自分を見てあげよう

「どうしてあなたはなんにもできないの?一度監督に言われたことはしっかり修正しなきゃだめでしょ?」


頭上から責め立てる声に、わたしの身体は身震いする。先輩はわたしの下げた頭になおも言葉を吐きかける。


「どうして監督があなたを重要な役に起用したのか、全然わからないわ。こんなにセリフもぎこちないのに。よくもこれくらいの出来で演技しようと思ったわね。明日までにやり直してきなさいよ。」


「すいません…。」


わたしは消え入るようにそう言うしかなかった。先輩はすべてを言い尽くして満足したようにその場を去った。体育館の中から聞こえてくる演劇部員たちの「ありがとうございました!」という声がわたしがいるこの廊下にも響きわたってくる。


 今日も、つらい練習が終わった。ああ、早く本番がくればいいのに。


 心の中でつぶやいても、どうにかなるわけでもない。


 本格的な部活の練習がはじまってから2か月が経つ。わたしはまだ2年生なのに、なぜか先輩たちを差し置いて大役を務めることになった。主人公に次ぐ、サブキャラクターの役だ。最初はメインの役をやらせてもらえることに誇りを持っていたが、練習のたびに失敗してしまうのでみんなに迷惑がかかっていることがわかった。


 正直、自分にこれだけの役を果たす才能はないのではないかと思っている。さきほどわたしを叱ってくれた先輩のほうがよっぽど感情のこもった良い演技をする。次の本番が3年生の最後の発表なのに、自分より実力のある先輩たちがごろごろいる中、なぜわたしだけがこんな役に抜擢されたのか。


 思うに、監督はわたしのことを買いかぶりすぎているのだ。確かに、わたしは前回の劇でなかなかの演技をしていたのかもしれない。でも、それは少しばかりのセリフをもったいわゆる『ちょい役』だったからにすぎない。あのときはきちんとした演技をしなければならないという思いもなかったし、プレッシャーも感じなかったから、うまくいった。そのときの出来栄えを監督は評価してくれたのかもしれないけど、正直わたしに大役をする器があるかと言われれば、自分でも疑問だ。


 今回はみんなが成功したいという願いを一身に背負って演技をしないといけないのだ。それはとても大切なことで、だからこそ難しい。セリフの一音一音にも意味を持たせないといけないし、気持ちを入れなければならない。


 家に帰ってきて自分の部屋に入ったあとも、わたしは使命感で押しつぶされそうになっていた。カバンから台本を取り出して読み上げようとするが、声にならない。涙が頬を伝って流れて、台本の上に落ちる。いけないと思い、涙を手で拭って声を出そうとするが、かすれた音しかでてこない。これじゃあ、自主練にもならない…。


 あれ、わたしってホントに練習したいのかな?こんなに苦しくて、こんなに重圧に負けそうなのに、それでもやっていく意味ってあるのかな?


「…。大変だよな。みんなの期待に応えるのって大変だよ…。」


高く澄んだ幼い声が聞こえて、わたしは驚いた。見ると、ドアの近くに小学生くらいの年の女の子が立って、ベッドに座って泣きじゃくるわたしを見つめている。


 え?だ、だれ…?


「わかるよ、お前の気持ち。期待に応えないといけないって、これじゃだめだって思ってがむしゃらに頑張ってるんだよな。努力しているんだよな。それでもみんなの評価は変わらない。悔しいよな。わたしもそんなことを思ってた時期があったわ…。」


彼女はわたしのびっくりした表情などまるで気にする様子もなく、わたしの隣にちょこんと座って右肩をぽんぽんと叩いた。え?いやホントあなただれですか…?どっから入ってきたの…?


「え?あなただれ?勝手に人の家に入っちゃいけないのよ?小学校で習わなかった?」


わたしはなるべくやさしく動揺を隠して話したつもりだったが、彼女は頭を横にゆっくりと振って言った。


「そんなこと今はどうだっていいじゃないか…。あなたが抱えている問題のほうが重要だよ。」


どうでもよくないわ。知らない女の子に話しかけられるこの状況、めちゃくちゃ怖いんですけど。そんなわたしの恐怖を知ってか知らずか、彼女は手を組んだままふうっと息を吐いている。


「人間は社会的な動物だ。常にだれかの視線にさらされている。でも、視線にとらわれすぎてもいけないんだ。もちろん、その中で学べることもあるだろう。だけど、あまりにもみんなの声に従って生きていると、それは操り人形になる。あなたは周りからの評価にいつもびくびくしている人形になりたい?」


わたしの顔を見て、しっかりと言葉を紡ぐ彼女の瞳にドキドキして、思わず目をそらしてしまう。やめて。そんなに純粋なキラキラした視線を送らないで…。


「な、なりたくないです…」


「そうだよね。だってそれって自分を殺しているってことだよ。結局、何がしたかったかがわからなくなるんだよ。なんであなたは演劇をやろうと思ったの?」


「それは…」


わたしは考えていた。はじめて舞台を見に行ったときの感動。ステージに上がった若い女の子がきらびやかな衣装を身にまといながら、喜び、悲しみ、泣き、笑う。たった一瞬の時間で彼女は凝縮した人生を生きる。その自由な生きざまにわたしはどうしようもなく興奮したのだ。だから、高校に入ったら必ず演劇部に入るんだって、そう誓ったんだ。


「舞台の上で自由に自分を表現したい。そう思ったから。」


小さな女の子はわたしの言葉にうんうんとうなずいていた。なんだろう…。完全にペースを握られている気がする…。


「そう、その決意はいつも変わらない。自分があるべき姿さえ思い出せればもう十分だ。他人からの評価っていうのは、結局あなたの表面しか見ていないんだよ。良くも悪くも。そしてあなた自身の自分に対する評価も、実は自分の表面しか見ていない。もっと心の奥底から湧き上がってくる『やりたい!』っていう気持ちが大事なんだ。それをもっと表面に出していけば、何かが変わるかもよ。


 自分がこうだとか、こうでなければならないとか、そうやって自分で自分を押さえつけてはいけないよ。もっと素直に見てあげようよ。あなたの欲求を。絶対に決めつけてはいけない。」


確かに、そうかもしれない。わたしは自分自身をプレッシャーで縛っていたかもしれない。はじめて舞台を見に行ったときのあの感動をイメージして、もう一度役になりきってみよう。わたしは演技の中で何を表現したいか、見に来ている人たちにどんなことを思ってほしいか。もう一度考えてみよう。


「じゃあ、台本読み合わせしようぜ。」


彼女はニヤリとわたしに笑いかけて、勝手に台本をのぞきこみ、目についたセリフを読み始めた。


「ワタシハジユウニイキタイ。モットスナオニ。」


主役のセリフだ。ぶっきらぼうな彼女の言葉は、なぜかわたしの心にしっとりと染みわたった。


「そうよ。あなたは、あなたの人生を生きなければならないの。」


負けじとわたしも、そのあとにつづいた。




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