第18話

 凍りついたように一瞬の沈黙が走った。

 魔法少女の話を切り出して以降、リツは人が変わったように冷たくなった。だから、きっと協力を得るのは難しいことくらいはわかりきっていた。それでも、マルルの話を出せば、少しくらい心配したり、話に関心を持ったりするんじゃないかと思っていたのに。


 「あんな胡散臭い人形を救うとか、まじでありえねーんだけど」


 リツはそう吐き捨てて、額に手を当てて髪をかきあげた。青いビジューのピアスが揺れる。


 「う、胡散臭い……!?」


 「逆に、どうやったらあれが純真なものに見えんの……」


 大袈裟なくらいに、リツはため息をついた。

 サクラはリツから目をそらして、モモカの方をちらりと見た。モモカも横目でこちらを見て、肩をすくめ、困ったように顔を歪める。

 サクラはふっと息を吐いて、リツに向き直る。リツは腕を組んで、見下ろすようにサクラを見ていた。


 「確かに、不可解なことっていうか……謎も多いけど、マルルがなんでそんな胡散臭いだなんて──」


 「つーかさ……あんたは、何を根拠にマルルを信じてるの」


 「何をって……そりゃあ……」


 あの頃は、どうしてマルルを信じた? マルルは、マルルの世界を救うために助けを求めた……はずだ。それなら、答えは簡単に出る。


 「目の前で助けてって言ってるなら、助けてあげるよ、普通」


 「そうね。多感で馬鹿な中高生ならそれでいいんじゃない?」


 リツはもう馬鹿にしたような笑顔さえも見せない。単調な声はどんどんと周りの空気をビリビリと冷たくしていく。


 「……どういう意味よ」


 「まあ、なんかもう面倒くせえ」


 リツは頭痛でもするかのように額に手を当てて、続けた。


 「直球に言うと、あたしには無理。やってらんないわ」


 その言葉が最後のトドメだった。

 話していくうちに、なんとなく……リツから協力を得るということは難しいことなんかじゃなくて不可能なことだって、確信めいたものになってきていた。それには気がついていたのだけど、トドメを刺されて、サクラはプツリと弾けるように気が抜けて、俯いた。

