生の解説が始まります。


「これが匿名掲示板とかならー、ただの燃料投下だったけどー。ここではみんな名前を出して話してるからねー。その条件はスピカ姫も同じー。本人が丸腰で出てきてこんな宣言したらー、よっぽどのおバカさんじゃないと強く出れないと思うよー」

「……うん。クラスグループを沸かせていた話題の本人。その最初の発言が、非難を受けて怒るでもなく、理論立てて弁明をするでもなく、『おとめ』というスタンスの宣言だったんだから、これはだろうね」

「洞辺の言ってた先手打つって、こういうことか……」

「ねー。やっぱインパクト大事だったでしょー?」


 作戦通りー、とばかりのピースサイン。私は、そろそろ実紗ちゃんが恐ろしいです。


「……で、スピカっ。野暮かもしんないけど、ちゃんと聞いとくね」


 奈緒ちゃんの笑顔に、スピカちゃんがこくりと頷いて応えます。


「おとめで、いいのね?」

「……おとめが、いいの」


 その返事の後に、私にそっと向けられた微笑みからは。

 だって私は、星だから……と続くような気持ちが伝わってくる気がして。

 嬉しいような、恥ずかしいような、くすぐったい気持ちになってしまうのでした。

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