第3話 すれ違い、です

「やっと着いたぁ。んんーっ、夜風きもちいーっ」


 一緒にバスを降りた奈緒さんが、心底気持ちよさそうな声を出しながらぐいーっと伸びをしました。ホントにネコさんみたい。

 でも、奈緒さんが言うだけあります。肌全体で感じる山の上の空気は、まだ少し冷たいけれど、清流のように澄み渡っている感じがして、身体が勝手に深呼吸を始めちゃう。

 私の住んでいた町では考えられません。空気って、本当に「美味しい」って感じるものだったんだ。


「そんじゃ、一緒に天文台まで行こっか。ほら、暗いから足元気を付けてね」

「あっ、はわっ、だ、だだ大丈夫ですっ! か、懐中電灯あるので!」


 急に手を握られて、びっくりした私は慌てて振りほどいてしまいました。


「そぉ? はぐれちゃダメだよ。夜の山はコワーイんだから……にふふっ」

「あぅ……」


 早速、迷子になったことをからかわれてしまいました。


 バス停から人の流れに従ってしばらく歩くと、天文台の建屋が見えてきました。家のベランダから見た印象と裏腹に、木々の中にこぢんまりと佇んでいました。遠くからだと目立つけど、近くで見ると思ったより大きくないというか……子供の頃に見た記憶より、小さく見えてるせいかもしれません。あ、私が大きくなったからか。


「もう結構人集まってるなぁ。早めに場所取りしちゃおっか」

「あ、はいっ」


 奈緒さんの提案に乗って、私も背中の荷を下ろします。


 天文台には来ましたが、あの建物の中に設置されている天体望遠鏡に用はありません。というより、バスの中で奈緒さんに聞いたところ、あそこにあるおっきな望遠鏡を使うには事前に申請が必要で、しかもその申請は個人じゃできないとか。

 あくまで、この山の上が島で一番星が良く見える場所だったから、そこに天文台が設営されただけ。だから私も、こうして自前の望遠鏡を持ってきて、建物の裏手に広がるこの広場……天文台公園から島一番の夜空を見にやってきたというわけです。


「楽しみだなぁ……」


 天体観測の準備をしながら、思わず顔が綻んでしまいます。

 これから始まる早見島での生活の、その一番最初の星空。それを、こんなにも沢山の同志の方々と一緒に島一番の特等席で楽しめるなんて。

 こんな幸せで、いいのでしょうか。


「んー、ねぇしえらちゃん。ここだとちょっと遠いから、もっとに行かない?」

「……えっ?」


 前の方、って?

 星が見えるのは、うえでしょう?

 前も後ろも、ないはずです。


「あの……?」


 私は戸惑いながら、奈緒さんの言葉の意味を聞こうと口を開いて。

 そして、ふと気づいたのです。


 天文台公園に集まった人たちが、まばらに散らばるのではなく、ある一箇所に集中して陣取っていたことに。


「……もしかして、しえらちゃん。知らなかった、とか?」


 言葉を無くした私を見かねて、奈緒さんも遠慮がちに口を開きました。どこかで、噛み合ってない会話。その原因を探るように、彼女も私に疑問符をぶつけてきました。


 知らなかった? 何を?

 私は、星を見に来ました。

 ここにいる皆は、奈緒さんは、違うんですか?

