第20話 迷子の星、です

「……ああくそ。図星だけどよ。同じ苦痛を知ってなきゃ、寄り添ってもいけねーってのかよ……」


 悔しそうに、部長先輩がこぼしました。

 きっと先輩は、子供の頃からああやって人懐っこくて人気者で、スピカちゃんの言う通りランドセルの色でいじめられた経験もないのでしょう。

 同じ痛みを知らないから、その言葉が鎧の向こうに届かない。

 それが心底悔しいという顔で黙り込む先輩に、誰も言葉をかけられません。


 奈緒ちゃんも、呆然として立ち尽くしたまま。きっとまだ、スピカちゃんに真実を隠されてたというショックの方が大きいのでしょう。

 他の一年生のひそひそとしたざわめきの中からも、ネガティブな言葉ばかりが拾えてしまいます。

 あんな変な奴だったなんて。ちょっとショック。今まで姫ってちやほやしてたのが馬鹿らしい。関わり合いになりたくないな。もう近づくのはやめようぜ。

 その証拠に、誰も、スピカちゃんの後を追いかけようとしません。


「……どうしよう。またやらかしてしまった……俺があいつの苗字を言わなければこんなことには……」

「レイのせいじゃねーって。……誰のせいでもない。誰が悪いとかそういう話じゃねーんだ」

「ですが、とても楽器体験なんて空気じゃなくなってしまいましたし……」


 レイ先輩の言う通り、部屋には陰鬱な空気が満ちてしまっていました。ドラムの方で一歩離れた状況からことを見守っていたポーラちゃんたちも、おろおろと困り果てています。

 体験入部が終わる十七時まで、まだ一時間以上も残っています。

 このまま中断になっちゃったら……それも、スピカちゃんのせいになるの?


「それはまー、あれだ。みんな、気にすんな! ってわけにもいかねーかぁ」

「さすがにお気楽過ぎですよ……、……ハマル?」


 レイ先輩が、こっそり離れていこうとする私に気がついて、呼び止めます。


「まさか。寂……スピカを探しに行くのか?」

「はい」


 意外と、はっきりと答えることができました。

 行ってどうするかなんて、何も決めてません。でも、私が行かなくちゃ。私だから、伝えられる言葉はあるはず。


「……レグさんと同じように、拒絶されるかもしれないぞ。こういう時、誰もが敵に見えてしまう。お前はそうなったら、平気なのか?」


 私とスピカちゃん、両方のためを思っての、優しいアドバイス。

 けれど、それでも私は立ち止まるつもりはありませんでした。

 だって。


「私は、追いかけてもらったとき、嬉しかったんです。だから、行きます」


 視界の隅で、奈緒ちゃんが息を呑むのが聞こえました。

 そのまま、誰にも声をかけられることもなく、私は音楽室を後にします。


 私の居場所と言ってもらったこの場所で、何もできない私にできること。

 子供の頃、真っ暗な中で、星の王子様が私を助けてくれたように、

 意地を張って突き放したバカな私に、奈緒ちゃんが何度も手を差し伸べてくれたように、

 迷子の星を見つけてあげられる、やさしい暗闇になりたい。


 ――誰かがきっと見つけてくれる。


 その「誰か」に、私はなりたいの。



 ……と、威勢よく飛び出してきたはいいものの。

 スピカちゃんのいそうな場所、さっぱり見当がつきません。


「私だったら、どうするかな……」


 泣きたいとき。

 一人になりたいとき。

 何も見たくなくなったとき。


「……トイレ」


 短絡的な答えです。でも、的外れではないはず。

 個室って、ようは一人用の部屋って意味ですから。一人になりたいときにはうってつけの場所です。

 でも……問題がひとつ。

 廊下の隅、階段脇にあるトイレの扉を見て、うぅ、と情けない呻き声が漏れてきてしまいます。目の前には二つの扉。当然、二つのマーク。


「どっち……?」


 スピカちゃんがなのか、わかりません。


 男子トイレだったら私は入れないし、女子トイレだったとしてもそこで私がスピカちゃんを見つけちゃうのはまずい気がします。……詰みでは?

 一体どっちに? そもそも、本当にトイレにいるのかな? もう帰っちゃってたら? 校内全部のトイレをしらみつぶしに回るの? 一体どっちの? あれ、私の目的って何だっけ……? どっちに行けばいいんだっけ……?

 ぐるぐる回る頭の中で、故郷でよく聞いていた機械的な音声が頭の中を巡ります。


 右が、男子トイレ。左が、女子トイレ。

 中央が――


「あっ」


 そうだ。

 この学校には、ある。

 場所。

 入学して最初に見つけたとき、学校にもあるんだって驚いたから、よく覚えています。その話をお姉ちゃんにしたら、災害で学校が避難所になった時のために最近少しずつ増えているらしいという話を聞きました。


