15. 手掛かり

 タブの位置はケースによって異なっており、角に付いているものや、辺の真ん中に飛び出たものも在る。

 岩見津がケースを重ね終わると、タブが一辺に並び、塗り分けられた色の並びが良く分かった。


 カルテを識別するための色が、どんな法則に従って塗られたのかは、矢知も一目で察する。

 一番上が青、次が赤。オレンジ、黄色、黄緑と八色続き、下端のタブは紫だ。


「虹の順番か」

「色相環、だったかな。綺麗に並んでるでしょ。あっ、ちょっと、それ以上近付かないで」


 タブを見ようと寄った潤を、岩見津がすかさず制した。

 口を尖らせて抗議しようが、緊急時以外は距離を詰めるなと却下される。

 少しはジョルターに慣れてきたようでも、触れるほどの近さは嫌らしい。


「色が規則正しいのは分かったが、それがどうした。意味があるのか?」

「規則正しくない。最初の青はおかしい」


 確かに色の変化に従うなら、青は緑と紫の間が自然だろうか。

 一番上、赤の前に来るのは変化が唐突に感じるものの、そこに注目する意味が矢知には理解出来ない。


「だから、それがどうしたと――」

「色分けするのは、よくやる。色ペンで塗るのも、珍しくないです。でも、青を一番に塗るのは、山田のやり方だ」

「誰だって?」

「看護婦長です。厭味なオバハンで、大嫌いだった。テープの貼り方にまでケチを付けてきて、それじゃ患者にカブれが出るとか――」

「おいっ、このクリアファイルの出所を知ってるんだな?」


 愚痴を垂れ流すのを中断した岩見津は、少し考える素振りを見せた後、「おそらく」と切り出す。


「山田に研究所で会ったことは無いし、こんなタブ分けも久しぶりに見ました。正鳳せいおう会病院から持って来たカルテケースじゃないかなあ」

「お前の勤めてた病院か。そもそも研究所じゃ、紙のカルテは使ってない」

「ええ」

「場所はここからも近かったな」

「研究所と同じ科多しなだ区です」


 岩見津は十ヶ月前の夏、その正鳳会病院でジョルターと初遭遇した。

 この時、現場へ真っ先に来たのは看護婦長だったと言う。

 彼女の指示で別室に待機した岩見津は、その日の内に研究所へ連れて来られる。


 市内の病院で発症者が出た場合は、対策班が出動せずに済ますことが多い。

 各病院には事情を知る協力者が居て、低次発症者なら無力化も担当する。

 実際、矢知が民間の病院にまで出向いたのは、フォアジョルトを連発する患者に現場が窮した大学病院での一例だけだ。


 岩見津の話を聞くに、看護婦長は正鳳会病院の協力者と思われた。

 もちろん、山田と言う看護婦長が、研究所のどこかで働いてる可能性もゼロではない。

 しかし、手掛かりが片っ端から抹消された中で、カルテケースは数少ない荻坂に繋がる細い線だった。

 所長は正鳳会病院の症例に関心を持ち、この部屋でカルテを眺めていた。

 その事実に加え、もう一つ矢知の疑念を増す要因が有る。


「このファイル、何枚だった?」

「数えてませんが、百は無いくらいでしょう」

「多いだろ。全部発症者のカルテなら、異常な人数だ」

「ああ、そうですね……」


 病院棟に送ったジョルターの数は、矢知が来てから二十三人。それ以前の事例は、死亡者も含めて十人程度のはずである。

 現在まで城浜市以外で発症した報告は無く、だからこそここに研究所が置かれた。


「ジョルターがそんなに発生していたら、もっと表沙汰になってそうなもんですけど」

「現にさっきの敵は、ジョルトを使ってきただろ。この街には、もっと発症者がいるんだ」

「海外から来たのかもしれませんよ。外国の諜報機関とか」

「日本語で号令を掛けてたのにか?」


 指揮官らしき男の顔は典型的なアジア系で、訛ってもいなかった。

