第38話

 リツの言う通り、中庭へのドアはすぐに見つかった。絵画のない箱の中みたいな空間にぽつんとドアが嵌められている。初夏の日光はステンドグラスを通して、白い石畳みの床に蓮華の花を描いていた。隅にアンティーク調のチェストが置かれ、その上には美術館や、地元の観光地のパンフレットが並んでいる。進行方向に向かって左側が中庭、反対は非常口になっている。

 サクラは中庭と書かれた案内看板を横目に、丸く冷たい金属のドアノブに手をかけた。ぴたりと吸いついて、電気が流れるみたいにピリリとした。


 外開きのドアを開けて、中庭に出る。少しだけひんやりとした空気が肌の上を滑る。

 思った以上に広い。芝生と白いコンクリートで地面に幾何学模様を描いている。所々に置かれたオブジェは、サクラには到底理解できない存在感だけを放っていた。ドアから真っ直ぐ先には、だだっ広い人工の池があり、真っ白な桟橋がすらりと伸びてる。池の中には鏡のオブジェと噴水が桟橋に沿って並んでおり、複雑に光が反射している。もしかして、駐車場で聞いた水の音はここのことだったろうか。池の奥には橋がかかっている。あれは、地図上で見た渡り廊下だろう。

 サクラは桟橋の方へ歩いてみた。人工とはいえ、水の音と、濡れた草木の香りが心地いい。反射してキラキラと光る湿っぽい桟橋に、ローファーの足音がギュッギュッと鈍く響いた。

 その時、背後から子守唄みたいなグロッケンの音が響いた。時計の音だろうか。もう、午後2時になるのかしら。


 「ねえ、こっちだよ、サクラ」


 桟橋の途中、不意に可愛らしい声に呼ばれた。

 オブジェの鏡の中に、黄色いワンピースの少女がいた。長いツインテールで、可愛らしく佇んでいる。

 流石にもう驚かないぞ。


 「今度はなんなの……?」


 サクラは呆れた声でソニアに問う。彼女はアニメのキャラみたいに可愛い膨れっ面を見せた。


 「今度はって、失礼しちゃうわ」


 「話があるなら普通に出てきなさいよ」


 「何よ、その反応ー。つまんないのぉ」


 「3回目にもなるとそうなるよ。あんたが、ソニアじゃないこともわかる」


 サクラはどうしようもなく苛立って、ソニアから顔を背けた。


 「うそ!? なんでー? 完璧な変装だったのに!!」


 「口調も性格も違う。チェリーも、ティアも。取ってつけたように真似してた。ソニアだって、わたしを呼び捨てになんてしない」


 「あーあ。頑張ってきたのになぁ」


 明らかに落胆した彼女は、気を取り直すようにくるりとスカートを靡かせて回る。クラゲみたいに膨らんだ黄色いスカートが本物のサンダーソニアの花に見えた。


 「バレちゃうなら、もう少しインパクトのある出方をするべきだったわ。今度は花火をバックになんてどう?」


 靴を軽快に鳴らしてソニアの紛い物は笑う。

 勘弁してほしいと、サクラの前頭葉がズキズキと痛む。この子のめちゃくちゃな発想に付き合ってるほど物理的な時間の余裕も精神的な余裕もないのだ。


 「そもそも、あんた誰なの? なんで魔法少女の格好なんて……」


 「この方が可愛いし、味方って思ってくれるでしょ?」


 ソニアはスカートの端を摘んで、棒みたいな少女の脚をクロスさせた。サクラが目を細めて、無言でいるとソニアは少し焦ったように姿勢を正して、口を開く。


 「本当に、味方だからね?」


 「それは、一応信じてる。助けてくれたし、あんたしか情報源はないから」


 「それは、良かった。ここで疑われてしまったら心外だもの。それはもうショックよ。助けたお姫様を勇者に殺された時くらいの次の次の次の次が、お菓子を焦がした時、その次の次くらいね」


 「落差がすごいのだけど……」


 ソニアはスキップでもするように鏡から鏡へと移って、桟橋の先の噴水へ向かう。サクラも彼女の後を追う。

 ちょうどサクラが桟橋の先端に立つと、ソニアは鏡と噴水のミストに反射してぼやけて見えた。


 「今回も大した力は残ってないから、短時間でお話しするわ。彼も気が利かないから仕方ないわね」


 「彼?」


 「その話をすると、時間切れになるもの。絶対、あなた質問攻めにするんだもん」


 小さな子供が言い訳するみたいにつんと唇を尖らせて笑う。彼女の言葉に連動するかのように水飛沫が飛び散る。軽やかな彼女とその周りの景色に反してサクラの頭痛は酷くなる。