 お年寄りや、妊婦さん、怪我をしてしまった人。いろんな人が、誰でも気軽に使えるようにと作られた場所。

 男の子じゃなくても、女の子じゃなくても、いていい場所。

 それが……『だれでもトイレ』。


 本校舎の一階、東側と西側の端と端に一箇所ずつあるだれでもトイレ。私がその片方に辿り着いたとき。

 目に入ってきたのは、ぽつりと点灯した「使用中」のランプ。

 耳に入ってきたのは、かすかにすすり泣くような、小さくか弱い声でした。


「……スピカちゃん」


 返事の代わりに、泣き声が止みました。

 間違いありません。中にいるのは、スピカちゃんです。

 何から話せば、いいんだろう。言葉を選ぼうと頭を回転させるうち、ひとつの忠告が過ります。


 ――拒絶されるかもしれないぞ。


 わかっています。先輩たちに比べて、私の言葉なんて、弱くてちっぽけなもの。何の力もありません。

 届かなくてもいい。拒まれても構わない。

 理解されようって思わない。一方通行でいい。

 だけど、これだけは私の口から伝えたい。


「あのね。私の……私の、思ってることを、言うね。すぅ……」


 だから深呼吸。

 ゆっくり、吸って。

 ゆっくり、吐いて。

 また吸って。そして、一言、紡ぎます。


「スピカちゃんは、星だよ」


 あの時と同じ言葉を。同じ意味で。同じ憧れに向けて。


「星は、私の憧れなの。手が届かないくらい遠くにいて、見上げないと見えない高さにいて、まぶしいくらいに輝いていて。私に無いものを、たくさん持ってる」

「……だったら、さぞ幻滅したでしょう」


 扉の向こうから聞こえた声は、突き刺さりそうなくらいに尖っていて。

 だけど、それでも、私の伝えるべき言葉は変わりません。


「どうして?」

「……っ、それは、私が本当は醜い男だから。私の……『寂沢スピカ』という女の子の全てが、嘘で塗り固められたものだったからよッ!」

「ううん。関係ないよ」


 部長先輩の言葉と同じになっちゃうけど。男の子でも、女の子でも、関係ありません。


「私は、スピカちゃんが綺麗な女の子だったから憧れたわけじゃない。ただ、強くて気高くて美しい、あなたの姿に憧れたの」


 思ったままを、言葉に。

 言葉にしなきゃ、伝わりません。


「どんなに嘘って言われても、私からのこの気持ちは、私にとっては、本物だよ」


 だから、私の、ほんとのきもちを。

 あなたにとっても、本物になるように。


「何、言ってるのよ……!」


 力のある声に、思わず肩がすくんじゃいます。


「こんな私のどこが、強くて気高いなんていうの! あなたに無いものを持ってるだなんていうの! 安い慰めで、適当な出まかせ言わないでッ!」


 諦めさせるための言葉。私をわざと傷つけるための言葉。

 でも、私が目を閉じるしかなかったあの日の言葉に比べれば、優しさで溢れています。


「……スピカちゃんは、強いよ。私には、目を閉じることしかできなかったもん」


 ――中学生にもなって、キャンプで星って。子供かっつーの。

 ――行くわけないじゃん、虫刺されとかヤだし。

 ――星の名前とか知らないから。そんなもん、いちいち覚えてるのあんたくらいじゃないの。

 ――てゆーか、そんなに好きなんだったらさあ?

 ――星なんて、一人で見てればいいじゃん。


「世界を見るのがイヤなとき。前を向くのが辛いとき。涙が溢れて止まらないとき。一番簡単な方法は、目を閉じることだと思う。私は、俯いて、目を閉じて、前髪を伸ばして、見たくないもの何も見えないようにした」


 ……そうして、たくさんの綺麗なものが見えなくなってた。


「でも、スピカちゃんは、『スピカ』になって、現実に立ち向かうことを選んだんでしょ? だからスピカちゃんは、強いし、気高いよ」

「……っ」

「あんなに上手な歌だって、ギターだって。素敵な星のお姫様の『スピカ』の姿だって。全部、スピカちゃんの『本気』なんでしょ。あなたが積み重ねてきた、本物の輝きなんだよ」


 だから、嘘だなんて寂しいこと、言わないで。


「……違う。だって、結局、こうして逃げてきてるじゃない」

「逃げてなんかないよ」

「どうして、そんな言い切れるのよ」


 だって、昨日も言ったことですから。

 私にとっては、本当に当たり前のこと。


「星は、逃げないよ。今は、ほんのちょっと迷子になっちゃってるだけ」


 だけど大丈夫。

 私は、ずっと星ばかり見てきたから。

 どこに隠れちゃっても、きっと探し出せるよ。


「……なんで」

「え?」

「なんであなたは、そこまで言ってくれるの……? 初めて会ってから一週間しか経ってない、ただのクラスメイトの私に。あなたが私の何を知っているの。私があなたの何を汲み取ってあげられるのよ。私の痛みはあなたに伝わらないし、あなたの苦しみだって私にはわからない! なのに、そんな相手を、どうしてそこまで肯定できるのよ……?」


 スピカちゃんの、言う通り。

 私は、想像することしかできません。スピカちゃんがどれだけ辛くて苦しかったかは、私にはわかりません。同じ痛みを知ることだってできません。

 だから、これは一方通行の憧れだって、私が勝手にそう思ってるだけのことだって、先に予防線を張りました。


 流れ星に、願いを唱えるのと同じです。

 光しか届かないはずの距離に、想いを呟いただけ。

 届かなくてもいいんです。理解されなくたっていい。

 私の言葉で、スピカちゃんを変えてみせようだなんて、大層なことも思いません。

 ただ、言葉にしたいだけ。


「……今は、ラン先輩と同じように、同じ部活の仲間だから……としか、言えないけど」


 それでも……ほんの少しでいいから。


「私が、あなたを好きなのは……一週間よりもっとずっと、ずうっと前からだよ」


 星に願いが届いてほしいって思うのは、わがままなことでしょうか?

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