5-2.

 正月の出来事もそろそろ忘れた三月の下旬、春日原から突然着信があった。どうでもいいが、俺の着信履歴が春日原と味坂で埋まりつつある。

「……はい」

『歌ヶ江さん、今お家ですか? お正月に神社で会った青山先生から、さっき連絡があったんです』

「……え……」

『歌ヶ江さんの連絡先を教えてほしいと言われたんですが、教えても大丈夫ですか?』

「……用件次第」

疎遠だった知り合いに突然連絡を寄越す理由など、ろくでもない内容がほとんどだ。記憶の限りと先日の様子では人の良い男だったが、春日原と知り合ってからというもの、俺は他人への警戒心を強めていた。

『アハハ、わかりました。そう伝えます』

また連絡しますね、と言って、電話は切れた。まるで秘書のようだ。


*****


 春日原と共に、隅のほうでもそもそとローストビーフを啄んでいると、

「歌ヶ江」

青山は、俺にもわかるくらい嬉しそうに近寄ってきた。

「青山先生、本日はご招待頂きありがとうございます」

春日原が丁寧に礼を言う。

「こちらこそ、急な話だったのに二人とも都合を付けてくれてありがとう」

スーツ姿の青山は、そう言うと隣にいた女性に視線を移した。

「紹介するよ。僕の婚約者の、涼城彩菜さん」

「涼城です。本日は、楽しんでいってください」

サーモンピンクのカクテルドレスを着た、同い年くらいの女性が一礼した。

「涼城さんということは、もしかして」

「ええ、今日のパーティーの主催は、私の父です」

彩菜嬢は頷いて、優雅に微笑んだ。


 「……船上パーティー?」

青山の用件は、一言で言うとそれだった。

『今週末に、青山先生の懇意にしている方が、豪華客船でパーティーを開かれるんだそうです。それで、急なキャンセルが出てしまったから、代わりに出席してくれないかと』

「俺じゃなくても、代役はたくさんいると思うけど……」

『何しろ日がありませんからね。そういうイベントに慣れてある方ほど、都合がつかないのだそうで』

「……まあ、それもそうか」

気は進まないが、豪華なパーティーなら食べ物も美味しいだろう。特に挨拶するような相手がいるわけでもない。サクラとして、適当に飲み食いして帰ればいい。

 ということで、快く承諾したのだった。


 スケジュールは一泊二日。一日目の昼過ぎに乗船し、船内の部屋に一泊して、翌日の昼に港に戻ってくるというプランだ。

 花巻グループには及ばないが、涼城グループもかなりの大企業。宿泊することになった部屋は、船の中とは思えないほど優雅で快適だった。


 現在ホールで振る舞われているビュッフェ形式の昼食も、大変美味しい。パーティー開始から数十分が経過した今は、点々と配置されている丸テーブルに着席している者はほとんどいない。名も知らぬお偉い方々は、各々好きな場所で談笑していた。

