第20話

 モモカとリツと会ってからしばらくは何かをする気にもならなくて、ただ時間をやり過ごすだけの日々が続いた。

 魔法少女のことも、アプラスのことも、マルルのことも、何一つ考えたくなくて、仕事をするか、ホラー映画を見ることで気を紛らわしていた。ただ、映画を見ているだけじゃ妙な罪悪感や心残りが拭えなくて。だから、ずっとフルタイムで仕事が毎日あるのがこんなにも有り難いなんて初めての経験だった。


 ちなみに、ユキトには喚き散らしたその日の夜のうちに、冷静になれず態度を悪くしてしまった旨を文面で謝罪した。ユキトからも失礼を働いて申し訳なかったと、やけに堅苦しいメッセージが届いた。そして、また時間がある時に経過報告をさせてほしいから、暇な日時を教えてほしいと言われ、そのまま返信していない。結局四日間ずっと放置しており、ユキトからは毎朝「元気か?」と連絡が来る。いい加減、返信しなくてはいけないのだが、どうもユキトと顔を合わせる気になれないのだ。


 ただ、五日目にして流石に連絡しないのもまずいと思い、バイトを終わらせたその日の夜にひとまず来週までに待ってほしいと送った。

 本日は水曜日。あと三日という期限を作ったのだから、これでもう逃げ回ることはできない。少し憂鬱になりつつ、その日はスマホを布団の上に投げ飛ばして眠りについた。


 デジタル時計の目覚ましが鳴る。ということは、時刻は七時十五分だ。いつもならこれから十五分間、七時半までは微睡みと格闘する。ただし、今日は戦わない。なぜなら今日は休みで、予定も入れていない。つまり、今日は戦わずして勝てる日である。


 「おねえ!!」


 寝起きの、自分でも理解できないような思考の中、コハルの声が響く。顔面にもふもふとした感触と、獣の臭いに息苦しくなる。


 「コハル……ペロを顔に乗せないで……」


 暖かなもふもふの感触が消えて、視界が明るくなる。動物は好きな方ではあるが、流石に最悪な目覚めである。

 好き放題に爆発した頭のコハルはペロを抱いて、サクラの足元に座っている。


 「ペロスケ〜おねえを起こしてくれたの〜?」


 「今日は休みなの。もう少し寝るから」


 連日の勤務により、サクラのライフポイントは限界に近い。いくら気がまぎれるからと言ってメンタルがボロボロの状態で働き続ければ自ずと休息が必要になる。だから、サクラは布団を被り直そうとするのだが、そんなことお構いなしにコハルは布団を引っ張って阻止した。


 「おねえ!! 喫茶店行きたい!! 昨日おばあちゃんがメルリの珈琲チケットくれたの。モーニング行こうよ〜」


 コハルは鬱陶しく、サクラの体を揺すって、子供みたいに話す。ちなみにメルリとは祖母が常連になるほど通っている純喫茶である。六年生くらいまでは、祖母と毎週のように行っていたが、中学以降は部活や魔法少女やらがあって、全く行かなくなってしまった。

 だからといって特に久しぶりに行きたいとも思えないし、貴重な休みの朝にコハルのマシンガン口撃を受けるなんて、そんな苦行はごめんだ。


 「おばあちゃんと行けば」


 「コハル、おねえと行きたいの!! それに、おばあちゃんは今日篠原さんでリハビリの日だよ。モーニング行ってる時間ないって」


 コハルの駄々こねに、数分付き合ったのちに、毎度ながらサクラが折れる。

 気が進まないままに喫茶店へ行くこととなり、サクラも無理やり起きてとろとろと準備を始めた。サクラもコハルも爆発した髪だけを整えて、Tシャツにデニムのズボンを履いた。コハルはピンクのラインが入った黒いパーカーを羽織った。


 玄関を出ると、五月の空は綺麗に晴れて、サクラの眠気をこじ開けた。沈んだ気持ちに目がくらむほどの日差しは容赦なく突き刺さる。


 家からだらだら歩いて五分弱、コハルが見た混沌とした夢の話を聞き流しているうちに、メルリに到着する。昭和の時代から続くメルリのレトロな佇まいは、その時代を知らないサクラにさえ懐かしさを感じさせた。店内に入ると、母親と同じ世代の店主の奥さんが「久しぶり」と懐こい笑顔で挨拶した。サクラも少し緊張しつつ笑顔を作り挨拶を返す。内弁慶なコハルはサクラの後ろに隠れるようにして、小さく頭を下げた。二人は自然と窓からの光も届かない一番奥の席に座る。確か、この席は祖父母が一緒の時によく座っていた。サクラはアイスコーヒーを、コハルはトマトジュースを注文した。

