03. 脱出

 車の上でオレンジの警告灯が回転する様子から、最初は警察が来たのかと考えた。

 すぐに、警察なら赤色だろうと思い直す。


 ヘッドライトが消えると眩しさが減り、かえって車体の色まで視認できた。

 消防車は赤、パトカーは白と黒、護送車はグレーだったろうか。現れた車輌は青だ。


 精々友好的に振る舞い、何か誤解が有るなら説明しようという考えも、この時点ではまだ残っていた。

 全て杞憂で、ちゃんと罹災者を保護してくれるだろう、と。

 そんな甘さが払拭されたのは、車から出て来た人間の格好を見た時である。


 暗色の作業服に昆虫の顔を思わせるガスマスク、そんな連中が六人、怪しげな機器を抱えて登場すれば誰だって警戒して当然だろう。

 潤は部屋の中から、相手の出方を窺うことにした。


 カラーボックスを床に置き、玄関の壁裏に立って、顔を僅かに覗かせる。

 運転席から降りた一人を加え、全部で七人がワイヤー沿いに間隔を空けて横へ並んだ。


『伝染病感染の恐れが有ります。検査のため隔離しますので、こちらへ出て来てください』


 拡声器越しに、車から指示が届く。

 全員が降りたわけではなく、助手席辺りにまだ責任者が乗っているようだ。

 案外に柔らかな口調に彼の警戒心も多少は薄れるものの、伝染病とはまた不穏な話だった。


 言われてみれば、火事の前後から焦点が合わない頭の鈍さを感じており、疲労感も有る。

 早い時間から寝てしまったのも、何かの症状が出たのだと考えられよう。

 先程までとは別種の不安を膨らませながら、彼は物陰から踏み出す。

 馬鹿正直なのが取り柄であるのを自覚する潤は、様々な疑念を無理やり抑え込んで名乗りを上げた。


「巻月潤、ここの住人だ! 火事で取り残されて困ってたんだよ」


 ワイヤーの張られた位置までは、六メートルと少し。

 姿を見せた潤に、ガスマスクの何人かは手にする先を向けた。

 金属パイプに持ち手が付いた形状の筒が、銀色の光を反射する。持ち方だけなら、ショットガンが近い。


『よし、その場で停止して――』


 視界が歪む、いや、多重にぼける。

 逆光気味のガスマスクたちが、輪郭を微妙にダブらせた。


『――初期震動プレシバリングを確認、強制拘束しろ!』


 一人が左手を挙げてみせたのは、了解の合図だろう。

 その真ん中に立つ男と、両端の三人が、前に進み出た潤に向かって空き缶サイズの物体を投げ付ける。

 顔の前で腕を交差させ、身を庇った彼の足元に、ゴンゴンと鈍い衝突音が響いた。


 一拍置いて、缶から濛々もうもうと白煙が噴出される。

 煙を吸い込んだ潤は猛烈に咳き込み、膝を折って地面にへたり込んだ。止めどなく涙が零れ落ち、目を開けていられない。


 投擲型催涙弾、暴徒鎮圧用の物よりは希釈されたガスでも、即効性は抜群だ。

 地面に両手を突いた彼の喉を、逆流した胃液がヒリヒリと焼く。

 潤がうずくまっている隙に、マスクで防護した男たちは、ワイヤーの電源を切って進入口を確保した。


 真っ先に彼へ近付いたのは、銃らしきものを握る四人だ。

 警告も命令も発せず、至近距離まで来た彼らは無言で銃口を潤に突き付ける。

 引き金を絞るのにも、躊躇いは無く、四発の弾が、彼の背中へ放たれた。


 衝撃波が、竜巻の如く潤の周りを打ち払う。

 対能力者用の特製麻酔弾は、効果を生むことなくコンクリの地面に転がった。全弾が、である。


 弾も接近した男たちも、催涙ガスごと見えない圧力が押し飛ばした。

 無様に転んだ四人へ、後列の三人が駆け寄って援護に回る。

 ガスが晴れたことで、車からも状況が視認でき、スピーカーから追加の指示が飛んだ。


前衝撃フォアジョルトに注意、次弾撃ち込め! 絶対に接触はするな!』


 ――これが感染者の扱いかよ!