「青山からお話は伺っています。ライターさんをしていらっしゃるんですよね」

もちろん主催者親族である彼女も、代わる代わる挨拶に訪れる客の対応に追われていたが、ようやく波が途切れたようだ。

「……はい。大した記事は、書いていませんが……」

「そんなことないよ! この前会った後、帰ってから歌ヶ江の書いた記事を探して読んだけど、すごく面白かった」

「……よく探せたね……」

名前を出していないことがほとんどなのに、どんなサーチ能力だ。

「学さん、歌ヶ江さんのファンなのよね」

「彩菜さん、言わない約束だったでしょう」

上品に口元を隠しながら笑う彩菜嬢と、急に焦り出す青山。

「ファン……?」

誰かと間違えているんじゃないかと、詳しく話を聞こうとした時だった。

「それって」

「あれ!? 歌ヶ江くん!?」

俺の小さすぎる声は、聞き覚えのある溌剌とした声にかき消された。

「花枝さん」

代わりに返事をした春日原の声と共に振り返ると、大胆に肩を出した濃紺のドレスを着た花巻グループのご令嬢が、グラスを片手に小走りで寄ってくるところだった。

「……お久しぶりです」

「うん、久しぶり。春日原くんも。こんなところで会えるなんて嬉しいな」

すらりとしたシルエットに、身体のラインが出る艶やかなドレスがよく似合っている。が、

「しまった、カメラは部屋だ。とりあえずスマホでいいか。春日原くん、よろしく」

中身は相変わらずだった。

「はい」

どうして、花枝嬢は俺の写真を撮りたがるのだ。春日原も渡されるままにツーショットを撮るんじゃない。

「僕もいいかな!?」

青山、お前もか。

 本人の意思を無視した撮影会がひとしきり行われた後、小さなバッグにスマートフォンを仕舞いながら、花枝嬢は謝った。

「ごめんごめん。スーツがよく似合ってたから、テンション上がっちゃった」

「花枝さんも招待されていたんですね」

「うん。彩菜のドレスをデザインした縁という名目で、父の代理」

「本当のところは?」

「家で私が一番暇だから」

春日原の開けっぴろげな質問にも、花枝嬢はあっさりと答えた。そういえば、彼女の本職はファッションデザイナーだった。ただの様子のおかしい富豪のお姉さんではない。

「彩菜とも喋りたかったから、ちょうど良かったよ」

「私も、花枝お姉様がいらしてくれて嬉しいです」

「いくら婚約者が一緒とは言え、同年代の知り合いがいないと寂しいもんね」

寂しいとは露ほども思っていなさそうな女傑は、白ワインのグラスを傾けながらうんうんと頷いた。ご令嬢たちは、小さい頃からことあるごとに顔を合わせているうちに、姉妹のような間柄になったらしい。

「二人は――、青山くんの知り合いか。世間は狭いね」

俺と青山が同じ年齢だということに気付いたのだろう。相変わらず、聡い人だ。

「僕としては、花枝さんと歌ヶ江たちが知り合いだったことのほうが驚きです」

「確かに」

撮った写真を眺めながら、尻尾があったらぶんぶん振っていそうな青山の様子を見て、花枝嬢は苦笑した。さすがに金で手に入れた縁だとは言えまい。

「しかし、歌ヶ江くんたちが来るってわかってたら、二人のスーツも仕立てさせたのに。既製品はサイズが合わなくて大変でしょ?」

「はい……」

ひょろ長いせいで、こればっかりはオーダーする羽目になる。春日原のほうも、「かっちりした服はあまり似合わなくて」と珍しく気落ちしていたところだ。

「僕が急に呼んだものですから。歌ヶ江なら、今日の催し物にぴったりだと思って」

「催し物ですか?」

通りすがりの給仕からオレンジジュースを受け取った春日原が、興味深そうに聞き返した。

「船全体を使って、宝探しをするんだって。涼城さん――彩菜さんのお父さんの会社が始める、新しい事業のお披露目とデモンストレーションなんだけど」

つまり、宿泊レジャー施設などを使った、豪華な謎解きイベントの先行公開というわけだ。

「もうすぐルール説明が始まると思うから、楽しみにしてて」

腕時計を確認した青山が、春日原に笑いかけた。どうにも、生徒や子供に話しかける時の態度が抜けていないような気がするが、春日原も気にしていなさそうなので、放っておこう。


 青山の言った通り、程なくしてホールの照明が落ち、代わりに船首側に設置されたステージにライトが当たった。

「皆様、お食事はお楽しみ頂いておりますでしょうか!」

よく通る声の初老の男性が、壇上でマイクを握っている。

「父です」

彩菜嬢が、そっと教えてくれた。主催自ら司会進行を務めるとは、珍しい。

「元アナウンサーさんでしたっけ」

「よくご存じですね。春日原さんが生まれる前の話なのに」

「少しだけ調べたんです」

さすが、商魂たくましい男は抜かりなかった。

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