 サクラとリツの間の空気は限界まで冷え切って、感覚もなくなってしまった気がした。


 「リツは、世界がどうなっても良いんだ」


 サクラはテーブルの下で、血が止まってしまうんじゃないかと思うほど手を握りしめた。


 「世界がどうにかなるって? 適当なこと抜かしてんなよ。そもそも──」


 「リツはアプラスの手下たちが何をしてたか覚えてるでしょ!!」


 サクラは顔を上げて、リツの声に被せるように言い放った。リツの顔は相変わらず険しく、怖かった。それでも、リツは静かに低い声で答えた。


 「うっせえな、聞けよ、アホ。そもそも、あたしたちに何ができるか理解してんの?」


 「それを探してるんじゃん!!」


 「マルルの力がないのにあたしたちに何ができんの?」


 「マルルは生きてるの!! だから、わたしはもう一度……っ」


 モモカが蚊の鳴くような声で「サクラちゃん」と呟く。

 サクラの喉には真綿でも詰められたみたいに息が詰まった。リツに感情論なんか逆効果であるのに、勢いに任せて、不確かなことを言ってしまった。

 サクラは真綿を吐き出すように、それでも静かに息をついて、肩を落とした。


 「根拠の無いこと言ってんなよ。マルルだって胡散臭いのに、マルルの力を借りるとか……」


 案の定、マルルを信じてないリツからは辛辣で尤もな答えが返ってくる。


 「自分自身じゃ何にもできねーんじゃん。自分の限界を考えずに動くのはただのクソガキだろ」


 「目の前の問題を放置するのだって」


 「モモカまで巻き込んで、あんた何考えてんの」


 自分の名前が出て、モモカはピクリと顔をあげる。ただでさえ押し負けているのに、考えもしなかった発言にサクラは一瞬戸惑う。


 「ま、巻き込んだ? モモカだってわたしたちの仲間だったんだから」


 そう絞り出すように言って、横目でモモカを見る。目が合うと、モモカは逃げるように目を伏せた。モモカは、否定も肯定もしないで、何を考えているのだろうか。


 「あんた、モモカの状況考えてんの?」


 「は……」


 「モモカは就活中なの、わかってやってんのよね?」


 「だから、無理強いはしてない……」


 就活で失敗したくないことくらい、就活をしたことのないサクラにだってわかる。

 まだ、大したことはしていないが、モモカにも学校の用事があるならそっちを優先してもらっているつもりだ。


 「してなくても、プレッシャーになるでしょ? 本当何も考えてねえな、お前」


 世界と自分の人生を天秤にかけた時、リツはきっと自分の人生を取るのだろう。サクラにはそれがどうにも理解できなくて、氷像みたいなリツに沸々と怒りが湧いた。


 「だけど、もし世界が滅んじゃったら就職どころじゃないでしょ!!」


 「だから、もしとか、あやふやな状態なのにモモカまでも巻き込むなって言ってんの。世界に何にも起きなかったらどうなるの」


 サクラの張り上げた声に、リツも低く答える。静かな声なのに、相当苛立っているのがわかった。


 「それならそれで良いじゃないの!!」


 「本当にわかんねえのかよ……。モモカの今とあんたの今は重みが違うの、なんでわかんねえの」


 「重……み……?」


 「一つのプレッシャーがあるだけで人間って簡単に潰れんだよ。そのせいで、後悔なんかしたくねーし」


 「そりゃ、就職は大切なターニングポイントになるけど……でも……」


 「自分の理想押し付けんな」


 「リツだって、モモカの何がわかるのよ」


 「あんたよりは常識的に考えてる」


 「常識的とかそういうんじゃなくてさ──」


 「もういい加減にしてよ!!」


 悲鳴に似た声がサクラとリツの会話を雷のように切り裂いた。目の前のリツは目を見開いて口を噤んだ。もともとBGMの無い店内にはモモカの泣いてるみたいな息遣いだけが流れたが、数秒で周りの客がひそひそと気まずそうに話し始めた。

 モモカは俯いたまま手を胸の前でぎゅっと握りしめて、少し、震えていた。


 「どうしてモモカの話になるの……!! 二人とも、モモカのことなんか考えてないじゃない!! 自分の意見を押し通すために、モモカを使わないで!!」


 引きつって尖った声で、モモカは静かに堪えるように言った。


 「あ……その……モモカ……」


 サクラはどうにか絞り出した言葉は、特別意味を持つ気の利いた文章になんてならなかった。それでも、何かしないといけないと思って、俯くのモモカの肩に手を伸ばしたが、サクラは年季の入ったソファーにゆっくりと手を落とした。自分の都合ばかり考えていたくせに、モモカに触れて言葉をかけようなんて、そんな資格はない気がした。


 「別に、そんな風に思ってなんか……」


 リツは気まずいのか、怒られて拗ねた子供みたいにモモカを横目で見て呟く。サクラもリツも言葉というものを忘れてしまって、馬鹿みたいに黙っていた。

 随分と長く感じた無音は、お客さんが入ってくるドアが開くベルの音で破られた。モモカはそれに、ハッとしたように顔をあげた。頰も鼻も熱を帯びたように赤く染まり、可愛らしく大きな目はガラス玉みたいに潤んでいた。


 「……帰るね。びっくりさせて、ごめんなさい」


 力なくそう言って、モモカは千円札を机に置き、立ち上がり流れるようにドアに向かっていく。サクラも慌てて立ち上がり、声を上げる。


 「待って、モモカ。車は……」


 「タクシー呼ぶからいらないよ……」


 モモカはこちらを振り返ることもせずにベルを鳴らして、外に吸い込まれていく。ドアが随分ゆっくりと閉まっていくのが見えた。

 サクラは周りの冷たい好奇の目線を感じて、身体をさすりながら座った。

 急いで会計をして、モモカを追いかけなきゃいけない気がした。頭の中が散らかって追いつかないけど、泣いているモモカを放っておくなんてそんなの……。


 「あたしももう行くわ。時間ないし……」


 サクラの思考がまとまらないうちにリツも千円札を机の上に置いて、立ち上がった。サクラはまたも焦り、リツを見上げた。


 「リツ……まっ……わたし……」


 「もう十分でしょ、魔法少女なんて」


 水から出された金魚のように言葉も出なくて、情けなく口を開くサクラになんて見向きもせず、リツは冷たく吐き捨てた。

 「じゃあ」と去っていくリツに何も言い返せなくて、サクラは泣きそうになりながらただ黙ってそれを見送った。ドアが閉まる頃には、もう誰も取り残されたサクラなんて見ていなくて、店内は雑談や食器の音が響いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る