 少しはガスの影響から逃れた潤は、もうはっきりと自身のピンチを理解する。

 電線で封じ、催涙ガスで制圧後、銃で攻撃する。そんな伝染病対策など有り得ない。


『ゲートを閉めて、電源を再起動しろ』


 麻酔銃を持つ者は彼を遠巻きにして、他はワイヤーへと駆け戻る。

 指揮官らしき声は「ゲート」と呼んだが、そんな大それた進入口ではない。

 ワイヤーを支えるポールが、一箇所だけ二重になっており、それを動かして人が通れる隙間を作っただけだ。


 戻った三人は、その隙間から外に出てポールを配置し直すと、少し離れて設置された電源ボックスの操作盤へしゃがみ込む。

 銃を持つ四人は相変わらず潤へ撃ち続けるものの、衝撃波が連続して発生し、被弾から彼を守った。

 多重に見える像は一向に回復せず、頭のふらつきは増す。それでも逃げるくらいなら気力で何とかなる。

 踵を返し、コーポまで走った彼は、改めてカラーボックスを手に持った。


 は潤を追いはしても、最初ほど接近してこないため、さしたる脅威には感じない。

 ガスマスクの一人に走り寄り、ボックスを頭上に掲げると、男はたたらを踏んで後退する始末だ。

 そのまま叩き付けようと箱を振り下ろすつもりが、また衝撃波が先に男を吹き飛ばした。


 ――「ひぃっ」?


 マスクでくぐもった悲鳴を、潤は確かに耳にした。


 ――こいつら、俺が恐いのか?


