5-5.

 彩菜嬢の部屋は、ジュニアスイートクラスというだけあって広々としていた。俺たちが泊まる客室にはないソファーやローテーブルもあり、聞いた話ではルームサービスの内容にも違いがあるのだとか。

「一度帰ってはきてたみたいなんだけど」

ライティングデスクの上に置かれた小さなバッグは、確かにホールで彩菜嬢が持っていたものだ。

「スマホもここにあったの」

花枝嬢が答える。

「どうしよう歌ヶ江、まさか誘拐?」

青山が涙目で俺の肘に縋り付いてくる。

「……落ち着いて」

「争ったような形跡はありませんし、無理矢理連れ去られたという可能性は低いと思いますよ」

春日原が早速ベランダへ通じるガラス扉を開けて、海風吹き荒ぶ外へ出ながら言った。

「そ、そっか」

少しほっとした様子で、俺の肘から離れる青山。

「花枝さん、バスルームを使った跡はありました?」

「ううん。床も壁も乾いてたよ」

「そうですか……」

二人の声を聴きながら、俺はふと、ベッドに目を向けた。

 本来は二台のベッドをくっつけて一台にしたダブルベッドが、堂々と鎮座していた。シーツにも枕にも、全く乱れはない。

 ということは、と、俺でも大の字になれそうな巨大ベッドの隣に立ち、そろりと枕をどかした。やはり、封筒が手つかずのまま残されていた。

「彩菜さんは、こういう謎解きゲームはお好きなんですか?」

室内に戻ってきた春日原が、暴風でグシャグシャになった髪を手櫛で整えながら訊ねた。

「好きだと思う」

青山は即座に頷いた。

「だってあなたたち、ミス研で出会ったんでしょ?」

「花枝さん!」

青山が耳を赤くして慌てた。

「……ミス研?」

「ミステリー研究会だよ。大学のサークル。推理小説好きが集まって読んだり書いたりする、地味で健全な部活動」

早口で答える青山。何かやましいことでもあるのだろうか。深くは聞かないことにした。

「……なら、最初の問題も解けたんじゃないかな……」

俺は推理小説やゲームブックは乱読の一部だったというくらいだが、サークル活動に勤しむほどなら、あの文章を読んだらベッドを調べるだろう。よしんば後半の文章の意味に気付かなくても、部屋の中にヒントがあることくらいはわかる。

「部屋の中を探す暇もなく、すぐにいなくなったってこと?」

「そうなりますね。もしかすると、着替えてすらいないんじゃないでしょうか」

確かに、着替えたならドレスが皺にならないように、ハンガーに掛けておくはずだ。しかし、一続きになった広い室内はもちろん、春日原が断りを入れてから開けたクローゼットにも、彼女のドレスは見当たらなかった。

「何にせよ、この部屋には彩菜はいそうにないってことね。どうしましょうか」

「彩菜さんを探したいけど、何も手がかりがないし……。歌ヶ江、どうしたらいいと思う?」

「……涼城社長に聞いてみる、とか……」

もしかしたら、涼城社長なら娘の行動予定を把握しているかもしれない。慰め程度の提案だったが、

「そっか、涼城さんに呼ばれてホールに戻ったのかも。イベントに参加しない乗客もいるから」

希望を見出して、青山はぱっと顔を上げた。が、花枝嬢が口を挟んだ。

「待って。もし涼城おじさまが何も知らなかったら、大騒ぎになっちゃう。先に他の可能性を潰していかない?」

「他の可能性?」

「実はその封筒をもう見つけてて、宝探しの次の場所に先に向かったとか」

すると、春日原がにこやかに頷いた。

「可能性はありますね」

いつの間にかベッドの脇に移動していて、封筒を拾い上げて中のカードを確認している。

「青山先生のカードの答えは何でしたか?」

「僕? 0だったよ」

「ということは次の場所は、E二〇四号室、ですね」

またしても一瞬で問題を解いた春日原は、そう言ってカードをこちらに向けた。


*****


 E二○四号室は、彩菜嬢の部屋よりも、俺たちの部屋のあるデッキよりも更に下の階にある、普通――この船の中ではだが――の客室だった。

「確かに数字の四から始まる部屋はないし、二百四十何号室って部屋もないから、条件に当てはまるのは二○四号室だけよね」

「四や十三は忌み数として嫌う人もいますから、わざと空けてあることもありますね」

つまり邪推するなら、『余っている部屋の番号を使った』ということだろうか。

 俺たちが部屋に着いた時には、扉の前には既に、それなりの人数が集まっていた。

「歌ヶ江くん、何があるか見える?」

花枝嬢が訊ねる。乗客の割合上ほとんどの参加者が男性のため、平均身長の青山を含めて、人垣の向こうにあるものが見えていないようだ。

「……扉に、紙が貼ってあります。何か書いてある……」

「写真は撮れそうですか」

背伸びしてもよく見えていない春日原に頷き、ポケットからスマートフォンを取り出し人垣の斜め上から写真を撮る。真剣に話し合っていた男性たちが、シャッター音に気付いてこちらを振り向き、俺に気付いて少しだけ震えた。

「はい……」

差し出したスマートフォンの画面を、額を突き合せて見る三人。

「また暗号ですね」

「これだけ?」

A4サイズの白い紙に、シンプルに一行だけ文章が書かれていた。

『星空に乾杯』

「……そう、だと思います」

花枝嬢と春日原は次の問題の内容を確認し、青山は再度辺りを見回した。

「彩菜さんはいないよね……」

「いないと思う……」

女性の姿も全くないわけではなかったが、彼女はドレスを着たままのはずだ。そのような目立つ格好の女性は、青山の視界の範囲はもちろん、人垣の内側にも見当たらなかった。

「もう問題を解いて、次の場所に行っちゃったのかな」

「彩菜さんは、頭がいいんですね」

「そうね、少なくとも私よりは頭の回る子だよ」

それはかなりの切れ者なのでは。

「一応涼城本家の長女だからさ。一歩引いて、言わずに我慢しちゃうことも多いんだけど。本当、私とは大違いのとっても良い子」

冗談めかしてけたけたと笑う女傑だったが、その言葉尻には彩菜嬢への愛情が感じられた。

「さて、その良い子と、早く合流しなくちゃ。次の場所わかる?」

「わかります、でも――」

即座に頷いた春日原に、聞き耳を立てていた近くの男性が二度見した。春日原はそれに気付いて、少し離れてからこそこそと言った。

「多分、今行っても何もないですよ」

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