第10話 ノンストップ、です

「それってスッゴク……楽しそうなノーっ!」

「ぴっ」


 すぐ背後からでした。

 何だかたどたどしいカタコトのような口調の、耳をつんざくビッグボイス。

 私だけじゃなく、誰もが一斉に声のした方を振り返ります。


「って、でかっ!」


 奈緒ちゃんが思わず口走った通り、声の主……椅子から立ち上がった銀髪の女の子は、見上げるほど背がおっきくて、あと胸もおっきくて、でも顔はまるで外国のお人形さんかちっちゃな子供みたいに可愛い、とってもアンバランスな童顔グラマラスガール。


「人がイッパイだったからついてきただけだケド、決めたノ! ポーラ、このテンオン部に入部するノーっ!」


 はしゃぐ子供みたいにぴょんぴょん跳ねながら、ポーラと名乗った女の子は高らかに入部を宣言してしまいました。


「おー、嬉しいぜ! よろしくな、ポーラちゃん!」

「はいなノ! ポーラの名前はポーラ・ルクレツィアスっていうノ、ポーラって呼んでほしいノ」

「あ……っ、ズルい! あ、アタシも! アタシも入部します!」


 慌てて席を立ったのは奈緒ちゃんでした。入部届まで持ってきてたのに、ポーラちゃんに先を越されたのがよっぽど悔しかったみたいです。


「一年B組、安海奈緒です! 楽器経験、ギター一年! 星のことは、この子……しえらに教えてもらって勉強中ですっ!」

「ふぇ⁉」


 声をひっくり返して絶叫する私にお構いなしに、奈緒ちゃんは私の右手を取って高らかに持ち上げます。しーいずちゃんぴおん。そう言わんばかりです。


「ちょっ、奈緒ちゃんっ。私、まだ」

「……星、詳しいのか」

「ぴっ」


 それまで隅っこでうつらうつらしながら静かに見守っていたレイ先輩が、ぬるっと目の前に現れて低い声で問いました。


「え、あぅ、あの」

「好きな星は何だ?」

「ハマルです」


 ほとんどジョーケンハンシャで即答してから、しまったと思いました。

 もっとシリウスとかアンタレスとか、ううん、木星とか土星とか太陽とか月とか、そういうちゃんと伝わりそうな答えにしておけばよかった。

 悪い癖なんです。いつまでも治りません。一番好きな星を聞かれて答える名前がハマルでは、星オタクと思われて、距離を置かれて、それで終わりです。


「……うん。だろうな」


 つん、とおでこに当たる指の感触。

 ううん、正確には、おひつじ座の髪留め、その一番端の星をつついた感触です。


 そうでした。ここは天音部。軽音部であり、そして天文部でもある部活。

 星に詳しい人がいることに、何の不思議もありません。


「……ふぇ」


 あれ。やだな。

 どうして、涙が出てきちゃうんでしょう。


「待て。なぜ泣く」

「あー! レイてめぇ、女の子泣かしてんじゃねーよ!」

「待ってください俺は何も! お、おいお前、何を急に……そ、その、さっきのはデコピンしたわけじゃないからな⁉」


 あれ。あれ。おかしいな。

 悲しいことなんて、苦しいことなんて、ひとつもないのに。

 涙が、ぽろぽろ、止まりません。


「うっ……ふっ……うぇえ……?」


 恥ずかしい。

 奈緒ちゃんも、スピカちゃんも、先輩たちも、他の一年生たちもみんな見てるのに。

 それでも私は、勝手にあふれてきてしまう想いを、止めることができませんでした。


「す、すまん……すまん! 急に絡んで悪かった! も、もう話しかけないから、頼む、泣き止んでくれ……!」

「ち、がっ、ふっ、ぇ……っ」


 違うのに。なかなかうまく、声が出せません。途方に暮れる先輩を困らせ続けてしまっていると、ふいにやわらかな感触が伝わりました。


「よしよし。……嬉しかったんだよね、しえら」


 奈緒ちゃんでした。動物をあやすような手つきで、私の頭を撫でてくれます。

 何も言えずに泣いちゃってただけだったのに、奈緒ちゃんはわかってくれるんだ。すごいな。嬉しいな。

 そうなんです。私は、レイ先輩にデコピンされて泣いてるわけじゃなくて。……ついでに言うと、デコピンされたのが嬉しかったわけでもなくて。

 私と同じように星を好きな人に、私の「好き」を認めてもらえたのが嬉しかったんです。


 ほんとは、少し怖かったんです。星に興味ないっていう、スピカちゃんの言葉を聞いたとき。

 星が好きでここにいるの、私一人だけなんじゃないのって。

 そんなこと全然ないって、ちょっと考えればわかるのに。やっぱり私、バカでした。


 何もマトモに喋れないまま、奈緒ちゃんに向かって必死にこくこくと頷いていると、部室に満ちていた緊張感がほんの少しずつ薄れていくのがわかりました。申し訳なさそうな顔で引き下がるレイ先輩を見て、私の方もますます申し訳なくなってきてしまいます。あとで、ちゃんと謝らなくちゃ。


「んん~? よくわかんないノ! 変なノ!」


 ポーラちゃんが首を傾げながら困ったように笑います。彼女の言う通り、今の状況も、いきなり子供みたいに泣いちゃった私も、何もかもが異様です。


「にはは、それくらい好きってことだよっ」

「好き……だと、泣いちゃうノ?」

「んー、てゆーかぁ……嬉しかったり、感動したりとか? 悲しくない時でも、涙が出ちゃうことはあるねー。でもしえらはちょっと、泣きすぎっ」

「ご、ごめ、奈緒ちゃ」


 にゃはっと笑った奈緒ちゃんを皮切りに、部室が賑やかな笑い声に包まれます。

 我に返ってみると、な、なんて恥ずかしい状況なのでしょう。穴があったら飛び込んで海の底まで沈んでしまいたいです。

 海の底といえば、深海にはスターゲイザーという名前のお魚さんがいるそうです。意味は「星を見つめる者」。ロマンチックでステキな名前……きっと可愛いお魚さんに違いありません。


 ……と、現実逃避にひた走ったところで、レグ先輩が「で、何の話だったっけ?」と脱線した現状を軌道修正します。


「そうそう、参加は自由だけど楽しくやろうぜウェーイって話だったな!」

「……そうだったかな? でも、うん」


 レグ先輩のウェイな発言に首を傾げつつ、ラン先輩が笑って頷きます。


「貴重な青春の時間を頂くんだ。少しでも楽しいと思ってもらえるように、こちらとしても頑張るよ。後悔だけはしてほしくないし、したくもないからね……」

「俺たちがさせない、っつー話!」


 ラン先輩と肩を組んだレグ先輩が、子供みたいな無邪気な笑顔でピースサインを決めたところで、チャイムと共に校内放送が流れてきました。


『十七時になりました。本日の体験入部の時間は終了です。新入生の皆さんは、気を付けて下校してください』


 いつの間にか、そんな時間になっていたみたいです。

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