 荻坂が裏で何をしていたのか、敵はどう関係するのか。

 手繰る糸を見付けた矢知へ、潤がその意志を確認した。


「正鳳会病院に行くつもりだろ。俺も付き合うよ。間島がいるかもしれない」

「街に連れ出すのを、後悔させるなよ。能力が暴発しそうなら、すぐに言え」

「分かってる。俺だって、殺人鬼になんてなりたかない」

「まったく、苦労して捕まえたってのに……」


 道案内をするのは岩見津の仕事で、彼も病院行きのメンバーに強制加入させられる。

 所長室では他にめぼしい物も見付けられなかったため、これくらいで探索を切り上げた三人は、中央棟の入り口へ戻った。


 玄関では、開発棟から出た副長に迎えられる。

 シャッターを強引に爆破してこじ開けたあと、彼と部下たちは研究所を巡回していた。


「酷い有様ですが、人的被害はゼロです」

「不幸中の幸いだな」


 研究、分析の二棟は、特に荒らされていたと言う。負傷が出なかったのは、抵抗しなかったためだ。

 上級権限を持つ職員は中央管理室にいた二人だけで、各棟の下級職員たちは敵の侵入に抗ったりはしなかった。


 敵の空けた穴から上階に進んだ者によると、薬品や機器は在っても、資料やメモは皆無だったと言う。

 元から少ない紙類は全てシュレッダーに掛けられ、ごみ袋に詰めてあったそうだ。


「敷地外周はどうだった? 監視カメラは潰されたみたいだが」

「目視できたのは、ゲートの敵だけです。つい先ほど、職員が一人、乗用車で抜けようとしたところを拘束されていました」

「職員って、若い女か?」

「ええ。かなり乱暴な扱いでしたね」


 データ以外には興味の無さそうな敵であっても、職員を自由に通行させる気は無いらしい。

 隠れているだけで、外周も警戒されていると考えた方がよいだろう。


「俺たちは警備員でもなきゃ、戦闘部隊でもねえ。全員対策棟に戻らせて、職務を一時停止する」

「棟で待機ですか?」

「解散だ。対策班以外でも、研究所から出たい奴に声を掛けて、棟の前に並ばせてくれ」

「分かりました」


 嬉しそうに見えるのは、浦橋が根っからの平和主義者だからだろう。

 こんな仕事を務めていても、彼は人死にを良しとしなかった。慎重派で、矢知はしょっちゅう無謀な行動を諌められている。

 対策班では一番の古株であり、性向が間逆な分、隊長とは良きコンビであった。


 各員に通達するため走って行く副長から、矢知は幾分所在なげな潤へと目を移す。

 ジョルターが抵抗してくることを、ましてや衝撃切断を使ってくるとは、敵も予想していなかったに違いない。

 もう一度研究所に突入してくるとすれば、ハッシュジョルターへの対策を講じてからだ。


 対策棟に向かって歩く道すがら、矢知は潤と岩見津へ、ここからの計画を話す。

 研究棟の調査も考えていたが、余りゆっくりしていると、潤を押さえられかねない。

 どうせデータは破棄されたのなら、正鳳会病院を次の目標にして動く。

 敷地を出たら警察へ連絡を取り、その後、三人は徒歩で矢知の知り合いの家へ。


「病院じゃなくて?」


 色々と疑問は尽きない潤は、まず目的地から問い質した。


「移動用の車が欲しいんだよ。敷地から出るのに、俺たちは車を使わん。斜面を駆け降りるからな。フェンスは潰せばいい」

「また俺の仕事っぽいな……。警察は味方なのか?」

「当たり前だ――と、言いたいとこなんだが」


 対策班は警察の目こぼしがあって初めて動ける組織であり、個人的に顔が利く矢知は、何度か共働も経験している。

 説明を聞いた潤は、その上で尚、質問を繰り返した。


「警察は、ジョルター・・・・・の味方なのか?」

「お前の味方とは言いづらいな。しかし、そこが問題じゃない」


