3-5.

 新しい衣装を渡され渋々着替えた俺は、案内されるままに二階の部屋へ移動した。今度の衣装は、学生服のようなブレザーとシャツとネクタイ、そしてチェック柄のスラックスだった。

「うん、すごくいい!」

着替えた姿を見た花枝嬢は、気圧と反比例するかのように目に見えてテンションが上がっていた。


 毛足の長い絨毯の敷かれた部屋で機材をセッティングし、バシャバシャと楽しそうに遠慮なく俺の写真を撮りながら、花枝嬢がぽつりと漏らした。

「さっき春日原くんが言いたかったこと、私わかったよ」

「何のことです?」

構図を変える度に布の端を持てだの家具をこっちに動かせだのという指示に従って動き回る春日原が、聞き返す。

「とぼけちゃって。――いくら風が強いとは言え、果たしてそんな質量のあるものが、人の頭をかち割るような勢いで飛ぶのかって言いたかったんでしょう?」

すると、春日原は一旦手を止めた。いつも通り少しだけ微笑んだ顔のまま、答えない。

「……誰かが、坂田さんを襲ったって?」

仕方がないので、代わりに俺が訊ねた。

 確かに風は強かったが、少なくともまだ、大きな石や木材が飛ぶようなレベルではなかった。加えてあの林は防風林だ。実際、林道に入った途端に風が弱まった。そんな中から、風の影響で重いものが飛び出すということは考えにくいと、春日原は暗に言っていたのだ。

「可能性の話ですよ」

ふふ、と春日原は笑い、瞬間、外を稲光が走った。

「可能性ね。……坂田さんの怪我が人為的なものと仮定すると、動機は何?」

「単純に、誰かの恨みを買っていたり、喧嘩をしたはずみに、ということも考えられますが……。もしも坂田さんが発見される前に停電したりしていたら、僕たちはどうなっていたでしょうね」

唸る空をガラス越しに見ながら、静かに言った。その横顔を見て初めて、俺は春日原の目が深い青色をしていることに気付いた。

「……電話もネットも繋がらなくなって、助けを呼べなくなる」

花枝嬢が、真剣な表情で最悪の事態を口にした。

幸いにも今回は、既に山口が救急と代理の運転手を呼んでいるので、台風が去り次第迎えが来るはずだが。

「待って。春日原くんの話だと、坂田さんを襲ったのは、目的じゃなくて準備ってことにならない?」

閉じ込めるだけが目的とは思えない。これからもっと大きな事件を起こすと言わんばかりだ。

「まさか、そんなこと」

「こういう場所にある、人が住める建物って、停電した時のために非常電源がありますよね。ちょっと見に行ってみませんか」

始めは面白がっていた花枝嬢も、春日原の急な提案には、さすがに何を言っているんだと言いたげに眉をひそめていた。

 しかし、

「何もなければそれでいいんです。考えすぎだって笑ってください。――むしろ僕は、そうあってほしいんです」

春日原は、微笑んだまま静かに言う。

「いいでしょう。災害の前の設備点検は大事だからね」

花枝嬢は、そんな彼を見てふっと笑い、腰に手を当てて頷いた。


*****


 花枝嬢が先導し、キッチンや食堂などの人が集まる部屋とは反対側の端にひっそりと取り付けられた扉を開けると、薄暗い階段が現れた。

 人が一人通れる程度の幅しかない階段を花枝嬢、春日原、俺の順で下り、扉を開けるなり鼻を突いた油の臭いに、花枝嬢が口元を手で覆った。

「換気しましょうか」

春日原が扉を全開にして、室内にあった工具箱をストッパーにしている間に、

「痛っ」

横を通り抜けた俺は、一人でダメージを受けていた。

「えっ、天井にまで頭ぶつけるんですか」

ぶつけたと言うより、擦った。入り口は辛うじてクリアしたので油断した。

「背が高いのも大変ね」

天井の高さは、おそらく百八十センチ程度しかない。身を屈めて天井に手を当て高さを確認しながら、恐る恐る二人の後に続いた。床に液体がこぼれているようで、靴の裏がベタベタする。

 そして。

「……何これ」

それは、明らかに地下室の中で浮いていた。

「発火装置、ですね。簡易的なものですが」

「……なに? 発火装置?」

本来は閉まっているはずの非常電源装置のメンテナンス扉が開かれ、その足元の床には置小さな木箱が置かれていた。中には白い粒が平らに慣らして敷き詰められている。更にその上に乗せられた浅い陶器の皿には、大きな氷。――溶けた水が、今にも皿から零れそうだ。

「とりあえず……。この氷はこれ以上、ここに置いておかないほうがいいです」

言いながら、春日原は近くの机に置いてあった、干からびた雑巾を手に取った。氷を包むようにしてそっと持ち上げ、水滴が白い粒に垂れないように水を切り、床に置き直した。

「……一応聞いておくけれど。溶けた水が溢れていたら、どうなるはずだったの?」

撮った写真を確認しながら、花枝嬢が訊く。

「発火装置ですから、もちろん火が付きます」

「仕組みは?」

「白い粒は酸化カルシウムだと思います。おせんべいなんかの缶に入っている、白い袋の乾燥剤と言えば、わかりやすいでしょうか。水がかかると発熱して、かなりの高温になります」

木箱を燃やすくらいの、と続ける春日原。

「……」

「あと、この床のベタベタは多分油です。臭いからすると、灯油ですかね」

淡々と解説する春日原は、不快そうに足を持ち上げ、いつもの赤いスニーカーの裏を見て少しだけ眉をひそめる。油の跡は端に積まれた備蓄のダンボールまで続き、底面に茶色く染みを作っていた。

「この部屋の壁はコンクリートですし、扉はきちんと密閉される鉄扉です。もし火が付いていたとしても、家屋に燃え広がる前に室内の酸素がなくなって、勝手に消火していた可能性が高いですが……。非常電源は、ダメになっていたでしょうね」

本気でこの部屋、もとい非常電源を潰そうとしている仕掛けだった。

「さて、最大の危機を取り除けたことですし、一旦地上に戻りましょうか」

水の入った皿を慎重に外し、酸化カルシウム入りの木箱を持ち上げ、春日原は振り返った。

「一つ聞いてもいい?」

花枝嬢が、神妙な顔で訊ねる。

「何でしょう」

「こんな仕掛けができるのは、間違いなく私たちの中の誰かよね?」

「……ええ。お屋敷に詳しい誰かが、島のどこかに潜んでいるのでなければ」

「私が知る限りは、この屋敷以外に、島に建物はないよ。もちろん、雨宿りできるような洞窟もね」

「そうですか」

始めから分かっていたと言わんばかりの、冷静な声だった。

「もう一つ聞いてもいい?」

「構いませんよ」

「春日原くん、きみは何者?」

「ただの便利屋です。化学の授業、好きでしたねェ」

アハハ、と春日原は緩く笑った。はぐらかされた花枝嬢は手を額に添え、諦めたようにため息をついた。

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