 メルリの広く少し薄暗い店内には店主が海外旅行の際に購入したらしい、南国のお面や、ヨーロッパの街並みのオブジェや、コーラの瓶を模した置物が、コンセプトなんて言葉をまるで無視して、勝手放題に飾られている。サクラは小さい頃、あのお面が怖くてたまらなかったことを思い出しつつ、スマホを取り出してSNSを開いた。幸い、リツにもモモカにもブロックはされていない。ただ、二人とも会ってからほとんど更新しておらず、かろうじて昨晩、モモカが飼い猫の写真を無言でアップしているだけだった。ユキトからも昨日に連絡を入れてからは、毎朝あった催促と言う名の挨拶は来ていない。


 「ねえ、おねえ。またママと喧嘩した」


 唐突に、コハルが繰り出す。サクラは顔を上げて、「またなの」とため息をつく。


 「だって、コハルがさ、バイトして買った服にケチつけるんだよ。スカートが短過ぎるとか、この色は変だとか」


 この手の話は少なくともワンシーズンに一度はしている。母も母で服くらいコハルの好きにさせてやればいいのにと思うのだが。サクラはプライベートなことに関しては適当にあしらって、好きにしているのだが、コハルは違う。意に沿わないことを言われると喧嘩腰に猛反発し、売り言葉に買い言葉の銃撃戦が勃発するのである。


 「ああ、昨日騒いどったのはそれが理由か」


 「いい加減、コハルを子供扱いすんのやめてくんないかな。コハルだってもう選挙権あるし、お金だって稼いどるのに」


 「あんたを大人扱いするのは無理だと思うよ。まあ、服は流石に言い過ぎかもだけど……」


 「おねえもママの味方なの?」


 コハルは怪訝な顔をして口を尖らす。子供扱いするなと言った矢先に子供っぽ過ぎる発言に笑いそうになる。


 「そういうとこだよ。少し冷静になんなって」


 「おねえのそういう大人ぶった言い方嫌い」


 「悪いけどこれがわたしの喋り方なの」


 そんな時、奥さんがジュースとコーヒーにサービスのトーストとゆで卵とヨーグルトをつけて持ってきてくれた。

 パッとコハルは笑顔になる。切り替えの速さに突っ込むのも面倒になり、サクラは黙ってコーヒーを飲み、分厚いトーストを齧った。


 「まあ、でも……今回もコハルもちょっと悪かったと思うよ」


 コハルはぽつりと呟き、続ける。


 「コハルさ、カッとなると言い過ぎちゃうんだよね。こんな風に育っちゃったから仕方ないけどさ、何とかなんないかな……コハルも結構悩んでんの」


 コハルは大袈裟なくらいため息をついたかと思えば、今度は少し語気を強めて話す。


 「でも、ママもママだよ。コハルの言葉を真に受けちゃってさ」


 トーストを食べながら聞いていたサクラは三分の二になったそれをバスケットの上に置いた。妹の自分よがりな発言にあきれ返る。


 「あんたね……言っとること矛盾しとるよ。自分のために他人が察して動いてくれるのを期待するのは大人扱いされたい人がして良い考え方じゃないでしょう。お母さんと喧嘩したのも、結局は自分がしたことの結果じゃん」


 コハルはムッと顔をしかめる。


 「おねえの今こそ、何もしてこんかった結果じゃん。何にも動かないから、毎日つまんなさそうな顔してさ。そんなこと言ったって、響くわけないじゃん」


 最後に「バーカ」と付け足して、トマトジュースを半分一気に飲んだ。

 サクラはコハルの言葉が妙に引っかかって、まるで見えない棘に刺されたみたいにチクチクと痛くてもどかしく感じた。何も反論しない姉に、コハルはちょっと言いすぎたとでも言いたそうに「今のごめん」と呟く。

 「いつものことじゃん」とサクラは鼻で笑って返した。そこで、なんとなく話は終わり、それから食事が終わるまで、コハルの好きなユーチューバーの話を聞かされた。

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