 対策棟前に着いた矢知は、話の続きは後だと会話を打ち切る。

 各棟を回っていた班員は、半数くらいがもう集合しており、副長が今後の希望を順に尋ねていった。


 警備員と事務職員も、三十名が脱出を希望して集合する。

 程なくして、外周まで出向いていた班員も帰還し、こちらからも報告と脱出の希望を聞いた。

 得体の知れない敵に捕まるのは、誰しもが不安なようで、対策班で研究所に留まると言ったのは四人だけだ。

 彼らは負傷した班員の友人で、病院棟の一階に収容された仲間と残るつもりだった。


「全部で四十九人か。敷地から出るルートは三つだ」


 対策班の輸送車二台に分乗し、正面ゲートを強行突破するグループ。武装はすれど、これは失敗する確率が高い。

 敵の攻撃が激しければ負傷者が出てもおかしくなく、戦闘能力の有る警備員と対策班の混合で編成される。

 捕縛されるのを覚悟した特攻なので、総数は八人と数は少ない。


 敵の空けたフェンスの穴を目指すグループ、これが二つ目だ。

 敵の警戒次第では、すんなりと外に出られる可能性があり、一般職員はこのルートを選ぶ者が多い。

 指揮は副長、浦橋が志願した。


「無理に突っ込むなよ」

「安全第一で行きます。誰も死なせやしません」

「お前が言うと、説得力はあるな」


 脱出を最優先にするルートなだけに、浦橋が仕切ってくれるのは幸いだと、矢知は少し安堵する。

 最後が矢知たちのグループで、穴の空いていないフェンスを破壊して進む。

 危険度は未知数で、潤のジョルトが敵の注意を引き易い。

 どうせ目立つなら、先行して陽動役をしようと言うのが、矢知の考えだった。


 参加するのは矢知、潤、岩見津に加えて、対策班員が一人の四人と最少だ。

 これは危なさよりも、ジョルターと一緒に行動することを嫌った結果だろう。

 唯一、同行する班員が佐々井で、第一班では最も隊長に懐いていた。

 矢知にはやや子供っぽく感じて、邪険にすることも多かったが、潤よりはよほど自立した大人に違いない。


 陽動グループが出発して十分経過してから、他のグループが動き出すことに決め、皆は準備を開始する。

 無理だと思ったら退け、そう全員に念を押した矢知は、潤を傍らに呼び寄せた。

 この二人が、グループ内でも更に先鋒を務める。


「行くぞ。薮の中を通るコースにしよう」

「オーケー、姿勢は低く、だったな」


 敷地内周までは平地、そこを越すと、手入れのされていない山肌だ。

 辛うじて砂地が剥き出しになった獣道を、足元に気をつけて下って行く。

 背の高い雑草が茂り、身を隠すには都合が良い。


 中腹まで下りると、今度は木々の生え並ぶ雑木林といった様相に変わり、斜面の角度もきつくなる。

 幹にしがみつきながら、自分の直下ばかりを見て進んでいた潤は、矢知に止まれと小声で言われ、やっと顔を上げた。

 思いの外、目的地に近付いており、二重の外周フェンスまでもう一息で到達できそうだった。

 敷地の北西に当たる場所で、フェンスは無傷に見える。まだ通電はしているはずで、触れずに破壊しなければいけない。

 フェンスの向こうには、緩く傾斜した林道が在り、そこが脱出経路となる。


「さあ、潰してこい。ハッシュジョルトは使うなよ。俺たちは後ろで待つ」

「いいけど、少しは援護もしてくれよ」

「巻月」

「ん?」


 矢知は銃を取り出しつつ、口の端を僅かに上げてみせた。


「派手にやれ」


 了解の返事に代えて、潤の拳が軽く上がる。

 高圧電流が施されたフェンスまで、彼は滑るように斜面を下りていった。

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