 彼らの大仰な装備に、ビビり気味だった自分が馬鹿らしい。それに加え、敵の攻撃を自動的に弾くように発動するこの波動だ。

 ワイヤー担当の三人から再び催涙弾が投げられ、煙幕が復活しても、僅かに彼の足を止めただけで終わる。

 ガスは瞬時に払われ、男たちはまたしても仰向けに倒された。


 これを機に、潤は一気に「ゲート」へ駆ける。

 電線を巻き付けた支柱は、通電中に触れれば感電する仕組みなのだろう。ブロック状の土台まで金属製で、持てそうな場所は無い。

 握って移動させられないのなら押し倒すまでだと、彼はカラーボックスを腹の前に抱えて、支柱に体当たりした。


 どれ程の電圧が掛かっていたのか知らないが、潤の予想を超える大量の火花が散る。

 ゲートを潰す目的は叶わず、電撃のショックで後ろに弾かれたところを、謎の衝撃波に助けられた。


 彼の願いを体現するような力の渦――ここまでで最大威力のエネルギーが、支柱を地表ごとえぐり倒す。

 ゲート近くに姿勢を低くして、何やら作業中だった三人も、一瞬で数メートル後方に飛ばされていた。

 コーポを封鎖するワイヤーは欠損し、切断された先端が無残な姿を晒す。

 地面に接触してバチバチと音を立てる様は、跳ね回る管虫を連想させた。


 開いた脱出口を通り抜け、全力で疾走する潤は脇目も振らずに深夜の街へ消えて行く。

 彼を止める手段は、この時点ではもう存在しなかった。





 遠ざかる潤の背を狙い、麻酔銃の先が今一度向けられたが、脇に来た男の手で制止される。

 ガスマスクを外した隊員は、この後の指示を男に仰いだ。


「隊長……追いますか?」

「無理はしなくていい、第二班に任せよう。これ以上派手にやると、後始末に困る」


 部隊の責任者、矢知やち敏樹としきは、対象者が逃げた先の闇を苦々しく睨む。

 眼光の鋭さは長年現場で鍛えた彼の持ち味ではあっても、不手際の直後ではどうにも虚しい。


 回収に失敗した原因は、いくつもある。

 この夜、覚醒した者は五名にも及び、班を細かく分ける必要があった。十人に満たない班での捕獲では、失敗のリスクも相応に高くなる。


 また、どんな対象かも情報が無いままの作戦だった。

 五人目の捕獲任務において、本部が念のために仕掛けた監視装置は確かに役に立ったが、まさかの第二症例者“衝撃使いジョルター”とは。

 通常、一次症例の兆候から覚醒まで一週間以上は掛かる。

 二次症例まで進んだ者も大半は昏睡するなり、半身不随となって病院に送られるのが相場で、弱っていない・・・・・・能力者とやり合うことを矢知は予想していなかった。


 ここまで進行してしまった相手には、麻酔銃も催涙弾も効果が薄い。

 最後に設置した能力者用の電磁ネットは、高威力の一撃で地面もろとも吹き飛ばされた。

 その衝撃ジョルトを連続使用できる強烈な力、これが一番の想定外だ。


「どいつも発現が早過ぎる。荻坂おぎさかは、一体何を投与したんだ」


 どうにも腹の底が見えない所長の顔を思い浮かべ、彼の眉間の皴が更に深くなった。

 柔和な研究者を装いながらも、発症者を見る目つきは爬虫類が獲物を見るそれだ。決して人道主義者などではない。

 とは言え、高次症例者には矢地も未だ制御しづらい嫌悪感が湧く。

 不快な思い出が蘇る前に、頭を振った彼は当座の指令を部下に告げた。


「監視映像を元にして、各所に逃亡者の特徴を伝えろ。ここの撤収も急ぐように言え」

「二班がもうすぐ到着します。私たちは?」

「本部に帰投して、能力者用の対策を練る。出動待機は、しばらく続くぞ。仮眠は四時間で交代していけ」

「了解です。隊長も帰投されますか?」

「ああ。しばらくは、一班に同行して動く」


 ワイヤー用の電源を落とし、使用済の催涙弾を全て回収した後、彼らは仲間の到着まで車内で待つ。

 撤収作業を担当する二班が、似た大型車輌で現れると、入れ替わりに一班は城浜市郊外に在る本部へと帰路に就いた。


 車中、助手席に座る彼は各班と連絡を取りつつも、本部の思惑について考え続ける。

 街中作戦の責任者でありながら、計画の全体像を把握するには情報が足りない。

 公にできるような事案ではないと理解していても、内部の人間にまで徹底された秘密主義には苛立ちを覚えた。


 ジョルターは事故や死傷者を誘発する危険な存在であり、隔離が必要な点は疫病と同じだ。

 罹患者・・・の致死率は百パーセントに近く、治療法は皆無。未だ解明が進まず、非科学的なオカルトの領域に踏み止まっている。


「無症候性キャリアを確定するため、だったか……」


 発症の危険が有りながら無自覚の覚醒予備軍、そういった人間を炙り出して隔離するという荻坂が立案した作戦に、彼も異議は無い。

 しかし、その結果、大量の発病者を生むなら話は別だろう。

 いくら研究対象が得られるとは言え、これではパニックを自ら作り出すことになる。


 ともあれ、逃げた能力者を拘束することが、今現在の最優先事項だった。

 車は街から山中へ入り、やがて二十四時間、警備員の詰める二重のゲートに辿り着く。

 ここを過ぎれば、直ぐに愛想の無い白い建物が現れた。


「車庫で構いませんか?」

「ん……いや、奥の開発棟に付けてくれ。ジョルター用の武器を増強しよう」

「分かりました」


 広い土地に八棟と職員宿舎が点在する『城浜次世代医療研究所』、ちょっとしたテーマパーク並の敷地面積を誇るここでは、棟間の移動にも自動車が欲しい。

 病院棟、中央棟と施設内を進み、矢知の乗る車は奥の開発棟の搬入口に横付けされる。

 午前四時になろうかという時刻、城浜の空はまだ墨で塗り潰した夜の只中だった。

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