3-7.

 花枝嬢の撮った写真は、自分が被写体であることを除けば、大変素晴らしいものだった。普段仕事でプロが撮った写真をよく見る身からしても、遜色ない腕前だ。

「写真集にしてもいいくらいだなあ」

「でしょう。歌ヶ江くん、今日の写真、私のSNSに上げてもいい?」

「……やめてほしいです」

「頑なだね。じゃあ、載せる権利を買わせてくれない? 四枚くらいでいいの。一回きりで、アップの写真も、素性も一切載せないから」

「……」

「揺らいでるね。よし、反応が来るごとに追加料金でどう?」

怒濤の交渉に妙な既視感を覚え、俺は試しに聞いてみた。

「……電話の時、味坂の隣にいましたか?」

「バレた?」

あの時もこうやって、俺はまんまと仕事を請け負わされたわけか。さすが、人の上に立つ者は人を操るのが上手い。

「そういえば、歌ヶ江くんは名探偵なんだっけ。味坂くんが言ってた」

花枝嬢がニヤリと笑った。

「名探偵?」

「そう、殺人事件を解決したことがあるって」

「……またあいつは、そんなことを」

思わずチッと舌打ちすると、春日原を含めたその場の全員が、一様にぽかんと口を開けた。

「今の顔、もう一回」

どうして花枝嬢はカメラを構えるのか。

 半ば呆れながら、画面のほうへ目をそらす。食後に一階で撮っていた写真だ。本当によく撮れている。窓の外の天気が悪いことも気にならないくらいだ。

 と、

「――あ」

気付いてしまった。思わず春日原を見ると、奴もまたこちらを見ていた。

「どうしたの?」

ファインダー越しに俺を見ていた花枝嬢が、一枚写真を撮ってから顔を上げた。撮るな。

「……いえ。何でも……」

俺は顔を逸らした。春日原は何も言わない。

「変顔でも見つけた? カメラって嫌だよねえ、俺も苦手」

芳川はひらひらと手を振り、苦い顔をした。巷で話題の演技派俳優でも、カメラが苦手なんてことがあるのか。

「ふぁーあ、食べたら眠くなってきた」

「散々寝たのに? まあ、私もだけど」

花巻家の兄妹が、口々に欠伸する。

「どうせすることも限られてるし、夕飯まで一眠りするか」

言うが早いか、芳川はソファに長い脚を投げ出し横になる。

「私もそうしようかな。波佐間さんと山口さんも、イリーガルなことが起きて気疲れしてるでしょう。一休みしてください。夕飯は遅くなってもいいですから」

そう言うと、花枝嬢はソファの背に掛けてあった膝掛けにさっさと包まり、目を閉じた。横を見れば春日原も、目を閉じてうとうとしている。

「でしたら、皆様の分のブランケットをお持ちします」

「ありがとう。じゃあ、歌ヶ江くん。使って悪いんだけれど、付いて行ってあげてくれるかな」


 本当に付いて行くだけの仕事をして部屋に戻って来ると、いよいよ室内には小さな寝息だけが響いていた。芳川、波佐間、春日原にブランケットを掛けてやったあと、俺も春日原の隣に座り直した。山口は部屋の隅に行って壁に寄りかかり、絨毯の上で大人しく眠り始めた。


*****


 キィ、と小さく扉が開く音がして、閉まった。しばらくしてから、再び同じ音がした。俺は薄く目を開けた。

 人影は眠っている人々を起こさないよう静かに部屋を横切り、やがて坂田の寝ているベッドの前で立ち止まった。

 そして、腕を大きく振り上げた。

「山口さん、ダメです!」

叫んだのは春日原だった。ソファの背を踏み越え、果物ナイフを手にした山口に飛びかかるようにして着地し、驚いて一瞬動きを止めた彼女の手首を掴んだ。

「……本当に山口さんだったなんて」

見ると、膝掛けに包まったまま、花枝嬢もぽかんと口を開けていた。ナイフを取り落とした山口が、手首を掴んだ春日原を、目を見開いて見つめていた。


*****


 地下室を出た後、春日原は俺に、

「山口さんが淹れたお茶は飲まないでください」

と耳打ちした。俺はそれに従い、プリンは二つとも頂いたが、彼女が淹れた茶には一切手を付けなかった。おそらくパソコンを取りに行った際に、花枝嬢にも同じことを言ったのだろう。芳川と波佐間は、この騒ぎにも関わらずまだ眠っている。

「睡眠薬?」

腑抜けた面の兄の顔を覗き込みながら、花枝嬢が訊ねると、

「……はい」

花枝嬢が座っていた一人掛けソファに座らされた山口は、小さく頷いた。

「ええっと……。何から聞いたらいいのかな、これは」

山口と対峙するように、正面で腕組みをして彼女を見つめていた花枝嬢は、額に手を当て顔を顰める。すると、

「歌ヶ江さん、山口さんに質問があるんじゃないですか?」

春日原は突然、俺に話を振ってきた。自分で訊けばいいものを、と思いながら、俺は渋々口を開く。

「……地下室に、発火装置を置いたのは」

少し迷ってから、結局続けた。

「……坂田さん、じゃないですか」

「え?」

俺が言う横で、春日原は花枝嬢のノートパソコンを操作していた。

「ありました。この写真です」

画面を花枝嬢に向ける春日原。

「ここ。坂田さんが写ってます」

先ほど見ていた、一階の広間で撮った写真の中の一枚。窓の向こうに小さく、人影が写り込んでいた。顔は不鮮明だが、体格や服の色から見て、坂田で間違いない。何やら大きな箱を抱えている。

「坂田さん、一度屋敷に来てたのね」

花枝嬢は、悟ったように静かに呟いた。

「もしかして、さっき歌ヶ江くんが何か言いたそうにしてたの、それ?」

「……そうです」

おそらく春日原は、花枝嬢の手伝いをしているときに、俺の肩越しに坂田を見つけていたのだろう。しかし、その時点ではまだ、彼が何をしているのか推測はできなかった。もしかすると、再び船に戻る坂田のことも見ていたのかもしれない。

「……山口さんは、坂田さんの企てを、止めようとした。……合ってますか」

山口は、微かに首肯した。

「つまり。私……、もしくは私たちを殺そうとしてたのは、坂田さん?」

「そうなりますね」

春日原は、いつも通りの微笑みを浮かべた顔で頷いた。

「……でも。何も気を失うほど殴らなくたって……。今だって、明らかに殺そうとしてたでしょ?」

「……そうしなければ、自分たちが殺されると思った」

「はい」

沈痛の面持ちで、しかし確信を持った様子で山口は認めた。

「地下室の仕掛けを見つけて、何か危険なものだということは分かったのですが、下手に触ることもできず……。直接彼を止めるということしか、思いつきませんでした」

ここ数日、坂田が不穏な動きをしていることは、察知していたらしい。そして地下室へ向かう坂田の後を追い、いよいよ今日決行するのだと確信して、船に戻った彼を襲った。しかし傷は浅く、坂田は助かってしまった。彼の側には必ず誰かがいる。もし坂田が目を覚まし、その時看病している誰かを襲ったら。そう考えると恐ろしくなり、先手を打つことを考えたのだという。

「先に相談してくれれば良かったのに」

「……ご迷惑をお掛けして、申し訳ございません」

そう言って山口は、深々と頭を下げた。

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