 奈緒さんは、そんな私の無言の疑問に、顔をほころばせて答えました。


「今日は、月に一度……『プラニス』のライブがある日なんだ」


 周りが、急に真っ暗になったように感じました。


「ライ……ブ……?」

「あー、ごめんねしえらちゃん。そうだよね、今日島に来たばっかりなら、知ってるワケなかったよね。奈緒さん大失敗、にはは……」


 どこか申し訳なさそうな、奈緒さんの笑い声。

 騙すつもりはなかったと、弁明するような声音。

 真っ暗闇の中で、その声がとても遠く感じました。


「でもさっ、せっかく来たんだから、一緒に見ていこうよ! 『プラニス』以外にもたくさんのバンドが出るし、きっと楽しいからさ!」


 キラキラとした眼差しで、握ってきた手を。


「……っ!」


 私は、全力で振り払いました。


「ぃたっ……し、しえらちゃ」


 違ったんだ。

 イケイケギャルの奈緒さんも。

 バスに乗ってやってきた沢山の人たちも。

 この天文台公園に、星を見に来たんじゃない。

 人気者のバンドの、ライブを見るために集まったんだ。


 ……何なの。私、バカみたい。

 星が好きな仲間がいっぱいだって、一人で浮かれて、舞い上がって。

 本当は……私以外、誰も星なんか興味なかったんだ。


『星なんて、一人で見てればいいじゃん』


「あっ……ま、待って! しえらちゃんっ!」


 気が付くと私は、一目散に駆け出していました。

 真っ暗闇の山の中。天文台に集まった人の群れから離れるように、遠くへ、遠くへ。

 私を照らさない、頼りない星明かりでは、足元なんて見えなくて。

 拭っても拭っても溢れてくる涙のせいで、前だってちっとも見えなくて。

 それでも私は、夢中になって逃げました。

 奈緒さんの、楽しそうにらんらんと輝いた瞳の、私が理解できない光から、必死で。


「ぇぶっ!」


 つまづきます。当たり前です。

 間抜けな呻き声を上げてつんのめった私を、夜風と草木の匂いが笑いました。

 視界を濡らす涙は、転んで擦りむいた痛みのせいではありません。


 ……いえ。嘘をつきました。痛みのせいです。


「うっ……うっ、ううっ……、ううううぅぅぅっ……!」


 だってこんなにも、張り裂けそうなくらいに、痛い。


 こんな風に思うの、ものすごく自分勝手なことだって、頭ではわかってるんです。

 騙された、裏切られた、だなんて。

 私が勝手に勘違いして、勝手に期待して、勝手に思い込んだだけ。

 それだけ、なのに。


「何で、こんなに痛いの……?」


 空の星は、何も答えたりしません。

 小さな星の王子様は、もうここにはいないのです。

 思い出の天文台にはもう彼はいなくて、今ここにいるのはステージの上で女の子たちにチヤホヤされるバンドの王子様だけ。


 ああ、そうか。そうだったのですね。

 この痛みの理由は、私の膝が傷ついたからじゃなくて。

 私の大切な思い出に、ついた傷の痛みなんだ。


「……星、ぜんぜん見えないよ。島で一番よく見えるんじゃなかったの?」


 情けない涙声に、自分でツッコミを入れます。当たり前です。

 だって、何度拭っても、私の目からは大量の涙が溢れてきます。

 都会の澱んだ空気より、ずっと汚く濁った、どす黒くて醜い涙が。

 薄汚れた気持ちで夜空を見上げても、滲んだ視界に星なんてひとつも映りません。


 ……何やってるんだろう、私。

 早見島で一番最初に見る星空を、最高の星空にしたかったはずなのに。

 史上最低にモヤモヤした気持ちで、史上最悪に真っ暗で何も見えない空を、一人ぼっちで見上げています。


「……こぼれるじゃん、涙」


 ふと浮かんだフレーズに文句を言いながら、私は涙声のままハミングをしました。


「ふんふん……ひっく。っ、ふーふん、ぐずっ、ふーふーん……」


 酷いものです。どうしてこんな酷い鼻歌を、披露する気になったのでしょう。

 どんなに辛くても、痛くても、寂しくても、誰もお前のことなんかわかってくれない。星なんてお前しか興味ない。一人で見てろ。このままずっと、一人ぼっちでいろ。

 胸の奥でこだまする、そんな罵倒が聞こえないように?


 ……ううん、もうひとつ。

 彼の言葉を、思い出していたのかもしれません。


 歌えばいい。

 真っ暗でも怖くないし。

 誰かが、きっと、見つけてくれる。



「泣いてるの?」

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