 「質問攻めにはしないけど。でも、そろそろ本当のことを教えて。わたしたち、殺されるかもしれないし……、誰が首謀者で、どうしたらそいつを止められるのか……」


 風にミストが煽られてソニアの姿が霞んだ。その瞬間に、目の奥を突き刺すような激痛が走った。思わず、よろめいてその場に膝をつく。


 「……答えを話す前に、わかっててほしいのよ」


 目線の先に黄色いショートブーツが現れた。

 ソニアが、目の前で、触れられそうなくらいの距離でしゃがみ込んでいる。晴天のような青い目がじっと、こちらを見ている。


 「わたしは何があってもあなたたちの味方で、あなたに救ってほしい世界があるの」


 記憶の中ソニアの目は、青くはなかった。

 サクラはよろよろと立ち上がった。ソニアの周りの視界が揺らめいて、崩れ落ちていく。


 「世界を救う……」


 真っ白なカンバスの視界にソニアは異様なほど鮮やかに浮かび上がっていた。これは夢の中だろうか。鳩頭のいた藤の世界のように、アプラスがわたしたちに干渉しているのだろうか。

 サクラは地面であろうカンバスの上に立つのに、足にどれだけ力を入れてもおぼつかない。


 「正直言うとね、あなたがヴィクターを追い始めたのには驚いたわ。他の魔法少女はわたしを待つだけだったから」


 ソニアの足元に、白い花が咲く。これは知っている。白詰草だ。緑色のクローバーが広がってカンバスを春の大地に染める。


 「他の魔法少女ってどういうことよ……」


 ソニアは片足の爪先で3回地面を叩き、スキップしてくるりと回る。黄色い花は散って、青い雫を纏う。ショートヘアのつり目の細い少女。


 「あなたたちで3組目。他の子は、上手くいかなかったわ……」


 鋭い目つきを薄い瞼で伏して、口を噤む。


 「殺されたの?」


 サクラが低い声でそう聞くが、ティアは相変わらず項垂れたまま答えなかった。それだけで答えとしては十分だった。

 サクラは胸の奥から吐き気が込み上げてきた。


 「ヴィクター・ブラントの絵は世界を繋ぐの。マルルの心臓から色を取ったから……」


 「何言ってるの?」


 「黒幕はマルルよ」


 語尾を強めたティアから弾けるように青色が飛び散って、チェリーが残る。花を模したピンクのスカートにポニーテールが揺れる。


 「な……なんでそうなるの?」


 「なんでって、最初からそうだから──」


 「マルルは世界を救おうとしたんだよ!! なんで敵対しなきゃ……」


 おかしいんだ。マルルが魔法少女を殺すなんて。どこにそんなメリットがある? いや、メリット以前の問題じゃないか!!

 可愛くて無邪気なマルルが──。アプラスと相討ちになったマルルが!! どうして、チェリーはそんなこと言うんだ!! 魔法少女はそんなこと言わない!! 魔法少女──わたし──は絶対の正義だ。


 「信じ難いけど、これが現実なのよ。マルルは世界を救おうとなんてしてない」


 わたしは、ブラントの絵を見て頭がおかしくなったんだ。そうじゃなきゃ……そうじゃなきゃこんな夢を見るはずがない!!


 「ああもう!! 消えてよ!!」


 カンバスの世界が粉々になって、枯れていく白詰草の上にサクラは崩れ落ちた。


 「あんたなんか……!! そんなもの全部嘘だ!!」


 夕陽が差し込んで、水と土の香りが鼻を刺す。辺りの景色は橙に照らされた草原だった。


 「違う……わたしは、もう嘘は吐かないわ!!」


 チェリーが悲鳴をあげた。サクラの両隣に人影があった。目を見開いたまま見上げると、黒いヴェールの王女と黒く奇妙な仮面の剣士がいた。王女の方は見覚えがあった。


 「嘘吐きは重罪よ。首を刎ねるわ」


 王女はチェリーを真っ直ぐ指差して、真っ赤な口元を歪めた。その言葉を合図に剣士が斧みたいに巨大な剣を片手にチェリーに歩み寄る。ファンタジー映画の主人公パーティーにいた、戦士みたいだ。


 「女王様の仰せのままに」


 「こんなの!! わたしの物語じゃない!!」


 チェリーは逃れるように剣士の横をすり抜けて、動けないサクラの前で転ぶ。サクラは声さえ出なくて空気の塊が喉元でつっかえる。


 「サクラ……っ」


 顔を上げた、チェリーの目はやっぱり嘘みたいに真っ青な空の色をしていた。


 「歩いて来て、夢の中ならどこまでも行けるのよ……!!」


 意地悪な顔して、なんだかマルルみたいにニヤリと笑った。

 剣が綺麗に弧を描いて、視界が分断されて燃えるような虚空に亀裂が入る。隙間から青空が見える。今日はいい天気だったんだ。

 転げ落ちたチェリーの顔がサクラの指先に触れた。その瞬間に、意識が遠のく感覚に陥る。目眩と共にブラックアウトする視界に初夏の陽射しが差し込む。


 「ねえ、あんたも嘘吐きなの?」


 女王の声にサクラは「殺されてしまう」とぼんやりと考えて、そこで目を閉じた。

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